第30話野蛮なる戦士カインと東京1

シャワーを浴びた。使い方は覚えた。浴室から出ると、カインがタオルで体を拭く。


服を着てから居間に行き、カインは黒革張りのソファーに腰を下ろす。


「さっぱりしてきたのう。まあ、これでも飲むといい」


カインを見上げる小柄な老人──時田礼太郎がテーブルの上に置かれた缶ビールをすすめる。


「有り難く頂こう」


缶ビールを受け取ったカインが、無造作に人差し指を底部に突き刺し、ゆっくりと引き抜く。


カインが開いた穴から溢れる琥珀色の液体を泡ごと飲み込んでいく。


そのまま飲み終えた缶を素手で握り潰し、傍らに置かれたゴミ箱に放り込む。


「とんでもない怪力じゃな」


カインは日本に来ていた。


グリニーと共同で試した魔術の実験によって、あちらとこちらの世界を開いたのだ。


その時に出てきた場所が、丁度高速道路のど真ん中で、カインは大型トラックに衝突されたのだが、

このバーバリアンはその程度で死ぬような男ではなかった。


むしろ大型トラックのバンパーのほうがへし曲がってしまったほどだ。


トラックに追突されたカインは、車体を叩き壊して大破させると、素早くその場を離れた。


これはトラックに襲われたと、カインが勘違いしたせいだ。


運転手からすれば災難だった。


カインはそのまま新宿出入口までいくと、暗がりに身を隠して行動した。


街には様々な色の明かりが溢れ、まるで祭りのような人の波をカインは、しばし眺めた。


だが、そんな光景も直ぐに慣れた。


人目を避けながら雑居ビルの間を飛び回り、カインは適当に休めそうな場所を探した。


そんな時だ。礼太郎が、数人の暴漢に襲われている所をカインが助けたのは。




渋谷辺りを練り歩く。


幸いなことに言葉には不自由しなかった。これは前世の記憶の賜物である。


ソーマ酒を呷った際に見た前世により、カインは日本語を習得していたのだ。


もっとも前世の記憶を完璧に覚えているわけではない。


言葉と読み書きは人並みにこなせるが、他のいくつかの習慣や常識などは忘れてしまっている。


人々で出来た洪水の中に混ざり、カインが進んでいく。


人目を引くカインの巨体──視線には慣れている。カインはどこでも目立つ存在だ。


途中で本屋に立ち寄り、興味深そうな本を探す。


次のゲートが開く満月までに、この世界の知識や技術を頭に叩き込んで置かなければならない。


あちらとこちらのゲートが開くのは、どうやら月の満ち欠けに影響するらしい。


理由は不明だ。


数時間ほど立ち読みをしてから、興味の惹かれた本を一冊だけ買った。


金は礼太郎が謝礼にと差し出したものだ。


本屋を出ると、既に辺りは暗くなっていた。センター街を通り抜ける。


夜だというのに平和だ。不思議な街にも見える。




アキオと幸恵は走り続けた。だが、追っ手との距離は縮まるばかりだ。


アキオ──ポーカー屋のボーイ──店の売り上げを盗んで逃げた。


違法賭博の売上金だから警察には言えないだろうと。浅はかな考えだ。


幸恵──デリヘル嬢──アキオの女、元派遣のOL。


アキオも幸恵も借金持ちだ。


「ふざけんじゃねえぞっ、このヤロウっ」


スキンヘッドの巨漢が幸恵の肩を掴み、アスファルトの上に転ばせる。


「幸恵っ」


足を止めて振り返るアキオ──脇腹に衝撃が走った。


眉なし、細身のチンピラからの回し蹴りをモロに食らったせいだ。


「テメエっ、アキオっ、良くも店の売り上げカッパライやがったなァっ、女連れてトンズラしようなんざ、いい度胸じゃねえかよっッ」


つま先に鉄芯の入った作業用ブーツでチンピラが、アキオの横腹や太股を蹴りつける。


「す、すいませんっ、金は返しますんで許してください……ッ」


「ああッ、何寝ぼけた事抜かしてんだ、テメエはよッッ」


蹲って懇願するアキオを踏みつけ、チンピラが唾を飛ばした。


幸恵を押さえつけたスキンヘッドが、臭い息を吐きながら女の身体をぬめ回す。


「姉ちゃんよ、今日からホテトルに鞍替えしてもらうぜ。借金も上乗せだ。しかしよ、馬鹿な男持ったな、あんたもよ、へへ……ん?」


スキンヘッドの視界が向こうから来る人影を捕らえた。


どんどん近づいて来る人影──その正体は、ずば抜けた上背と体格を誇る大男だった。


スキンヘッドに捕まっていた幸恵が、大男に向かって助けを求める。


今はワラにもすがりたいのだろう。


大男が足を止め、四人に目を向ける。


「俺に助けを求めたのか?」


大男が幸恵に問いかける。


「ええ、そうよっ、何でもするから助けてちょうだいっ」


大男──カインが顎を指で掻く。スキンヘッドとチンピラはカインの纏った威圧感に恐怖を抱いた。


素手では二人がかりでも絶対に勝てない──そう判断したチンピラとスキンヘッドは、腰に隠していた光り物を抜いた。


残念ながらこの判断は間違いだ。


刃物だろうが拳銃だろうが、タダの人間がカインに勝てる道理はない。


ナイフを構え、腰だめに突っ込んできたスキンヘッドの顎を裏拳で叩き割ると、カインはチンピラに向き合った。


「それでお前はどうするつもりだ?」


チンピラは瞬時に理解した。ああ、こんな化物とやりあっていたら命がいくつあっても足りないと。


途端に媚びるような笑みを浮かべ、頭をペコペコ下げながら、失神したスキンヘッドの身体を引きずっていく。


案外、仲間思いの男だったのかもしれない。

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