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 ましろを送って家に帰った頃には二十一時を過ぎていた。そういえばしばらく携帯を見ていない。着信履歴はゼロ、メールは大量配布用の定型文で書かれた会社案内ばかりで、選考に関するようなものはなかった。開封せずにまとめて選択して削除。そうしようと思った時、件名に<無題>と書かれたメールが一通あり手が止まった。父親からのメールだ。


『誕生日おめでとう。就活はどうだ? 良い大学を出るからにはしっかり務めは果たしなさい』


 たった二行の素っ気ない文字の羅列。俺は返信ボタンを押さずにメールを閉じて、携帯を布団の上に投げる。平たい端末は音も立てずに柔らかい布団の中に落ちて沈黙した。


 家族関係が悪いわけではない。地方の工場でエンジニアをしている父に、近所のスーパーのパートをしている母。ましろの本来の家族に比べれば、ごくごく普通の絵に描いたような一般家庭だ。


 だけどいつからだろう……親とは言葉が通じないと思うようになったのは。受験勉強のために陸上を途中でやめた俺に対し、父は何も言わなかった。叱咤も激励も、何も。高卒で就職して長年同じ職場で働いてきた父にとっては、息子が一体何にそんなに時間をかけようとしているのか理解できなかったのかもしれない。受験に失敗して浪人をすることを決めた時、一年間塾に通うことを相談すると父はこう言った。


「金は出すから、勝手にしなさい」


 父なりの思いやりだったのかもしれないが、俺はなんだかその言葉に突き放されたような気がして、無性に腹が立ったのを覚えている。


「大学からは金はいらない。全部自分でなんとかする」


 そう宣言したことに多少後悔しつつも、入学してからはどうしても貯金が間に合わなかった学費以外、すべて自分で負担することになった。できるだけ安い賃貸を探し、すぐにバイトの面接に応募して、ありとあらゆる奨学金に手を出した。一人暮らしに慣れないうちは何度も実家の電話番号を押そうとしたことがあった。しかしその度にこちらと目を合わせようとしない父の顔がちらついて、携帯は部屋のどこかに投げ捨てられるのであった。


 親から完全に独立して奨学金を返済するには、一刻も早くまともな企業の内定を獲得する他ない。そんな焦りとは裏腹に、就活サイトでエントリーを受け付けている企業数は日に日に減っていった。トップページを見ると、四月より前はエントリーシートの書き方とか面接のコツのような特集ばかりだったのに、四月も半ばを過ぎると二つ以上内定をとった場合の選び方とか最終面接についての特集が組んである。キャンパス内を歩いていると、誰がどこの内定を取ったとか噂話が聞こえてくる。その度にどうしようもない嫉妬の感情が渦巻いて、気づけば喫煙所に足を向けている。


 すでにエントリーしている企業はあと数社しかない。しかしノートパソコンを前にしてみても、エントリーシートを新たに書く気はなかなか起きなかった。何も前に進んでいないのに、いつも通り腹が減っては食事をとる。部屋の隅に置かれた燃えるゴミの袋が目に入る。これじゃ社会に対してゴミしか生産していないみたいだな。思わず嘲笑がこぼれて、気を紛らわすようにましろの通信教育のテキストを開いた。


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