第三章 お嬢様、戦いの準備をする

ラヴェリテの初航海

5-1、皇帝の憂鬱

 帝国が建国して二百年以上が経っていた。

 その間、周囲の国との争いもあったが、併合などを重ね、今の領土に落ち着いている。

 帝国の首都は、かつてはグレートブリテン島に置かれ、海峡を挟んだ大陸の沿岸部の多くの都市を領土としていた。

 海軍力増強に力を入れ、駆逐艦を中心にした艦隊を組織し、かつてのイギリス海峡を中心に北海から大西洋までおよぶバンドネオン海と呼ばれるようになった海域を掌握していた。


 

 帝国宮殿皇帝執務室――


 帝国が建国する以前に建築された執務室は、優雅な装飾を施され、執務室というよりはラウンジといった感じだった。

 その日、執務室に届けられた報告は、皇帝が最も聞きたくないものだった。

「ラングドッグ号が沈んだだと?」

 一報を聞いた皇帝は頭を抱えながらうなだれた。

「なんということだ……それで、乗っていた皇子は?」

「消息不明です」

 その言葉に皇帝は愕然とした。

「皇子も北方王国への調停書も海の底か……」

「ラングドッグ号が沈んだと思われる海域には三隻の高速艦が捜索に向う事になっております」

「いまさら行っても無駄だろうに」

 皇帝はつぶやいた。息子を失った皇帝には側近の報告も気休めにしか聞こえない。

「陛下、そう悲観的にならずとも」

「そうだな……運が良ければ亡骸だけでも見つけることをできるかもしれぬしな」

「他に生存者は?」

「乗組員が数名おります」

「その中にセルメント・ローヤルティ中佐は?」

「残念ながら……」

「彼には悪いことをした。家族には私の名前でお悔やみを送ってくれ」

「かしこまりました」

「で? ラングドッグ号は何故沈んだのだ? 嵐か? 事故か?」

「それが、生き残りの船員の話では……」

 側近は、言いにくそうな表情をする。

「ラングドッグ号は、幽霊船に沈められたのだという話でして」

 側近の言葉に皇帝が眉をしかめる。

「今、幽霊船と申したか?」

「は、はい」

「よりによって幽霊船などとは……」

「生き残りの船員による証言だと霧の中を突然現れ、ラングドッグ号に突進攻撃をしてきたとの事です」

「なんとも馬鹿げた話だ」

「あの海域には元々、"ヴォークラン船長の幽霊船"の噂がありました」

「だとしてもだ」


 その時、執務室の扉が開くとブロンドの髪をなびかせて皇女が入ってきた。

「お父様」

「おお、アミカル」

 アミカルは第一皇女で皇帝の一人娘だった。

 聡明で賢いアミカルは皇女として相応しい才女だ。いつもは物静かな人柄だが、今日に限っては興奮した様子で姿を現した。

「エディス兄様の乗った船が沈んだと聞きましたので真偽を確かめに参りました」

「まったく、耳が早いな」

「ラングドッグ号沈没の話は、本当なのでしょうか?」

「ああ、本当のはなしだ。私も今、報告を受けた」

「生存者もいると聞いてきますが」

「その中にエディスの姿はない」

「ああ、なんてことでしょう……」

 アミカル皇女は慕っていた兄が帰らないと知ってうろたえた。

 

「失礼致します、閣下」

 悲しみの沈む親子のいる部屋に執事が取り次ぎに来た。

「帝国海軍北方方面軍司令官ナヴァリノ・イグノーブル提督がお見えになりました」

 海軍は、広い海域をいくつかの方面軍に分けて艦船を運用していた。

 その中でも北方方面の艦隊群は、一番多くの艦船を投入して編成された一大勢力だった。それを指揮する最高指揮官のイグノーブル提督も大きな権力を得ていた。

「通せ」

 皇帝が入室を許可させると高級そうな軍服を来た男が入ってきた。

「この度は、皇子がとんだことに」

「ああ、イグノーブル提督」

「皇女、皇子はお気の毒でした」

「痛み入ります」

「しかし、私に……我が北方方面群にご命令を下してくれれば、精強な艦隊をラングドッグ号の護衛に付けましたものを……」

「内密なことであった。北方方面軍の提督である貴公に伝えなかったのはすまなかったと思う」

 皇帝が勅命でラングドッグ号で皇子と調停書を送り出したのには理由があった。

 調停書の内容は、バンドネオン海を北方王国の商船が通過の制限を緩和する事。だがそれに反対する勢力が、海軍や議会に存在していたことだった。

 なんらかの妨害を警戒しての秘密の密使であった。

「ラングドッグ号のローヤルティ中佐は個人的な友人ゆえ、勅命として頼んだ次第だ。決して海軍の命令系統を軽視したわけではない。彼も勅命では逆らえなかったろうしな」

「ローヤルティ中佐は優秀な帝国海軍艦長でしたから」

「そのとおりだ」

「すでに、沈没海域への捜索に我が軍の高速艦三隻を向かわせました」

「その話は聞いておる」

「それはお耳が早い……それはそうと、皇子は密使であっと聞いておりますが?」

 イグノーブル提督は、そう言って皇帝を見上げた。

「詳しくは言えぬが、確かに皇子には、秘密の任務を授けた。貴公、それをどこで……?」

「いろいろと詮索好きな者が聞きたくもない話も持ってくるのです」

 イグノーブル提督は、そう言って一礼した。

「もし、次にそのようなことがあれば、ぜひ私にお申し付け下さい。北方艦隊最強の艦で命に変えましても密使を送り届けます」

 その言葉を聞いた皇帝は、しばらく無言で考えた。

「ナヴァリノ・イグノーブル提督、我が帝国と北方王国は貿易航路の件で緊張状態が続いておる。君ら海軍やギルドは強気のようだが」

「滅相もございません。ギルドはともかく、我が海軍にそのような者たちは……現実問題、戦争となれば国が一気に疲弊いたしますしな」

「そのとおり。だが、それを思わん一派が、城内におるのを知っている」

「確かに、その様な派閥は存在しますな。私も誘われたことがありますので」

「君もなのか……一体、誰が味方で、誰が敵なのか分からなくなってくる……」

 皇帝は眉間を押さえながら言った。

「皇帝、もし仮にですが、北方王国へ調停の使者を送るとしたら、どなたになさるおつもりでしょう? 軍の首脳部は好戦派で、有力議員の多くは好戦派に傾いておりますが」

「まずは、こちらの誠意を見せることが重要だ。我が国は今まで北方王国に対して強行過ぎた政策をとってきた。礼を欠いているといってもいい程にな。だから調停の書簡は、こちらの誠意の証とわかる者がいいのだが……」

 皇帝そう言うと、アミカル皇女の方に目をやった。

 視線を合わせてたアミカルは、皇帝の考えを察した。

「皇帝。私を北方王国への使者としてお送りくださいませ」

「ああ、しかし……」

 皇帝は、迷っていたが、そこにイグノーブル提督がある提案をした。

「皇帝、アミカル皇女を使者として送るのであれば、我が艦隊にお命じください。新型艦で編成した北方方面艦隊の新艦隊を護衛につけます」

「新艦隊? 新型装甲戦艦のあれか?」

「はい。あの艦隊であれば、いかなる敵艦も敵うことはありますまい」

 皇帝は、考えた。

 たしかにあの規模の艦隊を護衛につければ、どの様な敵も退けることができるだろう。エディスの二の舞いはあるまい……

「わかった。貴公に護衛を任せよう」

「はっ! お任せください」

 イグノーブル提督は、そう答えると皇帝に頭を下げた。

 忠誠を見せる提督だった。

 だが、その下に隠された企みに皇帝はまだ気づいていなかった。


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