第二章 お嬢様は海を目指す

3-1、船員募集

 海軍巡洋艦ラングドッグ号の生き残りたちの話は、にわかに信じられないものだった。

「帝国の巡洋艦が幽霊船に襲われた……」

 その話はすぐに話題に飢えていた街中に広がってしまう。

 酒場での噂話はしばらくの間、ラングドッグ号を沈めた幽霊船の事ばかりが語られるようになっていた。

 どこの港には様々な幽霊船の話がある。

 この港での話は゛ヴォークラン船長の幽霊船゛だ。

 八百年前……旧時代、"黄昏の戦い"といわれる大海戦で多くの船が沈んだ。

 だが、その中の一隻だけが冥界に行けず、この世に残り幽霊船となった。

 幽霊船は自分たちを沈めた敵を求めて今も霧の中、広い海をさまよっているという。

 それが゛ヴォークラン船長の幽霊船゛の話だった。

 そして不幸にも"ヴォークラン船長の幽霊船"に出会ってしまったのが、帝国海軍の巡洋艦ラングドッグ号なのだ。

 地元を母港とする帝国艦船が沈没。しかも乗っていたのは海軍に英雄である。この奇怪な噂は、今も街中の話のタネになっていた。

 他にも雑多な噂話や儲け話が店内に飛び交う中、その声は唐突に店の中に響いた。


「船の乗組員を募る! 勇敢な海の男の参加を望む!」


 どう見ても場違いな少女が店に入るなり、叫んだ。

 涼やかで、それでいて凛とした声に一瞬、酒場の中が静まり返った。

 一体、何ごとだとばかりに多くの客達がラヴェリテ・ローヤルティを見た。

 だが、ラヴェリテの姿を見るなり、何事もなかったかのように酒と与太話に戻ってしまう。

「……あれ?」

 その店の様子にラヴェリテは呆然とした。

「わ、私の声、聞こえなかったのかな?」

「いえ、そんなことはないかと存じます」

 ラヴェリテに付き添う執事のアディ・オベールはそう答えた。

「では、もう一度……と」

 ラヴェリテは深呼吸するともう一度、酒場にいる者たちに呼びかけた。

「船の乗組員を募ります! 勇敢な海の男の参加を望みます!」

 さきほどより大きな声で言ったつもりだったが、今度は、見向きさえされない。

「ぬぬぬ、なんとしたことか……」

 ラヴェリテは両拳を固く握りしめて悔しそうに呟く。

「よしましょう、お嬢様。私どもに船員を集めるなど無理な話です」

 執事のアディがラヴェリテの服の袖をひっぱりながらそう言った。しかしラヴェリテは執事の忠告を聞き入れることはなかった。

「ねえ、アデ? 今の私の声は、そんなに小さくはなかったと思うのだが……」

「はい、お嬢様の声は、決して小さくございません」

「では、何故、ここの者たちは聞こえてないのだ?」

「お嬢様、人は、関心のないことは耳には届かないものです」

 執事は、曇ったメガネを拭きながらそう言った。

「私は、船員の募集をしたのだぞ!」

 ラヴェリテは、執事のアディに言った。

「アディは、言ったではないか! 船乗りは、酒場に集まるもの。そこでなら船員が見つかるのかも、と」

「まあ、普通はそうなのですが、その、なんといいますか……」

 アディが言葉を濁す。

「なんだ? 私は何かおかしいことを言ったか?」

 食い下がるラヴェリテに執事のアディは答えに困る。『貴女さまは、相手にされていないのです』などとラヴェリテには使用人という立場上とても言えないからだ。


 その時、横から誰かが口をはさんだ。

「ちょっと、お嬢ちゃん」

 見ると身体の大きな男がジョッキを持ってラヴェリテの方を向いていた。

 無精髭に大きく出た腹と丸太のように太い腕。その姿はまるで熊のようだ。

 ラヴェリテが大男を見ると見覚えのある顔だった。

「あれ? あなたは……」

「いつぞやはありがとうよ。あの果物は美味しかったろ?」

 ラヴェリテは、思い出した。以前、東の海からやってきた船にから降りてきた男だった。抱えていた果物を落として、それをラヴェリテが拾ってあげたのだ。 

「とっても美味しかったです。ごちそうさまでした!」

「ところで、お嬢ちゃん、船員を探しているのか?」

「そうだ!」

 ラヴェリテは、力強く答えた。

「元気だねえ」

 大男は、大笑いして続けた。

「ちょっとした好奇心なんだが、船員を集めてどうする?」

「幽霊船退治をする!」

 ラヴェリテの言葉に大男は、目を丸くする。

「幽霊船って……あれかい? 海軍の船を沈めたとかいうヴォークラン船長の幽霊船の事かい?」

「そのとおり!」

 大男は、大笑いした。

「ガハハハ! そいつはいいや!」

 ラヴェリテは笑われて機嫌を損ねた。

「笑うな!」

 執事のアディは、ラヴェリテがこの粗暴な大男を怒らせやしないかと慌ててラヴェリテを止めようとした。こんなところで揉め事はごめんだ。

「ちょ、ちょっと、お嬢様。よしましょう」

「なんだ! アディ! 止めるな」

 執事は、ラヴェリテの手をつかむと酒場から出ようとした。

「ちょっと、待ちなよ。お嬢ちゃん」

 大男は、ラヴェリテたちを引き止めた。 

「いいことを教えてやるよ」

 大柄な男は、ジョッキの中の酒を飲み干すと続けた。

「あのな、お嬢ちゃん。ここにいる連中が無視しているのは、皆がアンタの言うことを信じていないからだよ」

「あなたは、私が嘘つきに見えると言いたいのか?」

 ラヴェリテは大男を睨みつけるとそう言い返した。

「そうだな……俺が見るところ、アンタは嘘をつくような娘には見えない。それは間違いねえと思うよ。ただ、他の連中にはアンタが船員を雇うような金も船も持っているように見えねえんだよ。金を払ってくれそうもない人間に船乗りは、気になんてかけないさ」

 大男の説明にラヴェリテは腕を組んで納得する。

「うむ。一理あるな……では、どのようにすれば、私の言葉に興味を示してくれるんだ? ミスター……えーと」

「ルッティだ。ミスターはいらねえ」

「ふむ、ルッティ殿。では、どのようにしたらよいのか?」

「まだ言い方が固いが、まあ、いいや。ヒントをやるよ。俺がアイツらなら、まずは金だな」

「お金?」

「タダで船に乗る船乗りはいねえ。海軍の水兵たちだって給金をもらってる。要するに金を持ってるって分かれば、ここにいるロクデナシどもも少しは聞く耳を持つだろうよ」

 ラヴェリテは、ルッティのアドバイスを興味深く聞いていた。

「よしわかった! ということは、皆、お金に興味があって、そのお金を私が持っていると示せば私の話を聞く……ということなのだな?」

 ルッティは、そうだと言わんばかりに肩をすくめる。


 ラヴェリテは大きく息を吸うと、もう一度、酒場中に響く声で言った。

「勇気ある船員を募集する! 手当はあなた方がいつも貰う二倍、いや三倍だぞ!」

 そう言ってラヴェリテは、ルッティの座るテーブルの上に金貨の袋を叩きつけるように置いてみせた。

 再び酒場中が静かになり、酒場中の船乗りたちがラヴェリテに注目した。

「おい、ねーちゃん、ほんとに三倍なのか?」

 酒場の誰かが言った。

「もちろんだ!」

 ラヴェリテは、金の入った小袋をかかげた。

「乗ったぜ!」

 船員がひとり、名乗り出た。

 それを皮切りに酒場がまた活気を取り戻す。ただし今度は、ラヴェリテを中心に盛り上がっている。

「俺もだ」

「俺も!」

 さらに数人の船乗りが名乗り出た。

「で、目的地はどこだい!」

 また酒場の誰かが言った。

「ヴォークラン船長の船が出没する海域だ! そこで幽霊船を退治する!」

 その言葉を出した途端、酒場は一気に静まり返った。

「ちょ、ちょっと聞きたいんだけどヴォークランって、あの幽霊船に乗ってるヴォークラン?」

「そうだとも。ヴォークラン船長の幽霊船の事だ!」

 ラヴェリテは、元気よく船乗りの問いに答えた。

「幽霊船の出る海に行くのか?」

「そのとおり! 行くだけじゃないぞ。ヴォークラン船長の幽霊船を退治する!」

 その言葉にさきほどまで騒がしかった酒場が一瞬で静まり返った。

「このあいだ沈められたラングドッグ号の仇討ちにいくのだぞ。どうだ、勇敢な航海になるだろう?」

 周りの様子に気づかずラヴェリテは続けた。

「ん? どうしたのだ? みんな」

 口々にラヴェリテの無謀な航海の目的に疑問の言葉を交わしている。やがて、乗船を名乗り出た船員たちが次々と辞退を始めていく。

「……悪いんだけど、この話はなかったことに」

「三倍の手当は魅力的だけど、相手が幽霊海賊じゃあなぁ」

「命あっての物種だ……すまんね」

「海軍の船が沈められたのに俺たちが行っても……な」

 集まった船乗りたちは、口々にそう言って、結局、名乗り出た船乗りの多くが辞退を申し出た。

「あいつら、なんなのだ! 一度は、名乗り出たくせに」

「やはり、無理です。帰りましょう。お嬢様」

「手を離しなさい! アディ。私はまだ諦めないぞ!」


 次々と船乗りが離れていく中、逆に1人の男がラヴェリテたちに近づいてきた。

 それは左腕を怪我した海軍の水兵だった。

 水兵は、ラヴェリテの前に来ると言った。

「お嬢さん、本当にヴォークラン船長の幽霊船を退治する気か?」

「もちろんだ!」

「海軍の巡洋艦を沈めた相手だぜ?」

「それでもだ!」

 ラヴェリテは、目の前の水兵を睨みつけた。

「こいつは勇敢だ。なあ、ショルドゥ」

 水兵は半笑いして、後ろテーブルに座っていた仲間たちにそう言った。

「よし、いいぜ、お嬢さん。俺が乗組員に志願する」

 仲間たちは、水兵の言葉に皆、驚いた。

「コーレッジ、おまえ、何を言ってんだ」

 仲間のひとりが慌てて言った。

「どうせ、次に乗る船も決まってねえ。だったらこの帝国海軍一の航海士コーレッジ様がこのお嬢さんの船に乗って、一緒に海賊退治に行ってやるぜ!」

 水兵は、そう言って包帯を巻いていた左手で自分の胸を叩いた。


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