討つ刃は縁を刻む

 早く避難してください。か細いながらも、はっきりとした言葉が叫ばれる。まだ爆発音の響き渡る市場の道を、いそいそと市民が避難する道を、足早に歩くのは白の衣をはためかせる人間の王だ。

 太陽の光を遮る世界樹の根本にいる彼らは、満ちていく焦げ臭さを感じながら、逃げ回るか、突如現れた敵に挑むかの、二択を迫られている。

 フェリの後ろに従う数人の騎士は、呼吸も乱さずに周囲に気を配っている。その手にはしっかりと剣や槍が握られていて、視線は市民たちの濁流からそらされることはない。

 彼女は今、騎士と共に玉座を目指している。

 少し前に発生した爆破音。おそらく玉座であろうという推測のもと、グレイズと昼食をとっていた飲食店から道に出て、広場を目指していた。人込みが道を満たしていようとも、いつもならそう遠くはない距離だ。

 市民を無理にのけるようなことはしないものの、普段よりもワンテンポ早いリズムで歩く彼女に、騎士たちは息も荒げることはない。普段の訓練の賜物だ。

 やがて奔流が途絶え、煙臭いに満ちる広場に出る。

 周囲の建物も爆破に遭ったのか、いくらかの瓦礫が散乱している。既にここにいた市民にも被害は出ているらしく、倒れている負傷者やそれを救護しようとしている者の姿も見える。だが後者の手が明らかに足りていない。今、襲われでもしたら犠牲者が二次三次と増えるばかりであろう。王はすうと空気を吸い込む。

「私のことは気にせず、彼らの救援の支援を、お願いします。できる限り多くを救ってください!」

 迷いのない王の指示に、乱れぬ掛け声と、足音。最小限のやり取り騎士たちは、四方向に伸びる大通りからの敵襲を監視する者と、負傷者を救護する者とに分かれ、散っていく。

 しかし今もなお、どこかで爆発が続いている。フェリの見渡す限り、敵の姿はない。もしかすると、この中に紛れ込んでいるかもしれないが、見分ける方法など存在しない。

 不測の事態に備え、フェリは背中の斧を右手に握り携える。

 騎士と市民が声を掛け合い、数人の負傷者たちが順次、救助されていく。鳴り響いている轟音が敵の存在を知らせているが、相変わらずここには誰もいない。

 救援者と騎士たちが近くの公園を目指して立ち去った。最後の騎士が王に近づき、声をかける。いたって冷静な口調で、避難しましょう、と。

 だが王は長い髪を揺らして断る。

「いえ、私は玉座へ向かいます。レミーたちがいないか、確認してきます」

 睨みにも近いまなざしに、騎士は間をおいて、かしこまりました、と仲間の下へ走り去った。

 焦げ臭ささばかりの広場に一人立つ人間の王は、玉座へ至る坂道の方を目指して歩き出す。もう動かぬ負傷者に目もくれず、騎士を従えていたときよりも早足だ。

 いつもは者だらけで長く感じる上り坂へ、足を踏み入れようとしたときのことである、彼女の視界が、深緑色の星空に覆われた。

 首根っこあたりを掴まれ、後ろに引っ張られている。

 そう頭が追い付くよりも早く片脚を軸にして、身をひるがえし斧を振るおうとする。だが背後にいる者は軽快に距離を置けば、斬撃は届かない。凛々しささえも垣間見える瞳が、ふわりと流れる体毛によって隠された。

 それは大きな体躯をもつ、立脚類の長毛の獣だ。黒光りする重そうな鎧の隙間から灰と茶の毛がぴょんぴょんと飛び出している。左腕には大きな盾らしい円盤がついており、右手には鍔のない剣――フェリの得物が握られていた。

 どこを見ているのか。武器を一瞥したらしい獣は血色のいい口内をちらりと見せる。

「さっきまで、もっと負傷者がいたと思うが、どうした? 乖離するには早すぎると思うが」

 槍を左手に握り、王は斧と共にそれを構えるものの、獣は警戒するそぶりも見せない。

「魔力乖離、のことですか? 先ほど、助けられる者は助けましたよ」

 そうかそうか、とわずかに獣の鼻が開く。

 瀕死となった生物が形を失う現象。まるで空気に溶けてしまうかのような幻想的な光景だが、一度乖離を起こした部位は二度と戻らないとされている。その実態は肉体を形作る魔力が空気中に溶けだしているとされている。

 無論、その命が尽き時間が経てば、全身が跡形もなく消えてしまう。よく芸術に選ばれる題材でもあるが、猟奇殺人に及ぶ者もいたとか。

 揺れる毛皮の隙間から、ふと柔らかい笑みがのぞく。

「それはよかった。できる限り犠牲者を出したくなかったんでな。おまえさんが通りかかってくれて助かった。王様」

 言い終えるかどうかの瞬間、獣が一歩踏み出し距離を詰めると同時に真一文字に斬りつける。美しい軌跡は、半歩を引いた彼女には届かず、槍の柄を掠めるのみだった。

 次いで、獣の右手めがけて斧が振り下ろされるが、目に見えて分かる一撃を獣は盾で妨げ、ぐいと押しのけた。毛皮に隠れていてわからないが、腕力は強いらしい。

「市の制圧と、王の抹殺。――砂漠の王の命令だ」

 一瞬の硬直ののち、剣が突き出される。身を捻って避けたフェリは勢いのままくるりと回り、槍を振るう。

「あなたはずいぶんと、悠長、なんですね」

 ゴッと鈍い感触が命中を知らせる。側頭部を撃たれようとも獣は声一つ漏らさず、ふらりと後ろによろめくだけだ。

「はは、だてに傭兵団長やってないからなぁ」

 ギラギラと輝く牙を、口端を歪めて見せつける敵へ一気に近づく。隙だらけに見えたのはその一瞬だけで、彼は身を低くし、再び剣をひらめかせた。


「世界樹の王、抵抗をやめろ!」

 一閃を槍で受け止めようとした身構えたところで、低くも通る男の声が、ぴたりと王と暗殺者の動きを止める。敵意の消えた顔が同時にそちらを向けば、二人の人間が広場の中心を挟み、反対側にたたずんでいた。

 男と女。女の方は手を後ろに回されているようだ。一方の男はキラキラと光る何かを持っており、女に向けている。見つかったか、と機嫌を損ねたらしい獣の舌打ち。続けて遠くにいる人間は叫ぶ。

「王に至宝を! なおも抵抗を続けるならば、こいつがどうなるか、分かっているか!」

 まるで時間を止まったように動きを止めたフェリと獣。先に武器を捨てたのは王で、石畳に放った。カランカランと軽い金属音が二人の耳に届く。

 敵が戦意の喪失を示そうとも、獣は王を斬ることはしなかった。剣を下ろし、まるで彼のものかのように、くるくると回し始める。

「どうした、オルストレ。世界樹の王をしとめろ!」

 遠目からでも分かる姑息な男の苛立ちに、オルストレは冷ややかな視線を向けた。

「あいつは、渓谷の国の、せこい騎士団長だ。ああやって敵を服従させようとするのが得意でな、正直好かん」

 長い長い獣の溜息。渓谷の男は何か、伝えようとしているように見えるが、形をなさずに雑音を発するばかりだ。動かぬ王傭兵団長にしびれを切らしたか、いよいよ女に近づき、得物の首につきつけた。

 フェリがどれだけ全力で駆けたとしても、届かない距離。魔法で男と女を引きはがせればあるいは。いや、間に合わない。容易に想像できる景色が、数秒間、暗転した世界に描かれる。

「おお、救世主の登場だ。王様よ」

 だが現実の耳に届いたのは、軽く笑うオルストレの言葉。遅れて、男の悲鳴のような声に、そろそろと目を開いた。

 王と獣の視線の先には、二人の竜と人質と、結晶の塊のようなものがあった。竜の一人は謎の塊を担ぎ、もう一人は人質を解放した。何やら話しているようだ。

 樹海の魔女が他の物を置いて、こちらに歩いてくる。


 軽く紅竜と言葉を交わし、別れた後、再び二人だけになる。フェリは武器を拾い上げ彼に向き直った。

「俺はな、雪の国の出身だ」

 オルストレは剣も構えず、胸元に盾を構えていた。正確には、軽く腕を組んでいる。

「人間の王様の産まれ故郷。とはいっても、集落の対立で、いつもピリピリしてた」

 今の獣に緊張感はないが、その手は彼女の剣がある。

「獣だけの集落と、竜だけの集落。今はもう、砂漠の国に侵略されちまって、跡形もないがな」

 ヒュッと空を斬る剣は地面を向き、ゆらゆらと揺れる。

「そんな二つの集落で、人間の赤ん坊が見つかった。寒さに耐えられるよう、ありったけの毛皮にくるまれたやつが、な」

 わずかに曇る王の表情は、すぐに真剣なものに戻った。

「異形の子であるってことは、すぐ分かった。獣と竜の夫婦は、我が子を連れて集落から抜け出したが、連れ戻された。だが、そこにはもう子供は、いなかったそうだ」

 おまえだろ、と獣がまた笑った。盾で手元を隠しながら石畳を蹴った。王は斧を盾のように構え、盾とぶつかりあった。体格の大きい獣が優勢だ。

「ここで会ったのも、なんかの縁だ。教えてくれよ、どうやって生き残ったんだ?」

 歪に口をゆがめながら、長毛の隙間からぎらぎらと光る瞳がのぞいた。体格で勝っている彼は上から押しつぶすように体重をかけ、剣を喉元につきつけた。

「知りませんよ、そんなこと。物心つく頃には、既に行商人の馬車の中でしたからね」

 その細身のどこにそんな力があるのか。苦悶の表情を浮かべながら堪えるフェリは槍で胸部を突くものの、まだ真新しいらしい鎧が傷つくだけだ。

「砂漠の国の書庫に、雪の国に立ち寄った行商人の記録がある」

 白い肌に、赤い線が引かれた。

「それ以来、その商人の近くには誰の子とも知れない子供を見るようになったらしい」

 どうして王になった。目の前でぺろりと舌を躍らせる姿に、眉を寄せるフェリは素早く身をかがめた後、槍を手放して木に刃を打ちこむように斧を振るった。

「あなたに話す義理はありません!」

 見るから丈夫そうな鎧に斧の刃が食い込み、その衝撃を受け、前のめりになっていたオルストレはくの文に体勢を崩す。しかし斧は片手で引けばあっさりと抜けてしまう。

 みるみるうちに広がる鉄板の裂け目に、自由落下を始めた槍を拾い上げたフェリは穂先を突き立てた。鎧よりもはるかに柔らかい手ごたえと共に、長い毛が赤く濡れ始めた。

 目にも止まらない一瞬のできごとに、獣は仰向けにゆっくりと倒れる。槍の柄が空へ向けて伸びていたが、抜かれることはない。

「まだ戦いますか? 次は、命を取ります」

 斧を左手に握り、点々と汚れた衣を揺らしながらオルストレを見下ろす。真っすぐな黒い目に先ほどまでの穏やかさはない。

「はは、強くて、若い王様だ。あんたみたいな王なら、世界樹に選ばれるのも納得だ」

 彼の体を踏みつけて、槍を容赦なく引き抜いたフェリは、悲鳴を食いしばりを耳にしたものの、気にすることもなく剣も取り上げた。

「その剣、なかなか使い勝手よかったぜ?」

 斧、槍と背負い、剣だけは右手に握る。赤い斑点が石畳に散っているが、血だまりは作られない。

「なぁ、起こしてくれれば、知ってること教えてやるよ。そこの壁にでも、座らせてくれ」

 指だけで広場の一角を指し、にっと眉を上げる男の目は、きらきらと少ない光を反射する。

「お断りします。あなたが知っていることが、真実とも限らないでしょう?」

 つれねぇな、と呟いた後、歯を食いしばりながら腕を支えにして起き上がる。真っ二つの鎧が大きな音を立てて落ち、毛むくじゃらの肉体が顕わとなる。真っ赤な傷口は、血のりによって固まった毛で塞がりかけていることが分かる。

「なら、王様の知りたいことを教えて差し上げますから、どうぞご質問くださいませ、とでも言おうか?」

 余裕の見えるオルストレは傷口を押さえつつ、左手につけている盾を外して胡坐に乗せる。負傷のわりには呼吸が乱れていない。

「なら、渓谷の国の騎士団長がいた理由、教えていただけますか?」

 テロの勃発当時、現れた竜の青年が、敵から情報を聞き出していた。いわく、砂漠の国からの刺客だということだ。

 それに加え、この場に渓谷の国の騎士団長が現れた。砂漠とは、市場を挟んで反対側にある国だ。もしかすると、敵は当初の予想の数の倍はいる、ということになる。

「砂漠と渓谷の王がな、世界樹を欲しがってる」

 世界で唯一の、大樹。

 その植物は、世界にいたあらゆる者たちの目印となり、いつしか世界樹という名を与えられ、民の中から王を名乗る者が現れた。

「雪の国を攻められ、俺たちは砂漠のやつらに下った。王いわく、世界の中心には強いものが治めるべきだ。いきなり説教を始めやがった」

 そして王と名乗った者たちは、誰であろうと受け入れる市場を作り、家や道を整備するよう、指揮する。

 ただの無法地帯だった場を、造り変え始めたのが、王。

「だからまぁ、こうやって落とそうとするのは当たり前なんだろうよ。んで、渓谷の方は、王様、あんたらの地位に就きたいと、ごく少数の貴族どもが考えてやがるらしい」

 もはや、自分たちが何代目の王であるか正確な記録は残っていない。

「俺は興味ねぇよ。王なんかになってもロクなことできるとも思えねぇしな」

 にやりともしない獣の首に、静かに剣が宛がわれた。

「本当だぜ? あのクソ団長から聞いた話はな。あいつが何度か砂漠の国に出入りしてて、勝手にしゃべったんだ」

 じろりと、まん丸な目が彼女に向けられた。ヒクヒクと髭が動く。その目に戦意はない。

「それに、もう砂だらけなのはこりごりだ。もしできるなら、騎士の雑用にでも使ってくれ」

 剣をしまった人間の王は、大きな盾を拾い上げて、円盤を回すように放った。広場の真ん中に着地し、カタンと軽い音を鳴らす。

「もし、抵抗する素振りを見せたら、斬ります。おとなしくしていてください」

 おう。短い答えと共にわずかに微笑むオルストレは、軽く引いてくれるフェリに従い、立ち上がる。肩を貸したフェリは塀の近くまで連れていくと、さっさとしてください、と悪態づく。

 彼をそこに座らせ、ため息を聞いたフェリは、ふと、槍を取り出して背後に振り向く。

 そこには市場では珍しい青竜がいた。


 青竜と少し話し玉座へと駆けていく背中を見送り、オルストレに向き直ったフェリは続きを、とトーンを低くして尋ねる。

「渓谷のやつらは、今のテロに参加していない。どいつもこいつも、渓谷の腕章をつけていないからな」

 作戦をこなすなら当たり前では、と当然の疑問。

「いや、忠誠を誓わせるために、付けるのを義務化してる。――忠義深い奴らは、俺たちみたいに市場に潜伏していない。爆弾での陽動が終わった後、樹海から侵入して、追い打ちをする作戦、の、はずなんだが……」

 そいつらの姿が見えない。そう続けたオルストレは、新たに現れた市場の騎士の存在をフェリに示す。続けて処遇の件を考えておいてくれ、と口にしてから、すぅと息を吐き、目を閉じてしまう。

 少し前に言葉を交わした騎士たちに負傷者の回収を任せながら、フェリは玉座へと、ようやく足を進めるのだった。

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