行方知れずのみなしごは

 夜ですね、と狐が冷たい空気を感じて呟いた。その眼下には荒れ地が広がっていて、月が間もなく世界樹から顔をひょっこりと出すだろうか。振り返って洞窟の玄関口に向き直るも、先に行ってしまったらしいテルは既に深い闇の中へと消えてしまっていた。

 テラーはとぼとぼと歩いていた後ろ姿を追いかけようとするわけでもなく、ゆっくりと歩いて奥へと進んだ。

 テレアから様子を見ておいで、と朝早くから命を受けた獣は少女を追いかけていた。市場でおつかいを済ませ、公園で友達と合流した。その後は樹海のあばら家。そして路地をあちこちさまよい、遺産で落書きをしていた。彼らは何かをしゃべっていたが、テラーの耳には聞こえていなかった。ひたすら観察を続けていると、ビルドルが現れた。獣を連れていた彼に向かって子供たちが遺産を投げつけたことにテラーは目を見開いていた。

 医者を演じている彼は常に眠そうにしている人間の姿、をしたドラゴン。そう言うからには底知れぬ魔力を操ることができるのは確かである。その魔力を、怒りと共に爆発させたらどうなるのか誰も知らない。もちろんテラー自身も、テレアも。

 そういえばビルドルのそばにいた獣は、獣の王の部下だったか。各王は一人だけ、側近を連れていたりするが、なぜ彼に付き従っていたのかは、テラーたちにはわからない。

 医者にしかけた子供たちは脱兎のごとく逃げ出して、路地を走り回った。瞬時に移動が可能なテラーでさえ、見通しの悪い路地に翻弄されつつも、追い付いた。

 すると子供たち二人は大型の黒い犬の獣にのされていた。何が起こってそうなったのか理解する前に、ただごとではないことだけ、彼は把握した。

 意識を集中して彼らの元へと移動したテラーは黒の獣を蹴り飛ばして子供たちを逃がしてやった。蹴った直後に気が付いたが、彼女は失踪、殺害事件の度に現れる黒犬だ。騎士たちから重要参考人として手配されている獣。思わず戦闘態勢をとったが少しの交戦の後に、ヴィークと名乗って逃げてしまった。

 テラーはそんな一日を振り返りながら、はっとする。騎士に報告しなかったのは流石にまずかったか、と。しかしこんな真夜中に詰所を訪ねる気にはならない。

 狐がテルを追うようにして洞窟の中をずっと歩いていけば、ようやく彼らの生活の空間にたどり着いた。荒れ地のどこにこんな空間があるのかと思える大きな空洞は、山のような姿をしたテレアが相変わらず占領している。テルは部屋にひっこんだのか、すでに姿は見えない。テラーの帰りに首を伸ばしてきた彼女に、ただいま戻りました、と口にする。

「なぁ、テラー? テルはうまくやっとったか?」

 おかえりの一言もなしに、ずいと距離を詰める。テラーの瞳に映る自身を見たいと言わんばかりに。

「ええ、子供らしく元気に駆け回っていました。元気が過ぎる部分もありましたけれど」

 にこりとも笑わないテラーは面をわずかに上げて淡々と報告する。彼の唯一の衣服である一張羅が少しばかり乱れていることから、容易に想像はできることだろう。ヴィークと争った後、整えもせずにテルを追いかけてきたからだ。

 そうかそうか、と頬をほころばせ頷く彼女に、なぜそこまで、とテラーは目を細めつつ尋ねた。

 するとビキビキと嫌な音が聞こえた。それは数秒で鳴り止み、静寂が再び訪れる。テラーたちにとっては聞きなれた発生源を見てみれば、岩でできた椅子二つとテーブルが広間の隅っこにできていた。もちろんテーブルクロスや敷物、食事に菓子などが用意されているわけではない。

「昔話でもせぇへんか? 果物はあらへんけどな」

 ええ、と静かに答える狐が歩くことなく、尻尾にもたれるようにして席についた。一方、その山のような巨体を変形させるためにテレアはどろりどろりと溶けてしまった。

 テラーはその様を眺めつつ、泥の山から歩き出てくる立脚類となった彼女を見つめる。茶の鱗と瞳。その姿は土竜を彷彿とさせるが、決してその類ではない。尻尾は短く、膝の裏で先っぽが左右に揺れている。竜によくそなわっている角は泥や岩を思わせる不細工さ。土竜ならば、黒や灰色でつるつるとしているものだ。

 あるいは、土竜に似せようとして失敗しているのか。

 洞窟の主は椅子の前までひたひたと歩くと、尻尾を前に回して席に着いた。

 向かい合った二人だけが広い空間の中にぽつんといる。耳の痛くなるような静寂が流れたが、切り出したのはテレアだ。

「テラー、あたしゃ、あんたを拾うたことを後悔しとる、って言うたら、怒るか?」

 柔らかい物腰で微笑んでいる彼女の言葉は、どこか楽し気だ。

「そんな……感謝こそすれ、そのようなことはありませんよ」

 いたってきつい表情をしている彼は、いつもの通りだ。

「そうかそうか。なら、テルみたいに、あんたは盗品や言うたら、どうするん?」

 まるで遊びたいと言わんばかりの、言葉と岩を操るドラゴン。

「そうだとしても、私の親はあなたです」

 だが質問に対する答えしか返さない、真面目で移動を得意とするドラゴン。

「正直言うて、育て方間違えたんかなぁ、思うてる。あたしゃ子供なんておらんかったし、この穴ん前に捨てられとったあんたを見捨てることもできんかった」

 軽くうつむき、とめどなくテレアの口から漏れる言葉。

「あんたは、テルみたいに魔力が濃くないと生きれへんわけとちゃう。市場に出て生活することもできたんや。それでも、あたしゃおまえをこんなとこに縛りつけてもうた」

 テレアは目を閉じて、微笑みながらただ続ける。

「あんたの親がどんなやつかは知らんけど、あんたはここを選んでもうた」

 次に開けば、後悔と決意の入り混じる瞳で我が子を睨みつける。

「テラー、テルは、あんたみたくさせたくはないんよ。分かってくれるか?」

 彼女の開く口には、岩でできているのだろうかと思わせるような牙がある。テラーは膝に手を置いて母を見つめた。緩むことのない笑みの瞳に、彼はテーブルに肘を立てて、頬杖をつく。

「よければ、あなたが拾ってくれたときのこと、教えてくれませんか? あなたが何を思ってそう言うのか、図りかねます」

 鋭い視線を見せる彼に、構わんよ、と仰ぐように椅子にもたれたテレア。星のない天井を見上げ、指を組みながら昔を語り始めた。


 見慣れない顔だね、って言われたんは、当然のことやった。

 それまで市場に行ったことなんてなかったから。ならどうして市場に来たんか。突如現れた獣の赤子を生かそうと決めたからやった。

 あたしは荒れ地の崖で、眠りこけとった。食う必要なんて、ないからな。あたりに満ちている魔力だけで、十分やったから。やから、発展していく市場のことなんて知らんし、住民があたしのことを知っとるはずもなかった。

 ならなんで、これ見よがしにあんたが洞窟の前に置いてあったんか、これがまたわからん。ただ時間が過ぎるのを待ってたはずやったのに、な。

 何かの物音が聞こえたから、うるさかったから、外に出て近づいて、それ拾い上げた。産毛だらけのけむくじゃら。ただの獣か思うたけど、凍死せん程度の毛布にくるまれとった。

 初めて見た市場に持ってこうかと少し迷うたけど、やめといた。なんでか、興味がわいたんよ。子供っていうのに、興味を持ったのは初めてやったな。ドラゴンはそんなもん、必要ないからな。ただ淡々と生きる方が気楽やったし、ビルドルなんかもその気が強いなぁ。

 市場で獣の育て方を軽く学んで、おおよそ、その通りにした。まあ、ちと雑に扱いすぎたかもしれんけど。

 覚えとるやろ? 高い高いゆうて吊るしてみたりとか、追いかけっこゆうて迷路で迷わせてもうたりとか。まあ、もうそんなことする年でもないやろ。

 たまたまあたしが、捨てられていたあんたを拾って、育てた。それ以上もそれ以下もないよ。


 時折指を動かしながら、彼女はのんびりと。テラーは口を閉ざしてぴくぴくと。

「どうや。あんたはこれを聞いてどう思う? こっから逃げ出したりしたって、かまわんよ? あんたはもう、独りでどこにでも行けるんやから」

 笑みを深くするテレアの言葉は穏やかだ。足を組んで、いまかいまかと子の言葉を待つ。ぼんやりとした光る石のみの明かりの中、まさか、と口端を釣り上げ目を閉じる狐。

「誰がお金の管理をするんですか? あなたはダンジョン洞を形成するだけでも精一杯でしょうに」

 事実、ダンジョンを作っているのはテレアで、お金の管理や企画をしているのはテラーである。特別、彼女が教え込んだわけではなかったか、自主的に市場に出て行った彼が覚えてきた。ダンジョン洞を始めたのも、彼の提案があったからこそだった。

 こんなもんいらんのに、と硬貨を見つめていた彼女だったが、騎士と関係を持ち始めたりしたテレアはよくしゃべるようになった。テラーの世話をしていた彼女はどこか機械的で、無口だったことは、テラー自身もよく覚えている。

「ははっ……そうやな。今後ともよろしくなぁ、テラー?」

 笑みを深くした竜のドラゴンに、狐のドラゴンも笑みを浮かべる。

「ええ、こちらこそ。いつまでも、お供致しましょう」

 お互いの瞳を見つめあうこと数秒後、テラーは席を立ち、洞窟の奥へと消えた。取り残されたテレアはテーブルと椅子を地面に戻してから、広間の真ん中に立った。

 竜と呼ばれる体は鱗に覆われている。彼女の鱗、一枚一枚は人間の爪ほどだが、よくよく見ればそれらは粗削りの石のようにざらざらとしている。色はこの荒れ地の土と同じ色で、踏んでしまえばもろく崩れてしまいそうな部分もある。

 彼女の体は再び溶けた。腹から、顎、首、腕、頭から、わずかな時間で形を失っていく。大地へと染み渡ろうとする水のように、氷が熱に負けていくかのように。

 立脚類の竜がなくなり、泥の水たまりが広がった。数分もの間、静かな水面をたたえていたが、それは次第に変化を始めた。水底から何かがゆったりと見せつけるかのように姿を現す。しかしそれは際限なく体を浮上させていく。みるみるうちに山へと変貌を遂げるドラゴンの姿を、誰も目にすることはない。

 やがて泥水が岩に吸い込まれたかのようになくなった頃、岩山が動き始めた。竜だった頃と同様の岩肌のような鱗がそこにはあり、動こうとするたびに岩が破片となって剥がれ落ちていく。しばらくの間、もぞもぞと動いた彼女は翼を小さく広げて、長い首をぐるりと回した。

 バラバラと泥が落ちる音を聞き入るように目を閉じていた彼女は、ぎょろりとそれを開く。その瞳孔が向けられているのは、薄ら明かりの届かない闇だ。テラーもいなければ、テルの部屋があるでもない。

 次にテレアはとぐろを巻くようにして首をたたみ、動かなくなった。ダンジョン洞は暗く、そして寒い。


 世界樹に来た頃、そこには何もなかった。草原と、樹海と、荒れ地を跨いで、真ん中にそびえ立っていた。

 あたしゃ、気が付けば記憶を始めていた。親なんてものがいたのか、友なんてものもいたのか、怪しい。ただ物事を記憶し始めたのは、市場なんてものができ始めるよりもずっと前。ただ砂漠があって、その真ん中でただうずくまっていた。

 吹き付ける風に、痛みはない。ただなんとなく、動き始めて、時々何かとすれ違う程度で、交流も何もすることはなかった。

 熱から逃れて、雨から、草原。どこまでも、歩くことができた。あたしを襲おうとするやつなんておらんかったし、そもそも、あたしはなんなんやろう。後に、市場の者と交流し始めてから、ドラゴンなんやということを知ったんやけど。

 その名前の由来は知らん。誰が言い始めたんか。知っているやつはおるんやろうか。

 世界樹へとたどり着いて、こう考えた。ばかでかい樹やなって。

 なんでこんなものがあるんやろうって。木が一本ずつ絡まり合って、天を目指しとる。陽の光を求めて、貪欲に背伸びをしようとした結果、お互いに絡みつき合って成長したんやろう。

 そしてあたしは荒れ地にあった崖に身を寄せることにした。草原も樹海も、どこか居心地が悪かったから。しかし砂漠から引きずってきた体は、いくらなんでも大きすぎた。それに、今みたいな穴もなかった。

 魔法を使ったんは、それが初めてやったか。崖にぱっくりと口があればええのに。ただ、そう考えた。岩が裂けて、ばらばらと砂を落としながら光の届かない闇をたたえている崖の中。それが目の前で実現しとった。意のままに岩が動き、あたしを迎え入れた。

 今思えば、風雨や陽にさらされると体が朽ちやすくなる、とどこかで自覚していたのかもしれへん。そのような経験は記憶にないけど、本能っていうものなんやろう。

 それからは何度も眠った。疲れを感じていたわけではないけど、不思議と眠れた。わずかな起床時間も、崖の中でぼんやりとしていた。そしてまた、寝る。

 んで、気が付けば市場ができとった。テラーを拾った時に、なんやあれって思ったっけな。

 テラーのために外と寝床の空間をつなげて、少しの時間が経った。あっという間にテラーは大きくなって、あたしゃ最低限の交流を持ち始めた。だからなんやって話やけどな。

 狐の捨て子は、市場で紙を拾うて来た。広い場所を貸してくれる方募集、と書かれているらしく、ここを提供してみては、と提案してきたんやっけ。崖の中身を自由に組み替えられるあたしの魔法を使えば、広い空間も自由自在でしょう、とかなんとか。

 それは思いのほか盛況して、エストや王、騎士にいたるまで顔見知りになることになった。まぁ、それだけ市場は狭いんやろうけど。

 恨んでない、か。そうか。あたしゃ、あんたがおらんかったら、まだ眠っとったんやろうなぁ。それは、気持ちええねむりなんやろうか。


 カッと見開かれた目は、瞬時にぐるぐると闇を見渡そうとした。その後、首をぬぅと伸ばしてテレアは自身の体をじっと見つめ始めた。

 いつの間にか、テルが彼女に寄りかかっていた。小さな体を丸めて、目を閉じ、一定の間隔で呼吸が聞こえる。

「あんたは、こんなとこおったらあかんよ。いずれ、返してやるから、待っときや」

 ダンジョン洞は再び、静かな時間を迎えた。もう、外のむ月は高い。

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