第10話 ウィルム・コート

 ウィルムは城を出ると、人目につかないよう、大通りをさけて裏道に入った。

 いずれ脱獄は知られ、アミリアを連れだしたことも発覚する。アーサーに対する反逆を知ったからには、長居は危険だ。できるだけ早く、この街を出よう。アミリアも、ぼくといっしょにいる以上、危険は迫ってくる。

 だが、アミリアはどうして城に囚われたのだろう。さっきから黙りこくったまま、並んでついてくる。なんだか様子がおかしい。やはり、記憶のどこかに欠落があるのかもしれない。

「いつものアミリアじゃないみたいだ。どこから覚えているの?」

 ウィルムはたずねた。

 アミリアが、はっと視線を向ける。どう答えようか、迷っている表情だ。けっきょく自信なさそうに、首を振るだけだった。

「気づいたときには、城のなかにいた?」

 問いを重ねると、こんどはうなずいた。

 600年後の時代から来たぼくらに、バロメル王とどんな利害関係もあるはずがない。アミリアは誰かと間違えられたとしか考えられない。アーサー王とつながりのある娘に似ていたのではないか。アーサーとの戦いを有利に進めるため、人質とした。それがバロメルの言う切り札ではないか――。

 すべてはウィルムの推測だった。

 建物に挟まれた道を抜け、中央広場に出た。商人たちが露天を片付け、売れ残った商品を荷車に積んでいる。商人に混じって、市門を出られないか。

 神殿の脇から、騎馬がものすごいスピードで入ってきた。中央広場を突っ切り、メインストリートを市門のほうへ向かう。

 ウィルムたちの脱走が気づかれたのだ。都市を出ていく露天商を市門で待ちかまえ、2人がまぎれていないかチェックするつもりだろう。

 もっとも門を出たところで、船を調達しなければ、この島から脱出できない。商人のなかに漁夫がいたので、港をあてにしていたが、その利用は難しくなった。あとはカロンの船着き場だ。

 歩きだそうとして、アミリアが遅れているのに気づいた。通りに出る角のところで、突っ立っている。顔色がすぐれないようだ。あんなに美しかった金髪が乱れている。ウィルムは心が痛んだ。見知らぬ都市で兵士につかまり、とらわれた。その心労は大きいはずだ。

「急ぎすぎたみたいだね。近くに施療院せりょういんがある。そこで休もう」

 アミリアがうなずき、ウィルムはその手をとった。

『四つ葉の会』の塀の出入り口をくぐり、施療院の扉を叩いた。出てきたのは、以前にも顔を合わせた門番だった。

「きのうはお騒がせしました。妻のアミリアです」

 ウィルムは紹介したが、門番は無関心な顔つきで、うなずいただけだった。

「体の調子が悪いようなので、すこし休ませてもらえませんか」

「入りなさい。これから昼食です」

 門番はふたりを招じ入れた。

 ウィルムとアミリアが案内されたのは、礼拝堂の近くの建物で、その2階が大食堂になっていた。長いテーブルがあり、すでに修道女がベンチについていた。食堂はしんと静まりかえり、ウィルムは少し気詰まりになった。

 2人はテーブルのはしに座った。上座にいる50歳くらいの女性が、その威厳から、院長のようだ。修道女は頭巾から顔だけ出しているので、みんな同じ人物のように見える。なかにひとり、華やかな雰囲気の女性がいた。気品のある顔立ちをしているが、あまりいい印象はうけなかった。

 出されたのはパンと牛乳で、もっとスタミナのつく脂身が欲しいところだが、ぜいたくは言えない。食事は修道院の規則にのっとったものだ。

 ウィルムはパンをつかみ、かじりついた。まずい。見た目はパンだが、とてもパンの味とは思えない。魚のえさにしたほうがいいくらいだ。牛乳で無理やりのどに流し込む。牛乳は薄く、色つきの水みたいだった。

 修道女たちは当たり前のように食べている。食事を提供してくれるだけでも、ありがたいと思いなおした。ウィルムは、まずいパンを腹につめこんだ。

 食事が終わり、ウィルムは院長に自分たちの説明をした。

「ぼくは遍歴の騎士で、巡礼のため妻とこの都市を訪れました。とちゅうで妻とはぐれてしまい、見つかりはしたんですが、どうも体の具合が悪いようなんです。すこしのあいだ休ませていただけないでしょうか」

 作り話にしては、まずまずだろう。真実を話すわけにはいかなかった。

「かまいませんよ。部屋を用意させます」

 院長が承諾し、テーブルを立った。

 ウィルムはふと思いついて、食堂を出ていく院長のあとを追った。

「おかしなことをたずねるようですが、いまは何年でしょうか」

「イエス・キリストの生誕から532年です。あと2週間で復活祭を迎えます」

 院長はまじめに答えてくれた。

 間違いない。自分はアーサー王の時代の春先にいるんだ。

 用務員が食堂にあらわれ、部屋に案内すると言った。ウィルムとアミリアは中庭を横切り、施療院に戻った。その2階が職員の部屋と客室になっていて、ウィルムたちはその一室にみちびかれた。

 アミリアがベッドに腰かけ、ウィルムは窓辺によりかかった。ようやく人心地ついた。アミリアは、まだ自分がアーサー王の時代にいると気づいていないだろう。記憶にもあやしいところがある。時代をさかのぼったと話せば混乱するだけだ。伝えるのはあとにしようと決めた。

 ウィルムは、アミリアに休んでいるように言い、船着き場を見に出かけた。土間に下りると、ちょうど用務員が通りかかったので、マントを借りてはおった。剣を帯びているのを知られたくない。街なかに出れば目立つはずだ。

 川岸通りに向かい、倉庫の陰からそれとなくのぞいた。

 通りに兵士の姿はなく、川舟がついていた。近くに漁夫らしき男がいる。いちかばちかあたってみよう――と踏みとどまった。

 ひとつ先の倉庫から、数人の兵士が出てきた。そのなかのひとりが、商人と話している。やにわに兜を脱ぎ、汗をぬぐいはじめる。

 ウィルムは目を疑った。

 その顔に見覚えがあった。ウィルムを宮殿まで案内し、アミリアを見張っていた兵士だ。ウィルムは、その男の胸に剣を突きさしたときの感触さえ覚えていた。たしかに息の根を止めたはずだ。たとえ仕損じていたとしても、大怪我をしたはずで、あんなふうに出歩けるわけがない。

 背筋がぞっと冷たくなった。

 ウィルムは動揺をおさえ、こんどは市門に向かった。

 門前広場は閑散としていた。市門が閉まっているのは、広場の端からでも見て取れた。兵士が見張っている様子はない。ウィルムは門に近づいた。

「きょうはもう出られないよ」

 頭上から声がし、見上げると、塔の上に民兵がいる。

 ウィルムはさっと顔をそらした。

「なんでも賊が侵入したそうだ。誰も外に出すな、と国王から通達があった」

 ウィルムは背中を向け、軽く片手を振って、市門を離れた。

 民兵が気づいた様子はない。手配書がまわっていないのか、わざとすっとぼけているのか。知らせを受けているなら、ウィルムが兵士を殺して武器を奪ったのも知っているはずだ。剣を佩いた騎士に、1対1で、素人の民兵がかなうわけがない。知らぬふりで、ひそかに衛兵に伝えるつもりかもしれない。

 それにしても、あの民兵には見覚えがあった。どこで見ただろう? ウィルムは記憶をたどるが、はっきりとはわからなかった。

 思い返してみると、この都市には似たような顔の市民が多い気がする。この島では、近親婚が繰り返されているのだろうか。住民だけじゃない。街並みも似通ったところが多く、大通りをそれると迷いそうだ。

 なにより、船着場の倉庫から出てきた兵士だ。自分が斬り殺した男に間違いなかった。双子の兄弟なのだろうか。

 疑問ばかりが浮かび、答えはひとつも出てこなかった。どうせ出ていくんだ。そのための手段を考えたほうが、よっぽどいい。ウィルムは、この先、どうすべきかと考えながら、施療院まで戻ってきた。

 アミリアのもとに行こうとして、彼女の髪が乱れていたのを思い出した。昼過ぎで、施設内の菜園では、修道女たちが農作業をしていた。

 ウィルムは何気ないふうで、適当な樹がないかと物色した。おあつらえ向きにツゲがあった。修道女は作業に打ち込んでいる。その目を盗み、手頃な枝を折りとった。アミリアにくしを作るつもりだ。

 ウィルムは木陰に座り、短剣で枝をけずりはじめた。器用さには自信がある。道具がそろっていないので、きれいには作れないだろう。それでもアミリアは喜んでくれるはずだ。

 しだいに陽が傾きだし、うろこ雲のふちがオレンジ色に染まった。

 宵闇が迫るころには、櫛はほぼ完成した。あとで用務員にやすりを貸してもらおう。アミリアに櫛を渡すときを想像し、ウィルムは胸が高鳴った。 

 夕暮れの鐘が鳴り、晩の食事がはじまった。

 ウィルムはアミリアをともなって修道施設にある大食堂に向かった。献立といってもスープで、それに固いパンをひたして食べた。赤ワインがカップに2杯ふるまわれた。どれもこれも、ウィルムの知っている味とほどとおく、自分がいた時代が恋しくなった。

 12人の修道女たちは黙々と食事をしている。沈黙の規則を忠実に守り、テーブルの上では、食器がたてる音しかしない。一番奥で、修道院長が厳格な顔で口を動かしている。

 食事を終え、ウィルムはアミリアとともにテーブルを立った。修道女たちは、まだお勤めがあるようで、静かに食堂を出て行った。

部屋に戻り、ウィルムは行李こうりに腰を落とした。アミリアは、静かにベッドに腰かけている。

「ぼくが出かけたあと、アミリアはずっとこの部屋で過ごしていたの?」

「病室をのぞいてみた。ハンナというおばあさんが入院していて、ハンナさん、とても話し好きなの。すぐに仲良くなったわ」

「おしゃべりが修道院長に見つかると、しかられそうだね」

 そう言うと、アミリアの表情がほころんだ。

 彼女に話し相手ができ、それで気晴らしになれば、なによりだった。

「――アミリア。これ」

 ウィルムは、小さな櫛を取り出し、手のひらにのせて見せた。アミリアが、なにか不思議なものを見るように、櫛を見つめる。

「ぼくが作ったんだ。見てくれは悪いが、きちんと用は足すはずだよ」

 ウィルムは櫛を手に、アミリアの背後にまわった。その動きに合わせて、アミリアの視線もついてくる。その髪に触れると、ふわりと柔らかい。

 ウィルムは、アミリアの髪をすきはじめた。金色の流れが、櫛のあいだをすりぬける。手作りの櫛にしては上出来だ。長い髪にできた光りの波が、頭からうなじ、背中へと、なめらかに下りていく。

「夜の海岸で――」

 アミリアが前を向いたまま口を開く。

「きみの美しい髪のために櫛を作りたい、そうウィルムは言ってくれた」

 ウィルムは、髪をすく手を止めた。

「思い出したんだね」

「寝室では主任司祭と小姓が待ち構えていて、ベッドを清めるって言うの。それでわたしたち、海岸に逃げだしたのよね。ウィルムは、結婚の祝宴から、なかなかわたしを連れ出してくれなかった」

 アミリアの記憶がさかのぼっていく。

「ごめん。それはいまも悪かったと思っている」

「パレードでは、わたしの願いに応えて、冷たくない雪を降らせてくれた。イングランドで暮らしはじめたら、本物の雪を嫌というほど見せるって約束してくれた」

 アミリアの言葉に、ウィルムは胸が熱くなった。

「この都市にたどりついたときのことは思い出した?」

 その問いには、アミリアは瞳をふせて首を振った。

 少しずつ思い出していけばいい。ウィルムはたずねるのをやめた。うず潮にのまれた恐ろしい記憶なら、戻らないほうがいいんだ。ぼくらが夫婦だとわかりあえただけで、いまはじゅうぶんだった。

 いい機会だから、2人の現状を話そう。

「驚かないでくれよ。いまは12世紀じゃない。600年も昔の、アーサー王やマーリンがいた時代なんだ。もっとも、ここはブリテン島じゃないけれど」

 その言葉をどう受け止めたのか、アミリアは振り返ろうとしない。

「本当なんだ」

「何百年前だろうと関係ないわ。ウィルムがいてくれれば、それだけでいいの。どんな時代にいようと、わたしの騎士でいてくれるなら」

「もちろんだ。きみを一生守るという誓いに変わりはない」

 ウィルムは力強く応えた。

「この世界で、2人の新しい記憶をつくればいい。いっしょに雪は見れるかしら」

 アミリアが、はすかいに見上げた。

「600年前のブリテン島だろうと、冬には雪は降る。かならず見せるよ」

「ありがとう。わたしの騎士さん」

 ウィルムは心が震えた。アミリアのうしろから、ぎゅっと抱きしめる。彼女の左手に結婚指輪がはまっていないのに気づいた。

 ウィルムは自分の小指から指輪を外した。アミリアの前にまわり、彼女の手をとって、もとあった場所に戻す。アミリアの目の下が、ほんのり朱に染まった。リングを愛しむように撫でながら、

「この指から、わたしの心臓につながっている」

「そうだよ。これでぼくらの心臓は、再びひとつにつながった」

 ウィルムは、アミリアを引き寄せ、ぎゅっと抱きしめた。           アミリアをかならずやこの島から救いだし、ブリテン島に連れて行く。そう誓った。これが騎士としての5番目の使命だ。

「そろそろ消灯の鐘がなります」

 戸口に、修道院長が立っていて、ウィルムは驚いた。

「施療院には、女性患者のほかには男性の職員しかいません。四つ葉の会の敷地内では、夫婦といえども、寝室をともにはできません。修道院の宿舎に奥さんの部屋を用意させましたので、そちらに移ってください」

 有無を言わせぬ口ぶりだった。

 それが会則ならば、しかたない。ウィルムは、院長に連れられていくアミリアを見送った。寝わらをしいたベッドに、ごろりと転がる。

 明日は、なんとしてもこの島を出る。そのためには船を手に入れなければならない。場合によっては、強奪するつもりだ。商人や船乗りの何人かは、斬り倒したってかまわない。そう覚悟を決めた。

 翌朝、ウィルムは遅れて起き、土間に下りた。修道女が行き交い、なんだか騒々しい。入院患者になにかあったのかもしれない。

 アミリアが病室から出てきた。真っ青な顔をしている。

「どうしたんだ。患者の誰かの容態でも悪くなったのか」

「寝ているあいだにハンナさんが息を引きとったの。心臓発作みたい」

「アミリアが親しくなったおばあさんだね」

 そう確認すると、アミリアがうなずいた。

 アミリアの顔色がさえないのも無理はない。きのう、会話を楽しんだ患者が、その翌朝に亡くなったのだから、アミリアのショックは大きいだろう。

 葬式は今日の午後から行なうという。ずいぶん慌ただしいとウィルムには感じられた。1日ぐらいは礼拝堂に安置するのではないか? 

 身分の高い人物の場合、なきがらに防腐処置がほどこされ、1週間は安置台に置かれる。ハンナには身よりがないという。そういう遺体は、その日のうちに埋葬されるのかもしれない。

 アミリアは、葬儀に参列したいと言った。

 ウィルムは迷った。できれば出歩きたくないが、アミリアの気持ちもわかる。それでも、会葬者のなかに、まさか逃亡している2人がまぎれているとは思わないだろう。そう考え、参列を決めた。

 午後、遺体は施療院の職員がかついで、教会の墓地に運んだ。修道院長が先に立ち、修道女の列があとにつづく。ウィルムとアミリアも列に連なった。2人ともフードつきの黒いマントを借りてまとっていた。ウィルムは念のため、マントの下に剣をつるした。

 ベルトの剣と反対側には、レムが収まっている。しばらくおとなしくしていたが、出がけに、「おれもつれていけ」と騒ぎだした。アミリアにはお守りの人形だと説明してある。恩人でもあるし、連れていくことにした。

 墓地では墓堀り人夫が墓穴を掘って待っていた。遺体が墓穴に降ろされ、司祭がレクイエムを唱えだした。墓穴に土がかけられる。

「待って」

 悲鳴に近い声があがった。

 修道女の1人が、アミリアに指を突きつけている。高貴な顔立ちをした女性で、修道院の食堂で顔を合わせた覚えがあった。

「あいつよ。あの女が毒殺したんだ」

 アミリアは驚いたようで、否定もできずに立ち尽くしている。

「わたし見たのよ。あの女がホットワインになにか入れるのを。ガザロ先生に……」

 修道女の告発は続く。

 この女は、なにを言っているんだ? ウィルムには理解できなかった。

「あいつ、などという言葉は慎みなさい」

 修道院長が叱責した。困惑する司祭に、葬儀を続けるように言う。ウィルムは違和感をおぼえた。まるで芝居を見せられているようだ。

 墓地をのぞむ道に馬車が止まった。騎馬の護衛が4人つき、ずいぶんものものしい。なかから出てきた人物を見て、ウィルムは目を見開いた。

 金の輪のついた頭巾をかぶり、顔は浅黒く、鋭い目をして、短く刈った口ひげを生やしている。バロメル王の宰相さいしょうだ。

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