癒されすぎて…止まりません。

 程なくして建物内に入ると、エアコンの効いた落ち着いた空気が身体を包み込んだ。

「こういうとこ、実はあんまり来たことないんだよね……」

 少し緊張したような表情の先輩が隣で呟く。

「そうなんですか? なかなか深くて面白いですよ」

 入り口に置かれていたパンフレットを一部頂戴し、広げながら答えると、先輩は顔を少しだけこちらへ寄せてそれを覗き込む。

「日本画って俺も結構好きなんだけど、じっくり観たことないから、よろしくね?」

「はい」

 彼もパンフレットを貰うと、私達は奥へと進んだ。

 ……顔の距離が近くなって少し動揺したことには触れないでおこう。

 しばらく無言で絵を眺めていると、先輩は順路の先へと進んで行ってしまったようで、姿が見当たらなくなっていた。慌てて辺りを見渡していると、戻って来た先輩に突然手を引かれた。

「凄いのあるよ」

 耳元で囁かれ、腰が砕けそうになったが、それをグッと堪えて先輩の後を追う。

「……? どうしたんですか? ……あっ‼︎」

 先を突き当たると突然現れたそれは、サイズもあり、迫力ある筆遣いで描かれた少年少女たちの洋画だった。しかし、どこか優しさもある。題名は『若き者達よ』。

 お年寄りや、中年くらいの人たちは、それを覗くと、すぐにどこかへ行ってしまったが、私たちを含む、学生たちは皆、そこで立ち止まっていた。

 色々な悩みを抱え、大きな壁にぶち当たっているこの世代の心を、グッと引き寄せる力のある絵。

 背中を押される感覚と同時に、心の隅に追いやった黒い部分が突つかれた感覚がした。

「……この絵、凄いね。画家って凄いや」

「そうですね……」

「この人って洋画も描くんだね〜、良いもん見たな」

「そろそろ出ましょうか?」

「そうだね、軽く1時間半は居たね、」

 え、嘘だ。と思ってスマホを開くと、最後に時間を確認した時からかなり経っていた。どうりでお腹が空いたと思った。

「近くに美味しいカフェがあるらしいからさ、そこ行ってみよ?」

 建物から出ると、彼はそう微笑み、私の右手を引いた。

「あっ、待ってくださいっ」

「……?」

「しゃ……写真っ撮りませんか? 自撮り棒持って来たので!」

 サッとリュックからそれを出すと、彼は微笑んだ。

「いいよ。そんなに楽しみにしてたんだね」

 そりゃそうだよ。こんな素晴らしい絵を観られるなんて。

 頬が少し熱くなるのを感じながら自撮り棒を握り締めていると、先輩は私の隣に立ち、私の肩に手を回した。

「……撮らないの?」

「とっ撮りますっ」

 手、手が震えて……。

 先輩はそっと震える私の手を握り、代わりにセットしてくれた。

「緊張してるの?」

 撮り終えると、彼はそう言って下から私の顔を覗き込んで来た。

「してませんっ、してないですよっ、やっ、やだなぁっ」

 なんか調子狂うな。

 私はチラリと上目に彼の表情を伺い、呟く。

「なんて、緊張しないわけないじゃないですか」

「え?」

「いえ、なんでもないです」

 目を逸らして言うと、彼は首を傾げて私の表情を伺おうとして来たが、この身長差からは少し難しかったようだ。断念し、私の右手を引いてカフェへと向かい始めた。


 カフェで軽く昼食を済ませると、近くのゲーセンへ直行する。

「あ、プリ撮ろうよ」

 先輩はそう言って私を誘う。その時。

「あれ、八生サンだ。また会ったね、この前とは違う彼氏サンなんだ?」

 冷たい声。振り向きたくない。そのまま行こうとすると、先輩が立ち止まる。

「心優ちゃん、知り合い?」

「違います。誰かと勘違いしてるんじゃないですか、」

 後ろを振り返らず、私は俯いて言う。

 嫌だ。さっきまで楽しかったのに。壊されるなんて嫌だ。

「……そっか。じゃあ、行こっか」

 先輩は私の気持ちを察してくれたのだろうか。そう言ってプリクラ機の方へと歩き出した。


 中に入ると、先輩は突然、私のメガネを外そうとした。

「え、ちょっと、先輩⁉︎」

「外した方が盛れるよ? そんなに見えない?」

 コクコクと頷くが、彼はメガネをそのまま外し、私の頭に手を置いた。

「大丈夫。心優ちゃん1人じゃないなら」

 うわああああっ。癒されるっ。先輩、癒しだっ。

 プリクラ機は動揺する私にも、そのボヤける世界で微笑む先輩のことも気にかけることなく指示を出す。

『まずはウインク! 3、2、1……』

 慌てて正面を向き、ピースサインを出す。先輩も同じようにピースサインをする。しかし、なぜそんなに顔を寄せてくるんだろう。やめて恥ずかしいよ。

 心の中で大騒ぎしている私を差し置き、撮影は着々と進んで行く。

 次の瞬間、突然耳元に先輩の息がかかった。

『ほっぺにチュ‼︎ 3、2、1……』

 フラッシュが辺りを包むと同時に、私は目を閉じる。

 待って、これはダメだと思う。抗体が出来てないのにそんなことしたらダメだと思う。

「心優ちゃん、さっきの人、本当は知り合いだったでしょ?」

 先輩はカメラに視線を向けたまま訊く。

「……はい。あまり、会いたくない人で……」

「そうだろうと思った。大丈夫だよ。今は俺が居るから」

 頭をコツンとくっつけると、彼はイケメンスマイルをブチかました。

 本当に癒される。

「ありがとうございます」

 感謝の言葉が、止まらなかった。

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