挿話10 自他共に認める「ツイてない男」 勝浦諒の受難

  見ているだけでなんだかイライラする。

 どうしてああも、やること成すこと俺の癇に障るのか。


 あまり努力しているふうには見えないのに、成績は常に学年上位。

 大きな声で自己主張が強く、口うるさい女子の代表格。


『ちょっと男子! いいかげんにしてよ!』と何かと言えば俺たちを目の敵にしているくせに、ちゃっかり他のクラスに彼氏がいたりする……。

 本当に腹が立つ女だ。


 だったら見なければいいじゃないかと、自分でもそう思うのだが、望むと望まざるとに拘わらす、なぜか俺の目はすぐにあいつの姿を追ってしまう。


(あーあ……『あんたたちの掃除は雑すぎる!』ってさっきまであんなに怒ってたくせに、早坂を見つけた途端、あの笑顔かよ……)

 校門で待っている彼氏に向かって、長い髪を揺らしながら一目散に走っていくうしろ姿を三階の窓から眺め、俺はため息をつく。


(くそっ……!)

 そのイライラが、空しい片思い故の腹立たしさなのだと、気がつくのにそう長くはかからなかった。


 そんな自分の賢さを恨んだ中学時代。

 実るはずのない俺の初恋は、中学卒業と同時に華々しく散った。

 はずだったのに――。

 

 


「なんでお前がここにいるんだよ?」

「こっちのセリフなのよ!」

 高校の入学式当日。

 そいつが俺の隣の列に並んでいた。


 口では条件反射のように文句を言いながらも、心の中ではもうどうしていいのかわからないくらいに動揺している俺とは裏腹に、そいつはさも当たり前といったふうに、自分がこの星颯学園に入学したいきさつを語る。


「私はもともとここが第一志望だったもの!あんたはもっと上を狙ってたはずでしょ?」


 『お前こそもっと上を狙えただろ!』と怒鳴り返そうと思ったのに、ちょっと頬を染めながら口を尖らす表情を見ただけで、

(ああ、なんだ……早坂に合わせてレベル落としてここに来たのか……)

 とわかってしまう自分が悲しい。


 こいつが、考えてること全部顔に書いてあるのがいけないんだ。

 そのくせ――。


(俺が本当はもっと上を狙ってたなんて、よくわかるな……しかもここってクラスわけが成績順だから、ひょっとして三年間クラスも一緒か?)

 そう思っただけで微妙に嬉しくなり、気分が高揚してくる自分が腹立たしい。


「うるせえ。本命の入試の日に風邪ひいたんだよ」

「は? バカじゃないの?」

「…………!」


 前言撤回。

 可愛げのなさ過ぎる顔を力いっぱい睨みながら、もっと声を荒げようかとした瞬間、そいつの眉間に深々と刻まれていた皺がなくなった。


「あっ……!」

 俺には絶対に向けられることのない笑顔を顔じゅうに浮かべて、嬉しそうに目を輝かすから、ふり返って見てみなくても、俺の背後に誰の姿を見つけたんだかすぐにわかる。


(早坂かよ……くそっ……)

 これから三年間、またこのどうしようもない気持ちを持て余すのかと思うと、ただただ憂鬱な高校生活の幕開けだった。

 


 

(なんか、ヤなこと思い出したな……あんまり寒いからか?)

 二年前の今ごろの季節。

 極寒の日が続いた直後、受験生だというのに重症の風邪をひきこみ、第一志望の高校を受け損ねた俺にとって、寒さはもはやトラウマだ。


 かじかむ手を擦りあわせて、マフラーを念入りに巻き直す。

(別に試験が近いとかって訳じゃないけど……こんなとこで俺を待たせんなよ!)


 北風の吹き荒ぶ真冬の公園。

 足元には先日から降り積もった雪がこんもりと山を作っている。


「ああ寒い! ……ちきしょっ!」

 口では文句を言いながらも、その実、俺は頬が緩まずにはいられなかった。


『ねえ、諒……明日渡したい物があるから……いつもの公園で待っててくれる?』


 昨晩突然かかってきた電話。

 いつもと違う殊勝な声に、俺がどんなに動揺したのかなんて、あいつにはきっとわからない。


 なぜなら今日は2月14日。

 俺の認識がまちがっていないならば、女の子が好きな男の子にチョコレートをプレゼントする日だ。


(ってことは……そう思って……いいのか?)

 まるで天敵のように目の敵にされていた日々から、徐々に歩み寄りを見せ、『HEAVEN』で仲間として活動するようになって十ヶ月。

 早坂とはとっくの昔にわかれたあいつが、俺にチョコレートをくれるということはもしかして――?


(いや! 待て待て!)

 かん違いして喜んでは、どん底に突き落とされ、のくり返しの経験から、どんなに好条件が揃っていても物事を決して楽観視してはいけないと、俺の理性が感情にストップをかける。


(あいつが好きなのは、誰がどう見たって貴人だろ! 繭香がいるから遠慮してるってだけで!)

 あいつを見てきた年数だけなら誰にも負けない自信がある俺には、そう断言することができる。


 もちろんそれをわざわざ、恋愛に関しては鈍いことこの上ないあいつに親切に教えてやる気はないし、だからって俺が諦める気も全くないわけだが……。


 結局、望むと望まざるとに拘わらす、俺はあいつから目が離せない。

 ならばとことんこの片思いを貫いて、あいつがいつか俺をふり返るかもしれないワンチャンスを待とうなんて、うしろ向きなんだかしたたかなんだかよくわからない覚悟に、とうとう神様が温情をかけてくれたんだろうか?


 だとしたら、ここだけは絶対外せない。

 貴人が「俺は琴美が好きだよ」とわざわざ俺に宣言してきた以上、あいつのお守り役は俺だからなんて、今までのように現状に満足しているわけにはいかないのだ。


(もし本当にそうなら……俺のほうから告白する……!)

 決死の覚悟を決めたため、とうとう昨夜は一睡もできず、徹夜の状態で待ちあわせ場所に立つ俺に、声をかけてくる人がいた。


「あれ? ひょっとして……諒……先輩?」

 なんだか聞き覚えのある声にふり返ってみると、あまりにも見慣れた顔が立っていた。

 近所に住む二つ年下の幼馴染。

 山崎茜。

 中学三年生。

 いつもは俺のことを『諒ちゃん』と呼ぶくせに、『先輩』なんて呼ぶから、一瞬誰かと思った。


「なんだよ、先輩って……」

 額を軽く小突くと、照れくさそうに小さく笑われる。


「だって、星颯学園に合格したら、諒ちゃんは私の先輩になるんだもん……今から練習しとかなくちゃ……」

 そういえば茜は受験生だ。

「暇な時にはちょっと勉強見てあげなさいよ」と母さんにも言われていたことを思い出した。

 

 志望校が星颯学園だというのも、そういえば前にも聞いたような気がする。

 先輩風を吹かして、俺は少し偉そうに腕組みした。


「中学の頃だって、俺は茜の先輩だったぞ? そん時は全然そんな呼び方しなかったくせに……」

「あの頃はまだ子供だったから! でも高校はやっぱり違うもん!」

「そうかな?」

 首を傾げる俺の顔を見上げ、茜がふいに手にしていたバッグから何かを取り出す。


「あのね。本当は今から諒ちゃん……じゃなかった、諒先輩の家に行くところだったの。あの……これね……」

 茜にしてはなんだか言葉の切れが悪いなと思って、ふと目を向けた彼女の手にある物を確認して、俺はドキリとした。


 綺麗にラッピングされた小さな箱。

 なぜだか真っ赤になって俺にそれをさし出している茜。

 今日が2月14日である以上、この状況はもしかして――。


「私ね、ずっと前から諒ちゃんのこと……」


(茜。いつの間にかまた『諒先輩』じゃなくって『諒ちゃん』になってるぞ?)なんて突っ込む余裕もない。

 幼馴染が突然、全然知らない女の子になってしまったような気分で、俺は焦りまくった。


(ここで受け取ったら、俺も茜が好きってことになるんだっけ? いや、もちろん、好きなことは好きなんだが、その『好き』は『好き』が違うって言うか……なんて言ったらいいんだ?)

 涙さえ浮かべた真っ赤な顔で、必死に自分を見上げている茜を見ていると、焦りはどんどん大きくなる。


(妹みたいに思ってるなんて言ったら、泣くか? やっぱり泣くよな?)

 しかしそれが俺の本当の気持ちだ。

 だいいち俺には、他に好きな相手がいる。


(そうだ。それを伝えなきゃ!)

 茜がどんな反応をするにしろ、自分にとっての真実を正直に伝えたほうがいいに決まっている。

 その結果、茜が泣きだしたなら、今までどおり幼馴染として慰めればいいわけだし。


(そううまくいくかはわからないけど……)

 少し気が引ける思いを感じながらも、俺は重たい口を開いた。


「茜。俺はさ……」

 その瞬間。

 痛いくらいに突き刺さる視線を前方に感じた。


 公園の入り口付近に目を向けてみると、こんな場面を一番見られたくなかった人物がそこで立ち竦んでおり、俺は全身金縛りにあったような気分になる。


 あいつが俺をここに呼び出したんだから、考えてみればこの場に現れるのは当然なのだが、あまりにも間が悪い。

 これはどう見ても、俺が他の女の子に告白されている図だ。


(いや……それ自体はまちがいじゃないんだが……)

 心の声に、冷静につっこみを入れている場合では断じてない。


 思いこみが激しくて、超カン違い体質のあいつが、この状況を誤解する前に釈明しなければ。

 そう焦れば焦るほど、俺はパニックに陥った。


「お、お前っ! ……いや、ちょっと待て!」

 茜に向かって言いかけていた言葉も途中で止め、訳がわからないことを口走る俺を、茜が不審げに見上げる。


「諒ちゃんどうしたの?」

 何気なく俺のコートの袖を軽くひっぱる仕草。

 小さな頃からの茜の癖なのだが、そんな親密な様子をあいつに見られるのはあまりにもヤバイと感じて、俺は茜から身を引いた。


 途端、連日の雪に固く凍ってしまっていた部分の地面に足を滑らし、転びそうになった挙句、バランスを取ろうともがいた末に、茜にギュッと抱きついてしまった。


「――――!」

「――――!」 

 驚いて息を呑んだ茜と、あまりのことに心の中で絶叫する俺。


 その俺たちにクルリと背を向けて、今まさに入ってきたばかりの公園から駆けだしていくうしろ姿。

「琴美!」


 実を言うと、俺は面と向かってあいつの名前を呼んだことはこれまで一度もない。

 いつも「お前」呼ばわりで、ひねくれた口ばかりきいてきたのは、今となっては照れ隠し以外のなんでもない。


 それでもいつかは、貴人があいつのことを呼ぶみたいに、ちゃんと思いをこめて名前を呼びたいと思っていた。

 少しずつ、本当に少しずつ距離を縮めて、いつかはそうするつもりだった。


 こんなふうに言い訳がましく、走り去るあいつを呼び止めるために、叫ぶつもりは全くなかった。

 なのに――。


「琴美っ!!」

 俺の決死の呼びかけにも、全くふり返ることもせず、長い髪を翻らせて、あいつは一目散に駆け去っていった。


(ああ……俺ってやっぱりツイてねえ……)

 このあと本当は、どんな展開が待っていたのか。

 なのにそれが俺のドジでぶち壊しになってしまった今、これから先、俺たちの関係はどうなっていくのか。


 考えれば考えるほど、後悔ばかりが残る高校二年のバレンタインデーだった。

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