9.複雑な気持ち

       『きみがけがをするくらいならぼくがとびおりる。

   なぜかっていまさらきくの? そんなことわかってるだろ?』

 

 暗号文の中には確かに「崖」があった。

「きみ『がけ』がを……」の部分だ。

 それならその「崖」の下にあるのは、「いま『さら』きくの?……」の部分ということになる。


「わかった! さらだわ!皿!」

 私は叫ぶと同時に、不自然極まりない位置に立っている河童の像をふり返った。

 河童の頭の上に乗っている皿に触ってみたら、たいした力も入れていないのにポロッと取れる。


「ちょっ! お前! 壊すなよ!」

 焦る諒に、私は手にした河童の皿をつきつけた。

 石によく似た色に塗ってはあるが、それはあきらかに発泡スチロール製だった。


 裏は真っ白のままで、中央に大きく「合格」の朱色の文字。

 その上、端っこのほうには、ご丁寧に製作者のサインまで入っている。

 ―――『Urara.T』


「やっぱり、うららが一枚かんでるじゃないのよ!」

 叫んだ私に負けないくらい悲壮な顔で、諒が頭を抱える。


「じゃあやっぱり、この口が腐りそうな文章を考えたのはあいつか……!」

「へえ……さすがにそれは聞いてなかったなあ……」

 感心したように細い顎に指を当てた貴人を、繭香がキリッと睨み上げた。


「本当だろうな? もしお前があらかじめ知ってたんなら、この課題は智史に電話一本すれば済む話だったんだからな! 無駄に歩き回ったり、そんな怪我なんかしなくとも!」

 繭香の指摘にドキリとして、私も思わず貴人の顔を見上げた。


 諒も渉も佳世ちゃんも、みんな次の貴人の返事を息を詰めて待っている。

「いや。確かに知らなかったよ。でも知ってたからって、俺たちだけ智史に答えを教えて貰ったんじゃ、ズルイって言うか……謎解きの楽しみが半減しちゃうと思わない?」

 終始笑顔で答える貴人の返事が全て終わる前に、繭香はクルリと貴人に背を向けて歩きだした。

「なるほど、確信犯だな……」


「えっ? あれ……繭香?」

 呼びかける貴人を無視して歩き続ける繭香を追って、諒も歩きだす。


「あいつの仕掛けに踊らされたのかと思うと腹が立つ! くっそう! 腰が痛てえ!」

「おーい諒?」

 貴人の肩を背伸び気味にポンと叩いて、佳世ちゃんの手を引いた渉も歩きだした。


「確かに……公園の中をあちこち歩き回らされてちょっと疲れたかな……この先もまだまだ遠行が残ってることを考えると……そんなに生真面目に考えないで、楽する方法使っちゃってもよかったんじゃない?」

「もうっ、早坂君!」

 渉に手を引かれて歩きながら、佳世ちゃんは顔だけふり返って貴人に言った。


「気にしないで芳村君。私は楽しかったよ。手……大丈夫?」

 あいかわらず優しい。

 その上、気遣いまでバッチリ。


 みんなに置いてきぼりをくって、一瞬硬直していた貴人が柔らかに笑んだ。

「高瀬さんって……いいよね……」

 佳世ちゃんは私の大親友だ。

 その上、自分自身も彼女に癒されまくっていると、私は深く自覚している。

 それなのになぜか、貴人のその言葉は私の胸にチクリと刺さった。


「私たちも行こう、貴人……」

 そんな気持ちをふり払うかのように、私はうらら制作の河童の皿を片手に握りしめたまま、貴人を促して、みんなのあとを追って歩き始めた。

 

 


「繭香と諒はきっと怒るだろうって思ってたけど……早坂君にも痛いところを突かれたなぁ……のんびりしてるように見えて、彼、結構鋭いよね……?」

 並んで歩きながら、貴人がそんなふうに私に尋ねてきた。


 私は何の気なしに、思ったままを答えた。

「ああ、うん……昔から時々、ドキッとするようなこと言うの。でも渉の場合、全然悪気はないんだよね。ただの天然だから……」

「ハハッ、さすがに詳しい……」

 そう返されてドキリとした。

 その声が少し寂しげに聞こえたから。


 隣を歩く貴人の顔をそっと見上げてみたら、貴人も私のほうを見下ろしていた。

 綺麗な瞳とバッチリ目があってしまって妙に焦る。

「……悔しい?」

 思わず聞いてしまったあとで、バカなことを言ったと後悔した。


 でも貴人が鮮やかに笑いながら「悔しい」と返してくれたので、それでかえって変な緊張感がなくなった。

 ちょっと嬉しそうに笑う貴人の顔が、私のほうこそ嬉しくて、自分でも持て余してしまったさっきの感情を、本人に言ってみる気になる。


「私も悔しかった。貴人が佳世ちゃんを褒めるから……」

「……ほんとに?」

「本当」

 ダメだ。

 ますます笑顔になる貴人に見惚れてしまう。


 私のせいで怪我した腕に、応急処置として佳世ちゃんが巻いてくれたハンカチを結び直しながら、貴人は歌うように話す。

「あんまり調子に乗せたらダメだよ、琴美……俺、結構乗せられやすいし、かなりポジティブシンキングなんだ……」

 公園の出口へと向かう道を二人で歩きながら、ついさっき同じ道を歩いた時より、ずっと普通に会話できていることがなんだか嬉しかった。


「うん。知ってる。その上、頑固者で、渉も言ってたとおりかなり真面目だよね」

「ハハッ、なんだ……すっかりバレちゃってるじゃないか」

 私のどんな軽口も、笑顔で受け止めて笑い飛ばしてくれるから嬉しい。


「琴美はさ。思ったことをそのまま口にするし、何も考えないですぐに突っ走っちゃうよね」

「う……うん」

 話が今度は私のことになったと思ったら、さっそく痛いところを突かれてしまって、返事に詰まる。


「だけど裏表がない。変に飾ったりもしないってわかってるから……いつも信用してる」

 なんだかジンと来た。

 「好きだ」なんて言われるのの何倍も嬉しかった。


 もちろんそんな言葉、私の十七年の人生において、渉にだって数えるぐらいしか言われたことはないし、貴人にだってこの間の大晦日に一回言われただけだけど――。


「ありがとう。嬉しい」

 思ったままに返事して、本当に貴人の言うとおりだと思った。

 貴人の前だと、私は素直に自分の感情を口にできる。


「うん。でも、俺こそありがとうだな……」

 そんなふうに言って、また笑いながら歩き続ける貴人に置いていかれないように、私も歩を早める。

 遥か前方に私たちを置き去りにしたメンバーたちが、公園駐車場のチェックポイントで待ってる姿が見えてきた。

 


 

「ずいぶんと楽しそうだったな」

 暗号を解いて目的地に到着したことの証明として、貴人と繭香が先生に河童の皿を提出しに行った途端、諒がポツリと呟いた。

 おそらく貴人と一緒の時の様子を言われているのだと気がついて、ドキリと心臓が跳ねる。


 何も答えない私の顔を一瞬覗きこんで、諒ははあっとため息をついた。

「別にいいけど、俺には関係ないし……」

 座りこんでいた場所から立ち上がって、さっさといなくなろうとするので、慌てて呼びかけてしまう。


「諒!」

 ふり返ってくれたはいいものの、胡散臭げな目を向けられて、なんと言ったらいいのかわからなくなった。


 そもそもなんで呼び止めてしまったのか。

 自分自身でもよくわからない。

 ただわかっているのは――。


(私ってすごく嫌なヤツだ……!)


 貴人が真っ直ぐに自分に向けてくれる好意が嬉しくって。

 彼の隣にいるのが心地良いなんて、自分でも思っていて。


 そのくせ、諒が自分に背を向けて行ってしまうのは我慢できない。

 表向きはそうは見えなくても本当は優しい諒が、しょうがないなというふうにまた手をさし伸べてくれることを期待している。


(卑怯者! 最低!)


 自分で自分が嫌になって、心の中で罵ったら涙が浮かびそうになる。

 そしたら諒がなおさら私を気にかけてしまう気がして、私は必死に歯を食いしばった。


「ゴメン。なんでもない……」

 俯いて呟いたら、もう一度はああっと大きなため息をついた諒が、私の前に屈みこんだ。


「だからって、何が変わるなんて言ってないだろ……お前は何も気にすんな……どうせ俺のポジションなんて、五年も前からずっとこのまんまだよ……」

 軽く頭を小突かれて、濡れた目のまま顔を上げた。

 諒の言ってる意味がよくわからない。


(五年? ……五年前って、何かあったっけ?)

 キョトンと考え始めた私の額を、諒がビシッと指先で弾く。


「いたっ!」

「だから気にすんなって! お前はもう、一生気がつかないくらいの勢いでいいんだよ……バーカ!」

 話の細部は良くわからないながらも、とてもバカにされていることはわかる。

 諒がおそらく、私を元気づけようと喧嘩を売ってきてるってことも。


「誰がバカですって!」

 その喧嘩を全力で買いながら、私はすっくとその場に立ち上がった。

「もちろんお前だよ。当たり前じゃん」

 顔は意地悪くニッと笑っているのに、私を見る諒の目は優しい。


 そんなことに気がついたら、またいろんなことを考え始めてがんじがらめになってしまって、動けなくなると思ったから、私は気づかないフリでこぶしをふり上げる。


「諒! あんたね!」

 途端、右肩に鋭い痛みが走った。


「いたっ!」

「無理すんな。右手一本でその体重をしばらくの間支えてたんだから……」

 言いながら諒は、さっさと私のリュックを取り上げて、自分の肩に掛ける。


「貴人も辛かったと思うけど、お前の腕だって相当辛かったと思うぞ……その体重だもんな……」

 うんうんと一人で納得しながら先に歩きだした背中を、私は今度は左手をふり上げながら追いかけた。


「ちょっと! まったく失礼なヤツね、諒! 私の体重はそんなに重くはないわよ!」

 諒は顔だけふり返って意地悪く笑いながら、歩くスピードを上げた。


「ぜひそう願いたいね。じゃなきゃ遠行のラストを飾るはずの課題が辛すぎる!」

「へっ? 諒、最後の課題知ってるの?」

 思わず足を止めた私にべえと舌を出して、諒は走り始めた。


「お前には絶対教えねえ!」

 軽やかな背中には、自分のぶんと私のぶん、二人ぶんの荷物。


「ちょ、ちょっと待ってよ、諒!」

 あっという間に小さくなるその背中を、私は夢中で追いかけた。

「ねえ! 待ってってば!」

 あちこち歩き回って疲れきった足は重かったが、諒が引き上げてくれた心は軽かった。

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