3.二つのプレート

 確かに自分でも、ちょっとズルかったかなとは思う。

 ――自分の想いを口にはしないままで、プレートをさし出すことで察してもらおうだなんて。


 でも私にとっては、それは精一杯の勇気で。

 ドキドキと逸る胸を抑えながら、長蛇の列の最後尾に並んだのに、私の番になった途端、諒は「もう疲れた」と私に背を向けた。


(なんですと?)

 思わずいつもの調子で突っ込んでしまいそうになった自分を落ち着かせて、うしろ姿の諒に声をかける。


「ちょっと! ここで辞めたって、あと一枚書いたって変わりはないでしょ! これにも書いてよ!」

 好きな相手に名前を書いてと迫るのには、あまりと言えばあまりの口調に、諒はちょっとムッとした顔で私をふり返った。


「誰に頼まれたんだよ……それ?」

 本当に疲れたように、投げやりに尋ねられるからついつい喧嘩腰になってしまう。


「誰にも頼まれてないわよ! 私のよ!」

 瞬間。

 あきらかに諒が動揺したのがわかった。


「お前の? ……なんで?」

 心から驚いたように、大きな目を真っ直ぐに向けられて、どうしようもなく心臓が跳ねる。


「なんでって……なんでって言われても……」

 何も言葉が出てこず、焦る私の様子を探るように、諒がちょっと首を傾げた。


「お前が俺に名前を書いて欲しいの……? なんで……?」

 そんな、らしくもなく無垢な表情で、子犬のように私を見つめないでほしい。


 ここが体育館だってことも、周りにはまだ人がたくさんいるってことも忘れて、思わず「好きだからに決まってるでしょ!」と叫んでしまいそうになる。


 しかし実際には、そんなこと言えるはずもなく、沈黙を守り続ける私に向かって、諒は肩をすくめながら、再び背を向けた。

「いたずらや冗談なら、よそでやってくれ……本当に今は疲れてるんだ……」


 この期に及んでそんなふうに片付けられてしまうから、ついに私の中で何かが切れた。ツカツカツカと諒を追いかけて行って、小さな声できっぱりと断言する。


「いたずらでも冗談でもないわよ! 本気よ!」

 どこか嫌疑の色を漂わせていた諒の顔が、見る見る真っ赤になった。


「本気って……!」

「ええそうよ! 私はあんたが好きなの! 悪い?」

「…………!」

 間近でしっかと睨みあったまま、そんなふうに断言されて諒は文字どおり絶句した。


 私だって、言った次の瞬間から、恥ずかしさと後悔の思いで、もうこの場所から逃げ出してしまいたいくらいの気持ちになった。


(ああ……こうじゃない! こうじゃないでしょう!!)


 いくら思ってももう遅い。

 一度口から出てしまった言葉は、取り消しなんかきかない。


「悪くはない……悪くはない! ……けど……」

 慌てて首を横に振る諒は、何かを言いかけ、それからふいに私に顔を近づけた。

 頬と頬が触れそうなほどのその近距離に、私が息を呑んだ瞬間、ドサリと私の肩の上に諒の頭が落ちる。


「悪くなんかないんだ……悪いはずがない……!」

 うわ言のようにくり返す諒の頭は、ビックリするほどに温かかった。

 急いで額に手を当ててみて、そのあまりの熱さに叫んでしまう。


「ちょっと諒! あんたすっごい熱じゃないのよ!?」

 諒は何も答えず、ただすがるように私の背中に腕をまわした。


「悪く……ない……」

 はあはあと苦しい呼吸をしながら、それでも何度も「悪くない」をくり返す諒を、私も無我夢中で抱き締めた。


「もう、その話はあとでいいから! 誰か! 誰か助けて!」

 あまりにも熱すぎる体を抱き止めながら、私は必死で体育館の中にいる人たちに訴えかける。


「玲二君! 剛毅! ちょっと、諒を保健室に運んで!!」

 「疲れた」どころか、相当に具合が悪かったらしい諒を心配しながらも、私は心のどこかで、失恋が先延ばしになったことにホッとしていた。




 昨日から降りだした雪は、見事に学園を真っ白に染め上げ、巨大なクリスマスツリーにも、枝に本物の雪をこんもりと積もらせた。

 実にムードたっぷりだ。


「やっぱり電飾なんかじゃなく、飾りはプレートだけにして正解だったわね」

 クリスマスパーティーの準備も終わり、あとは開始の時間を待つのみ。

『HEAVEN』でひと息つくみんなに、美千瑠ちゃんは温かな紅茶を手渡しながらニコニコと笑った。


「そうだね……でも僕のほうは、せっかくの労力が全部水の泡だ……」

 いつもの窓際の席では、いつになく疲れ切った智史君が遠い目をしている。


 彼が数日をかけて、寝食も忘れて作業に没頭したオーロラは、この天気ではどうやら作動できないらしい。


「悪いね智史……その装置はきっと近いうちに活用するから……」

 自分に向かって両手をあわせる貴人の姿を見て、智史君はふうっとため息をついて小さく笑った。


「いいよ……ぜひそうしてくれ……」

 彼の肩の上で眠っていたはずのうららが、ふいに智史君の頭をよしよしと撫でる。

 その仲良さげな様子を見ていたら、まだ保健室で寝ているはずの諒のことがふと気になった。


 具合はどうか、見に行こうとは何度も思ったが、どさくさにまぎれて告白してしまったことがひっかかって、あれから結局私は保健室には行っていない。


 一生懸命に準備したパーティーの日に、どうしても学校を休みたくなかったという諒の心境を、いつもならとっくに「バカじゃないの!」と突っ込みに行っているところなのだが――。


「私ちょっと……」

 さんざん悩んだ末に、ようやく重い腰を上げたら、女の子たちが一斉に励ますような視線を私に向けた。


『がんばれ、琴美!』


 高熱で倒れている諒を相手に、何をがんばれと言うのか。

 この上なく重たい足をひきずって、でもやっぱり諒のことが心配で、私は保健室へと向かった。




「ああ、勝浦君ならよく眠ってるわよ。本当はお家の人に連絡するところなんだけど、本人がどうしても帰りたくないって言うもんだから、今日は特別……クリスマスだもんね」

 保健の先生はそんなふうに笑いながら、一番窓際のベッドを指差した。

 窓からツリーが見えるその場所は、確かに保健室の中では特等席だ。


 のぞいて見てみたら諒が本当に眠っているのでホッとする。

 やっぱり、今はまだ顔が会わせづらい。


 額に汗をかいて眠っている可愛い顔を見下ろしながら、私は呟いた。

「できたら、今日の『あれ』は聞かなかったことにしてくれないかな……そのほうが今までどおり、普通にできる」

 瞬間、諒がバチッと大きな目を開いた。


「何をだよ?」

「ぎゃあああああ!!」


 思わず目の前の病人が両手で耳を塞ぐくらい、大きな悲鳴が出てしまった。

 幸い諒のほかに保健室の利用者はいなかったが、先生には軽く睨まれる。


「ご、ごめんなさい……」

 恐縮する私に向かって、諒は横になった体勢のまま問いかけた。


「まったくうるさい奴だな……パーティーまだ始まんないのか?」

「うん。まだだけど……」

「この雪じゃ、智史のオーロラは無理だろ? ……どうだ? ガックリ来てるか?」

「かなり疲れ切ってる……でも貴人が、きっといつか活用するからって……」

「ふん……いい気味だ」

 智史君に複雑な感情を抱いている諒は、実に人の悪い笑みを浮かべた。


「ああ……でも、ちくしょう! 弱ってるところを、この目で見たかったのに……!」

「諒……あんた人格を疑うわよ?」

「うるせっ!」

 嬉しそうにヘヘヘと笑っているちょっと赤い顔を見下ろしながら、私は奇妙な思いにとらわれていた。


(なに? なんか……まるでいつもと同じなんですけど……?)

 あれだけハッキリと「私はあんたが好きなの!」と言いきったのに、そのことには欠片も触れないこのやり取りは何なんだろう。


(まさか『なかったことにしてほしい』って私の気持ちを、考えてくれてるわけでもないだろうし……)


 窓の外のツリーを眺めながら、嬉しそうな諒に思い切って問いかけてみる。

「ねえ、諒……体育館で話したことの続きなんだけど……」


 ドキドキと高鳴る胸を必死にこらえながら口にした言葉だったのに、諒は顔の前に軽く右手を上げて、謝るようなポーズをした。

「悪い。今日、学校に来てからのことは、ほとんど覚えてないんだ。なんとか無理して家を出てきたところまでしか、記憶がない」


「なんですって!!」

 じゃあ、あの私の必死の告白とか。

 体育館で女の子たちに囲まれてプレートに名前を書きまくったこととか。

 全部覚えていないというのだろうか。


「だから、悪いって……何だよ? 何を話してたんだ? もう一回言ってくれよ」

「絶対に言わないわよ!!」


 怒りにまかせて、もう保健室から出て行こうとした私の手を諒が掴んだ。

 その熱さに、やっぱりちょっとドキリとする。


「諒……やっぱりあんた帰ったほうがいいんじゃ……?」

 改めてもう一度、自分に向き直った私に、諒はしかめ面をして見せた。


「いやだ。俺もパーティーが見たい」

 本当にもう、なんてわがままなんだろう。

 呆れたようにため息をつく私に、諒は子供みたいに無邪気な顔で笑う。


「全校生徒ぶんのプレートが飾られたツリーを、やっぱり見てみたいじゃん。って……あ……俺のぶんはまだここだった」

 ズボンのポケットから諒がプレートをひっぱり出した姿を見て、私も自分のポケットからプレートを出した。


「私だってまだ、ここに持ってるわよ」

 昨日みんなで買いに行ったリボンを結んで、飾る用意だけは準備万端のプレートを諒に見せると、諒がニカッと笑った。


「お、それが昨日買いに行った紐か? 俺の好きな色だ」

 ドキリと胸が跳ねた。


 よく一緒に空を眺めたあの非常階段で、諒は「この空の色が好きなんだ」と私に教えてくれた。

 だから手芸品店にズラリと並んだリボンの中から、私はこの綺麗なブルーを選んだ。

 諒のことをちょっと思い出しながら選んだ。

 それを本人に褒めてもらって、照れ臭いながらも嬉しい。


「いいな。俺なんて紐準備してないから、よく考えたら飾れないよ……ハハハ」

「実は諒にも同じリボンを用意したよ」なんて、とても言い出せない私の手から諒はプレートを取る。


「そうか。こうすればいいか」

 あっという間にリボンをほどいて、私のプレートと一緒に、自分のプレートも青いリボンに通してしまった。


「いいだろ? ついでに飾っといてくれよ。な?」

 真っ赤になってしまいそうな顔を隠すため、急いで諒に背を向けながら私は叫んだ。


「し、仕方ないわね! いいわよ。なるべくここから見える場所に飾っとくから、しっかり見なさいよ!」

「おお」

 なんだかちょっと嬉しそうな声を背後に聞きながら、私はついでに保健室をもう出ることにした。


「なあ……」

 まだ声をかけてくる諒に、歩き去りながら返事する。

「なによ?」


「今日は俺、ここから動けないから……柏木に近寄るなよ……なるべく『HEAVEN』の男どもと一緒にいろ」

 なんであんたにそんなこと指図されなきゃなんないのよとは、とても言えなかった。

 何度も何度も困った時には助けてもらっているんだから、感謝している気持ちは確かに私の中にもある。


「わかった」

 ここはおとなしく諒の言うことを聞こうと思いながら、保健室の扉から廊下に出ようとしたら、諒がベッドの仕切りのカーテンから顔を出して、また「なあ」と私を呼んだ。


「ありがとな」

 その感謝がいったい何に対してなのか――わからないままに大きく頷いて私は駆けだした。

 これ以上はもう、真っ赤に染まってどんどんにやけてくる顔を我慢できそうにない。


 だって私のポケットの中には、諒の名前が書かれたあいつ自身のプレートがあるのだ。

 ――それも私のプレートと仲良く同じリボンで結ばれて。


 今日の巨大なツリーに飾られたプレートの中には、諒が朦朧とした意識で書いたあいつの名前入りのプレートが何枚も何十枚もあるだろう。

 でもあいつ自身のプレートは、私が持っているこのたった一枚しかない。


 それが嬉しかった。

 思わず口にしてしまった「好きだ」という言葉にどんな返事を貰うよりも、ずっとずっと嬉しかった。

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