第ニ章 現代日本の魔法使い

第7話 身を捨ててこそ

 

 兄上が魔法を使った。


 

 土曜日の午後、二人でお庭に設えられているバスケットのゴールで遊んでいた時だ。

 シュートを決めようとジャンプされた兄上が、ふわりと浮かび上がったのだ。


「うああっ! うわあああ」

「にぃにっ!」


 バランスを崩し、逆さになった兄上がふわりふわりと上昇していく。いかん、止めねば!


「にぃに! 身体を重くしてっ!」

「わわわわっ うああっ」

 まずい。このままでは!



《దేశములో బాండ్లు ディサムルロ バンドゥル》

 地に絆を!

 口の中で呪文を奏上する。



 よし、掛かった!

 するすると降りて来た兄上に、私はすぐさま飛びつき体重をかけて押さえつける。

 体内から漏れだす兄上の魔力の波に私の魔力を被せる。魔力は波だ。魔力波の山に谷を合わせて打ち消していくと、兄上の魔力が次第に鎮まってくるのがわかる。


 浮力が収まってくる。まだ少し不安定かな。

「えっ? ええっ? なに? なにこれ……」

 兄上、兄上、さぞかし驚かれたでしょう。



「おにいちゃん……」

「あああ、瑞樹。大丈夫、大丈夫だからね」

「おにいちゃん、だいじょうぶ?」

「ああ、ごめんね、瑞樹。驚いたね」

「おにいちゃん、おにいちゃん」



 兄上の顔色は青い。

 まだ少し震えておられる……

「ごめんね瑞樹。お兄ちゃんは大丈夫だよ。びっくりしたね」

「おにいちゃん、どこも痛くない?」

「うん。大丈夫。痛くないよ。瑞樹は?」


 ゆっくりと上体を起こした兄上は、身体が浮き上がらないのを確かめてから、兄上にひっついてしがみついている私を起き上がらせて、膝の土ぼこりを払ってくださった。

「瑞樹、どこも痛くない?」

「うん、ぼくはだいじょうぶ」



 身体を起こしていったん立ち上がりかけた兄上は、またすぐ腰を下ろしてしまわれた。

「ああ……あのね、瑞樹、あのね……」

 ひどく言いよどんでおられる。いきなり浮かび上がったのだ。魔法のことはなにもご存知ないのに。恐ろしかったであろうに。


「おにいちゃん、びっくりしたね」

「うん。瑞樹、見たよね。びっくりしたよね」

 この世界では、魔法は忘れ去られた技術だ。

 人が魔力で浮き上がることは、おそらくあり得ない事なのだ。


「僕、どうしよう。どうしたのかな。どうしたらいいのかな?」

「おにいちゃん……」



 兄上の魔力炉が開いて回転し始めている。

 おそらく、私の所為だ。

 私が兄上の枕元に置いたあの月桂樹の苗木だ。あれは殊の外、霊力が豊富であった。

 魔力が育っても、その使いようが分からなければ戸惑うのは当たり前だ。

 私は、なんと心無いことを、無責任なことを仕出かしてしまったのか。




 幼い頃は、この世界の魔法が既に失われたものであるということが、私にはよく理解できていなかった。

 当然のように自身の魔力も鍛えたし、身近にいる兄上の魔力も伸ばして差し上げねばと考えていた。私の考えが至らなかったのだ。

 


 兄上の魔力は既に育ちつつある。

 魔力炉が開いているからもう止められぬ。

 魔力の使い方をお伝えせねばなるまい。

 



「おにいちゃん、見て。ぼくも、ほら。いっしょだよ、ほら、だいじょうぶ」


 私は、兄上の前で、すうっと浮かび上がる。

 兄上の驚愕の瞳。

 ああ、兄上。兄上は、私をお許しくださるのでしょうか。それとも。

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