第2話 治癒魔法の行使
「はい、行ってらっしゃいませ。お気をつけて」
私の家族は六人だが、実はもう一人、厳密にいうと家族ではないが、家族のような人がいる。
今、玄関先で私と
我が家の家業は薬局といって、薬師の直営店を営んでいるらしい。
薬局は自宅の敷地に接していて、白くて大きな美しい建物だ。私はまだ中に入れてもらうことが許されていない。まあ、当然だろう。薬剤を扱う場所なのだから。赤子だからな。
この薬局では、
それで、お
そのかせいふさんが、このよしこさん。
ふくふくとして朗らかで、こまめによく働き、お祖母様を助けてくださっている。
もちろん兄上も私も、このよしこさんが大好きである。
「よしこさん、それじゃお願いしますね。
「はいはい。柾樹ちゃんには何かおやつをご用意しておきましょうね〜。奥様もどうぞゆっくりなさっておいでなさいませよ」
「そうね。さ、
「瑞樹ちゃん、行ってらっしゃい」
「あ〜い」
今日はお祖母様とお出かけだ。
どこへ行くかというと『しりつ図書館』である。それを聞いて私は朝からうきうきと大はしゃぎをしてしまった。
先日、この国の言葉を修めると決めてから、私はかなりの努力を重ねてきたと思う。
まずは、兄上や母上、お祖母様のおっしゃる言葉を復唱することから始めた。舌が上手く回らないので発音が不正確なものの、とにかく何でも片端から復唱する。真似っこ遊びだ。意味はわからなくとも気にしない。
さらに積極的に発問し、徐々に語彙を増やしつつある。魔法の呪文は『なーに?』だ。ものを指差して『なーに?』を連発し、できるだけその場で覚えてしまう。舌足らずはおいておく。
兄上はよくご本を読んでくださる。
兄上の読んでくださるご本は、絵の綺麗な字の大きなもので、ゆっくりと読んでくださるので、大変勉強になる。
ただ、何度も同じご本を読んで欲しいとお願いすると、だんだん飽きてしまわれるのは困りものだ。そのような時は、私はすっかり絵とお話を覚えてしまっているので、お話に合わせて表音文字を当てはめつつ解読したりしている。
兄上は『わあ
もちろん、就寝前に母上に枕元で読んでもらうお話もとても楽しみにしている。
母上のお声は大変柔らかくあたたかく、私はとても気分が良くなって、いつもお話の途中で寝てしまうのだけれど、それはそれでとても良いものであることを知っているのだ。
そういうわけで、そろそろお家にある子供向けの書物が底をついてきたらしい。
昨夜、夕食時に
私が『トショカン、なーに?』と尋ねると、『ご本がたくさんたくさん有って、好きなだけ読めるところだよ』と教えてくださったので、おそらく『図書館』で間違いない。楽しみである。
秋の日差しは柔らかい。
私はクリーム色の柔らかい毛糸のフード付きマントを羽織っている。お祖母様の手編みのマントだ。ふわふわと軽いのでとても気に入っている。なぜかクマの耳が付いているのだが、それほど気にはしていない。
愛用の
遊歩道から噴水のある公園に入ると、木立の奥に大きな建物が見えてきた。
「ほうら
「おお〜お!」
お祖母様に示された図書館は木材とガラスをふんだんに使った新しい建物だった。図書館といえば、歴史のありそうな古めかしいものを想像していたので大変新鮮な気分がする。
図書館の内部は更に予想外な空間であった。
二階建ての柱の少ない天井の高い大空間が広がり、白い木肌の真新しい大人の背丈くらいの書架がゆったりと立ち並んでいる。
柔らかい灯りと調節された空調。いったいどれほどの魔道具を用いているのであろうか。
窓際の磨りガラスを透した柔らかい日差しの当たる場所には机や椅子が並んでいる。
おそらく数万冊ではきかないような驚くべき蔵書の数々。それらが鎖で繋がれることさえなく、ふんだんに溢れるように揃えられている。なんと素晴らしき世界、豊かな文明社会であろうか。
「ふふふ、瑞くん。お口が開きっぱなしですよ。広くてびっくりしたのかな?」
「あぃ」
「あらら、どうしたの? お目々うるうる?」
「ばぁば、ご本、いっぱいねー」
「そうねぇ。瑞くんは、ご本が好きなのねえ」
お祖母様はゆっくりと書架の間の広い通路を抜けて、柔らかい絨毯を敷いた暖かな色合いの一角に向かわれた。
「ここはね、瑞樹ちゃんくらいの子供たちの好きなご本がたくさん集められた場所ですよ。バギーを降りて、お靴も脱いでゆっくり見せていただきましょうね」
「おお〜!」
絨毯の周りに二段くらいの低い書架が並んでいて、子供向けの絵本などがズラリと並べてある。素晴らしい。
本音を言うと、この世界の魔導の専門書などにも目を通したいのは山々だが、実のところまだそんなに字が読めない。今は子供向けの絵本から一歩ずつ攻略して行こう。
「どれでも好きなご本を選んで読んでもいいのよ。でも一冊ずつね」
「あい!」
お祖母様の許可もいただいたので、心の赴くままいろんなご本を引き出して開いて楽しんだ。
お祖母様は、私が出したご本を閉じて書架に片付けるのを担当してくださっている。
しばらくすると、桃色のエプロンをつけた係員がやってこられた。随分と親しみやすい装いだが、ここの司書の方であるらしい。
「それでは今から、絵本の読み聞かせを始めます。十五分ほどで終わります。みなさん、よかったらぜひご参加ください」
なんと、専門の方が絵本を選んで読んでくださるのだそうだ。ああ、私としたことが、柄にもなくわくわくするのを抑えられぬ。
「ばぁば、ばぁば!」
「はいはい、聞かせていただきましょうね〜」
私はお祖母様を引っぱって、絵本の見える場所に座り込んだ。
◇ ◇ ◇
「今日のお話は、新美南吉先生のお書きになった、ごん狐というお話です」
【ごんは、ひとりぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。】
『ほう、この世界にも野獣はいるのだな。いや、野獣というには理性が高い。うむ、コボルトのような魔物の話かも知れぬな』
【そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
「ようし。」
兵十は立ちあがって、納屋にかけてある火縄銃をとって、火薬をつめました。】
『えっ、ま、待たれよ、ヘイジュー。早まってはならぬ! そのコボルトは既に改心しておる』
【「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。】
『おおお……おおぉお……ご、ごん』
【兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。】
「ごん! ごん、ごんー!」
なんと、ごん! そんな、死んでしまったというのか! それでは、ごん、お前も、ヘイジューも、あまりにも! あまりにも……
私は我を忘れてしまったようだ。
ふと、気がつくと私は絵本のごんの挿絵にすがりつき、ごん、ごんとつぶやいていた。
「ごん、ごん……
《उपचार प्रकाश(ウッパァサラ パラァクァサ》」
私が治癒魔法の呪文を奏上してしまった時、その場所には柔らかな光が静かに降り注ぎ、暖かな風がただ、ふうわりと舞いおりていたのだった。
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