ガラスの靴が砕け散る

小湊拓也

第1話 ハッピーエンドの後に

 生まれた時から、何の役割も運命も与えられてはいなかった。

 少年は、それが当たり前だと思っていた。

 だが仲間と出会い、『導きの栞』と出会い、彼は気付いたのだ。

 運命とは、誰かから与えられるものではない。

 この世界で自分が果たすべき役割、それは誰かによって割り振られるものではない。

 己自身で、選び取るものなのだと。それが出来るのは『空白の書』の持ち主だけであると。

 だから少年は旅に出た。『空白の書』に、己の物語を書き記すため。

 それが完成するまでは、どんなに辛くとも決して故郷に帰るまい、と彼は心に決めた。

 故郷とは、辛くなって逃げ帰るための場所ではないのだ。

 そんな帰り方をしたのでは、シンデレラに合わせる顔がない。

 彼女は見事、己の運命を変えて見せた。自身の手で、幸せを掴み取ったのだ。

 だから少年は思う。自分もまた、己自身の物語を自分の手で書き上げなければならないと。

 今の自分の物語は、まだ空白のままだ。

 まだ、故郷に帰る資格がない。帰ってはならない。

 故郷に帰る事の出来ない理由は、しかしもう1つある。

 その理由から、少年はひたすら目を逸らせた。見て見ぬ振りを、し続けていた。

 だが1人の少女が、それを許してはくれなかった。

「ズバリ言いましょう、新入りさん」

 シェインが、その鋭い両眼でエクスを見据える。

 戸惑う少年の表情を、そして心を、じっと観察している。

「シンデレラさんが王子様と結婚して今頃アツアツの新婚生活……そんなとこ帰ってられっかバカ野郎! ってのが本音でしょう?」

「な……何を……」

 エクスは絶句した。言葉と一緒に、息も詰まった。

 片手で目を覆いながら大げさに溜め息をついているのは、タオである。

「っだぁー、言っちまったよ。この鬼娘は」

 この男女4人組のリーダー、を自称する青年である。エクスにとって頼れる兄貴分である事は、まあ間違いない。

「せっかく俺たちが、触れねえでおこう触れねえでおこうと」

「た、タオ……僕は、そんな別に……」

「何も言うな、坊主」

 タオの大きな手が、エクスの細い肩をぽんと叩く。

「わかる、わかるぞ。好きな女が、他の男のもんになっちまった……そんな思い出しかねえ故郷に、そりゃ帰って来たくなんざぁねえよなあ」

「今からでも奪っちゃいましょう新入りさん。王子様から、シンデレラさんを」

 シェインが、ぐっと可愛らしい拳を握る。

「不倫と略奪愛、それがきっと貴方の物語なんですよ新入りさん。いいじゃないですか。シェイン読みたいです、それ」

「なっ、何言ってるの……2人とも……」

「ほらほら。おバカな話は、そこまでにしておきなさい」

 もう1人の少女が、手を叩いた。

「エクスもね。シンデレラさんに御挨拶する時間くらいは、後できっとあるから。彼女が幸せにしているところを見て、踏ん切りを付けちゃいなさいな」

「……レイナまで、そんな事言うの」

 エクスは、俯き加減に苦笑するしかなかった。

 シンデレラの想区。はじまりの森、と呼ばれる場所である。

 帰って来てしまった。だがそれは、シンデレラに会うためではない。

「それで姉御……本当に、カオステラーが?」

 シェインの問いかけに、レイナがいくらか曖昧な答え方をした。

「だと思う……ううん、カオステラーだけじゃないわ」

 カオステラーの存在を感知する『調律の巫女』レイナが、ここシンデレラの想区に、禍々しいものの気配を感じ取った。

 すでにカオステラーの存在が失われているはずの、この想区にだ。

 ここ『シンデレラの想区』はエクスにとって、生まれ故郷であり、最初の冒険の舞台であった。

 この森で、レイナに、タオとシェインに出会い、そして悪しき存在『ヴィラン』と初めて戦い、それらの首魁たる『カオステラー』の存在を知った。

 カオステラーを倒す事によって、この想区は本来の有り様を取り戻したのだ。

 シンデレラが王子様と結ばれハッピーエンドを迎える、本来の物語を。

 エクスはそれを確認した後、レイナたちと共に旅立った。

 同じくカオステラーによって本来の物語を失ってしまった、様々な想区を救うために。

 赤ずきんの想区、宝島の想区、ドン・キホーテの想区……いくつもの想区でカオステラーを倒し、本来の物語を修復する。

 その旅の最中。レイナが、倒したはずのカオステラーの気配を、ここシンデレラの想区から感じ取ったのである。

 控えめに、エクスは訊いてみた。

「カオステラーが……復活した、って事? あのフェアリー・ゴッドマザーが、またカオステラーに?」

「よくわからないのよ。カオステラーの存在は感じるけど、その他にも……」

 レイナが俯いた。

「……ごめんなさい、私にもよくわからないの。放ってはおけない、邪悪な何かを感じるっていうだけで……カオステラーに関係する何かなのは、間違いないと思うけど」

「ふん、要は何かが起こってるって事だろ? まずは、そいつを調べりゃいい」

 言いつつタオが、左掌に右拳を打ち込んだ。良い音がした。

「確かにな……めでたしめでたしのハッピーエンドの後にしちゃあ、何か変な空気が漂ってやがるぜ」

 鬱蒼たる『はじまりの森』を見回しながら、タオが鼻息を荒くしている。

「俺たちがカオステラーぶっ倒して、他の想区へ行ってる間……ここで何か悪さしてる奴らがいると、要はそうゆう事か」

「鬼の居ぬ間の洗濯とは、気に入らないですねえ」

 シェインも、静かに闘志を燃やし始めているようだ。

「姉御の言う通りカオステラー絡みなら、シンデレラさんの身辺で何か起こってるかも知れません。まずは、お城に」

 シェインの言葉を遮るかのように、その時ガサッ……と茂みが鳴った。

 細い、弱々しい人影が1つ、木立の中からよろよろと現れたところである。

「出やがったか、ヴィランども……」

 勇み立とうとするタオの動きが、固まった。

 レイナは愛らしい口元を押さえて息を飲み、シェインも軽く目を見張っている。

 現れたのが、ヴィランではなかったからだ。

 ヴィランよりもずっと弱々しく、だがヴィランよりもどこか不吉で禍々しい、細く痩せ衰えた人影。まるで幽鬼である。

 それは1人の少女だった。

 長い髪はほつれて傷み、ほとんど血色の失せた青白い肌は痛々しく筋張って、顔には頬骨の凹みがくっきりと現れている。

 落ち窪んだ両眼は虚ろで、この場にいるタオ・ファミリー4名を、見つめていながら見ていない。

 薄く生気に乏しい唇は、何か呟きを紡いでいるようだ。

 この世のものではない……彼女自身にしか見えていない幻覚か何かに、語りかけている。エクスは、そう思った。

「……あ……あの……」

 レイナが話しかける。

 幽鬼のような少女は応えず、ふらふらと4人の眼前を通り過ぎようとして突然、足から力を失い、転倒した。

「危ない……!」

 倒れかけた少女の細身を、エクスは抱き止めた。

 両腕に、恐ろしく軽い体重が感じられた。女の子とは言え、人体がここまで軽くなるものなのか、と思えるほどだ。

 一体どれほど栄養を損ない、痩せ衰えれば、ここまで軽くなるのか。

「君……」

 エクスは、それきり言葉を失った。

 傷跡が見えたからだ。

 少女の、ボロ布も同然の衣服から覗く、細い二の腕に、痩せた胸元に。

 全身、傷だらけなのではないか。

 虐待を受けていた少女なら、エクスも1人、知っている。

 その苛酷な運命を、あの少女は変えて見せた。だが彼女とて、ここまでひどい目には遭っていない。

 木が、倒れた。エクスは危うく、少女もろとも下敷きになってしまうところだった。

 何本もの木を……森の一部を薙ぎ倒しながら、巨大なものが姿を現している。地響きのような足音を立て、金属質の巨体を誇示する怪物。

 今度こそ、ヴィランである。それもメガ・ヴィランだ。

「ほほう、はじまりの森にメガ・ゴーレムとは」

 シェインが、呑気な事を言っている。

「カオステラーの差し金だとしたら、まあ少しは学習してますねえ。初っ端からシェインたちを殺しにかかってます。いや感心感心」

「そんな……カオステラーは、確かに私が……」

 カオス・ゴッドマザーを『調律』した本人であるレイナは、感心するどころではなく打ちのめされている。

 そこへ、疾風のようなものたちが襲いかかる。

 周囲の木陰から猿の如く現れた、ブギーヴィランの群れ。

 危ない、などとエクスが叫ぶ必要はなかった。

「おらおら、ぼーっとしてんなよ! お嬢!」

 タオが、己の『空白の書』に『導きの栞』を挟みながら飛び込んで行く。

 栞を挟んだ書物が光を発し、タオの全身を包み込む。

 その光が、楯に変わり、槍に変わり、ブギーヴィランを打ち砕く。

 英雄……『鉄のハインリヒ』が、そこに出現していた。

「この……張り裂けそうな、痛み……王子ッ!」

 蛙に変わってしまった王子を救う手段を探し求めている鉄の騎士が、その探索行の最中こうして力を貸してくれる。

 口調重く王子に呼びかけるハインリヒの中から、タオの軽口が聞こえた。

『悪いな、また世話んなるぜ!』

「構いませぬ……この戦いもまた、王子をお救い申し上げるための探索行!」

 レイナを狙うブギーヴィランたちを一掃し終えたハインリヒが、そのまま森の一角へと激しく踏み込んで行く。

 そちらの方向から、何体ものナイトヴィランが、茂みを踏み折るようにして現れたところだ。

「姉御、いろいろ考えるのは後回しです」

 シェインもまた、己の『空白の書』に『導きの栞』を挟み込んでいた。

「今は……悪しき者に、鉄鎚を下す時!」

 口調を鋭く一変させながら、シェインは光に包まれ、女神スケエルの巫女『ラーラ』へと姿を変えていた。

 たおやかな両手が、杖を振り構える。

 その杖の先端が、雷鳴を発した。

 電光の球がいくつも発射され、ハインリヒを上手く避けつつ、ナイトヴィランの群れを直撃する。

 感電し、よろめき、のけぞるナイトヴィランたちを、ハインリヒが楯で叩きのめし、槍で突き穿つ。

「そ、そうね。私の調律が不完全だったのなら、落ち着いてその原因を突き止めないと……この場を、切り抜けてから!」

 レイナが、栞を挟んだ『空白の書』を掲げる。

 光が、彼女の細い全身を包み込む。

 その光の中から、1人の魔女が現れた。

「ふふん……相手になってやろうではないか」

 幼い女の子の外見を有する、齢数百歳の大魔法使い『シェリー・ワルム』である。

 大きな魔道書を、小さな片手でいくらか危なっかしく保持しながら、彼女は振り返った。

 その動きに合わせ、攻撃魔法の光が迸る。

 背後からシェリーを引き裂く寸前であったビーストヴィラン数匹が、吹っ飛んだ。

 そう。今は英雄たちを召喚し、戦う時なのである。

 なのにエクスは、呆然と固まっていた。

 幽鬼のような少女が、ゆらりとエクスの腕から抜け出して弱々しく歩み出したからだ。

 木々をへし折りながら迫り来る、メガ・ゴーレムに向かって。

 少女の痩せた唇から発せられる呟きを、エクスはようやく聞き取る事が出来た。

「…………殺して…………死なせて…………」

 その願いを聞き入れた、というわけでもなかろうが、メガ・ゴーレムが巨大な拳を振り上げ振り下ろす。

 隕石にも似た一撃が、少女の痩せ衰えた細身を叩き潰さんとする。

 何も考えず、エクスは動いた。身体が、ほとんど勝手に動いていた。

 少女の眼前に立ち、メガ・ゴーレムに向かって『空白の書』を掲げる。導きの栞は、すでに挟んである。

 掲げられた書物が、光を発した。

 メガ・ゴーレムの拳は、すでに頭上に迫っている。一瞬後には、エクスの身体は原形を失っているか。あるいは英雄『鬼姫』が現れ、その剣でゴーレムの拳を受け流してくれるのか。

 力が、迸る。

 それだけを、エクスは感じた。



「闇の魂に……安息を与えん!」

 ラーラの叫びに合わせて『スケエルの怒り』が炸裂した。

 電光の爆発が、ビーストヴィランの群れを一まとめに粉砕する。

 その時にはしかし、ナイトヴィランの一部隊がラーラの背後に回りこんでいた。

「いけない、後ろを……!」

『ああ大丈夫ですよ、ラーラさん』

 シェインは言った。

 背後からラーラを斬殺せんとしていたナイトヴィランたちが、その言葉通り突然、砕け散っていた。頑強な全身甲冑が、まるでガラス細工のように叩き割られている。

 シェリーの、攻撃魔法の光によって。

「ほれほれ。ぬしらの鎧なんぞ、わしの『黒魔法ネイキッドメモリー』にかかればのう。ゆで卵の殻も同然じゃて」

 魔道書を片手に軽快なステップを披露しながら、シェリーがナイトヴィランたちを打ち砕く。

 ビースト、ナイト、ブギー……各種ヴィランは、しかし一向に減ったように見えない。あちこちの木陰から、湧き出して来る。

 ラーラとシェリーは、いつの間にか背中合わせの体勢を取っていた。

「シンデレラの想区に、これほど強力なヴィランの群れが……一体、何が起こっているのでしょう」

「ふむ、これはもはや別の想区と化しておるのう……おや」

 呑気な声を出しながら、シェリーが何かに気付いたようだ。

 じりじりと包囲の輪を狭めて来る、ナイトヴィランの群れ。

 その後方に、やかましく羽音を発する者たちが、いつの間にか出現している。

 弓矢を携えた、巨大な羽虫。

「ウイングヴィラン……! このような者たちまで!」

 ラーラが息を呑んでいる間、ウイングヴィランたちは立て続けに弓を引き、矢を放ってくる。

 光の矢の雨が、シェリーとラーラに降り注ぐ。

「危ない!」

 ブギーヴィランの群れを蹴散らしながら飛び込んで来たのは、ハインリヒであった。鎧をまとう長身が、シェリー及びラーラの楯となって立ちはだかる。

 そこへ、光の矢がことごとく命中する。

「ぐっ……」

 よろめくハインリヒを、シェリーが支える。

 両者の前へと踏み出しながらラーラは杖を構え、雷の球を速射した。

 ウイングヴィランたちが、片っ端から砕け散る。

 その間、シェリーがハインリヒに抱きついたまま甘えてゆく。

「ああん。おぬしってば顔だけじゃなく、やる事なす事全部イケメンじゃの〜う」

「い、いけませんシェリー殿! 戦の最中ですぞ!」

 両者の中から、レイナとタオの声も聞こえて来る。

『ち、ちょっとお婆ちゃん! 私の身体で何やってんのよっ!』

『い、いけねえよお嬢。俺に惚れちまうのは、わからねえでもねえが』

『この馬鹿!』

「今はわしの身体じゃぞ小娘。お婆ちゃんではない事をムッフフフフ、証明してくれようかのう。この身体でのう」

『やめてー! ちょっとシェイン、エクス止めてよ、止めなさいよぉおおおッ!』

 そんな馬鹿騒ぎをしている者たちに、各種ヴィランが襲いかかって行く。

 ラーラは杖を振るい、叫んだ。

「何をやっているんですか! あなたたちはっ!」

 雷が生じ、爆発した。『スケエルの怒り』が、炸裂していた。

 各種ヴィラン数体ずつが砕けて消滅し、ついでにシェリーとハインリヒも吹っ飛んでいた。

「ひょえぇぇぇ……お、おぬしらのツッコミは相変わらず容赦がないのう……」

「集中して下さい。今は戦闘に」

『……おかしいですね。いつもなら鬼姫様も、一緒に突っ込んでくれるところなのに』

 シェインは、ラーラの目を通してエクスの方を見た。真っ先に『鬼姫』となって戦闘に参加してくれるはずの少年が、今に至るまで全く動きを見せていない。一体、何をしているのか。

 エクスが何もしていない、わけではない事は次の瞬間、明らかになった。

 はじまりの森全体を揺るがすほどの地響きが、起こったのだ。

 メガ・ゴーレムが、崩れ落ちていた。

 巨大な甲冑のような、その姿が、ズタズタの金属屑に変わりながら消え失せてゆく。

 切り裂かれ、叩き潰されていた。何かしらの強力な攻撃によってだ。

『さすがは鬼姫様、1対1でメガ・ヴィランを……』

 シェインは感心しかけて絶句した。

 幽鬼のような少女が、大木にしがみつき、呆然としている。

 彼女を守る格好で立ち、メガ・ゴーレムに攻撃を喰らわせた何者かが、長い黒髪を揺らめかせている。

 闇そのもの、のような黒髪。いくつかの方向に分かれ、禍々しく伸びうねっている。まるで、黒い蛇のように。

 鬼姫の髪、ではなかった。

「お前……やはり、お前でなければならぬ……空白の書を持つ、少年よ」

 男である。

 胸板が、両肩と背筋が、力強く隆起しながら引き締まり、まるで鋼のようだ。

 そんな猛々しい肉体のあちこちを勾玉で飾り立てた、若い男。

 顔は、よく見えない。うねる黒髪が、顔面に不気味な陰影をもたらしている。

 その陰影の中で、真紅の眼光が2つ、爛々と燃え上がってヴィランの群れを睨み据える。

『誰……』

 シェリーの中で、レイナが息を呑んでいる。

 ハインリヒが、油断なく楯と槍を構えながら問う。

「鬼姫殿、ではない……貴公、何者であるか」

「そう目くじらを立てるな。少なくとも貴様たちの敵ではない。今のところは、な」

 つい先程までエクスであった男が、ハインリヒの甲冑をぽんと軽く叩きながら、ヴィランたちに向かって進み出る。真紅の眼光を燃やし、長い髪を蛇の群れの如くうねらせながら。

 シェリーが声をかけた。

「おぬし、まさか素手でヴィランと戦うつもりかのう?」

「このような者ども、無手で充分……だが見たいか、俺の得物を」

 長い髪による陰影の中で、男はニヤリと笑ったようだ。

 そこへナイトヴィラン数体が、猛然と襲いかかって行く。

 彼らの振るう剣あるいは戦鎚を喰らう前に、男は自らの手で己の肉体に傷を負わせていた。

 その右手、人間の皮膚くらいであれば摘んで剥いでしまえそうな五指が、引き締まった脇腹の辺りに突き刺さる。

 すぐさま引き抜かれた男の右手に、何かが握られていた。

 肋骨か、臓物の一部か、判然としないものを、男は自身の体内から引きずり出したのだ。

 それが棒状に伸び固まり、鋭利に硬質化を遂げる。

 長剣であった。

 自分の体内より取り出した長剣を、男が縦横に振るい閃かせる。たくましい筋肉が、躍動する。

 まるで絡み合った蛇のような筋肉だ、などとシェインが思っている間に、ナイトヴィランの群れは叩き斬られ、斬り潰され、甲冑の残骸に変わりながら消滅していった。

「何たる剛勇……鬼姫殿に、勝るとも劣らぬ」

 ハインリヒが、それにラーラも驚嘆している。

「これほどの英雄が……いるのですね、まだ」

『自分の身体の中で、武器を作り出せるなんて……』

 興奮を、シェインは止められなかった。

『ラーラさん、あの人このまま拉致しちゃいましょう。すごい剣が、いくらでも手に入りますよ』

「……武器の事になると、自分を見失ってしまうのですね。シェインさんは」

 ラーラが呆れている、その間にも、暴風にも似た男の斬撃がウイングヴィランを両断し、ブギーヴィランの群れを薙ぎ払って消滅させる。

 右手を突っ込んだ脇腹の傷は、拭ったように消え失せている。

 またしても、地響きが起こった。

 巨大なものが1体、2体、いや3体。森を薙ぎ倒すようにして出現している。

 新たなメガ・ゴーレムであった。

 金属の巨体が3つ、暴風の如く突進して来る。

 ハインリヒを、シェリーを、ラーラを、そして先程までエクスであったとは思えぬほどに荒ぶる男を、一まとめに轢き殺すべく。

 右手で振り回していた剣を休ませながら、男は左腕を振るった。

「我が生け贄となれ……!」

 絡み合う蛇の形に筋肉を発達させた腕から、何やら黒いものが発生し、禍々しく揺らめきながら迸る。

 魔力か、あるいは『気』の類か。

 それは、暗黒そのもの、のように見えた。

 燃え盛る闇が、何条にも分かれて激しくうねりながら、メガ・ゴーレム3体を直撃する。

 何匹もの黒い大蛇が荒れ狂う様、にも似ていた。

 暗黒の蛇たちが、3体ものメガ・ゴーレムを一緒くたに締め上げ、食いちぎってゆく。

 3つの巨体が、ひとかたまりの金属屑と化しつつある。

 そこへ向かって、男は踏み込んだ。長い黒髪をうねらせ、なびかせ、真紅の眼光を燃え上がらせながら。

 右手で休んでいた長剣が、激しく一閃する。

 巨大な金属屑が、真っ二つになった。

 ひとまとめの残骸になりかけていたメガ・ゴーレム3体が、叩き斬られながら砕け散り、消滅してゆく。

 その時にはハインリヒが、ナイトヴィランの最後の1体を粉砕していた。ラーラとシェリーが、ブギー及びウイング両ヴィランから成る最後の一部隊を掃滅していた。

 はじまりの森を埋め尽くしていたヴィランの群れは、とりあえず1体残らず消えて失せた。

 この場における戦いは終わった。

 英雄たちの姿も、消えてゆく。タオが、シェインが、レイナが、本来の姿を取り戻す。

 そして、エクスも。

 荒ぶる男から、とりあえず解放された少年が、崩れるように倒れていた。

「お、おい坊主……!」

 タオが駆け寄り、抱き起こす。

 エクスは、意識を失っているようだった。

 鬼姫を押しのけるようにして彼の身体を乗っ取っていた今の男が、果たして何者であるのか。エクスが意識を取り戻したところで、しかし明らかになるかどうかはわからない。

 正体のわからぬ者が、今はもう1人いる。

 大木の根元に呆然と座り込んでいる、幽鬼のような少女。

 その落ち窪んだ両目は、今の戦いを全く見ていなかったようである。あらぬ方向を、ただ虚ろに見つめている。

 痩せ衰えた唇が、うわ言のような言葉を紡ぎ続ける。

「殺して……死なせて……」

「ちょっと、貴女……」

 レイナが、屈み込んで目の高さを合わせ、声をかける。

 死にたがっている者に、かけるべき言葉などないのではないか、とシェインは思わないでもない。

 少女の虚ろな両眼が、ぼんやりとレイナに向けられた。

「……どうして……死なせて、くれなかったの……?」

 そんな問いに、とっさに答えられるわけもなく、レイナが戸惑いながら息を飲んでいる。

 だが、どうにか言葉を発した。

「……事情はあるだろうけれど、見て見ぬ振りなんて出来ないわ。貴女、この近くの人? 一体何があったのか」

「待って下さい、姉御」

 シェインは言った。

「お気持ちはわかりますけど……自殺志願者が抱えてる問題って、めんどいですよ。はっきり言って。首突っ込んでる場合かどうか、ちょっと考えてみるべきかと」

「まあそうだろうが、俺らの目に入っちまったんだ。放っちゃおけねえよ」

 エクスを抱き起こしたまま、タオが言う。

「放っといて自殺でもされてみろ。俺も坊主も、お嬢も、それにシェインお前だって絶対……引きずるぜ、この先ずっと」

「これからの戦いに悪影響が出る、ってワケですか……」

 シェインは軽く、溜め息をついた。

「ま、この自殺志願者さんがカオステラーと無関係かどうか、まだわかりませんからね……というわけで死にたがりさん、お話を聞いてあげます。何でそんなに死にたいんですか? まず貴女が誰なのか」

「シンデレラ……」

 言葉を発したのは、エクスだった。タオに抱え起こされたまま、いつの間にか意識を取り戻している。

 そして、わけのわからない事を言っている。

「そうだろう? シンデレラ……一体、何があったの……」

 謎の男に乗っ取られて精神的におかしくなってしまったのか、とシェインは本気で思った。

 幽鬼のような少女に向けられたエクスの瞳は、しかし彼らしく真摯で、狂気など欠片ほどもない。

「シンデレラ……君は、ハッピーエンドを迎えたはずじゃなかったの……? まだ……虐められているの?」

「坊主、お前……」

 戸惑うタオの腕の中から、エクスは立ち上がった。そして声を震わせる。

「そんなになるまで、虐められて……王子様は? 君を、助けてはくれないの……?」

 シンデレラ、と呼ばれた少女は答えない。

 生気のない唇で、殺して、死なせて……と呟くだけだ。

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