第13話 異世界求職者-9

 水の流れに身を任せる。ふと嫌な予感が頭をよぎる。落ちる先が針山もしくは巨大な茹で窯だったらどうしよう。

 死を想定している。しかも、行先は地獄だ。宜しくない兆候だ。俺みたいな人畜無害な輩が地獄に落ちるわけがないじゃないか。

 今までに働いた悪事なんて高が知れている。今覚えている範囲だと寝坊して面接に行かなかったことが最大の悪事だろう。白状してしまえば仮に採用されても辞退していただろう会社だった。

 良くは覚えていないが、社会通念に抵触するような社訓を掲げる会社だった気がする。自宅のポストに投函されたなんともキナ臭い求人情報誌を目にしたことは覚えている。

 面接の練習なんて軽い気持ちで履歴書を送付したけど、今になって思えばその行いは確かに悪事だった。採用人事にも経費はかかっているんだから。

 


 でも、そんな些末なことで地獄に落ちるならみんな地獄行きだ。もしかすると、覚えていない部分でとんでもないことを仕出かしていたんではないだろうか……。

 記憶が欠けているせいか、それを補うように思案する癖がついている。こんな極限状態でもそれは変わらない。いずれこの悪癖のせいで命を落としそうな気がする。

 集中、集中。

『俯瞰して物事を捉えろ、栄太。お前がしなければいけないことは何だ?』

 自問自答で活を入れ、前を見据える。


「……はぁっ!?」

 それは美しい光景だった。無意識にもれたつぶやきは言葉にはならず、空気の泡となって水面に浮上して行く。

 宝石は水中でも淡く光を放っている。水が宝石に吸い込まれて行く。その影響で中心地の水位は最初よりも高くなっている。

 我先にと子供(水)が母親(宝石)のもとへと帰って行く姿を想像した。そう言えば水中では生物の姿を目にしていない。

 急に自分が異物のように感じられる。家族の団欒をぶち壊すくらいなら、全身で矢を受け止めたほうがましだ。

 そろそろ息が苦しくなってきたし、一度浮上してから引き返そう。


【ひと……だけで…いい…か…いた…いよ】

 音がする。混線したラジオを聞いているようだ。頭痛がする。酸素が不足してきたせいか。

【あい…たい】

 これは声だ。雑音がひどくて声色までは良くわからないけれど、確かに悲しみの感情を感じる。

 直観的にあの宝石から発せられているとわかる。ふつふつと心の奥底から込み上げてくる感情の正体はわからない。だけど、俺はこの声を無視できない。

 踵を返して水を掻く。まさに追い水、あっと言う間に宝石の目前に到達した。息苦しさも忘れて彼女に手を伸ばす。宝石に指先が触れた瞬間、焼けるような痛みを感じた。

 痛みと呼応するように光量が増して行く。そして、宝石が砕けた。その瞬間、周辺の水が一斉に霧散した。

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