(6)妹達の反応

「え? 美子姉さん?」

「本当にこのままお別れするの?」

「さてと、回収するか」

「あ、白鳥さん、手伝います!」

 周囲の戸惑いには目もくれず、秀明が植え込みの中や木の陰に落ちたボールを拾い始める。それを見た美野と美幸は、慌てて彼を手伝った。そして集めたボールをネットに入れ、二人が物置に片付けに行くのを秀明が礼を言って見送ると、それまで黙って彼らの様子を見ていた美恵が秀明に歩み寄り、預かっていた上着を差し出す。


「どうぞ」

「どうも」

 受け取った秀明が短く礼を言って袖を通す間、美恵は面白く無さそうな顔で彼を見上げた。それを見た秀明は、思わず苦笑しながら尋ねてみる。


「そんなに警戒しなくても。以前、長女の婿に収まってしっかり後継者の座を確保しつつ、陰で君にもちょっかいを出そうと考えていた馬鹿でもいたか?」

「…………」

 無言のまま軽く眉を寄せた彼女を見て、秀明は(当たらずとも遠からずか)と見当を付けた。そして軽く肩を竦めながら、一応忠告らしき事を口にする。


「だからと言って、彼女の周囲で誰彼構わず口説くのは止めた方が良いな。それ以外では男にすり寄ったりはしないんだろう?」

「さようなら。二度と顔を見せないでね」

 そこで美恵は素っ気なく別れの言葉を口にし、姉同様あっさりと立ち去った。その背中に秀明は、「ひねくれたお嬢さんだ」と小さく笑いを零す。

 秀明が母屋を回り込んで門に向かって歩き出すと、門の手前で生け垣の陰から美野が駆け寄ってきた。


「あのっ! 白鳥さん!」

「美野ちゃん? どうかしたのかな?」

 足を止めて優しく尋ねると、美野は幾分迷う素振りを見せてから小声で告げる。


「ええと、その……。あの、初めてだったんです」

「何が?」

「美恵姉さんより美子姉さんの方が良いって、はっきり言った男の人」

 その訴えに、秀明は苦笑するしかなかった。


「そうなんだ。世の中、思っている以上に、馬鹿な人間が多くて困るな。でも、さっきのあれを盗み聞きしてたんだ」

「はい、すみません……。ボールを持って戻って来た時に」

「ちょっと、美野姉さん! そこは否定する所でしょ!?」

 そこで先程の自分と同様、生け垣の陰から飛び出して自分の台詞を遮ってきた妹に対して、美野は腹立たしげに言い返した。


「何言い出すのよ。美幸だって、一緒に聞いてたじゃない」

「だって盗み聞きなんかじゃないもの。正々堂々、母屋の曲がり角の所で立ち聞きしてたし」

「恥ずかしいから、あまり馬鹿な事を言わないで!」

 胸を張った美幸を、美野が盛大に叱りつけた。その無邪気な物言いに、秀明は思わず噴き出してしまう。


「ぶふっ、あははっ!!」

「白鳥さん?」

「いや、ごめん。本当に面白いね、二人とも」

「美幸と一括り……」

「美野姉さんと一緒?」

 姉妹は一瞬嫌そうに顔を見合わせてから、盛大に口喧嘩を始めた。


「そうじゃなくて! もう、美幸が割り込んでくると、いつも話が逸れるんだから!」

「私のせい!? 美野姉さんがトロ過ぎるせいじゃない!」

「なんですって!?」

「まあまあ、確かに美野ちゃんの話の途中だったよね。何かな?」

 秀明が苦笑いで二人を宥めつつ、美野に話を促した。すると美野は瞬時に怒りを静め、真顔で彼を見上げてくる。


「あの……、美子姉さんの事、好きですか?」

「そうだね」

「……本当ですか?」

 何やら思うところがあるらしく、どことなく探る視線を向けてきた美野に、秀明は何となく気圧されながら静かに答えた。


「……ああ。それで?」

「それなら……、どうして美子姉さんがあんなに怒ってるのか分からないけど、諦めて欲しくないです……」

「そうか。美野ちゃんは優しい良い子だね」

 俯いて囁くように告げてきた美野の頭を、秀明は軽く撫でながら語りかけた。するとここで美幸が、会話に割り込んでくる。


「ここだけの話、結婚するならやっぱり美子姉さんの方がお得だと思うの。美恵姉さんなんか貰ったら、気が強過ぎて絶対持て余すわよ?」

「美幸ちゃんは正直だね」

 こそこそと内緒話をするように言ってきた美幸に、秀明は再び苦笑する羽目になった。そこで美野が勢い良く顔を上げ、お約束のように妹を叱り付ける。


「美幸! どうしてあんたは、後先考えずに思った事を垂れ流すのよっ!」

「だって本当の事じゃない。白鳥さん、良い人みたいだし、苦労して欲しくないもの」

「良い人、か……。本当に笑わせてくれる」

 そのままぎゃいぎゃいと二人は言い合い始め、多分に皮肉が込められた秀明の呟きは、発言した本人の耳にしか届かなかった。


「美野ちゃん、美幸ちゃん。二人の言い分は良く分かったから。これから頑張ってみるよ」

 秀明がそう告げると、二人は論争を中断して彼に向き直る。


「本当ですか?」

「良かった。応援しますね?」

「ああ、ありがとう」

 門の所で見送ってくれた二人に手を振って、秀明は最寄り駅に向かって歩き出した。すると藤宮邸の塀に沿って曲がった所で、面白くなさそうな顔で腕組みしつつ、塀に背中を預けている美実に遭遇する。


「やあ、美実さん。こんな所でどうしたのかな?」

 微塵も動揺せずに声をかけてきた秀明に、美実は小さく舌打ちした。


「早速、下二人を丸め込んだみたいね。対象年齢が幅広い上、手の早さも相当とみたわ」

 それに苦笑して数歩歩いた秀明は、彼女の前で足を止める。


「君は姉妹で一番、客観的に物事を観察できるみたいだな」

「上二人と下二人で、毎回揉めているもので」

「でも、可愛らしい揉め方じゃないか。互いを無意識に構っている結果、揉めているわけだし」

「本当。本人達は無自覚だから、手に負えないのよね」

 そこで呆れ顔で肩を竦めた美実は、次の瞬間、真顔になって確認を入れた。


「それで? 家にはもう来ないのよね?」

「そうだな……。家には暫く来ないかな?」

「家には? 暫く?」

 かなり引っ掛かりを覚える物言いに、美実が不審そうに問い返す。それに秀明は、全く悪びれずに答えた。


「彼女を口説く条件を、設定されてしまったからね。それに関して藤宮氏も否定しなかったし」

「父さんは単に面白がってただけだと思うけど……。だってバリバリのエリート官僚が、転職して課長職を目指すって無理でしょう。入社できても、何年かかると思っているのよ?」

 しかし秀明はそれを聞いても、含み笑いで美実を見返した。その言わんとする所を察した美実は、心底呆れた声を出す。


「……ちょっと本気? さっきの美恵姉さんの台詞じゃないけど、美子姉さんの為にそこまでする理由があるの?」

「彼女の為じゃない。敢えて理由付けをするなら、自分の為だ」

「え?」

 当惑した美実に、秀明が思い出したように尋ねる。


「そうだ。一つ教えて欲しいんだが」

「何?」

「君達のお母さんの入院先」

「東成大医学部付属病院よ」

「因みに、どんな病気で?」

 その途端、美実が不愉快そうに顔を歪める。


「……プライバシーの侵害」

 それを聞いた秀明は、素直に己の失言について謝罪した。


「確かに不躾だったな。すまない、これ以上は聞かないよ。今日は楽しかった。じゃあ、また君には連絡する」

「あ、ちょっと! 私にはって、どういう意味よ!? 第一私の連絡先、教えてないでしょ!?」

 その疑問には答えず、秀明は彼女に背中を向けたまま手を振り、再び住宅街を歩き出した。それを見送った美実は、「やっぱり止めておいた方が、良いんじゃないかしら?」と、頭痛を堪える表情になった。



 美実と別れ、飄々とした態度で歩いていた秀明は、角を曲がって藤宮邸が完全に見えなくなってから足を止めた。そして背後を軽く振り返ってひとりごちる。


「あんなにムキになるとはな。俺とした事が……」

 そのまま数秒佇んでから、彼は再び迷い無く歩き出した。


「だがこれで、当面の目標は決まったな。そうと決まれば、早速あの目障りな老害野郎と、恥知らず中年に引導を渡してやろうじゃないか」

 駅に向かいながら頭の中で様々な要因を集めて解析し、自分に最も条件の良い状況を作り出す算段を整えた秀明は、満足げに呟く。


「この俺が十年以上、大人しくしてやったんだ。ありがたく思え」

 その場に居ない人物達に向けられた、酷薄さを含んだ秀明の不敵な笑みを目撃した者は、誰一人として存在しなかった。

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