フェイズ5:蠢くものたち

 翌朝。

 赤く腫れぼったい目をしたネズミは、何度も振り返りながら去っていった。

 それを見送りながら、墓守はこの三週間のことを振り返る。


 元来、彼は静かな生活を好む、自己完結型の少年だった。

 “仇”についての調査や任務以外では、特に誰かと深い交流を持つこともなく、暇潰しと言えば、油彩、読書、映画、ゲーム。

 体を動かしたくなれば、FH施設に赴いての戦闘訓練。

 数少ない知人から誘いがあれば応じるが、自分から声をかけることは殆ど無い。

 それで何も不足はなかった。


 だが、突然、ネズミという異物が加わった。

 オドオドしているくせに、ここぞというところで己を通そうとする少女。

 それに押し切られる形で始まった、なし崩しの共同生活。


 変な同居人だった。


 普通の外食や、自分の手料理に目を輝かせる。

 かといってガツガツと貪るでもなく、遠慮がちに、一口食べては、許可を求めるような視線を向けてくる。「飲みたくなったら勝手に茶を淹れて飲んでいい」という当たり前のことすら、理解させるのに時間がかかった。

 息を潜めて隠れているかと思えば、声をかけるより早く現れる。

 

 一週間もすると、お互いに口数も増え、冗談に笑い合うことも増えた。

 始終“マスター”と呼ばれることにも、もう慣れた。

 最近では、食事の時、テーブルの向こう側に“小動物”がきちんと座っていないと、どうにも落ち着かない。


 ―――長らく忘れていたが、傍に誰か居るというのは、楽しいことなのだ。


 だが、それももう、終わる。


(……この三週間、悪くなかったな。けどまァ、仕方ねェ)


 墓守が“施設”を出てから最初に生活を共にした同居人――半ば以上教師に近い存在だった――も、ある任務のために部屋を出て、そして、帰ってこなかった。


 そういうものなのだと思う。

 手に入るモノなどない。

 すべては、手から零れ落ちてゆく。

 理不尽にも思えるが、誰だってそうなのだ。

 ネズミも、きっとそうなるだろうと思ってた。

 ある日、ふっと姿を消して、そのまま二度と会えない。

 今回は、自分が先に消える可能性が高くなった。

 それだけの話だ。


 ―――二時間後。

 墓守のスマートフォンがけたたましく鳴った。

 発信者は、緋蜂紅。


「待ち合わせ時間を過ぎたのにネズミちゃんに会えない」


 理由は、もはや明白だった。

 ネズミが狙われたのだ。



 * * *



 川沿いの廃工場。

 そこが“敵”のアジトだった。

 あっけないほど簡単に見つかったが、それは墓守の力ではない。

 協力者である緋蜂紅と鳩宮アンゼリカの尽力によるものだ。マスターエージェントである墓守が舌を巻くほどに鮮やか、かつ迅速な手腕だった。

 その後、彼女たちは別件の緊急任務を受けて離脱を余儀なくされたが、墓守にとっては「そこまでで十分」だった。

 再会を約し、墓守は単身、廃工場へと向かった。


 待ち受けていたのは、同じFHエージェントたち。

 〈レインボウ〉レイ・フラッシュラッシュ

 〈スネーク・チャーマー〉ヴァイパー

 〈タイト・スクィーズ〉絞削美裂しめそぎ・みさき

 いずれも、名の通った能力者だ。それに加えて、重武装のFH戦闘要員が五人。

 臨戦態勢で乗り込んできた墓守に、恭しく礼をしたのは、整った面立ちの白人青年、レイ。


「お初にお目にかかります、マスターグレイヴ。こちらの予想を大幅に上回る速さだった」

「協力者が有能なンでな。しっかし、ネズミ取りはどんな奴かと来てみれば、随分と大げさな人数だなァオイ?」


 その皮肉に嘲笑で答えたのは、妖艶なる殺し屋・絞削美裂。


「アハハハハ! ネズミ取り? ドブネズミ風情が、私たちの目的だと思ったの? 失礼しちゃうわね」

「補足しましょう。ネズミさんは、軽んじられてはおりますが、我らが主・マスターマインドの直参のひとりであったことは事実」

「理由は知らないけどね。ま、使いやすくて死んでもOKな人材だからかなって」

「しかし、そのネズミさんはあなたに奪われました。無論、主は手駒ひとつに拘る方ではありません。ただ一言、『席がひとつ空きましたね』とのみ申されたのです」


「席がひとつ空いた」と、権力者が部下に明言する意味。

 それはひとつしかない。

 すなわち、新たな人材の選出。


「私どもは協議の末、ネズミさんを捕らえ、主に献上することにしたのですよ。

裏切り者が有していたポストは、それに制裁を加えた者が引き継ぐ……わかりやすいでしょう?」

「あー。ネズ公のを狙って動いてンのか、お前ら」


 墓守は、笑った。

 無性に可笑しくてたまらない。


「そうでもありませんよ。獲物を捕らえること自体は容易いが、その飼い主は不死身と名高いマスターグレイヴ。いかに対処するかというのが、このゲームの勘所です」

「本当は先にこっそりネズミちゃんを捕まえてさ、この奥にいるウチらのリーダーに頭を“洗って”もらう予定だったんだけどさ。作戦、狂っちゃった」

「洗脳したネズ公を使って、俺の寝首を掻こうって腹積もりだったか? ハッ。お前ら、発想が天船のクソアマとよく似てるぜ」

「褒め言葉と受け取っておきましょう」

「まァいいさ。あいつが奥にいるってンなら、さっさと済ませようや」


 墓守は笑った。

 凄絶で、容赦のない、狩猟者の笑み。

 マスタークラスの凄味が、場の空気を圧する。

 歴戦のエージェントであるレイたちも、表情を切り替えた。

 ここから先は、殺し合いとなる。

 最初に動いたのは、沈黙を保っていた細身の男・ヴァイパーだった。


「レイ、美裂。おれから行く。クジの順番通りにな」


 ヴァイパーが、単身、墓守へと歩み寄って行く。武器は持っていない。丸腰だ。

 だが、世界的な暗殺者でもある彼は、これまで銃もナイフも爆弾も使用せず、各国政府やUGNの要人を幾人も葬り去ってきた。

 右手が毒蛇と化し、獲物を噛み殺す……それが、キュマイラ/ソラリス・シンドロームのオーヴァードたるヴァイパーの能力、〈スネーク・チャーマー〉。

 だから、彼は丸腰の時が一番危険だった。


「貴様の首を獲れば、マスタークラスの椅子が空く。おれにはそちらが重要だ」

「そうかい。せいぜい頑張りな」


 視線が交錯する。

 空間が熱を帯びる。

 じりじりと、ふたりの間合いが詰まり、そして―――


「噛み破れッ! 〈スネーク・チャーマー〉!!」

「〈エピタフ〉ッ!」


 ふたりの能力が激突する。

 先手を取ったのは、ヴァイパー。

 〈スネーク・チャーマー〉の毒牙は、確かに墓守の首筋を捉えていた。

 そして、勝利を確信した表情のまま……ヴァイパーは崩れ落ち、倒れ伏す。

 彼の胸板を〈エピタフ〉が刺し貫いていた。

 異様な生命力を背景に、防御を捨てて反撃を行なう―――墓守が最も得意とする、必殺の戦闘術であった。


「タイマンなンざ面倒だ。まとめて来いよ。遊ンでやる」


 無数の槍を周囲に展開しながら、墓守は手招きした。

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