第2話 街は成長する

 東京市ヶ谷から、私がこの街へ移り住んだ頃は、既に温泉旅館も2~3軒しか残っておらず、間もなく街道沿いのラジウム温泉東京園を残すのみとなった。


 街の名である綱島温泉と言うと、何となくダサイ街のイメージが付き纏うが、駅東側のバスターミナルを加えた地域は、西側商店街と共に、再開発の計画もあったらしいが、要地を占めた個々の商店等、再開発に伴う移転等を嫌い立ち消えとなって居る。

 駅周辺のごちゃごちゃは、活気こそみられるが、精々が日本蕎麦屋がラーメン屋に入れ替わってしまうとか、平成15年、青学の総合グランドと合宿所の移転で、運動部の学生を当てにした駅周辺のマージャン荘が何軒か消え、飲み屋も一時閑古鳥が鳴くと嘆いたが、グランド跡地に、数棟のマンションが建ち、グリーンサラウンドシテイーと銘打って、一つの集落を形作り、一挙に街の人口が増え、東横線沿線中、最多の乗降客を裁くことになった。

 半面、取り残されたような駅東側の地域は、相鉄線が横浜西谷駅から、JR貨物船に乗り入れて羽沢、新横浜を経由して日吉へ、その先は東京目黒へ、綱島は現駅に受け入れ不能で、街道を横断したラジウム温泉東京園の所に地下駅の工事が始まり、完全に温泉浴場は消えた。

 

 唯、鶴見川を渡った樽町に、新しい温泉浴場もオープンしているが、嘗ての温泉町は、ファッショナブルでは無いが、古墳もある公園や市民の森等、緑の多いベッドタウンに成長し、更に隣町に有ったナショナル松下通信綱島工場移転後の跡地に、米国アップル社の研究所が新築され、日吉側に有ったスーパーAPITAが移転して、新築工事が始まり、集合住宅の建設計画と、人口増に伴う教育機関・小中学校等の新設の予定もあり、街は月日と共に成長して行き、私にとっては実に住みよい街になって来た。


 新開発の港北ニュータウン等のファッション性は見当たらないが、山の手の下町感覚に地味な町と言うイメージであるが、今後相鉄線乗り入れで都心へも、市内の中心横浜へも30分前後で行ける。


 実に住みよい街で、二人の子供も、住まいの裏の綱島公園で遊び、夏はプールで水浴びし巣立っていった。

 母校青学の馬術部監督に就任し、グランドと馬場の有るこの街に移り、引退後は東京へまた戻るかと思いながら、街がどんどん成長して行き、私も此処に根を下ろし住み続ける気になってしまった。

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