(3)ちょっとした謎

「全く……。考え無しのロリコンのせいで。とんだ邪魔が入ったわ」

「おい、彼女達の行き先を知ってるのか? どこに行く気だ?」

 反射的に貴子に並んで歩き出した隆也に、彼女は盛大に噛み付いた。


「付いて来ないでよ、この変態!」

「行き先が分かっていれば、誰がお前なんかと一緒に歩くか! 大体何だその格好は。今から山登りでもする気か? 都会のど真ん中でそれは浮きまくる位、分からないのか?」

「その危険性は考えないでも無かったけど、黙っててもにじみ出てくる私の美貌と輝くオーラを覆い隠すのには、これ位の変装が必要だったのよ!」

 そんな事を真顔で言い切った貴子に、隆也は白い目を向けた。


「……それは寧ろ仮装だ。やはり頭が弱いらしいな」

「何ですって!?」

「それより、どうしてこっちに歩いてるのか、理由位、聞かせろ」

 歩きながらそう迫った隆也に、貴子は小さく舌打ちしたものの、自分の推論を口にした。


「簡単よ。さっきの喫茶店は落ち着いた雰囲気とケーキが有名だけど、より格式が高い本店が別にあるのよ。あくまでケーキが目的ならそちらに連れて行くだろうけど、今回は最寄り駅からの道沿いに有ったから、その店を選んでお茶した筈なの」

「それで?」

「尚且つ、駅から坂を下って来たから、坂を上って戻る事は有り得ない。加えて暫くはダラダラと続く下り坂に沿って、飲食店中心の店が軒を連ねている商店街だから、そこに立ち寄る可能性は少ないわ。どこに向かうにしろ、取り敢えず下の広い通りまで出る筈よ」

 一応筋は通っているらしい内容に、隆也は貴子に対する印象を少し改めた。


「それほど頭は弱く無いらしいな」

「素直に賞賛したらどうなの? あ、ほら。居たわよ?」

「なるほど。確かにな」

 早足で坂を下っている間に、反対側の歩道を歩いている話題の二人の姿を認めた隆也達は、速度を緩めて向こうに気付かれ無いように観察を続けた。そしてなし崩し的に二人並んで黙って歩き続けたが、幹線道路に達しても二人は何やら楽しそうに会話しながら歩き続け、隆也は思わず呆れ気味の声を出す。


「どこまで行く気だ? 二人とも健脚だな」

「祐司はずっと野球をやってたから、足腰はしっかりしているわよ? 小学生の頃は結構良い所まで行ったし」

 思わず弟自慢を繰り出した貴子に、隆也が苦笑いしながら応じる。


「綾乃ちゃんも男の子に混ざって、野球をやっていたぞ? 中高もソフトボール部に入っていた筈だし」

「へえ? 健康的で良いじゃない。私『汗臭くて、疲れる事なんか嫌ですぅ~』とか言われると、虫唾が走るのよね」

「今日初めて意見が一致したな」

「今日一番、不幸な事かもしれないけどね」

 そんな憎まれ口を叩きつつ、それなりに当初の険悪さが薄れて来た二人の目の前で、祐司達が目的地らしい建物の中に入って行ったが、その表示を見た貴子と隆也はあまりの意外性に揃って固まった。


「ちょっと待って。あそこ?」

「二人で入って行ったんだから、そうなんじゃないか?」

「でも……、デートでこういう所って、有りなの?」

「俺に聞くな」

 二人が戸惑って眺めた建物には、《目黒寄生虫博物館》の文字がしっかりと表示されており、少しだけ思考を止めた二人は、すぐにこれからの方針について議論した。


「さすがに入ったら、尾行しているのがバレそうよね」

「あまり広くは無さそうだしな。しかしお前の弟は何を考えているんだ? デート先にこういう場所を選ぶとは、底抜けの馬鹿じゃないのか?」

「誓って言うけど、これまで祐司がここの事を話題にした事は無いし、標本マニアとかでも無いわよ! ちょっと待ってて。確認してみるから」

 そして博物館入り口前で自分のスマホを取り出した貴子は、ハンズフリー機能を作動させてから、祐司の携帯を呼び出した。


「もしもし、祐司?」

「姉貴、どうした。デート中なのは分かってるよな?」

 不機嫌そうな弟の声に、貴子は如何にも申し訳無さそうに謝る。


「ごめん。あんた目黒駅で待ち合わせって言ってたでしょう? だけどあそこの近辺でのデートスポットって、どうしても思い浮かばなくて。気になって仕事に集中出来ないのよ。お願い、今どこに居るのか教えて?」

「なんだそれは……」

「お願い、祐司」

 現在位置を把握しているどころか、至近距離に居る事など知らせずに尋ねた貴子に、祐司は不承不承と言った感じで告げた。


「目黒の……、寄生虫博物館に来てる」

「あんたにしては珍しいチョイスね。どこで調べたの?」

「それは……、綾乃からここに来たいと言われたから……」

 それを聞いた貴子は、軽く目を見張って問いを重ねた。


「綾乃ちゃん? 虫全般が好きなの?」

「そうじゃなくて……。彼女の知り合いの榊さんって女性から勧められたらしい」

「榊?」

 思わず貴子が連れに顔を向けると、それを聞いた隆也が顔を強張らせる所だった。そしてスマホからは、祐司の説明が淀みなく聞こえてくる。


「彼女の話では、『生命の神秘と共存共栄を実感できる貴重な場所で、近年密かなブームを巻き起こしいてるデートスポットだから』と説明を受けたらしくて……」

「…………」

 祐司自身も困惑しているのが何となく分かる声音に、貴子と隆也は黙り込んだ。すると楽しそうな綾乃の声が聞こえてくる。


「祐司さん! ミュージアムショップでTシャツを選ぶのを手伝って貰えませんか? 私、標本のレプリカキーホルダーは即決して買っちゃいましたけど、Tシャツはグラデーションの物にするか蛍光の物にするか迷ってて。祐司さんの意見が聞きたいんです!」

「あ、ああ、今行くよ。それじゃあ、また」

「本当に凄いですね、ここ!」

 唐突に通話が終わり、貴子は通常設定に戻してから、何とも言えない表情で隆也を振り返った。


「……榊って女性、あんたの知り合い?」

「おそらく妹だ。外科医をしてる」

「ふぅぅ~ん?」

 嫌味っぽい貴子の呟きを受けて、隆也は額を押さえ本気で呻いた。

「全く……、眞紀子の奴、綾乃ちゃんに何を吹き込んでいるんだ……」

 そうこうしているうちに、二人は外に出て、再び歩き出した。


「なかなか楽しんでいたみたいね、彼女」

「そうらしいな」

 敢えて綾乃が手に提げている紙袋の中身に触れないまま尾行を続けると、二人はバス停からバスに乗り込み、貴子達はタクシーを拾って密かに後を追った。そして渋谷に着いた頃には昼時になっており、予め決めてあったらしい店に入った祐司達の後から、貴子達も入店する。

 今度の店は割と広く、低いながらもテーブル毎に仕切りも有り、コソコソと少し離れた席に座った彼らの存在は綾乃達にはばれなかった。しかし注文した品が運ばれて来てから、貴子が同席者に盛大に文句をつける。


「一言、言わせて貰って良い?」

「何だ」

「ランチタイムに入店して、仏頂面でコーヒーだけ頼むって、有り得ないと思うんだけど。店員の視線が痛いのよ。一応同席している、私の立場も考えてくれないかしら?」

 しかし隆也は溜め息を吐いて反論した。


「店員が痛い視線を送ってきているのは、お前が珍妙な格好をしてるからだ。責任転嫁をするな」

「何ですって?」

「大体、あそこを見た後で、パスタって有り得ないだろが」

 忌々しげに指摘した隆也だったが、貴子はフォークに巻き取ったイカスミスパゲティを食べてから、余裕の表情で祐司達のテーブルを指差した。


「あの二人、普通に食べているわよ? 確かに祐司はちょっと顔色が悪いけどね。だけどあんたは図体も態度もデカい癖に、思ったより肝が小さくて神経細いのね。これだから頭でっかちのキャリアってタチが悪いわ~」

「お前ががさつ過ぎるんだ!」

「あら、それならあなたの可愛い『綾乃ちゃん』もそうかしら?」

「…………」

 思わず文句を言った隆也だったが、貴子に切り返されて口を噤んだ。それを見た貴子は、しみじみと呟く。


「今日は本当に疲れたわね。変なのに纏わり付かれたし」

「それはこっちの台詞だ」

「私、食べ終わったら帰るから。彼女が身体も精神も意外に頑強だって事が分かったしね。あんたは気が済むまで勝手にストーキングしてれば?」

「俺も帰る。あの男がお前みたいな姉を持ったせいで、我慢強い苦労性になったらしい事は、良く分かったしな」

 テーブルを挟んで嫌味の応酬をしながら一時を過ごした二人は、食事を済ませた祐司達が店を出て行った直後に自分達も席を立ち、店の出入り口で左右に別れた。そして隆也は腹立たしい思いのまま歩きながら、妹の携帯番号を選択した。


「あら、兄さん。どうしたの? まだ綾乃ちゃんのデートの監視の真っ最中じゃないの?」

 不思議そうに応答した眞紀子に、隆也が忌々しそうに確認を入れる。

「眞紀子……。お前、綾乃ちゃんで遊ぶな。あの博物館もレストランも、お前が教えたんだよな?」

 その一言で兄の言いたい事を察した眞紀子は、我慢できずに盛大に噴き出した。


「あはははっ! ほ、本当に、あそこに行って、あの店に行ったんだ! それで食べたんだ! 高木さん、良く付き合ったわね~」

 妹がお腹を抱えて笑っている気配を電話越しに感じ取った隆也は、少しだけ祐司に同情した。


「綾乃ちゃんの提案を、断れなかったんだろう。それはそれで良いが、今後は余計な事を吹き込むなよ?」

 その兄の声に、本気の響きを聞き取った眞紀子は、何とか笑いを抑えて精一杯神妙に告げる。


「了解。兄さんを本気で怒らせたくは無いしね。自重します」

「当たり前だ。切るぞ」

 面白く無さそうに吐き捨てて通話を終わらせてから、隆也はふと先程までの同行者の事を思い出した。


「宇田川貴子とか言ったな……」

 そう呟いて何気なく携帯で検索をしてみると、忽ちヒットした項目が数多く並び、そのうちの一つに隆也は接続してみた。すると貴子が開設しているブログが表示され、そこに載せられている顔写真を確認する。


「これか……。確かに本人の様だが……」

 そこで更に隆也は、記憶にあった名前との整合性について考えた。

「しかし『宇田川』なんて珍しい名字だから、もしかしたら『彼』の親族か何かか?」

 そこまで考えて、隆也は自分の考えを打ち消す。


「しかしそれなら、あそこまで警官を毛嫌いする事は無いだろうしな。単なる偶然か」

 そう結論付けた隆也は台無しになった休日を少しでも回復すべく、憂さ晴らしできる場所に向かって、黙々と足を進めた。

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