ハリネズミのジレンマ

篠原 皐月

 第1章 傍若無人な二人

(1)蠢く保護者もどき達

 ある土曜日の夜。敏腕弁護士として業界内で名を馳せている榊亮輔の自宅では、彼の誕生日を祝う為に、珍しく家族全員が顔を揃えていた。


「お父さん、お誕生日おめでとう!」

 家を出て自活している外科医の眞紀子が、父親のワイングラスに自分のそれを軽く合わせながら、明るく祝いの言葉を述べると、亮輔は嬉しそうに相好を崩した。


「ありがとう。今年は眞紀子が帰って来てくれて嬉しいよ。去年の今の時期は、夜勤や出張が続いていたしな」

「本当にね。それに加えて、うちの放蕩息子はここに住んでいる筈なのに、月に半分戻ってくれば良い方だから、普段は夫婦二人暮らしみたいな物だもの」

 夫の言葉に相槌を打ちつつ、我関せずと言った風情で料理とワインを口に運んでいた息子に、香苗は皮肉っぽい視線を向けた。それを聞いた眞紀子が、さすがに非難めいた視線を兄に向ける。


「兄さん。いい年して、何をやってるの」

「捜査で色々忙しいんだ」

 警視庁勤務であれば、一応の理由になりそうな台詞も、眞紀子にかかれば笑い話のネタにしかならなかった。


「あぁら、何の捜査に邁進していらっしゃるやら。“事件の捜査”じゃなくて、“女の調査”じゃないの? 相変わらずね、この不良キャリア。そろそろ本気で身を固めたら? もう四十なんだから」

 自分の台詞を一刀両断した上、せせら笑ってきた妹に、隆也は溜め息を吐いてから反撃した。


「四捨五入すると、やっと四十になったばかりだ。お前こそ、少し前からストーカー張りの男にアプローチされていると母さんから聞いたが、そこの所はどうなんだ? 被害届を預かってやるぞ?」

 それを聞いた眞紀子は盛大に顔を引き攣らせ、次いで凄い勢いで母親に顔を向けた。


「ちょっと母さん! 兄さんに何を言ってるのよ!?」

「だって遠藤さん、いつも美味しい物を家に贈ってくださるんですもの。なかなか舌が肥えている方だって事は、分かったわ」

「……あの野郎。暫く大人しくしてると思ったら、搦め手から籠絡しようって魂胆だったのね?」

 にこやかに微笑みながら香苗が述べた内容に、眞紀子が歯軋りした。それを見た亮輔が笑いを堪えながら、息子に端的に補足説明する。


「星光文具の遠藤の息子だ」

 そう言われて、隆也は何度か面識がある、そのメーカーの社長を務めている、父の旧友の顔を思い浮かべた。


「ああ、あの遠藤さんの息子か。確か子供の頃、一度か二度会った覚えがあるな。やたら愛想が良かった様な……。でもその時お前、一緒に居たか?」

「これまで、会った事は無かったわよ。もう放っておいて頂戴、あいつとは全然関係ないんだから! それより星光文具で思い出したけど、綾乃ちゃんが最近付き合い出した、彼氏の事を知っている?」

 これ以上突っ込まれたく無かった為、眞紀子は半ば強引に話題を変えた。いつもならそれに乗る隆也では無かったが、話題になった人物の名前に、ピクリと反応する。


「綾乃ちゃんが春に星光文具に入社したのは知っているが、それは初耳だな。君島さんや篤志の奴が薦めた相手か?」

「違う違う。同じ会社の社員よ」

 昔から家族ぐるみの付き合いがあり、そこの一人娘である彼女を熟知している隆也としては、詳細を確認せずにはいられなかった。家族中から溺愛されている彼女の事、てっきり父親や兄が認めた相手と交際を始めたのかと思いきや、眞紀子があっさりと片手を振りながら否定してきた為、隆也は瞬時に渋面となる。


「……あの世慣れてない、綾乃ちゃんの相手として大丈夫なのか? 相手の男の身辺調査位は、ちゃんとしたんだろうな?」

 真剣そのものの隆也の口調に、眞紀子は本気で呆れかえった。


「兄さん……、私が初めて彼氏と付き合った時とも、それ以降の男の時とも、明らかに対応が違うんじゃない? 確か素っ気なく『相手が気の毒だから、身ぐるみ剥ぐなよ?』程度しか言わなかったと思うんだけど?」

 幾分腹を立てた様な物言いにも、隆也は堂々と言い返す。


「当たり前だ。綾乃ちゃんは幼稚園の頃『隆也お兄ちゃんのお嫁さんになりたいの』と可愛い事を言って、小学生の頃『お父さんとお兄ちゃん達以外にチョコをあげるのって初めてなの』と言いながら、真っ赤な顔で、俺にバレンタインのチョコをくれたんだぞ? 偶に広島やこっちで顔を合わせる度に、打算抜きで懐いてくれて心底癒されていたし。お前は間違っても、そんな可愛い過ぎる事はしなかっただろうが。あんな可愛い妹が欲しかったのに、お前ときたら……」

 そこで如何にも嘆かわしいと言わんばかりに、溜め息を吐いた兄に、眞紀子も顔を顰めた。


「言ってくれるじゃない。私だって裏表が激し過ぎる兄なんて御免だわ。……でも、そうか。やっぱり兄さんの見た目に騙されるなんて、綾乃ちゃん、色々と心配よね」

 そこでブツブツと何やら呟き始めた眞紀子に、隆也が苛立たしげに声をかけた。


「おい、話を戻すぞ。それで? 相手はどんな男だ。本当に変な奴に引っかかったわけでは無いだろうな?」

「大丈夫よ。あの君島のおじさまに喧嘩をふっかける位の度胸はあるし、初デートからいきなり二人きりだと綾乃ちゃんが緊張するからって、綾乃ちゃんに配慮して私とあいつ同伴で、ダブルデートをした位だもの」

 急に保護本能を刺激されたらしい兄の懸念を、笑って払拭したつもりの眞紀子だったが、それを聞いた隆也は僅かな時間考え込み、もの凄く疑わしそうに感想を述べた。


「それは……、単にそいつが考えなしの大馬鹿野郎なのか、或いは余程の甲斐性無しか、とんでもない腹黒で盛大に猫を被っているだけじゃないのか?」

 それを聞いた眞紀子は盛大に噴き出し、笑いを堪えながら提案した。


「疑い深いわね~。それなら一度、実物を見てみる?」

「何?」

「実は明日、初めて二人だけでデートに行くのよね。それに関して綾乃ちゃんに色々アドバイスを求められたから、待ち合わせの場所と時間も知ってるんだけどな~」

 そう言ってニヤニヤと笑いながら唆してきた妹に、隆也は思わず失笑した。


「明日なら予定は無いな……。良いだろう、乗せられてやる。さっさと教えろ」

「はいはい。尾行するのは、職業柄お手の物でしょうからね。好きなだけストーカーして頂戴、警視正様。だけど経歴に傷が付くから、捕まっちゃ駄目よ?」

「相変わらず可愛げの無い。だから一言も二言も余計なんだ、お前は」

 眞紀子の物言いに苦笑いしてからワインを一口飲んだ隆也は、自分に言い聞かせる様に家族に告げた。


「最近は現場に出る事も少なくなったから、初心に返ったつもりでやってみるさ。取り敢えず一度様子を見て、安心出来そうな男なら、以後は関わらない事にするしな」

「二人の為にも、是非そうして頂戴」

「あらあら、大変」

「こんなでかいオマケ付きでデートとは、綾乃ちゃんは夢にも思っていないだろうな」

 家族全員で顔を見合わせ、誰からともなく笑い出した榊家は、その日は夜が更けるまで、笑い声が絶えなかった。



 榊家とは対照的に、自宅マンションで独りきりで夕飯を済ませた貴子は、食器を片付け終えてからふと思い付いて、異父弟に電話をかけてみる事にした。待つ事十数秒で応答があり、明るく声をかける。


「祐司、今大丈夫?」

「ああ、姉貴。大丈夫だけど、どうかしたのか?」

「明日の日曜、またお惣菜の作り置きに行こうかと思ったんだけど、部屋に居るかしら?」

 軽い気持ちで尋ねた貴子だったが、予想に反して弟は申し訳無さそうに言葉を返してくる。


「悪い、明日はちょっと……」

 そこでピンとこない貴子では無く、笑って電話越しに宥めた。


「あら、デートとか? それなら別な日にするわよ?」

「ああ……、うん、そうしてくれるかな」

「気にしないの。だけどまた保護者もどき同伴でWデート? 恋愛初心者の彼女を持つと、本当に色々大変よね」

 話に聞いていた、紆余曲折を経て弟が最近漸く付き合い出した彼女との事を茶化す様に口にすると、電話の向こうから弁解がましい呟きが漏れた。


「いや、明日は二人で出掛けるから……」

「え? 本当? 二人で出掛けるのって初めてよね? 良かったじゃない! 一歩前進で!」

 途端に嬉々として食い付いた貴子に、祐司が不機嫌そうな声音で言い返す。


「姉貴……、笑ってるだろ?」

「だって、これが笑わずにいられますか! 可愛い彼女を目の前にして、おあずけ状態が随分続いてたんだもの! ……あ、姉として一言忠告しておくけど、がっついて早速ホテルに連れ込むんじゃないわよ?」

「そんな事、誰がするか!!」

 本気で怒鳴りつけてきた祐司に、貴子はとうとう我慢できずに盛大に噴き出した。そして何とか笑いを抑えながら、したり顔で言い聞かせる。


「まあ勿論、次回以降は大目に見るから。頑張りなさい」

「……余計なお世話だ。切るぞ?」

「そんな怒らないでよ。一応、弟の恋路を心配しているのに」

「一応かよ……」

 凄んできた祐司を宥めると、うんざりした声が返って来たが、ここで貴子は考えを巡らせた。


(ここまで祐司が手こずった相手の子に、ちょっと興味が有るけど……。真っ当に聞いても、答えないでしょうしね)

 これまでそつなく女性との『お付き合い』をこなしてきた弟が、勝手が違う相手に振り回されている話を聞くだけで、毎回笑えていた為、今回は是非とも実物を確認してみようと、貴子は密かに心に決めた。


「ねぇ、祐司。因みに明日は、彼女とどこで何時に待ち合わせ?」

「……何でそんな事を聞くんだ?」

 明らかに警戒モードに入った祐司に、貴子はスラスラと口からでまかせを並べ立てる。


「私、明日の夕方からは暇だからあんたの所に行こうかと思ってたんだけど、実は仕事で九時に池袋に出向くのよ。でも昼過ぎには終わるから、もし近くだったらお昼をご馳走してあげようかと思って」

 その申し出に、祐司は瞬時に反応した。


「いらないから! と言うか、そんな事されたらダブルデートよりよっぽどタチが悪いぞ! 第一、池袋近辺には行かないからな!」

「本当に? 実は近くをウロウロしてるんじゃないの?」

「本当だから。綾乃とは十時に目黒駅で待ち合わせだし」

(かかった……)

 疑い深そうに問い掛けた貴子に、祐司が焦り気味に待ち合わせ内容を口にする。それに貴子はニヤリと笑ったものの、口に出しては如何にも残念そうに告げた。


「何だ、そうだったの。この間、話に聞いていた綾乃ちゃんを、この機会に是非、見たかったんだけどな~」

「そのうち、きちんと紹介するから」

「約束よ? 破ったら承知しませんからね」

「分かった……」

(まあ、からかわれるのが嫌だって気持ちは分かるし、今回はこっそり覗くだけにしましょうか)

 そう思いながらも、貴子はしつこく尋ねた事に対して怪しまれない様に、一応弁解する言葉を並べた。


「だって、なんかあんた本気っぽいし。初顔合わせが結婚式とかってちょっとね。確かに一緒に暮らした事は無いし家族でもないから、仕方ないのかもしれないけど。これでも一応半分は、血が繋がった姉」

「ふざけるなよ? 確かにそうだがうちは全員、姉貴の事は家族だと思ってるぞ!」

 明るく笑いながら、茶化し気味に告げた台詞を、怒りを内包した声で遮られた貴子は、瞬時に口を閉ざし、落ち着いた口調になって素直に謝罪した。


「……気に障る事を言ってごめん。悪かったわ。彼女を紹介して貰えるのを、楽しみにしてるわね?」

「ああ」

 そこで多少気まずい沈黙が漂い、貴子が話を終わらせようとした時、唐突に祐司が話題を変えてきた。


「それはそうと……、姉貴の方はどうなんだ?」

「どうって、何が?」

「人の結婚云々の前に、順番から言えば姉貴の方が先だろう? 『相変わらず交友関係が派手みたいだけど、いつまでも良い話が聞けない』って、はっきり口には出さないけど、母さんが気にしているみたいだから……」

 多少言いにくそうに言葉を濁した祐司に、貴子も苦笑の標準を浮かべる。


「そう……。お母さんにも、変に心配をかけているみたいで、申し訳ないわね」

「また、そんな他人行儀な。それとも……、まさか姉貴の恋人とかに、宇田川さんがちょっかい出して、破談になっているとかじゃ無いだろうな?」

 険しい声で問い掛けてきた祐司だったが、それに貴子は冷え切った声で答えた。


「祐司。あいつに『さん』付けなんか要らないわ」

「いや、一応姉貴の父親だし……」

 困惑しながらも律儀にそう言ってきた異父弟に、貴子は思わず、母親の再婚相手の事を頭に思い浮かべながら微笑んだ。


「そういう人の良い所は、高木さん似よね? 言っておくけど、これは誉め言葉よ?」

「それ位、分かってるさ」

 祐司が溜め息を吐いた気配を感じ取ってから、貴子改めて自分の結婚観について話し出した。


「さっきの話だけど、別にあの人がどうこうしているわけじゃないのよ? 単に私を丸ごと理解できる、高スペックな男に巡り会わないだけだから。私、人生について、一切妥協はしない主義なの」

 そう断言した姉に対し、祐司が窘める様に応じる。


「そろそろ妥協した方が良いぞ? あっという間に四十路になるから」

「失礼ね。三十路に入ったばかりの女を捕まえて」

「あと何年かで、四捨五入すると四十になるだろ」

 つい正直に祐司が口にした瞬間、貴子はそれはそれは楽しそうな声で告げた。


「祐司君? お姉さん、な~んか無性に可愛い綾乃ちゃんの御尊顔を拝しに、職場に押し掛けたくなっちゃったわ~。そこで有る事無い事綾乃ちゃんに吹き込ん」

「すみません。二十代の小娘が足下にも及ばない位、まだまだイケてます。お姉様」

「分かれば良いのよ。それじゃあね」

 電話の向こうで、祐司が勢い良く頭を下げながら謝罪してきた気配を察し、貴子は笑いを堪えながらあっさりと通話を終わらせた。そして誰に言うともなく、苦笑交じりに呟く。


「ちょっと苛め過ぎたかしら?」

 そして受話器を戻して椅子から立ち上がり、いそいそと寝室へと向かった。


「さて、明日に向けて早速準備! ばっちりセレクトしないと、ぶち壊しですものね!」

 弟のデートを尾行するという、近年稀にみる楽しいイベントを成功させるべく、その夜貴子は怠りなく準備を済ませてから、気分良く眠りについた。

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