25

 ライブを翌日に控えた日、僕たちは地獄のような猛特訓をお休みにして川沿いの土手に集まった。西の空に陽は沈み、あたりはすっかりうす暗い宵闇に覆い隠されている。

「みんな集まったね」

 怜未が声を上げた。その声に応じて、そこに集まっためいめいがおもむろに頷く。僕とソラだ。ふたりしかいないのに「みんな」というのもおかしな話だが、怜未が大まじめに点呼をとっていたので突っ込まないことにする。

「ついに明日になりました。私たち三人がともに目指してきたものの、集大成を見せるときです。さて、ここで問題」

 怜未はそう言って僕たちに目配せをする。なんだ?

「明日はなんの日でしょう、赤穂くん?」

 彼女の目は僕に向けられている。なんのつもりだと訝しみながらも、いちおうちゃんと答えてみる。

「僕たちのライブの日?」

「正解」

 怜未がふむふむと頷く。よくわからないがどこか満足そうだ。「正解者には一〇ポイント!」とかなんとか言っているがはたしてなんのポイントなのだろう。『路地裏』のポイントだったらいらないなあ、と思ったがもちろん口には出さない。

「続いて第二問」

「まだ続くのかよ」

「明日のライブで私たちはなにをする? ……赤穂くん」

「また僕か!」

 怜未の視線はまだ僕の顔に向けられている。僕はやや億劫になりながらも、考えていることを口に出してみた。

「僕たちの……音楽をやります」

「……正解。一〇ポイント!」

 怜未はまた繰り返し満足そうに頷いた。まさか怜未、本気で僕がライブと愛撫をまちがえていると思ってたんじゃないだろうな。

「続いて第三問」

「おいおい……」

「最終問題です。この問題の正解者にはなんと一億ポイント進呈!」

「これまでが台無しだな!」

 思わず突っ込んでしまった。いや、その盛り上げ方はバラエティ番組では定石だけれども。

 怜未が口を開く。

「その音楽で、私たちはなにがしたいのでしょう……宇田越くん」

 名前を呼ばれたソラは身じろぎもせずに怜未を見つめている。わかっているんだろうか、と少しだけ不安になったが、でもその不安も一瞬にして消し飛んだ。ソラの顔は、いままで見てきたなかでいちばん輝いて見えたからだ。

「取り返すの」ソラが言った。「そして世界を変えるの」

 ソラの声が突き刺さる。そうだ、僕たちは明日、世界を変えるんだ。僕たち三人で、僕たち三人の音楽の力で、世界に思い出させてやるんだ。

「……大正解!」

 怜未が声を張って叫んだ。ほんとうに取るに足らないような短い回答だったけれど、僕たちにとっては満点以上の意味があるんだ。「大正解者には一兆ポイント!」いや増えてるし。僕の二十ポイントはなんだったんだよ。

 僕と怜未は視線を合わせて頷く。

「ソラ、がんばろうね」

「……」

 怜未の呼びかけには応えず、しかしソラはしっかりと彼女を見つめている。なにを考えているかわからないようないつもの無表情ではない。ソラはちゃんと、怜未の言った「がんばる」ということに対して彼女なりの決意と情熱をたぎらせているんだ。

「それじゃあ今日は、決意表明の意味も込めまして……大・花火大会と行きますか!」

 そう言った怜未のかばんから出てきたのは、色とりどりの花火。線香花火、スパーク花火などの手持ち花火や、打ち上げ花火なども入っているのが見える。

「そして本日は、すてきな特別ゲストをお呼びしています……どうぞ!」

 怜未がそう呼びかけると、どこからともなくうさんくさい二人組があらわれた。鳥巣と黒渕だ。「特別ゲスト」の「ゲス」ってこいつらゲス野郎のことか。

「倉城さん、宇田越さん、今日はお招きいただきありがとうございます。不肖鳥巣、微力ながらも精いっぱい花火大会を盛り上げます!」「同じく不肖黒渕、精いっぱい盛り上げます!」「きれいな花火を打ち上げます!」「倉城さんに負けないくらいきれいな花火を!」「宇田越さんに負けない花火を!」「むしろ俺が花火になります!」「俺が夜空を彩ります!」「俺に火をつけてください!」「倉城さんのために」「宇田越さんのために」「いや俺が」「いや俺が」こいつらうるせえから火を放っていいかな。でもそんなきたない花火見たくないな。無視しよう。

 おのおのが思い思いの花火を手に持ち、マッチで火をつけたことで、怜未の言う大・花火大会ははじまった。鳥巣が黒渕のケツの穴に花火をぶっ刺して怜未が火をつけようとする。黒渕は抵抗している様子を見せているが、その顔は気持ち悪く口角を緩ませている。やつはいま、なにかに目覚めようとしているのだ。ていうか、怜未ってあんなことするキャラだったっけ……と訝しんだが、しかし彼女の表情を見ているとそんな思いも立ち消えていった。きっとキャラとかじゃないんだろう。この空気がそうさせるんだ。夕暮れの土手に集まって、みんなで楽しいことして、笑い合って、この空気を精いっぱい楽しまずにはいられないんだ。

 目の前の光景はたいへん気味の悪い光景だが、それでも頬を緩めずにはいられない。こんな時間を過ごせることを、うれしく思わずにはいられない。

「馬鹿なやつらだなあ」

 そう僕はつぶやいた。気づくと、となりにソラが腰掛けていた。

「ソラ」

 彼女の表情を伺いながら名前を呼ぶ。僕の呼びかけには応えず、馬鹿やってる怜未たちのほうをじっと見つめている。

「いよいよだね」

 そう言ってみる。ソラの瞳に花火みたいな閃光がひらめいたような気がした。

「うまくいくといいね」

 どういう状況を「うまくいく」という言葉が指すのか、具体的にはわからなかった。「世界を変える」と言っておきながら、どういうふうに変わってほしいのか、自分でも思い描くことができなかった。物心がついたときから、世界中で音楽が禁止されていたんだ。「世界に音楽を思い出させる」なんて、ほうとうはどうやってやればいいのかわからない。明日ライブハウスでライブをやって、たくさんの人(たくさん人が来るかどうかはわからないけれど)の前で自分の想いをぶちまけたい、自分たちの音楽をたたきつけたい、「忘れんなよ」って全員の横っ面をギターでぶん殴りたい、ただそれだけだ。

「……どうなるの」

 ソラがつぶやいた。

「ん?」

「もし、うまくいかなかったら」

 ソラは僕のほうを向いて言った。「どうなるの」

 僕は言葉を失った。

 もし、うまくいかなかったら、どうなるの。

 僕の脳裏には、あの日見たライブの光景がまざまざとよみがえる。響き渡る警報音、警官の怒声、狂ったように逃げ惑う群衆、楽器を振り回して抵抗しあえなく捕らえられてしまうバンドメンバー……。

「どうなってしまうのか」。それは単純で明快で、溜息が出てしまうほど残酷だ。

 僕らの音楽が、僕らを取り返しのつかないところまで引きずり込んでしまうんだ。

 僕は自分に問いかけてみる。僕はほんとうにそれを望んでいるのか? ソラや怜未を危険な目に遭わせてまで、この世界を変えることを望んでいるのか?

「わからない」

 思わず言葉がこぼれた。そうだ、わからないんだ。ほんとうに世界を変えられるのか、わからない。たとえそれができたとしても、ほんとうに僕たちの望む世界になるか、わからないんだ。

「わからないんだ。これがほんとうに正しいのか。僕らのやろうとしていることが、ほんとうに正しいのかが」

 じゃあ、どうしてこんなことするんだ?

 僕は思った。ほんとうは、明日のライブに誰も来てほしくなんかないのかもしれない。誰からも注目されないで、誰にも糾弾されないで、世界の片隅でひっそりと音楽をやりたいのかもしれない。誰の声も聞こえない場所で、誰の心を震わせることもなく。

 そして僕は気づいた。

「怖いんだ。自分のしたことのせいで、なにもかも取り返しがつかなくなることが」

 これから僕らのやろうとしていることが、取り返しのつかないところまで僕らを引きずりこんでしまうのを。音楽で世界を変えるだなんて、そんなこと本当はしたくなかったのかもしれない。世界中に音楽を思い出してほしいだなんて思っていないのかもしれない。音楽で変わった世界だなんて、そんなものいらない。僕にはこの三人で充分なんだ。僕の音楽をとなりで静かに聴いていてくれる人がいれば満足なんだ。スタジオでただ音合わせをしていた日々に戻りたい。そして、ソラのとなりでただギターを弾いていた日々に戻りたい。

 川の流れる音と、怜未たちの騒ぎ声。河原の青臭い草のにおいと、鼻をつく火薬のにおい。

「……だいじょうぶ」

 ソラが言った。僕は驚いて彼女のほうを見た。大丈夫? まさかソラがそんなこと口にするとは思っていなかった、僕、そんなに悲壮な顔してたのかな。

「私は、たのしかった」

 ソラが言葉をつなぐ。

「レミと、えいとと、音楽をやれて、たのしかった」

「……そうか」

「えいとは」

 ソラが僕を見据える。「たのしくなかったの」

「そんなことないよ。楽しかった」

「……そう」

 ふとソラの目が伏せられた。

「よかった」

 河原の草をなでるように風が吹き渡った。

「えいとは、なんのために音楽をやるの」

 僕はどうしようもなく不安になった。どうしたんだろう。こんなときにこんなことをソラが訊いてくるなんて。僕が答えるより先に、彼女は言った。

「守るため?」

 僕ははっとした。

 守るため。

 三人で奏でる僕たちの音楽こそが、僕の守りたいもの、僕の守るべきもの。

「……どうしたんだよ?」

 問いかけに答えはない。彼女はただしずかにそこに佇んでいる。

 あのときのソラの姿と重ねた。両親に見捨てられた、音楽をきらいになるしかなかったと吐き出した、あの特別棟四階。ほの暗い深海をみずからの血でにじませるように、ぼとぼとと言葉を吐き出すソラの姿。いまのソラはなんだか、そのときの様子とおなじにおいを感じる。僕は焦っていた。

「だいじょうぶ」

 ソラが言った。

「だからなにが――」

「おーい、詠人、ソラ!」

 遠くから怜未たちの呼ぶ声がした。そちらを見ると、三人が僕とソラに手を振っている。

 僕が反応できないでいるうちに、ソラがすっと立ち上がって歩いていってしまった。

 大丈夫。

 ソラの後ろ姿を見ながら、僕は彼女の言葉を反芻した。

 なにが大丈夫なんだ。

 僕はなんだか、ほんとうにどうしようもないところまで来てしまった気がして、あわててソラの後を追った。

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