11
三人で鍵を職員室に返却しに行くと、音無先生がむすっとした顔で自席に座っているのが見えた。眉間にしわを寄せ、なんだかちょっと不機嫌そうだ。僕らは彼女になるべく関わらないよう、抜き足差し足忍び足、こっそりと隅を通って管理箱へ向かった。
「おい、おまえら」
さっそく見つかった。僕みたいな凡人の考えなんて、彼女の炯眼にかかればすべてお見通しのようだ。
「なにしてたんだ」
とぼとぼと先生のもとへ歩み寄る僕ら三人を順に見据え、先生は開口一番僕を糾弾してくる。
「部活ですけど」
「宇田越と倉城は部活がちがうだろう」たしかにそうだ。そう言えばこのひと、僕の部活の顧問だったっけ。
「まさか赤穂、連れ込んでんじゃないだろうな」
「そんなわけないでしょ」
「どうだろうなあ」
「僕はなにもしてませんよ」僕はやや必死になって抗弁する。
「ほら、怜未もなんか言ってやって」
「………」
おおっと、なんとここでだんまりを決め込む怜未! その口許は「詠人を売るためなら辛い尋問にだって耐えてみせる」という強い決意に固く引き結ばれている! なんでだ! ふつう逆だろ!
「ほらっ、ソラもなんか言ってやってっ」
「詠人に洗脳されたわ」その話はもうやめろ! 君に振った僕が馬鹿だったよ!
先生は僕に汚いものでも見るような目を寄越しただけで、今度はソラをその歯牙にかけようとする。
「宇田越、おまえ部活は? なんか入ってんの?」
「………」
「いかんなあ。うちの学校じゃあ帰宅部はいろいろと不都合だぞ」
文武両道を尊ぶ我が学校では、全員がなんらかの部活に入部することを強制されている。進級するほどその規制は緩くなるらしいのだが、一年生のうちはやはりどこかに入部しないと居心地が悪い。もちろん、帰宅部などという部活は認可されていない。
それはソラとて例外ではない。
「不都合ってなにがですか」
気慰みに僕は先生に訊ねてみる。
「担任でありながら一ヶ月この件を放置していた私の処遇とかな」
「どうでもいい……五十年後のインドの天気くらいどうでもいい……」
先生は眉間のしわをいっそう深くして低い声で唸った。
「失礼な生徒だな。赤穂、おまえだって女子ふたりを密室に連れ込んだ稀代の変態として職員会議にかけられることになるぞ」
「やめてください連れ込んだりしてないですから!」
「よかったな。これでお前の将来は暗澹だ」
「安泰」のひらがな一文字変えるだけで生徒の将来潰せるあんたすごいよ。
「どうだ宇田越、証人として職員会議に出席させてやってもいいぞ」
「………」
「赤穂がおまえのこと襲うとか食うとか言ってなかったか?」
「……おいしそうって言ってた」
それはラム肉の話だし言ったのは怜未だし食われるのはそもそも子羊の僕だよ!
「ほかになにかさせられたか?」
「呼吸の練習した」
ソラはそう言って、練習したという呼吸を披露する。「ひい、ひい、ふう」「おまえらもうそこまで行ったのか!」「なんてことしてるの詠人っ!」ラマーズ法はもういいしそこまでもなにもしてないし怜未はその場にいただろ! なんで一緒になって焦ってるんだよ!
先生はいらいらした様子で、ジャケットのポケットから煙草を取り出した。
「まあ、おまえらがよろしくやってるのはいいとして」いいのかよ。いやまあ、実際はなにもしてないんだからいいんだけど、でもいいのかよ。「宇田越は部活どうするんだ? このまま見過ごすわけにはいかない。生徒会執行部の倉城もいることだしな」
話を振られて、怜未はばつが悪そうに小さく身じろぎをする。たしかに、執行部に所属している彼女の立場からすれば、ソラの帰宅部は看過できない問題だろう。
「今この場で部活を決めれば、そのまま受理してやろう。あろうことか私は、明日からクソ面倒くさい研修出張に行かなければならない。クソ面倒な問題は早く片付けて、出張先では思いっきり遊びたいんだ」
そのまま戻ってこなくていいよ。
「……赤穂、今なにか先生に向かってたいへん失礼なことを思わなかったか?」
「めっそうもございません」
「とにかく今決めろ。今までどこにも入ってなかったんだから、どこに入部しても同じだろ。今さら入部先に迷うことなんてあるまい。適当に書け」
そう言って先生は、机の引き出しからまっさらな入部届を引っ張り出し、ソラに押し付けた。彼女はそれをぽかんとした表情で受け取る。
「む。私としたことが、ペンを渡していなかったな。すまんすまん」
今度は机上のペン立てから極太の油性ペンを数本引き抜く。「さあ、極太ペンで極太に書くんだ。いろんな色を使ってもいいぞ。夢は極太! 希望は極彩!」あんたさっき適当に書けっつったろ。
ソラはやや逡巡するそぶりを見せたあと、多彩な色のペンの中から空色のペンを手に取った。「きゅぽっ」とキャップを引き抜き、入部届を机の上に置いて記入欄に書きはじめる。
しばらくそれを見つめていたが、彼女の字はこぢんまりと小さく、極太のペンで潰れてしまってうまく読めない。じいっと目を凝らしてよくよく見てみると、いちばん最初の文字が「文」であることがわかった。頑張れば解読できそうだ。順々に文字を解読していく。「文」、「化」、「研」、「究」、そして最後に「部」。
「ソラ……」
「おいおい、本気かよ」
怜未と音無先生が、ソラに驚きの表情を向ける。僕も開いた口がふさがらない。
文化研究部。
僕の部活だ。
「………」
ソラは無言で、記入した入部届を音無先生に突き付けた。先生はしばらくそれを睨みつけていたが、やがて観念したようにひったくった。「めんどくせえことになったなあ……」とぼそぼそ文句を垂れながら、認証欄に印鑑を押す。これで彼女の入部は受理された。名実ともに、ソラは僕の部活の部員だ。
怜未はどこか複雑そうな表情でことの成行きを見守っている。ソラは相変わらず、端正な顔になんの感情も浮かべてはいない。
「あ」
ふと音無先生が阿呆みたいな声を漏らした。
「どうしたんですか。阿呆みたいな声出して」
「裏うつりしちゃった」
そりゃそうだ。ぺらぺらな紙に極太油性ペンで書いたら、裏にインクが染みてしまうのは当然だろう。なにか敷かないと、下のものに色がうつってしまう。
「なかなか消えないですよ」
「案ずるな赤穂。裏うつりしたのはおまえの試験の答案用紙にだ」
「ふざけんなよ!」
先生はソラが書いていた場所に置いてあった、裏返しの紙をめくって、表面を僕たちに見せてきた。その紙には「赤穂詠人」という鉛筆書きの名前と解答、そして僕の暗澹たる将来を暗示する赤い数字が書かれていた。怜未は憐れむような視線を寄越し、ソラは表情は変えないまでも冷やかな目線を向けている。
「案ずるな赤穂! 小テストの点数がどんなにひどいものであっても、若いおまえらにはまだまだ未来がある。振り向くなよ、君は美しい!」
先生はソラに渡した油性ペンの中から赤色の極太油性ペンを引き抜き、細いサインペンで書かれただけだった点数の筆跡をなぞった。
「夢は極太! 希望は極彩!」
「やかましいわ!」
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