スイーツをあなたに

尾岡れき@猫部

1


 コポコポとお茶を流麗に淹れていく女性の姿を尻目に、リタは唖然とするしかなかった。


 薬師の一族から破門を受けた。薬草を探せないのは薬師としての才が無いに等しい。生まれた家が仕事を決める。それ意外で生きていくことは難しい社会であることを自覚している。


 つまり仕事も生活も、人間であることを棄却されたと言ってもいい。いわば、リタは価値なしの烙印を押され、売られたのだ。


 しかも死の武器商人と言われる、黒のエリオールに。リタが住む帝国と、敵対する公国との10年戦争に終止符を打ったのが、エリオールが手配した最新鋭の武具の数々と糧食。そして私設傭兵団。どのように手配したのか不明ながら、戦況を大きく変えた。聞く所によれば、帝国軍部に直接エリオールは指示を出した、との話も聞く。


 本来ならば英雄譚として持て囃されそうだが、黒のエリオールの話を帝国軍部は良い顔をしない。軍の面目を丸潰れにされた、と言うのがもっぱらの噂だ。


 とん、とお茶のカップを置く。そしてテーブルに所狭しと置かれる、何らかの食べ物。それをリタはまるで見たこともなかった。


 一つは、三角の形をした真っ白い何か。それは柔らかく、まるで初冬の初雪を思わせる。


 一つは丸い器に光る黒い何か。黒いが半透明で透き通っている。まるで水を閉じ込めたような、不思議な錯覚を覚える。


 一つは、一口大のパンとも言えるし、パンにしては固い何か。

 すべてリタにとっては、何かとしか言い様がない。


「どうぞ、お召し上がれ」


 流暢に彼女は手を差し伸べる。食べ物……で間違いはないらしい。リタはゴクリと唾を飲み込んだ。薬師の集落から帝都までやく半日かかって、とうに陽は落ちかけている。何も食べるものも持たず来たのだ、お腹が素直に空腹を訴え、慌ててお腹を抑える。

 女性はクスリと笑んだ。


「食べてから話しましょう。毒は入ってないし、れっきとした食べ物よ。ただスイーツだからお腹を満たしても、食べ過ぎは胃がもたれるかもしれないけどね」


 そう小さく笑む。


 リタはフォークを手に取り、白い何かを切り分けて、口に運ぶ。

 目を丸くする。


 それはあっという間に、口の中で溶けて消えた。雪のような何かは幸せになるほど甘い。こんなモノは今まで食べたことがなかったが、さらに生地になっていたパンが今まで食べた何より柔らかく、しっとりとしていて甘いが食べやすい。


 これは魔法なんだろうか、と思う。


 魔女の魔法――この世にこんな食べ物があっただなんて、と思うと言葉にならない。皇帝や貴族が食べる一級品に違いないと思うと、フォークの動きが止まる。


 最後の晩餐、そんな言葉が頭をよぎった。


 自分の人生はこれで終わるのかもしれない。目の前の女性はにこやかに笑んでいるが、これから奴隷として落ちる自分への、最後の餞なのかと思うと、背筋が凍る。


 覚悟はしてきた――。

 家に必要なくなった人間は売られる。奴隷か、娼婦か、労役か。魔術師の実験体という話も聞く。どれにせよ、もうそれは「ヒト」ではなく「モノ」であり権利も自由も奪われる。


「そんなに緊張しないで、とって食うわけじゃないから」


 彼女自身もリタと同じ何かを食す。


「ショートケーキはやっぱり美味しい。あなたがコレを真っ先に選んでくれて良かった。私も好きよ、これでイチゴを見つけることができたら言うことなしなのにね」


「え?」


「こっちのはね水羊羹っていうの。小豆――こっちはで血豆か。あれが原材料なのよね」


 へ? とリタは顔を彼女に向ける。血豆と言えば硬くて食えたものじゃない。それがこんな綺麗なモノになるのか? どうせ今日で「ヒト」として生きるのが最後なら、と。彼女が言うミズヨウカンなるものを食べてみる。


 それも口に入れた瞬間に、すっと消えた。甘さが先程のショートケーキとはまるで違う。優しい甘さと言えばいいのか、先程の口に残る甘さとは違う。口の中が爽やかですらあった。


「さて、ちょっと緊張がほぐれたかな? 早速本題にいかせてもらいたいんだけど、あなたを雇用したいのよね」


「こよう?」


 それはつまり雇うということか? 何の能力もない私が? 耳を疑う。そもそも彼女はナニモノなのだろうか。


「あなた、噛むと甘い草を見つけたんでしょ?」

「え?」


 薬師の素質がない代わりに、山菜を摘むのが好きだった。南の大湿地帯で見つけたあの草は、本当に甘かった。質素な生活を営む薬師にとっては、それは何ら役に立たない。


「それが私が欲しいいんだ。場所はわかる?」


 リタはコクリと頷く。と、彼女はさらに大興奮を示した。


「よし行くよ! 今いくよ!」


「え? へ? え?」


 この人は南の大湿地帯の場所を理解しているんだろうか。帝都から薬師の集落まで半日、そこからさらに半日かかるというのに。


 と、ため息が聞こえてきた。

 いつのまにか、彼女の隣に、緑のフードを被った金色の目をした男性が座っていた。思わず、リタは腰が引ける。今日は驚くことが多すぎて、心臓がいくつあっても足りない気分だ。魔法による空間転移を始めてみた。魔法発動の余波で、周囲の空間がゆがんでいる。


「ま、魔術師さ、様……?」


「いきなり入ってくるなんて、エチケット違反じゃない、ゼル?」


「緊急事態だから。エリは時々考え無さすぎるぞ」


「私の国の言葉に思い立ったが吉日ってあるの」


「それは何回か聞いたが、エリの場合は欲求に身を任せてるとしか思えない。エリは俺を本当に相談役だと思ってるのか?」


「うん。頼りにしてるよ、特に面倒なこと担当で」


「で、エリはスイーツの材料探しと?」


 フードを被った彼に怒気が滲む。


「それは私の生き甲斐だからねぇ」


「ねぇ、じゃない! 段取りをしてから行け! 誰の仕事が増えると思ってるんだ! 帝国軍部から武具の増資依頼、貴族連中との接待、ドワーフどもとの継続交渉、そのどれもエリがいないと話にならないだろ?」


「軍部への増資は撤退の方向にいきたいんだけどねぇ」


「は?」


「10年戦争に勝ったら、次は侵略戦争にいきたいでしょ、帝国さんは。でも私、戦争キライだし」


「商機だと思うが?」


「人を殺すお金は必要最低限でいい。謀略の中心にいたら謀略で殺されるよ? 10年戦争限りの契約だと、物資に関しては言ってるし、ドワーフ達も血を嫌うしね。あくまで君を助ける手段でしかなかったし」


「じゃぁなんで、ドワーフと交渉を――」


「次の経営戦略に決まってるでしょ。稀代の大魔術師ゼルディエスさんも、そういう所は鈍いね」


「昔の名前はどうでもいい! 今の俺は組合ユニオンのゼルだ! そんなことより、次のって――」


「この子がもって来てくれた話に決まってるでしょ?」


 にっこり笑って言う。最早、言葉も出ないままリタはそのやりとりを見つめていた。

 大魔術師ゼルディエス、法国が誇る金眼のエルフにして魔術兵師長。10年戦争において、法国は公国の同盟国であったが、数に物を言わせた人海戦術により帝国の捕虜になったと聞く。


 ということは?

 目の前の黒髪の女性を見やる。

 と――。


 空気を震わす振動。脳に響くような声がさらにリタを襲ってきた。もうリタの理性は崩壊寸前だった。


『エリオール、待たせたな。いつもの”ばたーけーき”なら大湿地帯まで連れていくこともやぶさかではない』


「バターケーキ在庫ないけど、ショートケーキじゃダメ?」


 不服げに声の主は唸った。


「だよねぇ、今から作るからちょっとまって。今回のものが手に入ったら、もう少し作りやすくなるんだけどねぇ」


「エリ! お前はまた帝都に龍を召喚して――」


『その話、偽りなしか?』


「ん?」


 エリは首をかしげる。


『もっと作ってくれる、という話だ』


「そりゃ砂糖があれば作りやすくなるよねぇ。今はドワーフが製糖したモノしか流通してないから、上流貴族階級しか手に入らないしね」


「砂糖――金砂のことか! お前、金砂を見つけたのか!」


 とゼルが顔を向けた時、リタは窓から覗く青龍の姿を見て、失神していたのだった。


「あらら」

「あららじゃない!」


 ゼルはため息をつく。リタの反応こそが普通なのだ。たかだか人間の商売人が種族を超えて、国境を超える。そんなことを成し得た話は聞いたことがない。――否、それを成し得たのが黒のエリエール。彼女なのだから、退屈しないことは事実だ。エルフは退屈を嫌うのだ。

 そんなエリのやり方に感覚が麻痺してきたのは事実だ。


「まぁ、いい」


 フードを下ろす。肩まである金髪が小さく揺れた。その長い耳はまさにエルフの象徴を示す。彼は仕事モードである事を諦めたらしい。


「仕事がつまる。さっさと行くか」


「ゼルも行くの?」


 呆れた目でエリを見やる。


「黒のエリオール、お前がいなかったら何も進まないし貴族連中も軍部も納得しないだろう。なら交渉する意味もない」


「女性にお愛想してくれるだけで営業しやすいんだけどなぁ」


「厚化粧をしたゴブリンどもにか?」


「あら? 財布の紐を解くには女性からよ?」


 ゼルは小さく息をついた。無計画のように思えて、エリの戦略はことごとく顧客の心を掴んでいく。ドワーフの武具を搬入した際もそうだった。そうでなければ帝国が法国の魔術に拮抗することも難しかたっと思う。


『そのショートケーキは食わせてもらえるな?』


 古よりの原生種、青龍とは思えない台詞に――エリは満面の笑顔で「勿論」と頷いたのだった。

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