第9話 カルーサスの使者

 扉が控え目に叩かれて、メイドが銀器を載せたワゴンを押して入ってきた。今日の当番は栗色の髪をした年長のメイドらしい。

 ちらと食器やティーポットに危険探知マーカが無いか見てから、トリアンは本へ視線を戻した。

 滞在を始めて3日目である。

 行商人の旅日誌風の読み物は全巻読破し、今はメイドに頼んでいた歴史書を読んでいた。何しろトリアン自身、ここが何という国で、何という土地で、近隣にどんな国があるのか、ぼんやりとしか把握できていない。婿入りするはずだった"獣の国"にしても、穢らわしいという理由でカルーサスの屋敷には資料が何も無かった。

 本という物がほとんど流通していない世の中なのだろう。

 貴族向けに書かれた書物がほとんどで、戦記にしても興国記にしても、その土地土地の大貴族に媚びた内容なのは仕方が無い。それでも、何冊か読めば、おおよその国の成り立ちは掴める。


(カルーサス・・・カルーサスか)


 カルーサス家は興国記にも、どの史書にも、ほぼ英雄扱いで登場していた。ヴォルラント皇国の祖に血筋のつながる貴族の中の貴族・・・。

 戦乱のあるときには、皇国の剣となり楯となって、ありとあらゆる侵略者を討伐し、また侵攻して蛮族を殲滅する。カルーサス家の歴史に敗北は無い。


(・・・まあ、嘘だよな)


 いくらなんでも盛り過ぎである。負けたことの無い軍隊など無いだろう。まあ、最終的に勝者の立場で居るかどうかという事なら、剣や弓だけでなく政治の力も必要だ。


(そっちも得意そうだったか・・)


 当主の容貌を思い出しながら、トリアンは次の本を手に取った。


「ここに置きます」


 メイドが湯気の立つカップと茶菓子を卓上に置いた。


「ああ」


「午後に、仕立ての者が参ります。採寸のお時間を頂けますでしょうか?」


「分かった」


 トリアンは、眼で文字を追いながら返事をした。

 メイド達とはほぼ会話が無い。

 する気も無い。

 メイド達も話し掛けようとはしない。

 ただ必要最小限のやり取りを交わすだけで用が足りた。


(これは・・違う国の史書だな)


 大陸の中央部を引き裂くように連なる大山脈地帯の北側にある国の話だった。海辺の国のようだから、トリアンが婿入りする予定だった獣の国とは位置関係がズレるが、のっけから海の妖精やら海獣など登場して面白そうだ。

 メイドが一礼をして退出しようとした時、トリアンは不快げに眉をしかめて顔をあげた。その視線を窓の外へ向ける。


「どうか、なさいましたか?」


 気づいたメイドが声を掛けてきた。


「・・出かける」


 トリアンは本を閉じて立ち上がった。


「畏まりました」


 多くを問わず、メイドが扉を開けて控えた。

 トリアンは厳しい表情のまま足早に廊下へ出ると、受付の前を抜けて扇状の階段を降りた。

 玄関脇に控えていた武装した青年が扉を開いた。

 何も言わず、外へ出る。

 後ろを付いて出た青年が、そのまま正面にある黒い金属扉へ歩き寄って閂を外して押し開けてくれた。


(どこだ?)


 トリアンは視線を周囲へ配りながら山路に通じる方へと歩いて行った。


 ピン・・ピン・・ピン・・ピン・・・


 耳の中で警告音が鳴っていた。

 まだ小さい。音の間隔もゆったりしている。

 トリアンは飛行船の発着場を見た。

 次の便は7日後である。しばらくは、閑散として人影は見当たらない。

 山路を下りながら斜面に茂る木々の中を見回し、ふと思いついて発着場の横道から続く細い山道へと向かった。

 こちら側の斜面を見るのは初めてだった。

 細道が斜面を蛇行して下った先に階段が刻んであって、墓石らしい物が点在して見えた。


(あれは・・・自警団?)


 男達が墓地の外れで穴を掘っていた。

 トリアンは男達と離れた場所に幾つもの袋が並べられているのを見た。

 墓地である。


(・・遺体・・埋葬か)


 あの中にジーナとランの遺体が混じっているのだろう。

 トリアンは静かにしゃがんだ。

 まだ細道へは入っていない。発着場の影が落ちている場所である。


(・・あいつらか)


 墓地を見下ろせる山の稜線に黒覆面達が居た。周囲の石に同化するような色の外套を被ってじっと蹲っているが間違いない。


(3人・・・いや、あと1人)


 真っ黒な外套姿の者が杖を手に立っていた。

 トリアンは、短刀の鞘を払った。黒覆面達まで300メートルほどだ。いずれも、崖下の墓地に意識を向けていて周囲への警戒は薄い。

 トリアンは、影に身を入れるようにして迂回しながら背後へと回り込むと、見事に音を立てず気配を断ったまま近づいていった。

 

 背後から忍び寄って口を塞ぎながら一刀で背から心臓を貫き、黒い外套姿の男を地面に抱くように転がした。1人が斃れた事に、まだ他の3人が気づかない。

 瞬く間に背後から3人の頚椎を斬り割った。短刀の切れ味もさることながら、トリアン自身の技量、膂力もあるのだろう。3人とも一刀で首が落ちていた。

 他に危険探知マーカの点灯は無い。

 警告音も途絶えていた。

 下の墓地からは見えないように身を低くしつつ、転がっている黒覆面の男達を一人一人調べて行った。

 刃物類の他は、


(・・ろくな物を持ってないな)


 小銭があったが、そのままにしておいた。


(ふん・・)


 右の耳裏に、引っ掻き傷のような三筋の刺青があった。他の男達を確かめると、全員の耳に同じような刺青がある。

 おそらく、墓地で埋葬されている暗殺者達の耳にも刺青あるのだろう。

 何という組織か知らないが、一つの手掛かりになる。

 一人異装の黒い外套の男は、耳に五筋の刺青が入っていた。杖を持っていたから、魔法使いだろうか。念のため、首を切り落としてから持ち物を調べてみる。

 小さなウェストバッグのような物に、試験管くらいの細さの瓶が5本収まっていた。抜き出して見てみるが、危険探知マーカは灯らない。毒では無さそうだが、見た目は濃い紫色をして気味が悪い。


(魔法に関係する物か?)


 薬瓶を元に戻して、他に何か無いか探す。


(・・これは?)


 邪魔になりそうな大きさの革袋が黒衣の袖に入れてあった。中身は睡蓮の花のような物を表紙に描いた一冊の本だった。


(魔導書?魔法の本かな?)


 トリアンは表紙を開こうとしたが開かない。かなり力を入れてみたがどうにもならなかった。そういう魔法が掛かっているのだろうか。

 トリアンは足元の死骸を見下ろした。

 術者が死んでも効果が切れない魔法があるのだろうか。

 捨てようかとも考えたが、ふと脳裏に、召喚武器を決めた時のやり取りが思い出された。


(血を・・)


 短刀で親指の腹を切り、本の表紙に押し付けてみた。


(・・まあ、何にも起きないか)


 トリアンは本を放り捨てようとした。

 その時、


 ---- 所有条件を満たしました。開封を開始します。 ----


 頭のなかに、無機質な声が響いた。


(なに・・?)


 思わず首を竦めたトリアンの手元で、本が淡い光に包まれて宙へ浮かび上がった。


 ---- 八葉の精と契約します。魔力の譲渡を開始します。 ----


(魔力・・八葉の精というのは何だ?妖精・・精霊なのか?)


 戸惑いながらも黙って見守っていると、体の中から大量の魔力が失われてゆく感覚があった。また倒れるのかと身構えていると、どうやら、赤字寸前でわずかに残ったらしい。疲れた感じはするが、倒れるほどでは無い。


 ---- 開花します。 ----


 短い宣言が聴こえ、淡い光の中で本が形を変えて、真っ白な色をした花へと変化していった。花びら一枚がトリアンと同じくらいの大きさをした美しい睡蓮の花である。


(・・女?いや・・)


 睡蓮の花の中に蹲っていた女がゆっくりと立ち上がった。すらりと細身の華奢な肢体が透けていて、向こう側の花びらが見えている。霊体のような、ぼんやりと透けて見える姿をしていた。真っ白い髪に白い肌、黄金の瞳。裾の長い純白の長衣を着ていた。

 歳は20前後だろうか。


『貴方が主様か』


 穏やかな女の声が頭の中に聴こえてくる。


「おまえは?」


『八葉の精が一人です』


「精霊か?」


『今の世で、どう称されるものか・・永く眠っていたため分かりませぬ』


「ふむ・・おれを主と呼んだか?」


『はい』


「魔法の本がおれの魔力を喰って、花が開いたように見えたが?」


『魔法の本というのは分かりませんが、成長のための養分として頂きました。大変に美味でございました』


 女が、うっとりとした顔で答えた。


「それで、おまえは・・どうする・・いや、これから何をするつもりだ?」


『主様に宿らせて頂きましたゆえ、主様をお護りすることになりますが・・・』


 女が言葉を切って自分の手を見つめた。


『まだまだ何かを成せるほどの力はございませぬ。お時間を頂いて少しずつ養分を頂きながら成長させて頂きます』


「・・・目立ち過ぎて迷惑だ」


『あら・・大丈夫でございますよ。この身は主様にしかお見せ致しませぬ』


「おれは、持って回った言い回しや、思わせぶりな言葉遊びは嫌いだ。今、率直に訊いておく」


 トリアンは女を見据えた。


「おまえは、おれの命令に従うか?」


『主様の尊き血によって契印が成されました。わたしは主様の永遠の従者でございます』


「・・・名は?」


『主様より頂戴致したく存じます』


「おれが・・そうか」


 トリアンはちらと女の立っている睡蓮の花を見た。


「では、スイレンと呼ぼう」


『スイレンでございますね』


 口に出して呟いた女の体が淡い銀光に包まれた。着ている白い長衣に、銀色の飾り模様が加わった。


『これより、スイレンは主様の生涯の下僕としてお仕え申し上げることをお誓い致します』


 そう言いながら、女が片膝を着き、両手を胸元で交差させるようにして睡蓮の花の中で深々と低頭した。


「よし・・ならば、訊きたい。おれをどう護る?」


 トリアンは訊ねた。この八葉の精とやらが、いったい何が出来るのか分からないのだ。


『夢と幻にて、お護り致しまする』


「夢・・幻?」


『今の非力な身では、さほどの事も出来ませぬが・・ほんの数瞬の短い間ですが、主様の幻体を生み出すくらいの事はできます』


「・・なるほど、目眩ましになるか」


 トリアンはふむと小さく頷いた。

 敵に幻を見せたり、トリアンの分身を生み出したりという事が可能らしい。直接的に護るというより、敵に誤認させることで攻撃を逸らすという事だろう。


(まあ・・使えるか)


 戦い方の幅は広がる。


「しかし、なぜ・・本に?そいつの・・所持品だったんだが?」


 トリアンは死骸を顎先で指し示した。


『分かりませんわ。一度も目覚めた記憶がありませんもの・・・もちろん、契印に至ったのも、このたびが初めてのことです。どうして本の形で封じられていたのでしょうか?』


「おまえに分からないで、おれに分かる訳が無い。おまえから見て、そこの・・死んだ術者はどの程度だ?」


『・・魔力の量はそこそこなのでしょうが、魔力の濁りが酷すぎます』


「ふうん?」


『主様・・』


「なんだ?」


『お体の数理を読み取らせて頂いても宜しゅう御座いますか?』


「数理・・?身体の情報か?」


『今の世で、どう呼称されおるのか分かりませぬが・・』


「構わぬ。好きに見れば良い」


『感謝致します』


「それで、おまえはどうやってついてくるつもりだ?まさか、花に乗ったままではあるまい?」


『主様に棲まわせて頂きます』


「棲む?」


『はい。このように・・』


 艶然とした微笑みと共に、女の姿が薄れて消えて行き、トリアンの体の中に何かが染み込んで来たようだった。


「・・なるほどな」


 トリアンは体の具合を確かめながら呟いた。

 違和感は無い。

 棲むと聴いて嫌な感じがしたが、どうやら問題無さそうだった。


「スイレン、この男の持ち物で、おれに役立ちそうな物があるか?」


『腰の容れ物にあるのは、魔力の回復薬です。それから・・』


 スイレンの説明を聴きながら、男の装備品を確かめてみたが、持って帰りたいほどの品は無かった。


「杖とか・・邪魔になるしな」


『主様に代わって、わたしが持っておきましょうか?』


「・・ん?」


『少々の物品でしたら、わたしが保管しておきますから、お申し付け下さいませ』


「よく分からんが・・この回復薬は持てるか?」


『はい』


 スイリンの返事と共に、トリアンの手から魔力の回復薬が消え去った。


「・・・便利なものだな」


 トリアンは呆れながらも喜んでいた。

 追加で杖と指輪をスイレンに収納させて、トリアンは周囲へ視線を配った。

 これ以上の長居は無用だろう。

 墓地とは逆側へ山の斜面を斜めに下り、木々の影を拾うように移動しながら遠回りに山中を移動すると、人の眼が無い事を確かめてから表側の広い山路から町へと戻った。

 その足で、金物屋へと入る。


「いらっしゃい・・おや、あんたかい、キャスの宿はどうだい?」


「快適だ」


 トリアンはわずかに笑顔を見せた。


「次の飛行船には間に合うかな?」


「どうだろ?・・あんたぁーーー?」


 おばさんが奥に向かって声を張り上げた。


「なんでぃ?」


 赤ら顔の親父が出てくる。


「おう、おまえか!もうちょっとかかるぞ?」


「次の便に間に合うかって」


「次って、いつだ?」


「・・いつだっけ?」


 おばさんが、トリアンを見る。


「3日後だ」


「なら、問題ねぇ!ちゃんと仕上げてやるぜ!」


「剣はもういいか?」


「おう、重さも分かった。持ってってくれて良いぜ」


「そうする」


 トリアンは店を出ると旅館へ向かった。


 黒い金属扉をこつこつ叩くと、小さく覗き窓が開いてから扉が開かれた。


「お早いお帰りで」


 青年が声を掛けてくる。


「小さな町だ」


 短く答えて、トリアンは玄関へと歩いた。

 特に表情を変えるでもなく、青年が先回りして玄関扉を開ける。


「仕立て屋は来たか?」


 ふと思い出して、青年に訊ねた。


「お帰りなさいませ」


 青年が答えるより早く、栗色の髪のメイドが正面でお辞儀をした。どう見ても、待ち構えていた感じである。


「待たせたか?」


「お客様がお待ちです」


「おれに客?」


 思わず聴き返したトリアンを前に、やや硬い表情のままメイドが案内に立つ。

 ちらと青年に眼を向けつつ、トリアンは後を追って歩き出した。


(どうやら・・)


 何か異変があったようだ。

 トリアンが黒覆面を斃した事が発覚したのか。あるいは、トリアンを知る人間が泊まっていたのか。旅館内の雰囲気がどうも重たい。

 そして、


(・・出たな)


 トリアンは無表情なまま、内心で盛大に溜息をついた。

 今にも床板を踏み抜きそうな巨漢が扇状の階段の上に姿を現した。執事服では無く、黒鉄の重甲冑を身に着けて、兜を脇に抱えている。両腰に見るからに丈夫そうな片刃刀が一本ずつ吊されていた。


(ゴルダーン・・)


 獲物を射殺さんとする眼光がトリアンを捉えた。

 トリアンは、ふんと鼻を鳴らして老人の巨体を正面で見上げた。


「やはり、生きておいででしたな」


 ゴルダーンが呟くように言う。


「喜べ、嬉しかろう」


 トリアンは尊大に言い放った。


「ヤジンの蛆虫共がお屋敷に出入りしておりましたので捕まえて喋らせましたが・・嘆かわしい事です」


 ゴルダーンが一段ずつ、足場を確かめるようにして階段を下りてくる。


「ヤジンというのは、黒覆面の連中か?」


「暗殺を生業とする蛆虫の事など、若君がお知りになる必要は御座いません」


「なら、おれは何をお知りになれば良いんだ?」


「剣を」


 階段を下りきったゴルダーンがトリアンを間近に見下ろした。


「・・剣ね」


「貴方様を討てと命じられました」


 ゴルダーンが告げる。ほぼ死刑宣告に等しい言葉であった。

 眉をしかめるトリアンを前に、ゴルダーンがゆっくりとした動作で兜を被った。


「5分・・生き延びたなら、剣を引くよう、御館様に命じられております」


 ゴルダーンが告げた。


「ふん、おれを相手によくぞ吠えたものだ」


 トリアンは細剣の鞘を払うと、


「隅へ行け、巻き込まれるぞ!」


 凍り付いたように蒼白になって動けないメイドを叱咤した。

 その声で何とか我を取り戻し、メイドが泳ぐような足取りで踊り場の隅へと逃げて行く。


「では・・」


 低い呟きと共に、ゴルダーンが左腰の片刃刀を抜き打ちに薙いできた。

 トリアンの細剣がしなるように撃ち合わされ激しく火花を散らせた。逸らされた片刃刀がトリアンの肩口を過ぎる。


「・・ほう」


 ゴルダーンが微かに驚きを口にした。

 トリアンは前に出て、立て続けに刺突を繰り出した。それを、蠅でも払うかのように打ち払って、ゴルダーンの刀が真っ向からトリアンを襲った。

 微かな金属音を鳴らして、片刃刀と細剣が擦れ違うように交錯する。並の細剣なら、とっくに折れていただろう。しかし、トリアンの持つ細剣は粘るように耐えてゴルダーンの一撃を撃ち逸らしながら折れなかった。

 直後の金属音は、トリアンの頭上すれすれで鳴った。


(やはり・・強い)


 指を狙った一撃は余裕を持って防がれ、返す一撃は何とか防ぎ止めたものの、両者の力関係は明らかであった。

 ゴルダーンの嵐のような剣撃が降り注いだ。

 対するトリアンも、立ち位置をずらしながらも退かずに片刃刀を撃ち逸らし、刺突で拳を狙い、肘を、脇を狙ってゆく。ゴルダーンを自由にさせないことこそ、最大の防御だ。

 体格差を考えれば、信じ難い光景だったが、トリアンの力量を知るゴルダーンに驚きも焦りも無い。トリアンの限界を測るように、一段、また一段と、打ち込みの速度と強さをあげてゆく。

 体格差を逆手にとって、足の膝頭や爪先を狙ったり、纏わり付くように接近して下方から責め立てるが、ゴルダーンの防御は揺るがない。黒光りする鎧に引っ掻いたような傷をつけるのが精一杯だ。

 脇をすり抜けようとしたトリアンを、ゴルダーンの右手が掴まえに来た。

 これは読んでいた動きだ。

 全身を捻るようにして細剣で斬りつける。

 しかし、分厚い籠手に阻まれて跳ね上げられた。姿勢を乱したところへ、恐ろしい風切り音をたててゴルダーンの片刃刀が襲いかかる。


(くそっ・・)


 ゴルダーンが最強になる距離である。

 軽い突進から鬼のような連打が襲いかかる。一撃一撃が大地を割りそうな衝撃だったが、トリアンは足を踏みしめて全身の力と撥条を振り絞って細剣の柄元で打ち合わせた。

 ゴルダーンからすれば、折れない立木を相手に打ち込んでいるような感覚だったろう。床を割り、地面に届くはずの一撃がどっしりと硬く受け止められ、それ以上は振り切れない。立木は確実に弱っていくのだが、あと少しの所で折れずに立っていた。


「ふぅぅぅ・・」


 ゴルダーンが深々と息を吐いた。

 兜の庇の下で、その双眸が爛々と威圧を増してゆく。


(・・・もう、無理だ・・腕が折れる)


 細剣を握る腕がまともに上がらない。トリアンは走って逃げ回る決心を固めた。もう、恥も外聞も無い。

 ゴルダーンの集中力が高まり、剣気とでも言うのか吐き気がするような凄まじい威圧感がトリアンを包んで締め上げる。


(・・逃げるのも無理か)


 トリアンは、細剣を胸前で垂直に立てた。

 平然と見える表情の下で、必死の考えを巡らせたが、どうやらトリアンは捨て身で剣を振るしか無い状況に追い込まれていた。左腕を犠牲に勝機を掴み取るしかない。

 ゴルダーンの威圧感が一気に増し、互いに最期だとぶつかり合う寸前、


「もう5分を過ぎたみたいだけどねぇ?」


 階段上から女の声がした。


「5分だけだって言うのが聞こえた気がしたけど、ありゃぁ、わたしの聞き間違いかい?もう優に10分以上経ってるようだけど?」


 旅館の女将が扇状の階段の上から見下ろしていた。

 ギリギリと奥歯を鳴らし、今にも爆発しそうな気配のままゴルダーンがゆっくりとした動作で片刃刀を腰の鞘へと納めた。


「・・お見事」


 ゴルダーンが見る物を灼き尽くさんばかりの眼光を向けて呟いた。


「ふん、命拾いしたな」


 トリアンは額に汗を浮かせたまま声を絞り出すように言った。

 やせ我慢も限界ぎりぎりである。


「御当主より伝言が御座います」


「・・聴こう」


「我が剣を凌ぎきったならば・・罪を減じ、死罪は取りやめる。予定の通り、獣にくれてやる。到着が遅延する旨を先方へ伝えておく・・・以上です」


「罪・・か」


「エフィールへの飛行船に搭乗する手配は、そこの女将に依頼してあります。御当主よりお預かりした品も預けました」


 ゴルダーンが外へ向かって歩き出した。

 トリアンは、脇へ寄って通した。


「しばらく、相まみえる機会は無さそうですな」


 横を通りながらゴルダーンが呟いた。


「そう願いたいものだ」


 緊張を解くことが出来ないまま、トリアンは老剣士の巨体を見送った。

 今にも振り返って斬りかかって来そうな炎が揺らいで見える。


「いつまで、びびってんだい?とっとと行って門を閉めて来ないかい!」


 女将が扉脇で萎縮したように立ち竦んで動けない青年を怒鳴りつけた。


「す・・すいません」


 青年が慌てて、ゴルダーンを追って外へ出て行った。


(いや、あの化け物見て、怯えるなと言う方が無理だ)


 トリアンは青年に同情しつつ、


「むっ!」


 短い気合いと共に細剣を振り切った。

 外から唸りをあげて飛来した片刃刀が、トリアンの一撃で弾けて重い震動と共に床へ落ちる。トリアンの手からも細剣が落ちて転がった。もう持ち上げる力が残っていない。

 ちらと外を見ると、半身に振り返ったゴルダーンと眼が合った。

 足下に青年が尻餅をついてへたり込んでいる。

 最後の一瞥を交わし、今度こそゴルダーンは敷地の外へと出て行った。


「おれが外門を閉めて来ようか?」


 トリアンは、階段上の女将に提案した。


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