伝説のスイーパー

皆中きつね

第1話

「先輩……その『伝説のスイーパー』って人、本当に来るんですよね?」

 僕は涙声になりながら問いかけた。

「大丈夫!ボスが来るって言ったんだから、絶対に来る! 大丈夫、大丈夫、大丈夫……」

 先輩は半ば自分に言い聞かせるように、同じ言葉を繰り返す。先輩の吐息は僕の顔にかかり、鼓動はダイレクトに僕の胸に伝わる。

 今、僕と先輩は、窮屈なロッカーの中で互いの身体を密着させている。目の前でひしゃげる先輩のボリュームある胸! 全身で感じる先輩の鼓動と体温! こんなシチュエーションを今までに何度夢見たことか!!

 しかし、事態は寝室の甘美な妄想とは正反対の、最悪に絶望的な局面を迎えていた。ワニがうようよいる沼地にはまり込んだ二羽のウサギのような有様なのだ。

 状況が状況なので手短に説明する。

 僕と先輩は某省所属の工作員。今回とある外資系企業のある機密を奪取する任務を命じられた。身分を偽造して関連会社の社員になりすまして無事潜入。だが機密を手にした途端あっさり露見。今は夜間のオフィスビルで、命懸けのかくれんぼの最中。


 先輩は黒髪ロングにメガネをかけた理知的な美人で、そして素晴らしく優秀な情報工作員でもある。そんな先輩に憧れていた僕は、先輩と同じ任務に就くことを期待していた。

 それが今回思いがけず期待が実現したわけだが、早速ピンチに陥ってしまった。追っ手をかわし手近な部屋に飛び込み、一時的に難を逃れた。そして先輩は僕をロッカーに押し込んで自分も入り込んで扉を閉めた。

 とりあえずは身を隠せたが、でもこれは絞首台の階段が数段増えただけで、何の解決にもなっていないのは明らかだ。


 だいたい、なんで警備員が銃持ってるんですか?


 連中サイレンサーまで装着して、射ち殺す気マンマン。実際平気で発砲してきた。外部に銃声が聞こえるとか、ビルの内装に銃痕がついて社員にバレるとか、そんなこと全然気にしていないらしい。

「あの警備員たち、警備会社の制服着てるけど、装備とか全てニセモノ、偽装警備員ね。でも銃はホンモノみたいよ、残念ながら」

 先輩は、震える歯の根を抑えようと、手にしたグロックの銃身を噛み締めた。美しい外見からは想像もできないその毅さ。僕の先輩に対する感情が、憧れから尊敬へ、そして崇拝へと急速に変化していく。


「ところでキミ、私たちの行動開始前に、ちゃんとスイーパーに連絡してあるわよね?」

「大丈夫です。定時連絡が無ければ行動開始すると返信も来てます」


 スイーパー、それは始末屋とか清掃人の意味で、僕たちの世界ではフリーランスの殺し屋を意味している。

 僕たちの上官は、今回の作戦行動の保険として、フリーランスの殺し屋にバックアップを依頼したのだ。正規の工作員を出せない事情があるのか判らない。フリーランスの殺し屋にバックアップされることを伝えられた時、先輩は表面上は不満を示さなかった。でも上官は敏感に察知してこう言った。

「思うところはあるだろう。だが、能力的には大変信頼できる人物だ。私も世話になったこともある。もちろんそんな事態にならないのが一番いいのだが……」

 上官の言葉に、先輩はピシッと美しい敬礼で返した。


 そう、依頼したスイーパーは、僕たちから支援要請の連絡がくるか、定時連絡が途絶えた場合にはバックアップとして行動開始する事になっている。既に定時連絡の時間から10分が過ぎている。必死に逃げ回った身からすれば、まだ10分しか経っていないのかと絶望に押しつぶされる感覚だ。こんな状況だから電波を出すことは控えているので連絡はとれないが、建物の異変に気づけば何らかのアクションを起こしてくれているのではと期待するしかない。いや、期待どころじゃなく生まれて初めて本気で祈った!


 だが、祈りの無力さを嘲笑うかのように、扉の開く音がロッカーの外から聞こえてきた。僕たちが隠れている部屋の扉が開いたのだ。瞬時に僕の全身は総毛立ち、密着している先輩の身体も硬くなる。

 震える身体がロッカー内で音を立ててしまわないよう、細心の注意でスリットから外の様子を覗く。

 警備員……の制服姿の4名の武装グループは、高度に訓練された動きで室内に入ってきた。無駄口を一言も発せず、両肘を曲げて構えたデザートイーグルの銃口の先は視線と完全に一致している。

「希望は、棄てない……でも、覚悟はしなさい……」

 先輩は、噛み締めたグロックの銃身の隙間から、囁くように伝えてきた。緊張が先輩の体内にアドレナリンを分泌させ、発汗に伴う甘い体臭がロッカーに充満する。僕は思わず深く息を吸い込んでしまったが、先輩は好意的に誤解してくれたらしく「覚悟は決まったようね」とつぶやき、自らも静かに深く息を吸い込んだ。先輩の胸が大きく膨らみ、僕の胸を柔らかく圧迫する。こんな時なのに僕は別のところが膨らんできてしまった。死にたく無い気持ちと死にたくなる気持ちがいっぺんに襲ってきたその時


「けーびさーん、けーびさーん! これ落とし物あたヨ、ヘンな落とし物ヨ。ちょっと見てほしいナ、けーびさーん、おーい! けーびさーん!」


 緊張感のかけらも無い、ちょっと変な訛りのある女性の大声が突然乱入してきた。姿は見えないが、声の主は年配の、いや、はっきり言ってオバサンだろう。


 武装集団の行動が止まった。明らかに想定外の闖入者らしい。リーダーらしい人物に他の3人の視線が集中する。リーダーの判断を待つのはいかにも軍人の動きであった。


「けーびさん、下にダレもいないヨ! どこいるか! おーい、けーびさん! ヘンな落とし物ヨ。いないのか? いないならケーサツいくヨ!」


 警察という言葉が、リーダーの動きを決断させた。

 リーダーは手にしたデザートイーグルを制服の内側に押し込んだ。精一杯愛想笑いを作って、廊下へのドアを開ける。


 これは、スイーパーが行動開始した結果なのか?

狭いロッカーの中に、期待が一気に充満した。でも殺し屋の作戦行動にオバサンが関わる理由がさっぱりわからない。もしやスイーパーとは無関係にオバサンが偶然入り込んできたのか?


 偽警備員が開けたドアの向こうに、大きな紙袋を手にした、掃除のおばちゃん、いや、おばあちゃんが立っていた。

 どう見ても殺し屋とか工作員なんかじゃない。いや、確かに清掃員(スイーパー)なんだが……。

「まさか、ボスが言ってたスイーパーって、ホントに掃除の人なんじゃ……」

 あ、先輩、グロックの銃身を噛み締めていたはずなのに、銃口を咥えようとしてる。ダメだ、先輩壊れちゃダメだ。落ち着いて……いや、ムリかなやっぱり。


「あ、けーびさん、みんなココいたか。コレ落とし物あたヨ」


 押し留めようとするリーダー格の男の手をスルリとくぐり抜けて、大きな紙袋を重そうに持ちながら部屋に入ってくる背の低い掃除の婆さん。慌てて銃を制服に隠す偽装警備員たち。殺気立っていた男たちを前にして、ノンキに構える婆さんは、この場の状況を理解しているとは到底思えない。


「な、ちょとコレ見るいいな」


 ドサっと置いた紙袋に両手を突っ込む婆さん。偽警備員たちも思わず覗き込む。

 婆さんが紙袋から取り出したモノは、不恰好な金属性の筒の形をしていて、まるで銃身のような……。

 一瞬の静寂の後、偽警備員たちがしまい込んだ銃を出そうと制服に手を突っ込む!

 婆さんは逡巡無く4人全員に向け連射した。全員が衝撃と共に吹き飛び静かになる。鈍い発射音はしたが血は流れていない。暴徒鎮圧用のゴム弾だ!


「すごい! 訓練された武装一個小隊を、数秒で……」

先輩はそこまで呟いたが、後に言葉が続かなかった。

それくらい衝撃的な瞬間だった。

間違いない! この婆さんこそが!

「ありがとうお婆さん! あなたがスイーパー……」

先輩はロッカーの扉を勢いよく開けて、そして固まった。

動画の再生中の画面にバグが発生したかのように、扉を開けたら婆さんの位置が変わっていた。

さっきまでは10メートルほど離れた部屋の中央に背中を向けていたはずなのに、今はロッカーの前に立っている。銃口はピタリとこちらを睨んでいた。


「あ、あの……ボスから依頼を……」

「あなた、秘密の質問の答え言うネ」

「秘密の質問?」

「そ! メール書いたナ!」

「ちょっとキミ! 早く答えて!」

先輩と婆さんとのやりとりを前にして、僕は真っ青になってしまった。スイーパーとのメールに、どこかのWEBから丸ごとコピーしてきたと思われる質問が確かにあった。そこだけやたら丁寧な文章で、しかもフォントまで違う。いったい何の冗談かと思った僕は、お気楽に答えてしまったのだ。

「はやく言ういいナ! 言わないとワタシ撃って帰るナ」

「キミ! 何してるの! はやく!」

もはや絶体絶命だった。冷や汗が全身から噴き出している。

「これで最後ナ!『昨日のオカズは?』」

僕はヤケクソで叫んだ「先輩のイスのクッションを嗅いだニオイ!」

 突如顔面を襲った衝撃に吹き飛ばされて、僕の後頭部はロッカーの奥に激突した。先輩の裏拳が炸裂したのだと思いながら、意識を失った。

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