第17話 悪魔の丘と影の塔

 ブレンドは困っていた。ワーウルフ退治の依頼を請けたのはいい。だが、達成のためのマストアイテム、銀の武器がない。もっと具体的にいうと、武器を買う金がない。一番小さな銀のナイフでさえ、金貨30枚はする。駆け出し冒険者である今のブレンドとソリティアにそんな大金はなかった。


「まさかこんな誤算があるなんて……はぁ」


 ソリティアは思い切りため息をついた。


「僕だって銀の武器がそこまで高いなんて思ってもいなかったんだ。仕方ないだろう……」

「これから、どうするんですか?」

「とにかくお金を稼ぐしかありませんよ」

「は、はぁ……どうやって稼ぐんですか? 私、バイトとかしたことないですし、一度もまともに働いたことなんてありませんよ? 当てにされても困りますぅ」


 逃げるような目付きでブレンドを見上げるソリティア。が、ブレンドは既にソリティアの事など眼中になかった。元々この依頼は自分一人で達成するつもりだった。だからソリティアに頼ることはない。彼女がどんな泣き言をいっても関係なかった。


「稼ぐといったら依頼を請けるしかありませんよね」

「ええっ! 金貨30枚なんて大金、貯めるのに一体何ヶ月かかるんでしょうか?」

「……それは依頼次第だと思います。何とか稼ぎのいい依頼を探してみましょう」

「私はそれよりも武器屋に交渉してみる方がいいと思います」

「交渉? どういうことですか?」

「武器屋にレンタルをお願いするんです。ワーウルフ退治の報酬は金貨45枚でしたよね。で、銀のナイフが金貨30枚ですから、依頼を達成したら金貨30枚を払うからっていってナイフを貸して貰うんですよ」


 ソリティアは案外たくましい娘だった。ただ、それも本で得た知識であって、自分で交渉する気はさらさらない。もちろんそんな交渉も経験したことは一度もない。というか、知らない人と話すのが苦手なので、交渉などそもそもできはしないのが事実だ。


「ソリティアさん、君、なかなか賢いね。そういう交渉術があるのか……」


 ブレンドはソリティアのアイディアに素直に感心していた。愚直なまでに直球しか投げられない自分には、絶対に思いつかない。


「じゃあ早速武器屋に交渉しに行きましょう!」


 思い立ったら即行動。早くワーウルフ退治をこなしてアルテと冒険に出たいがためだ。その思いはソリティアも同じだった。二人はそのままの勢いで武器屋まで移動した。武器屋のオヤジを見つけ交渉に入る。


「ダメダメ、駆け出しの冒険者にそんな高価な武器は貸せないよ」

「必ず達成しますから!」

「何度言ってもダメなものはダメだ。金貨30枚に代わるような担保がなけりゃな」

「くっ……担保って何があればいいですか?」

「そうだな、普通は土地とか家とか、宝石とかだな」

「そんなもの持ってませんよ」

「じゃあダメだ。さっさと帰りな、商売の邪魔だ」


 あっさりと敗北した初心者約二名。交渉には信頼が必要だ。何の実績もない冒険者が信頼を得られるはずもない。ソリティアの知識はやはり本で得たもの。肝心なところが抜けているのである。


「はぁ、どうしましょうね……銀の武器」

「仕方がない、地道に稼ぎましょう!」

「やっぱりそれしかないですよね……はぁ」


 また大きなため息をつくソリティア。基本的にニートの彼女は働くのが大嫌いだ。楽して一獲千金、有名成り上がりを狙うために冒険者になったのだ。地味にコツコツ稼ぐなど哲学に反する。が、そのためにはあのアルテの高位魔法を学ばなくてはならない。


「仕方ありません。私も依頼を請けて稼ぎます……」

「僕は討伐系でバリバリ稼ぎたいのですが、ソリティアさんは?」


 ダンジョンで向き合ったサイクロプスキングの恐ろしい姿がチラつく。当分魔物に遭遇するのはゴメンだ。討伐系はアルテから魔法を習得した後にしよう。そう決心していた。


「私は……戦闘ができませんので採取系を」

「そうですか。では手分けして」


 と言いかけたところでソリティアの顔がひどく怯えているのに気が付いた。人見知りで孤独が友達のソリティア。これまで勉強と本を読むことしかしてこなかった。仕事をして、社会と関わり合う事がそもそも不安なのだ。


「……採取系、付き合いますよ」


 ネガティブオーラを出しながらも嬉しそうな顔をするソリティア。金を稼ぐという意味では、討伐系の方が早い。が、このまま一人で置いて行くのも忍びない。ブレンドはソリティアが慣れるまで、仕方なく付き合うことにした。



◇◆◇◆◇◆



「あら? ブレンドにソリティアじゃない。調子はどぉ? ワーウルフ退治の目途は立ったのかしら?」


 昼間から黒いフードを目深に被ったソリティア。ネガティブオーラが今日も満ち満ちている。対してさっぱりとした爽やかで真っ直ぐな空気を纏うブレンド。デコボココンビはギルドの受付に立っていた。まるで正反対な二人だが、まだお互いの距離が遠いため、それなりに上手く過ごせている。危機や困難に直面したら、本性が現れる。パーティーはそれを乗り越えられるか否かで良し悪しが決まる。


「今日は稼ぎのいい依頼を請けたくて来ました」

「ふーん、ワーウルフ退治は諦めたのかしらぁ?」

「諦めていません。ですが、まずはとにかくお金が必要なんです!」

「まぁ事情は何となくわかるけどぉ……当然稼ぎのいい依頼は危険が大きいわよ」

「……あのぉできれば採取系の依頼でお金を稼げるのがいいんですけどー」


 フードでほとんど顔が見えないソリティアが、緊張しながら言葉を発する。


「採取系でねぇ……ブレンドあんたがいるならアレでも大丈夫かしらねぇ」


 レモネードがカウンターを出て掲示板をしばらく眺める。壁の下の方から一枚の依頼状を剥がすと、ブレンドの横に立った。


「これ、ですか?」

「ええ」


 懐から長い金細工のパイプを取り出し、火をつけて煙を燻らし始める。レモネードは何だかんだでブレンドの事を気に掛けている。


【依頼番号11008:薬草採取。悪魔の丘でカオリン草を1kg/金貨30枚】


「金貨30枚……」


 ブレンドは、武器屋で売っている銀のナイフの値段とちょうど同じであることに気が付く。果てしないと思われた金貨30枚への道。この依頼を1件こなすだけで達成できてしまう。しかも採取の依頼だ。怪我をすることはあっても命の心配はまずないだろう。


「カオリン草は確かに珍しい薬草ですけど、それに金貨30枚ってのはいくら何でも……」

「そうよね、報酬が高すぎるわよね」


 フーッと気持ち良さそうに煙草を吹かすレモネード。今日は客の入りも少なくて余裕がある。


「問題は採る場所よ」

「悪魔の丘、ですか? これはどこにあるんでしょう?」

「あ、私知ってます。街の北西の一番奥まったところですよ。何でも大昔、魔王の手下が住んでいた塔とか城の遺跡があるんですよね。今でも気味悪がって誰も近づかないって、本で読んだことがあります」

「あら、よく知ってるわね。さすがは頭でっかちね」


 自分の説明の出番を奪われてしゃくに障ったレモネード。チクリと嫌味を言う。


「でも今はただの”遺跡”なんですよね? 別に悪魔が出たりしませんよね?」

「……さぁ、あたしにもわからないわ」

「ウソですよね? ダンジョンならともかく、街中で悪魔が出るなんてありえませんよ」

「まぁ、噂はあくまで噂だからねぇ。とにかく気味悪がって近づかない場所ってところにその報酬額が反映されているのよ。危険があるかないかは、あたしもわからないわ」

「うーん、私にはそんな危険があるように思えませんけど。だって近くに街の方も住んでるんですよね?」


 ソリティアがいつになく強い口調でレモネードに反論する。嫌味を言われて、少しムキになっているのだ。


「その辺は自己判断ね。ま、ギルドは口を出さないわ。冒険者の自由よ」

「ブレンドさん、たぶん大丈夫ですよ。この依頼、請けましょう!」


 ニート気質で地道に働くことが嫌いなソリティア。一つの依頼でお金が稼げるならそれに越したことはない。それに今はブレンドが一緒だ。万が一危険に遭遇しても、自分一人で戦うわけではない。連れがいるのだ。しかもブレンドは元衛兵。武力エリートであることは間違いない。先日のダンジョンでもミノタウロスの群れを斃したと聞いている。


「ええ、請けましょう。僕も多少の危険なら対処できますし」


 ブレンドとしても早く依頼をこなしてワーウルフ退治に入りたい。そして目的はもちろんアルテだ。


「はい、じゃあ依頼番号11008はあんたたちのものよ。気を付けてね」

「「ありがとうございます」」


 二人揃って意気揚々とギルドを出ると、街の北西へと向かっていった。その直ぐ後に眠そうな目を擦りながらアルテがカウンターへやってきた。


「アルテ、今ちょうどブレンド達が来てたのよ」

「おおそうか。あやつらの調子はどうじゃ?」

「悪魔の丘で草取りよ」

「ん? 悪魔の丘? ……ああ、”影の塔”のことかのぉ」

「影の塔?」

「ふむ、あそこには我が作った塔があるのじゃ」

「今は崩れた石造りの遺跡しかないわよ?」

「さすがに今はもう崩れ去っておろう。まぁ、心配はあるまいて」

「心配って、何かヤバいものでも置いてあったのかしら?」

「実はとある魔法使いがおってのぉ……」


 アルテが短く語ったのは、狂人になってしまった”とある天才魔法使い”の話だった。


 その魔法使いは優秀だった。アルテが冒険者時代、最強とうたわれた魔法を使いこなし、ありとあらゆる魔物を斃すことができた。まさに天才という名を得るにふさわしい稀代の魔法使いだった。優しくて正義感も強く大層な評判だった。人気も高く、パーティーを組みたがる冒険者も多かった。もちろん、ギルドでも勇者候補として扱われていた。しかしある時、ダンジョンの最下層へ降りたままプッツリと消息不明になってしまった。


「言っていいかしら? あたしが想像するにその魔法使い、もしかして魔王になった?」

「……アタリじゃ。我の前の魔王じゃった」


 ダンジョンの最下層で魔王を斃し、魔玉を受継いで新たに魔王となった天才魔法使い。人間を守るためにあえて悪役になった。だが、人間を手に掛け、批判されることに次第に耐えられなくなっていった。精神が折れる前に現れたのがアルテだった。が、アルテは前魔王を殺さなかった。いや、殺すことができなかった。罪の重さに耐えきれず心を失ったのは、人間のためにあえて悪者になったからだ。魔王の真実を知ってしまった以上、どうしても感情移入してしまう。殺すには忍びなかった。


 アルテは前魔王に忘却の魔法を掛けた。前魔王は精神を取り戻したが、人間社会に帰ることはできない。散々人間を殺して回り、顔が割れているからだ。街の人間たちにバレたら、さらに辛い結末が待っているだけだ。そこでアルテは塔を作り、前魔王をそこに住まわせた。それが影の塔だ。


「で、その天才魔法使いはどうなったのかしら?」

「普通の人間だったからの、寿命を迎えて死んだはずじゃ」

「……”はず”? 死んだのは確認してないの?」

「我も魔王になってからは、かなり忙しかったからのぉ。年に1回程度は会いに行っておったのじゃが」

「でも人間なら間違いなく死んでる年齢よね?」

「うむ。じゃがあやつは真の天才じゃったからのぉ……小細工の一つや二つ、しておるやもしれぬな」

「変な事言わないで。ブレンド達に何かあったらどうするの」


 いつもクールな態度を取っているレモネードだが、思わず心の内が口を突いて出てしまった。


「うむ、では我が遠くから見守っておこうかの」

「ダメよ。あんたは仕事があるでしょ? それにギルドはいちいち冒険者の無謀な依頼に構ってなんていられないのよ」

「……」


 アルテはパイクとレモネードのやり取りを思い出していた。ギルドは冒険者の行動に干渉しない。それが冒険者の自由意志を尊重した表向きのルールだ。


「レモネード、少し散歩に行ってきてもよいか?」

「ったくぅ……しょうがないわねぇ。あんまり遅くならないようにね」


 機嫌の悪そうな口調で話すレモネード。だが、その顔は笑顔だった。アルテはその表情を見て、自分の判断は間違っていないことを確信した。レモネードも自分と同じ思いだった。その様子を、こっそり隣の酒場からパイクが見守っていた。パイクも幼馴染の友人が心配でならなかったのだ。


「フフフ、わかった。直ぐ帰るからの。ああ、そうそう……もしも我が散歩先で冒険者に会ったとしても、それはたまたまじゃからの」

「ハイハイ、いいから散歩を楽しんでらっしゃい」


 思わず微笑み返す。レモネードは、このギルドに早くも馴染んでくれたアルテに密かに感謝していた。まぁ、こういう手心があるからこそ、忙しさの絶えない受付嬢になっているのだが……。



◇◆◇◆◇◆



「すごいところですね。街の中にこんな場所があったなんて……」


 ブレンド達は悪魔の丘の麓に立っていた。恐ろしい名前に反して実に美しい丘だった。緑の牧草が一面に生え、所々にヤギがまったり日向ぼっこをしている。丘を駆け下りる風は爽やかで、まるでピクニックにでも来たような気分になる。


 噂の遺跡が丘の上に見える。石造りの階段、白い墓石、そして朽ちた城と塔の基礎が残っている。古いのはわかるが、どれほど前のものか判別はつかない。だが、おどろおどろしい物を想像していた二人は、完全に拍子抜けしていた。あまりに明るく、平和で美しい風景だったからだ。


「これはちょっとした観光名所になりそうですよね。一体何が悪いんでしょうか? 気味が悪いどころか爽やかでとっても綺麗な場所だと思います。私が本で読んだのって、もしかしたら間違いだったのかもしれませんね」

「……ソリティアさん、この依頼、請けて正解でしたね」

「はい! じゃあ早速カオリン草を探しちゃいましょう」

「わかりました。僕は左から中央に向かって探しますので、ソリティアさんは右からお願いします」

「はい」


 まるでピクニックのような雰囲気でスタートしたカオリン草採取。が、二人は地獄を見ることになる。そう、今年は天候不順の影響でカオリン草がほとんど育っていない。カオリン草はオレンジの花を咲かせるので、素人でも直ぐに見つけることができる。珍しい草ではあるが、1kgぐらいなら集めるのは難しくない。


――― 4時間後。


「はぁ、はぁ、はぁ……どうして見つからないんでしょう、カオリン草」

「こ、今年は天気が悪かったから不作のようです。ちょっと甘く見過ぎてました」

「ご、ごめんなさい。少し休ませて貰ってもいいですかぁ?」

「ええ。ボクはじゃあ丘の上の方を探してきます!」


 ソリティアは草原にゴロリと寝そべった。久々の肉体労働に体力が全然ついてこない。ひきこもりニートには辛い作業だ。季節はそろそろ秋だというのに汗だくになっていた。


(あ、暑いです。仕方がありません、ローブを脱ぎますか)


 いつも目深に被っているフードを上げ、重く分厚いローブを脱ぎ捨てた。草原の風にソリティアの髪がなびく。長い黒髪だった。


「ソリティアさーん! カオリン草、一つ見つけました! 上の方にいくつかあるみたいです。こっちに来て手伝ってくださーい!」

「わかりましたーー!」


 暑苦しい黒い髑髏のローブを脱ぎ捨て、髪を振り乱しながら丘を登る。塔と城の直ぐ近くだ。ブレンドが中腰の姿勢で草探しをしている。


「ブレンドさん、カオリン草、どの辺に生えてます?」

「えっ?! あ、あの……ソ、ソリティアさん、ですよね?」

「は、はぁ、そうですけど何か?」


 そこには美しい黒髪ロングの娘が立っていた。もちろんソリティアだ。黒縁の大きなメガネに陶器のような白く滑らかな肌。アルテもかなりの美形だが、負けず劣らずの美形だった。唯一圧倒的に負けているといえば、胸回りだ。アルテとレモネードが山脈なら、ソリティアは平たんな大地のようだった。が、それがかえってネガティブな暗いオーラと相まって、陰のあるクールな雰囲気を醸し出している。


 この黒髪美人は、いつもフードを目深に被っていたのでブレンドはもちろん、周囲の人間は口元しか見ていなかった。だから今初めて、ソリティアのちゃんとした顔と姿を見ることができたのだ。


 思わず顔が赤くなるブレンド。お年頃の成人男子なら仕方がないが、それにしても予想を遥に上回る美しさ。途端に緊張してしまう。


「そ、そ、ソリティアさん。お疲れなら座って休んでいてもいいですよ?」

「いえいえ、私も早くカオリン草、集めたいですから」

「……」


 ソリティアの仕草を、思わずボーっと見つめてしまうブレンド。今までは根暗な頭でっかちの小娘程度にしか思っていなかった。が、今はソリティアの一挙手一投足に目が行ってしまう。


「……私、何かおかしな事してますか?」


 ブレンドの視線に気が付いたソリティアが話しかける。


「い、いや、問題ないです。早く草を集めましょう」


 日は徐々に傾き始めている。まだ半分も集まっていない。この分だと採集が終わるのは夜になるだろう。


「あっ! そういえば……」

「何ですか?」

「私、本で読んだことがあるんですけど、カオリン草って夜に花を咲かせることが多いそうなんですよ。だから夜の方が見つけやすいかもしれませんね」

「なるほど。じゃあ少し休んで夜を待ちましょうか。幸い今日は満月ですし、明るいので」

「はい」


 微妙な笑顔で微笑むソリティア。が、そのぎこちない初々しさにブレンドはハートを鷲掴みにされていた。初々しい黒髪ロングの美少女と草原の遺跡で過ごす満月の夜。いかにもロマンチックな雰囲気だが、この後に起きる恐ろしい現象を二人はまだ知る由もなかった。

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