窓を開けて 3

 俺たちが教室に着いても、1年A組は騒々しいままだった。どうやら愛敬さんの言うことも聞いてくれないみたいだ。

「静かにしなさいよー」と喜屋武さんが言う。

 その喜屋武さんの隣にいた寿々木すずきさんが喜屋武さんに向かって聞いていた。

「次、避難訓練だよね。何の訓練?」

「ううん。遥奈はるなは知ってる?」

「さあ。ただ、地震なら窓を開けて出口を確保する。火事なら燃え広がったりするのを防ぐために窓を閉めておく。不審者ならカーテンも閉めておくって聞いたけれど。窓閉めなきゃいけないのなら開けたらまた閉めなきゃいけないし」

 寿々木さんはそう言って窓の方を指した。今はカーテンがぴっちりしまっている。

「ふーん。でも今は暑いから開けてもいいんじゃない? 今日は窓開いているの?」

 2人がそんな会話をしていた瞬間、窓際にいた古滝さんと北向きたむきさんが早業と言えるほどのスピードで鍵を開けて窓ガラスをスライドさせた。半分くらいの生徒が2人の様子を見ていた。2人の動きがまるで息を合わせたようなシンメトリーの動きだったからだ。教室全体が凍り付いたようになった。

「すげーおめーら、シンクロしてるじゃん」

「窓開けるの早っ」

 成定なりさだ人見ひとみがワーワー騒ぎ出す。一瞬のピンと張り詰めた空気から一転し、A組はどっと笑いに包まれた。

 古滝さんは「暑いじゃない」と言い放ってプイとそっぽを向いてしまったし、北向さんもカーテンをめくって顔を隠してしまった。しかし、暑いは暑いが、熱がこもっていた感じではない。廊下側が開いていたせいだろうか。

「邪魔だ君ら」

 そう言って仮谷先生が入ってくる。普段は猫背気味だが、俺たちの間を通るため気持ちだけ背伸びしていた。

「避難訓練だ、席に着け―」

 一応担任だからかみんな一斉に自分の席に着いた。

「先生、窓は開けておくのですか?」

 着席の前に寿々木さんが聞く。

「あー、今日は地震の訓練だからな」

「えっ」

「『えっ』って何だよ。地震でも火事でも津波でも訓練しなきゃならないだろう。あ、そうそう避難経路はいつもはベランダから避難することになっているが、今日は廊下から避難する。窓は開けるのかという質問が来たが、今回は多分窓が割れて避難経路としては使えないという設定の避難訓練のはずだから窓は開けておかなくていい。ただし、扉は開けておくように。今は暑いから開いているか」

「何でっすかー」

「ベランダに出たいのか」

「避難訓練くらいじゃないですかー、ベランダに出られるのはー」

 安河内がブーブー文句を言う。富樫が「日直ん時も出るだろ」とはやし立てる。だがそれに乗ってくる人はいなかった。日直は朝雑巾のかかったラックをベランダに出し、放課後に取り込むという仕事があるので1分もないが一応ベランダに出る機会はある。わかっているからあえて誰も乗らないのだろう。

 俺は一応仮谷先生の話を聞きながら目だけを動かす。「えっ」というセリフはどこから聞こえてきたのだろう。少なくとも寿々木が言ったセリフではない。安河内や富樫でもなさそうだ。

 最後におさない、かけない、しゃべらない、もどらない、と避難訓練の注意事項を確認していると、地震が来たことを知らせる放送が来た。俺は他の人よりも机の下に潜るのがワンテンポ遅れてしまった。少し経って避難指示の放送が流れる。

「おかしもだぞー」

 仮谷先生が注意事項の頭文字4文字を言ってみんなを避難させる。ちらっと教室の中を見ると、仮谷先生は教室内を見回していた。

 グラウンドに着くと、出席番号順だったがさすがに今回は全員が素早く並んだ。仮谷先生の人数点呼が早かったのもあり、一番早く人数確認が終わったのも1年A組だ。

「今日は避難指示の放送から3分半で避難ができました! ですが訓練でできたからと言っていざ地震が来た時にとっさの行動ができるかは分かりません! 皆さんの命を守るのは素早い避難です! 今回はしゃべる人やだらだら歩いてくる人は誰もいませんでした! 最近震災が多いです! この時の訓練を忘れないようにしてください!」

 拡声器の声が響く。この避難訓練で初めて岩井先生が生活委員の先生だと知った。岩井先生は体育会系の先生なので、自転車の件で生活委員の連帯責任として考え、彼らに風当たりが強くなるのも分かる気がした。

 しかし、全く関係ない生徒たちを叱るのはどうなのだろう。周囲の人も注意しろ、とか各クラスでリーダーがいただろう、とか。先生の立場としてはよくわかる。今は行方不明の父さんも、3年前までは先生をしていたのだからそういうことを言ったのだろうか。

 なら、集会前の俺の行動は何だったのだろう。

 昨日は快晴で日も出ていたから今日の方がマシだと思えるが、なんだか蒸し暑くて考える気力も奪っていくようだ。またろくに話を聞かないまま、避難訓練が終わってしまった。

 長すぎる避難訓練にはさすがに疲れたのか、生徒たちはだらだらと昇降口に向かう。下駄箱付近に敷いてある雑巾に上履きについた砂埃をこすりつけ、各々の教室へ帰っていく。俺は聖斗と、篤志と、章と話をした後、浩輔に連れていかれた1年A組で割れた窓ガラスを見ることになる。


※地震発生時に窓を開けるのか、という問いに対して本編の設定として窓から避難できない状況である、としたため答えを明示していません。というのも、実際に調べてみると両方の意見が出てくるからです。

 揺れ始めたら、自分の身を守ることを最優先してください。

 開けられる状況であれば、避難する際の出入り口を確保できるに越したことはありません。しかし、震度によっては窓ガラスが割れる危険性もあります。そのような場合は絶対に窓に近づかないで下さい。

 以上、作者からのお願いでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る