第24話 執事さんの執事さんの……

 私は今、首が痛くなるほど空を見上げている。


 緩くカーブを描くその美しい建物は下からライトアップされており、その柔らかな光と建物の窓からもれるいくつかの灯りとが相まって、幻想的なまでに美しかった。

 どれだけ磨きこまれたんだろう。目の前のガラスは一点の曇りもなく、大口開けたまぬけな顔で空を見上げている私を、しっかりと映していた。

 窓からもれる灯りは、上へ行けば行くほどに小さく淡くなり、夜闇にぽつんぽつんと彩を与えていた。

 呆けていた私は、小さな頃夏になると川辺に行って家族で見た、蛍の明かりを思い出していた。

 この灯りは飛び回らないけどねー……って! 違うから! ていうか、ここどこ!? なんで私ここに居るんだ!?

 思い出せー! よーく思い出せ私!


 えーと、セルジュさんが東京に戻るって聞いて、仕事ではまゆさんの妊娠とお店の撤退を聞かされて同時に無職になって。それで、落ち込んで帰ったら引越し屋さんが、私の荷物をトラックに積み込んでて……。

 そうだ。それでその後あわあわしてたら、久しぶりに見たセルジュさんの車がやってきて、あっという間に助手席に押し込められたんだ。


 乗ってすぐはパニックだった。


「なんで私まで引っ越すの!?」

「ですから、お嬢様のお部屋は悠馬くんが使うことになったのですよ」

「だからって東京!?」

「わたくしにも、仕事がありますので」

「そーかもしれないけど! それなら私にだって……」

「お店は絵画教室に変わるのでしょう?」


 だからなぜそれをーーー!! 私ですら今日知ったのに! 私、一応当事者なんだけど!


「でもいきなり即日引越しってー!」

「それは、お嬢様がわたくしと離れるのは寂しいと昨晩からずっと仰って……」

「わーーー! ソレ! 今それ言う!? それ恥ずかしいから止めて! で、でもホラ! えっと、お姉ちゃん戻ってきたんだから、急に東京行っても家がないよ! それにいくら仕事がなくなったって言っても、東京に行ったからって解決するかな!? どうかな? どうなんだろう?」


 そうそう。いちいちなんだかもっともな答えを返されたんだけど、それでも「え?だからって何で?」の繰り返しで、なんで? なんで?って騒いでたんだった!

 結局、素敵な乗り心地のセルジュ号で、座席に深く座りなおしたらそのまま寝てしまったみたいなんだけどね……。なんて緊張感のない……自分が情けなくなる。でもまぁ、そこはこの一日がとにかく精神的に起伏の激しい日だったんだから、仕方がないと思うことにした。


 そして着いたのがここです。


 ここが、お姉ちゃんの家があった場所じゃないのは確か。ていうか、ハジメマシテの景色です!

 かなりの深夜だったんだけど、ここが知らない場所なのはわかる。高台にあるこの一角は道幅も広く、ヨーロピアンデザインの街灯はうちの田舎と違ってひとつの漏れもなく全てが煌々と灯されていた。

 お洒落な建物が立ち並ぶその通りは、高級車が立ち並ぶ見るからに高級そうなレストランやカフェ、きっと大きな室内プールがついてるんじゃないかな?って思うような大きなジム。そして見るからに億は超えるだろうっていう、豪華マンションが並んでいた。

 すると、セルジュ号は通りの奥にある一際大きな門の前で止まった。すぐに門が内側にゆっくりと開いてゆく。大きな門はその左右を蔦の絡まる高い塀に囲まれていて、実際門の中に入るまで敷地の中は一切見えなかった。だから、中に入った瞬間自分の目を疑っちゃったよ!

 何ここ! ほんとに東京なの? 土地代が一坪ウン千万とかウン億とかするっていう魔都東京?

 駐車場完備してないお店が殆どで、建物も隙間なくびっしり建っててマンションなんかも部屋が狭くて、なのにお家賃が田舎の倍は取られちゃうあの東京?

 だってさ。目の前に広がるのは、きっと青々としてるんだろうなって芝生に噴水まであって、カーブが美しい高層タワーの脇には木々まで見える。

 セルジュ号は、そんな敷地の中央に敷き詰められた道を進んで行く。独特の振動で、道はきっと石畳なんだろうなって思った。

 それは、中央にドンと鎮座する、大きな噴水に続いている。どうやら噴水は門からのエントランスの目隠しと、ロータリーの役目があるみたい。

 車が音もなく静かに止まると、いつの間にか現れた、かっちりした制服姿の男性が現れた。あれ? 看板とかなかったけど、ここってホテル? その人はドアマンのような制服を着ていた。

 開けられたドアから夢心地でふらふらと降りると、その男性はセルジュさんに「おかえりなさいませ」と声をかけた。「どういうこと?」そう思っている私の目の前で、セルジュさんはごく自然な流れで、車のキーを渡す。受け取った男性は代わりに車に乗り込んで、さっさと出発してしまった。


 そして、今この建物を見上げているのだ。


「お嬢様?」

「セルジュさん……この建物、てっぺんが見えませんけど……」

「もっと離れて見たらちゃんと見えますよ。それは明日にでも致しましょう。今日はもう遅いですから、入りましょうか」

「ここ、ホテルですか?」

「いえ? 新居ですよ」

「えええええ!?」


 今日何度目かの衝撃が私を襲い、叫んだと同時に眩暈がした。

 力の入らない腕を、セルジュさんにさっさと取られ、建物に入るとお上品な中年の女性に迎えられた。


「おかえりなさいませ、お嬢様、セルジュ様」


 かっちりとしたスーツに身を包んだその女性は、深夜だというのに服も髪もお化粧も乱れはない。


「お嬢様、こちらは柏木みどりさんといいまして、このマンションのコンシェルジュをしております」


「こ、こんしぇるじゅのかしわぎさん…?」

「どうぞよろしくお願い致します。わたくしの事は柏木、とお呼びください」


 もう一度深々とお辞儀をすると、柏木さんは「ご案内致します」と言い、エレベーターに向かった。

 なんだここ……エレベーターどこにあるの!? って位広いんですが!

 横にはフロントのような長いカウンターもあり、遅い時間にも関わらず、制服姿の男女が数人並んでいた。連れられて前を通るとやはり「おかえりなさいませ」と深々と頭を下げられる。

 奥には、やっとエレベーターがあり、3基ずつ向かい合うようにして、6つの扉があった。

 1つ既に扉が開いて乗れる状態なのに、柏木さんはそれを通り過ぎて行く。

 すると、一番右奥の扉の前で止まった。扉は他の5基と一緒なのにここだけ付いているボタンが違っていて、これだけがタッチパネルのようになっていた。


「指紋認証パネルでございます。このエレベーターは最上階のペントハウス専用となっております。お嬢様の指紋は、既に登録済みでございます」


 ええ!? 指紋なんて生まれてこのかた、採られたことありませんが! いつの間に!

 どういうことだとセルジュさんを見ると、微笑みで返された。

 アナタですか。やっぱりアナタですか!

 恐る恐るタッチパネルに指を触れさせると、細かな細工が美しい銀色の扉がしゅるん、と開いた。

 うええー! ほんとに登録されてるよ! セルジュさん、恐るべし!

 案内されるままに乗り込んで振り返ると、柏木さんがお辞儀して見送ってくれていた。


「あれ? 柏木さんは乗らないんですかね?」

「ええ。彼女も自分の仕事が他にありますから」

「そっか。これだけ大きなマンションだったら、お仕事忙しそうですもんね。ところで! 最上階って言いました!? さっき見上げても見えなかったんですけど! 一体何階なんですか!?」

「30階ですよ? 標準よりも天井が高い設計ですから、もっと高く見えるのかもしれませんね」


 さ、30階!! サラリとそんなこと言ってくれちゃってるけど、充分高いよ! むしろ私には展望台レベルなんだけど!

 そうこうしてる間に、独特の浮遊感さえも感じることなく、いつの間にかその最上階に到着していた。はやっ!

 これまた静かに扉が開くと、今度は中年のスーツ姿もダンディな男性がお辞儀をして迎えてくれた。


「おかえりなさいませ、お嬢様、セルジュ様」

「お嬢様、こちらはペントハウス専用のコンシェルジュをしております村井和敏さんです」

「ぺんとはうすの専用?」

「村井でございます」

「は、はぁ……」

「お荷物は全て運ばれております。どうぞ、お部屋へ」

「うん、ありがとう。ではお嬢様、こちらです」

「う、うん……?」


 大きな大きなシックなブラウンの扉には、プレートも何もない。鍵穴もなく、横にはまたもやタッチパネルがあるのみ。


「これはもしや……」

「ええ。どうぞ触れてみてください」


 軽く触れると、ドアがかちり、と音を立てて開錠したのが分かった。


「入って、いいの?」

「勿論です。お嬢様のお部屋なのですから」

「お、お邪魔しまーす」


 恐る恐る扉を開けると、今度はお上品な白髪の細身の男性がお辞儀をして迎えてくれた。

 出た! また出た!! 今度はなに! そして誰!


 ………しかも日本人じゃないしーーー!


 顔を上げたその人は、彫りが深い端正な顔立ちで、優しげなグリーンの瞳が印象的な初老の男性だった。

 その顔立ちからも、ルヴィエ王国の人であることがわかる。


「おかえりなさいませ。お嬢様、セルジュ様」

「お嬢様、ジェラールです。ここでわたくし達の世話をしてくれます」

「お世話……」

「ええ。ジェラールは、国で私付きの執事だったのですよ」

「セルジュさんの、執事さん?」

「左様でございます。わたくしにお申し付けくだされば、わたくしか、村井か、柏木が手配致しますので、なんなりとお申し付けくださいませ」

「え? 村井さんに柏木さん、ですか?」

「まぁ…コンシェルジュは執事の資格がありますので、それぞれをペントハウス付き執事、マンション付き執事、と思って頂ければ……。ちなみに、柏木の上司が村井で、村井の上司がジェラールです」


 待って。待って。今私の頭はとても混乱している。


「え? 上司? 村井さんと柏木さんはともかく、ジェラールさんもここのマンションの管理会社の社員さんなんですか? それになんで皆、私をお嬢様なんて呼ぶんですか?」

「……先程お車で申し上げたのですが……確かに、管理は委託してますけれど、このマンションはお嬢様の所有ですので、実質お嬢様が柏木と村井とジェラールのあるじなのです」

「な、な、なんですとーーーーー!!」


 何なの、今日は!

 もう気を失ってもいいですか? 起きたらどうか、田舎の小さな一軒家の狭い自室でシングルベッドで目覚めますように!


 そう願ったんだけど、残念ながら全て現実だったようで、一晩経っても私は、街が一望できるこの高層マンションの最上階に居た。

 そして執事さん(セルジュさん)の執事さん(ジェラールさん)の執事さん(村井さん)のそのまた執事さん(柏木さん)まで出来てしまったのだ……。

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