第13話 オフ会

 照明がゆっくり落ちると会場が静かになった。入場口にスポットが当たり、ドアが開き、車椅子の峰岸が筆頭に現れると、一斉に拍手と歓声が湧き起った。それを介助する成沢、そして加藤が続いて入場して来た。三人はゆっくりと進み、ステージ席に着く頃、暗がりの奥に心配そうな峰岸の妻がひっそりと控えた。共催の谷崎が司会の予定だったが、その任を女部田が代わっていた。


「皆様、大変お待たせいたしました! 本日はお忙しい中、そして降り続く雪の中、昭和特撮『シャドーヒーローを語る会』にご参加いただきまして誠にありがとうございます! 本日、番組にご出演なさった主演の峰岸譲司さま、成沢武尊さま、加藤亮さまをお招きしましての会でございます。御三方にはご多忙にも拘らず、この会のために奇跡的なご協力を賜り、主催者としましてはこの上ない胸の高鳴りで感激一杯でございます。参加者各位に於かれましては、これから織りなす二度とない想い出のひとつひとつを心に刻みながら貴重なひとときをお過ごしいただきたいと思います。それでは、初めに峰岸譲司さまからお言葉を賜りたいと思います。峰岸さま、どうぞ宜しくお願いいたします!」


 参加者の拍手の中、車椅子の峰岸は、目の前のテーブルに置かれたマイクに手を伸ばした。しかし、体が思うようにならず、隣席の成沢が素早くマイクを取って峰岸に渡した。峰岸は大きく呼吸をして、ゆっくりと参加者に目をやった。長い間があった。成沢が小声で峰岸に話し掛けた。


「峰岸さん、大丈夫ですか? 私がマイクを持ってましょうか?」

「大丈夫だ、ありがとう」


 峰岸はもう一度大きな呼吸をしてから話し出した。


「みなさん、こんにちは」


 参加者から大きな返事が返ってきた。


「そんなに高い声でなくても聞こえます」


 会場が笑いに包まれた。


「かつて私は、地球の平和を守り過ぎて、このとおり、健康を害してしまいました」


 また笑いが反響した。


「あまり長くは皆さんとご一緒できないかもしれませんが、皆さんはゆっくりと楽しんでいってください。最近はウルトラマンより早く息が切れますのでこれで終わります」


 会場から大きな拍手が沸き起こった。涙を拭う峰岸信者もいた。


「峰岸さま、ありがとうございました! 続きまして、成沢武尊さまからお言葉をいただきたいと思います。成沢さま、どうぞ宜しくお願いいたします!」

「成沢です。今、峰岸さんのお話を伺ってて、撮影当時のことをいろいろと思い出しまして、胸に込み上げるものを感じています。峰岸さんは撮影の間、ずっと善きリーダーであり、善きムードメーカーでした。今皆さんが、峰岸さんのお話で一気に幸せに包まれたように、我々出演者も、そして撮影スタッフも、峰岸さんの周囲はいつも幸せに包まれました」


 成沢は立ち上がって峰岸のほうに向いた。


「峰岸さん、その節は大変お世話になりました。ありがとうございました!」


 成沢は深く一礼した。すると、峰岸は微笑み、膝に両手を置いて一礼を返した…が、その態勢を起こせなかった。そしてそのまま、車椅子から崩れ落ちそうになった。慌てて成沢が支え、車椅子の背もたれまで起こしたが、峰岸の目は閉じたままだった。


「峰岸さん! 峰岸さん!」


 成沢が叫ぶと、峰岸は意識を取り戻したらしく、ぼんやりと目を開けた。


「成沢くん…済まないが妻を…」

「奥さん、来てください! それから、誰か救急車を呼んで!」


 カタクリ小町が走って会場を出て行った。成沢は車椅子の峰岸を会場から連れ出した。妻の淳子がそのあとに続いた。女部田が不本意げに成沢に駆け寄って来た。


「成沢さん、いくら何でも救急車というのは…少し休憩していただいて様子を見てからでも…」

「何を言ってるんだ君は! この状態を見たまえ!」

「では、ここは奥様にお任せして、成沢さんは会場にお戻りください」


 成沢は女部田を無視してホテルフロントに叫んだ。


「救急車は!」

「はい、先程連絡しました!」


 ホテル支配人の向松むかいまつ てつが手配を済ませていた。


「ここまでだと何分ぐらいかかるかな?」

「早くても20分ぐらいは…」

「20分? …有り得ない」


  成沢は朦朧としている峰岸を見て、過疎の危機管理体制に苦虫を噛んだ。


「奥さん、お子さんたちに連絡しておいた方が…」

「はい!」


 女部田が再び成沢に懇願した。


「成沢さん、どうかイベント会場のほうへ…」

「まだ事態が理解できないのか、君は! 君は会場に戻って加藤さんを呼んで来たまえ!」

「加藤さんは今、場を繋いでくれていますので…」

「だったら君が代わりに場を繋げばいいじゃないか! 何のための主催者なんだ! 加藤さんを呼んで来なさい!」


 女部田は会場に戻って行った。


 会場では加藤がファーストエイドの話題を出して、緊急事態の対処法に付いて話していた。


「皆さんは今、そうした真っ只中にいます。今、自分が何をすべきか、何をすべきでないか…少なくとも、迷惑な野次馬にはならないことが大前提です。ですから、ここでは私語をを慎み、静かに待ちましょう。必要があれば、当事者が協力を求めてきます。その時は迷わず、自分の能力に該当する協力をすればいいんです。ご心配な気持ちは分かりますが、大勢が押し寄せて、対応の邪魔になってはいけません」


 その様子を見た女部田は、成沢の要請を加藤に伝えず、そのまま会場の成り行きを見守っていた。


 成沢は子どもたちへの連絡を済ませた淳子に聞いた。


「ここだと、どちらの病院に搬送されるんでしょうか?」

「多分、北秋田市民病院だと思います。ここから一番近い救急指定病院ですから」

「そうですか…」

「…成沢くん」

「峰岸さん!」

「…すまないね」

「何を言ってるんです、このイベント事態に無理があったんですから。もうすぐ救急車が来ますから。子供さんたちにも連絡しましたから、搬送先の病院で会いましょう!」

「…ありがとう」

「あなた、しっかりしててよ!」

「大丈夫、大丈夫…大丈夫…」


 救急車のサイレンの音が聞こえて来た。


「来た!」


 成沢は峰岸の載る車椅子を押してホテルの玄関に向かった。救急隊員がタンカを持って入って来た。


 オフ会の会場から参加者たちが出て来て、遠くから様子を見守っていた。峰岸は救急車のストレッチャーベッドに収容され、妻の淳子が同乗すると、頼れるサイレンの音を響かせて発車した。


「皆さん、経過はあとでご報告しますので、一旦イベント会場に戻ってください!」


 参加者たちは女部田の案内に誰も動こうとしなかった。カタクリ小町が仲間内で話し出した。


「これってある意味、人災じゃね?」

「人災って?」

「そもそも、闘病中の峰岸さんを無理やり引っ張り出してのオフ会でしょ?」

「そう言われればそうだけど…」

「それに谷崎さんが共催降ろされたんだよ」

「嘘!」

「なんか、ここに引っ掛からない?」

「正直言って…だね」

「なんか違うと思うんだよ。いくら特撮が好きでもさ…」

「なんか違うよね」


 カタクリ小町らの会話は、その内容を意識して小耳に挟む参加者たちの共通した良心の痛みだった。それが伝染して、峰岸を送ったフロント前が雑談場となった。女部田が再度促すと、一同はだらだらと会場に戻り始めた。成沢が加藤に声を掛けた。


「加藤さん、あとは頼んだよ」

「どういうこと?」

「私は病院に行くよ」

「オフ会は?」

「出ない…このまま、帰らしてもらう」

「マジすか!」

「言ったろ…私は今回、峰岸さんに会いに来たんだ」

「…ですよね。了解! そんじゃ、こっちは加藤亮ワンマンショーで行きますから、あとは任しておくんなさい! 失敗は目に見えてるけど、イベントがどうなろうとオレの知ったこっちゃないや」

「それじゃ、頼みます」


 成沢は急ぎ部屋に戻り、帰り支度を整えてフロントに向かった。廊下で慌てた女部田に会った。


「ああ、良かった! 成沢さん、急いで会場のほうへお願いします。皆さんが動揺してますので、お得意のシャドーヒーロー裏話でもファンの皆さんにお聞かせください」

「君はまだ分からんのか! 本来ならイベントは中止だろ! 君が率先して峰岸さんに付いて行かなければならない立場なんだよ。君は峰岸さんのことが心配じゃないのか! 体調不良にも拘らず、強引に連れ出したことに、何の責任も感じないのか!」

「ここまでお体が悪いとは思いませんでしたので…」

「それは、君がイベンターとして失格だということだ」

「しかし、体調に関しては、ご本人のご納得の上でご参加いただいたもので、お悪ければご本人がお断りになるくらいの自己管理はなさってくれてるものと思っていましたので…寧ろ、損害を被ったのはこちらのほうです」

「君にもう少し人の心が残っているなら、ぶん殴っているところだよ。人の心を持っている者なら、無理を押して参加なさったことに只管感謝するものだ。そんなこともできずに、自己弁護とは呆れたものだ。私は帰らしてもらうからね」


 女部田は階段を下りて行く成沢に叫んだ。


「現場放棄ですか! お約束を守っていただけないんですか!」


 成沢は女部田の叫びを無視してフロントに向かった。


 フロントには向松支配人が立っていた。


「成沢ですが、チェックアウトしますので精算をお願いします」

「女部田様のお支払いになっておりますが…」

「いえ、私の分は別精算にして、あとで女部田氏にお渡しください」

「…そうですか? では一応、女部田氏に確認させて…」

「いえ、それはやめてください。精算をお願いします」

「分かりました」

「それと、タクシーを呼んでいただけますか?」

「どちらまで?」

「峰岸さんが搬送された病院に行きたいんです」

「…私が送らせていただきます」

「え?」

「今からタクシーを呼んでも、この雪では二十分以上…いや、もっと待たなければなりません。お急ぎのようですから、私が送らせていただきます」

「では、お言葉に甘えて…」


 成沢が精算を済ませている間に、向松は送迎バスを玄関にスタンバイさせて呼びに来てくれた。


「行きましょうか!」


 成沢不参加の第一部は急遽打ち切られ、二次会が始まっていた。二次会は加藤亮だけの間の抜けた陰気な雰囲気で始まった。参加者の八割が谷崎の管理する運営サイト『変身丸紀行』常連ということで、女部田に対する彼らの目は厳しかった。谷崎のサイト常連・カタクリ小町がわざとらしく口火を切った。


「成沢さんはまだかしら?」

「早く裏話を聞きたいね」

「女部田さん、成沢さんは?」

「成沢さんはご都合で二次会参加をキャンセルなさいました」

「ご都合って何ですか?」

「さあ、私には分かりません」

「峰岸さんの様態が心配で病院に行かれたんじゃないですか?」

「・・・・・」

「そうなんですよね」

「・・・・・」

「女部田さんは行かなくていいんですか?」

「あれ? 変身丸さんは二次会にも参加しないのかしら?」

「そう言えばオフ会で顔見てない」

「どうしたのかしら?」

「女部田さん、変身丸さんは?」

「・・・・・」


 女部田は無視して何やら加藤と話を続けていた。そうした女部田の態度を確認したカタクリ小町は常連たちに目配せした。すると『変身丸紀行』サイト常連たちが、一人立ち、二人立ちして、結局全員二次会から消えた。残ったのは女部田のサイト常連だけになった。加藤はオフ会スタート前から既に出来上がっており、二次会の席ががら透きになったことなど全く意に介さず、女部田お気に入りの女性特撮ファン・デミといちゃついていた。加藤とデミのいちゃつきに、必死で平静を装っている女部田を見ている冬美が、薄笑いを浮かべていた。デミがお手洗いだと言って席を立つと、二次会の場が白けムードであるということに女部田はやっと気付いた。女部田のサイト常連で『特撮基地』管理人の藪博士が切り出した。


「そろそろ、私はこれで…」


 すると、次々に他の女部田サイト常連の参加者も彼に続いた。オフ会場に女部田と加藤だけが残り、沈黙が続いた。


「デミちゃんは?」


 加藤が意味深に女部田の顔を覗いた。


「お手洗いって言ってましたね」

「今回のお目当ては、彼女かい、女部田さん?」

「え?」

「恍けなさんなよ、女部田さん」

「誤解しないでくださいよ、加藤さん。第一、オフ会はそういう場ではありませんから」

「そうだったね。そういう場にしてるのは、君だけの特権だったね」

「よしてください、加藤さん!」

「それはそうと…成沢さんに随分怒られたようだね」

「・・・・・」

「成沢さんはオフ会をキャンセルしてお帰りになったようだけど、そのことで2ちゃんねるとかに批判が出たら、君とデミちゃんの夕べの秘密とかも出るんだろうね」

「・・・・・!」

「開宴前に峰岸さんの奥さんともお話したんだが、君…夕べ連絡が取れなかったそうだね」

「・・・・・」

「デミちゃんとのミーティングで手が離せなかったんだろ?」

「変な勘繰りはやめてください」


 加藤の目は女部田を執拗に捉えていた。


「さて…デミちゃんは戻って来そうにないし…」


 加藤は右手を開いて女部田に催促した。女部田は苦虫を噛んで懐から茶封筒を出し、加藤の手のひらに乗せた。


「女部田さんのお部屋で、あの弁天様がお待ちだといいね」


 加藤は笑って会場を出た。女部田からは谷崎外しの言及がないままイベントの幕は完全に閉じられた。


〈第14話「オタ会議」につづく〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る