第15話 そして

勢いで飛び出した麻耶子だが

大通りにでてもなかなかタクシーが止まらない

麻耶子は大きな涙をポロポロこぼしながら立ち尽くす


好きになっていた

藤井先生のことを失った


こうなる前にどうして自分の気持ちを言わなかったのだろうと今更 後悔する


しかし

麻耶子にとって安易に気持ちを伝えて

この関係が崩れてしまうことの方が怖かった

ただ近くにいることができるこの状況で十分に満たされていた


しかし

失ってはじめて

ただ逃げていた事に気が付いた


勝負をかけて傷つきたくなかった

それが本音


情けなくて胸が張り裂けそうだった


やっと一台のタクシーが止まった


麻耶子はそれに乗ろうとしていたら

藤井先生が追いかけてきてタクシーのドアを手で押さえた


息を切らして苦しそうに咳き込んでいる


「大丈夫?お連れの方?」タクシーの運転手


藤井先生はタクシーの運転手に初乗り料金を渡して


「スミマセン

彼女ともう少し話があるんで・・・・・・」藤井先生


そう言って麻耶子の手を引いていった


「急に泣き出すから・・・・・・びっくりした」藤井先生


足早に手を引き進みながら藤井先生は話をする


「すみません」麻耶子


麻耶子はまだ涙声

だけど

藤井先生の手の温もりが嬉しい


異性と手を繋いだの

学生のとき以来……




「・・・・・・俺 鈍感だから・・・・・・渋澤のこと傷つけた?」藤井先生


首を横にふる麻耶子

藤井先生は立ち止まった

真剣な顔


「もしかして

俺のこと・・・・・・好き?」藤井先生


麻耶子は小さく頷いた

藤井先生は深いため息をつき

次の瞬間

握っていた麻耶子の手を強く引き抱き寄せた


思いもよらない展開に麻耶子の胸は高鳴る


「俺はバカだな

こんなに近くに居たのに全く気が付かなかった

渋澤・・・・・・」藤井先生


藤井先生の優しい声に麻耶子は顔を上げると

藤井先生はそっとおでこにキスをした


柔らかな唇


麻耶子の中に期待が膨らむ


しかし

藤井先生は麻耶子からそっとはなれて遊歩道にあったベンチに座った


麻耶子は置いてけぼりのように立ち尽くしている


「結婚式 来なくていいから・・・・・・ごめんね」藤井先生


「大丈夫です

私 藤井先生の後輩ですから

久しぶりに教授にもお会いしたいし」麻耶子


ニッコリ笑った麻耶子を優しく見つめる藤井先生


そして

それっきり藤井先生と二人で食事に出ることは無くなった

週に一度あっていたのに

不自然にお互いに予定が合わなくなった


やはり

結婚を控えた藤井先生は

好意をもたれている異性と二人で会うのは倫理的にむずかしかったのだろう


あの頃 一瞬 どうなってもいいのにと麻耶子は思ったけど

誠実な藤井先生らしい選択だと今なら素直に思えた


麻耶子はカウンターに肘をつき

あの日 藤井先生がくれたおでこのキスを指でなぞった


「いらっしゃいませ

今夜はお久しぶりな顔がそろいましたね」バーテンダー


麻耶子はその視線の先に目をやると

入り口のほうから藤井先生がこちらに歩いてくる


麻耶子は立ち上がり

小さく会釈する


「渋澤!来てたの?」藤井先生


少し酔っている様子


「藤井先生

けっこうぶりですけど

麻耶子先生はもっとお久しぶりなんですよ

こんな偶然ってあるんですね」バーテンダー


「今日はチームの飲み会があって

久しぶりに外に出たから」藤井先生


”そっか

良い夫をしていて

なかなか外には行かないんだ”


麻耶子は寂しそうな表情で微笑んだ


「久しぶりご一緒しても良いですか❓」麻耶子


いつになく積極的に誘えるのは

少し強めのお酒が効いてきたからかもしれない


藤井先生はにっこり笑って麻耶子の横に座る


バーテンダーは何も言わずに藤井先生にバーボンロックとチェイサーを出した


「渋澤の噂はこっちにもしっかり届いてるよ

頑張ってるね」藤井先生


「どんな噂なんですか?

僕も聞きたい 僕 実は麻耶子さんのファンなんですよ」バーテンダー


「才色兼備な女医

第一外科で紅一点 男に負けない仕事をしているって」藤井先生


「褒めすぎですよ

恥ずかしいです」麻耶子


麻耶子は頬を赤くする


「あ~良いなぁ

やっぱり麻耶子さんは想像通りの人だ」バーテンダー


バーテンダーの相槌にまたテレる麻耶子

藤井先生はそんな麻耶子を優しい眼差しで見つめながら続ける


「最近 教授とも話をしてたんだよ

優秀だったって

こんど大学に来て後輩達と話しをしてほしいって言ってたよ」藤井先生


ふと頭に栞がよぎる

麻耶子はグッとバーボンを口に含む


「藤井さん

最近は全く家飲みですか?」バーテンダー


少し暗い表情を浮かべてちょっと笑う藤井先生


「もしかして恐妻家?それとも藤井先生が愛妻家?」麻耶子


麻耶子は茶化すようにいった


「どうだろうね・・・・・・

うちはお見合いで

直ぐに結婚が決まったから

お互いに知りあう前に結婚したんだよ

だから最初は恋人のような関係だったんだけど

今は……」藤井先生


哀愁漂う横顔

麻耶子は見いる


「上手く行っていないんですか❓」バーテンダー


にっこり笑う藤井先生


麻耶子の中で危険な妄想が膨らむ


「藤井さん

麻耶子さんを選ばなかったからですよ❗

あの日 神様が最後のチャンスをくれたのに……残念」バーテンダー


バーテンダーはドキリとすることを平然と掘り返した

二人は徐に目をそらした


沈黙


「あれ❓僕 いけないこと言っちゃいました❓」バーテンダー


ニコニコしながらバーテンダーはそう言った

二人は愛想笑いを浮かべながらお酒を飲んだ

しかし

バーテンダーの天然ぶった絶妙な計算は

二人の止まった時計を動かしはじめた


カウンターの下


麻耶子の手は藤井先生の優しい手にしっかり包まれていた


何事もないように装う二人だが

二人の秘密は背後におかれたキープの入ったショーケースに映っていた


バーテンダーはそれを見て

少し微笑みグラスを磨きはじみた










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