第7話 俺、今、女子(また)キス中

 予想外のクラスメート、それも男の登場に少し騒然となった俺が拉致されているアパート内であった。あの下北沢花奈しもきたざわはなに友達が、それも男が? もしかして彼氏? みたいなびっくりした雰囲気ありありのお姉様方二人——代々木公子よよぎきみこ赤坂律あかさかりつ——は、ともかく男が来たのに下着姿で対応もないだろうから、部屋の隅に転がっていたジャージを着込み、その後に、慌てて玄関のドアの横のインターフォンに戻るであった。

「その、あらためて、何のご用でしょうか?」

 言ったのは代々木公子の方だった。彼女は、かなり警戒した様子で言う。

 そりゃ騎士ナイトだなんてマジで言ってくる相手は警戒して当然と俺も思うよ。

 でも、

「はい。花奈さんにクラスの連絡で漏れたものがあって……電話を何度かかけたんですが出てくれなくて」

 とまあ順当な理屈を言われると、お姉様方は振り返り、こっちを向いて、「そうあなの?」と言った顔。おっと、俺は首肯をしながら、膝の前あたりに置いてたスマホを手探りで操作して電源を落としておく。辻褄を合わせておかないとね。

 でも、一応納得はしているようだが、

「はあ? そんな緊急の用事です?」

 まだ警戒してる様子で、今度は赤坂律が言う。

 すると、

「ええ、月曜日に数学の課題提出があるのですが、花奈さんがその問題の紙を教室に忘れてしまったようで、最後までクラスに残っていた俺が、届けるようにって担任に言われて……花奈さんの家に電話したら今日は泊まりって言われて……明日の夕方に渡したんじゃやりきれない量の課題なのでどうしてもこの土曜のうちにって思いまして……」

 なるほど。俺は、なんの淀みもなくスラスラと嘘八百を並べる喜多見美亜あいつに感心しながら、今日のストーリー設定を確認する。

 下北沢花奈は、隣のクラスなんだが、クラスメートと言うことにするんだな。で、課題を忘れたのでわざわざ届けに来てくれたと。家にいなかったからって、わざわざ都内までやってくるなんて、随分親切な男の子だが。そんなしてくれる相手と下北沢花奈の関係は? ——あっ、騎士ナイトか。

 まあ、それは置いといて、

「それじゃ……受け取りますんで……花奈?」

 とりあえず渡すものあるんなら受け取ってさっさと追っぱらおうと思ったのか、なんだかめんどくさそうにそう言った、代々木お姉様は、

「あんたが、受け取る?」

 と俺に聞いてくる。

 そして、それに首肯しながら、俺が立ち上がりドアに向かうと、

「……ドアが開いた時に逃げようたってそうはいかないからね」

 すれ違いざまにそんな言葉を耳元で囁くのだった。

 ——はん?

 俺は気づかれないようにこっそりと鼻で笑った。

 なんだこの人。脅かしてるのかな?

 俺が逃げないように。

 俺がまた修羅場から逃避しないように?

 でも、——俺は思った。

 いやいや脅かさなくても逃げないよ。体は。

 心配しなくても良いよ。逃げないよ。体は。

 下北沢花奈の体はな!

 俺は、薄笑いを浮かべながらインターフォンに向かって言う。

「来てるのは誰? 向ケ丘勇の他は……」

「百合ちゃんと、あと、も・ち・ろ・ん、美亜も来てるよ」

 俺がさりげなく確認した言葉の意図を十分に組んでくれて、「それ」が可能なことを俺に伝えてくれる喜多見美亜あいつだった。

 オーケー、ならば、それなら……

「じゃあ、今外出るから……」

 俺は少し軋むボロアパートのドアを開け外に出る。玄関先、言った通りの三人が目の前にいるのを確認する。

 ニコニコしながら俺を見てる俺の体。他に、百合ちゃんと、中に下北沢花奈が入ってるはずの喜多見美亜の体は神妙な面持ちで、少し顔伏せて、上目使いで俺を見てる。

 俺は、その三人の一番後ろにいた、中に下北沢花奈の入っている喜多見美亜の体にに、分かってるなと言うような目配せをする。と、首肯する彼女。俺はつかつかと彼女のところまで歩いて行くと……


 ブチュ!


 熱烈なキスをするのであった。


   *


 女の子同士でキスをしているシーンを見て、代々木公子と赤坂律の大学生のお姉様二人は、たちまち大パニックになるのだった。

「えええ! 花奈ってそうなの!」

「うわ、そうだとしても……こんな綺麗な子と……なんであんたが……」

 今日のマンガ作成中に色々ちゃちゃ入れてくる話を聞けば、どっちかというと百合好きでなくBL趣味のお二人様なので、女同士のラブシーンには喜ぶというよりは、どうして良いかわからずに当惑しているようだった。キャーキャー言いながら、何もできずに後ろでおろおろしているのが背中から雰囲気で伝わってくる。

 それがわかって、——ははは、騒げ騒げ。と俺は思った。

 まあ、下北沢花奈はこの後。このお姉様型に少し違った目で見られるだろう、しかし、それも自らの身から出たサビ。この女が、コミケ前の修羅場から逃げたくて俺(喜多見美亜の体)と入れ替わったからこんなことになるのだ。

 俺の方というか、キスしている相手の喜多見美亜あいつはもうこの二人と関わることもないだろうから、どうも思われようと関係ないし……

 さあ、このクソ修羅場には下北沢花奈を残して、俺はさっさと家に帰って週末の深夜アニメに備えて、お茶でも飲みながらゆったりと心を落ち着けるのだ。こんな、一瞬も気の抜けない監視体制からはオサラバなのだ、と俺は思うのだった。

「どうするの……これどうするの……」

「なんだろ、祝福して赤飯とか炊かないとだめなの……えっ? それ違う?」

 ふん。混乱しろクソお姉様方。俺は、「背中」で慌てふためく二人の様子を感じて、口元をニヤリとさせた。

 もう、俺はあんた達とは無関係だ。そう、俺は、さっきまでのコミケ前の修羅場と違い、余裕をもって「背中」に感じる視線にも対処できるのだった。もう俺はそれに何もビビらないでいられるのだった。でも「背中」……?

「でも——事情は良くわらないけど。締め切りは変わらないのよ、花奈」

「そうだよ、花奈。と、……君たちも」赤坂お姉様が俺らに向かって言う。「わざわざここまでやって来て、花奈と深い関係なのはわかったけど、——今日は彼女たてこんでいるんだ。と言うか、本気で今日あたりで花奈の仕事進めておかないとまずいんだよ」

 なんだか想定外の出来事を見てしまった混乱から、そろそろ現実に戻って、このうやむやで下北沢花奈が今日マンガを描けなくなることを心配しだしたふたりだった。

 俺は……その声を「背中」で聞く。

 ん? 

 背中?

 って! 背中って!


「入れ替わってないじゃん!」

 

「…………」


 俺の焦った顔を、キョトンとした表情で見つめる下北沢花奈——喜多見美亜あいつの顔であった。

 なんだ! キスをしても入れ替わらない!

 これこそ——想定外だ。


 ブチュ!


 俺はそれならと、もう一度熱烈なキスを交わすのだが、


「あっ……うっ」


 なんだか色っぽい声を出す、下北沢花奈(喜多見美亜の唇)だが、あの体と心が溶け合うような、入れ替わる時のもやっとした心情はまるでやってこない。感じるのは——俺の心を占めるのは——柔らかい唇の感触と、毎日嗅いでいるはずなのに、他人の匂いとして感じれば、くらっとするような喜多見美亜あいつの爽やかながらなんかちょっと甘い良い匂い。

 なに、これ……

 もしかして?

 これ……だめ?

「だから、花奈……あなたが彼女と熱々なのはわかったけど——もうそろそろ仕事に戻ろう……」

「そうだよ。君たちも、こんな軒先で騒ぎ起こさないで……なんなら中に入ってもらって……あたしたちは、花奈を監禁しているんでも、怪しいものでもないことちゃんと説明するから」

 俺はキスをやめて、顔を離し、下北沢花奈の後ろにいる喜多見美亜あいつと百合ちゃんに目配せをする。二人も、俺が入れ替わっていないこと悟って、びっくりとしたような、呆然としたような、——表情を浮かべていた。

 なら、もう一度。俺はそう思い。下北沢花奈(喜多見美亜の顔)に向き直るが、彼女は申し訳なさそうに目をふせる。

 ああ、だめだな。俺は悟った。なんでかは良く分からないが、下北沢花奈は今自分の体に戻ることはできないらしい。俺と喜多見美亜あいつの時のように元に戻ることができなくなっていまっているのだった。


 となると……


「じゃあ、そう言うことでしたら……先ずは中にいれてもらって事情を聞くことにしますか」


 喜多見美亜あいつはそういって、このまま追い返されてしまうと言う最悪の事態だけは避けることを選択してくれたのだが……ねえ、いったいこのあとどうすれば良いの?

 俺は途方にくれながら振り返り、そこで少しイライラし始めたのか、顔に、どう見ても起こっているのを無理やり隠している、お姉様二人の引きつった笑い顔を見ることになるのだった。

 俺はまた修羅に逆戻りとなるしかないようなのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る