屋敷の探索

「それじゃあ、ステフの部屋へ行くわね」

ディアナはそう言って寝室入口に立つ。

寝ぼけ眼の私は、妻の言葉ににコクコクと頷くだけだった。

ドアが閉まる時、小さく笑う声が聞こえた。

寝癖のついた髪で目が半開きなのだ、滑稽そのものだろう。

顔を洗えば目も冴える筈だ。

寝台から立ち上がり、隣の洗面所までのっそりと歩く。

前の家と間取りが少し似ていて助かった。


 髪も整え、目も冴えた。

鏡の前には立派な紳士が立っている。

そして腹の虫が訴える音。

「腹の空いた紳士だ」

鏡に向かってお道化る様に呟く。

腹の虫を静めるためにも、食堂へ朝食を食べに行かねば。


 廊下を進み玄関ホールに着くと、丁寧なお辞儀をした執事のマットがいた。

「おはようございます、旦那様」

「あぁ、おはよう。いい天気のようだね」

「はい、本日も良い快晴でございます」

「今日もよろしく頼むよ」

ダスティンは軽く手を振りながら食堂へ向かった。

食堂へ向かう姿をマットは深々と頭を下げながら

「有難きお言葉……」

と言葉を添えたのが聞こえた。


 食堂でスザンナがアンソニーに紅茶を淹れていた為、とても良い香りが部屋中を包み込んでいた。

ダスティンに気が付いたスザンナは、持っていたポットをワゴンに置いてアンソニーから離れ

「おはようございます、旦那様」

とお辞儀をした。

「あぁ、おはよう。アンソニーも」

挨拶をしない息子の注意を引くように言った。

「父さんか、おはよう」

ダスティンの方を見ずにアンソニーはそっけなく言った。

 アンソニーは妹以外にはいつもこんな具合だから、誰も注意しない。

その証拠に、ダスティンはそんな息子を叱りはしない。

「まだ、2人は来てないようだね」

そう言いながら上座に座り、机に置かれた新聞を手に取る。

「えぇ、まだお二人のお顔は見えておりません」

「そうか、ではコーヒーを頂こうかな」

「はい、かしこまりました」

一礼し、足早に調理室へ向かう。


 会話が全くない父子だけが部屋に残った。


 妙な静まりのある部屋に軽やかな足音が聞こえてきた。

「おはよう!」

元気にステファニーがディアナと一緒に来たのだ。

それと同時にスザンナがコーヒーを淹れて持ってきた。

「まだみんな揃ってないのかしら……?」

食堂内を見回し、ディアナが呟いた。

「ヒューなら、まだ眠っておりますよ」

後ろから入ってきたマットが答えた。

「あら、そうなのね」

どうしましょう、とでも言うように頬に片手を当てた。

「それじゃあ、私たちだけでも食べようか。それで良いかな、ステフ?」

とダスティンが提案する。

「そうしましょ、お腹が空いたわ!」

ステファニーは上機嫌で席に着いた。



ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-



 朝食を終えたアンソニーは黙って食堂を出た。

その場にいる誰もその行動を気にも止めず、各々が自由に行動していた。

ダスティンはコーヒーを飲みながら新聞を読み、ディアナは編み物をしていた。

そしてステファニーは、はちみつがたっぷりかかったパンケーキを食べている。

部屋には、スザンナが食器を片付ける音とステファニーの鼻歌がかすかに聞こえるだけだ。

 マットは調理室で汚れた食器を洗い、ヒューは何をしているか分からない。


コツ、コツ、コツ……。


アンソニーの足音だけ響く廊下。

今日は屋敷の内装をメモし、分かりやすくまとめた上でステファニーに渡す予定だ。

妹が広い屋敷で迷子になったり、老朽化で脆くなった部屋で怪我をさせたくないと言う気遣いだ。



 まずは一階から見て行こう。

玄関ホールに置かれた椅子に腰かけ、手帳と万年筆を取り出す。

手始めにこのホールを表す円形を中央に描く。

次に左右に長方形を繋げ、円形の上部に階段を付け足す。

あとは矢印で部屋の名前を書き込めば分かりやすいだろう。

 あまり詳しく書いても分かりにくいので、簡潔に書かなければならない。

それでいて正確に書かねば後から何を言われるか分かったものじゃない。

前に公園までの道順を書いた時には、建物の数がだけでその地図は燃やされた。

ステファニーが気に入らなかったのだ、燃やされて当然だ。

僕はただステファニーが気に入ってくれたらそれで良い。

 一階の内装は粗方これぐらいだろう。

あとは部屋で清書すればいい。

 次は二階に行こう。

アンソニーが椅子から離れ、階段を上がろうとすると不思議な音が聞こえてきた。


ざざ……ざざぁ……どしゃ……


何かを土に埋めるような音だ。

そして恐ろしく低い音も聞こえてくる。

明らかに異質な、歪な物音。

これはステファニーにとって脅威になりかねない。直感的にアンソニーはそう思った。

音の原因を確かめようと、耳をそばだてて原因を探る。


コツ、コツ、コツ……。


ゆっくりと音がはっきりと聞こえてくる方へ歩いていく。

一歩、また一歩と進む度に音は明瞭になり、ある場所を導き出した。

「階段……?」

音は確かに地下に通じる階段の先にある扉から聞こえてくる。

両親や使用人、ステファニーもこの扉の向こうにいる筈がない。

だったらこの耳鳴りの様に響き続ける音は何なんだ。

自分の身の危険より、今後ステファニーに危害が加わる可能性の方を案じた。

 階段を下り、扉に耳を当てる。

すると今度は、土を被せる音ではなく子供の話し声が聞こえてきた。

その声は布を被せたように遮られていて、どこかステファニーに似ている声が聞こえる。

もしかしてステファニーがこんな所に……?いや、そんな筈はない……でももしかすると……。

意味のない自問自答が頭の中を掻き乱す。

どちらにせよ、部屋に誰がいるのかは見てみなければ分からない。

扉の向こうから聞こえる子供の声が、自分を嘲笑っている気がしてきた。


「ここには何もないのに、来るなんてバカな人」


「そんなだからステファニーを守れない」


「ステファニーを守れない者に価値はない」


「あなたは無価値」


姿の見えぬ子供に自分を否定される。

実に不可思議で非科学的、この状況が可笑しくて不思議と頬が緩む。

誰にも打ち明けた事のない、ステファニーに対する暗い感情と底知れぬ不安を言い当てられたのだ。

これは自分が作った幻聴だ、ただの気のせいだと自らを律し扉に手をかける。

恐る恐るノブを回すと、簡単に扉は開かれた。

明かりのない部屋に一筋の光が入り、それを裂くように自分の影も伸びる。

 足を部屋に踏み入れると、ある違和感を感じた。

硬いコンクリートが敷かれていると思っていた床には土が被せられ、天井が妙に低いのだ。

持っていたハンディライトで少し照らしてみると、どうやら床全体に土が敷かれている。

普通、天井は扉から少し離れた上部にあるものだが、この部屋は上下から圧縮された様に天井が低い。

 それに床一面が土に埋もれているのも変だ。

仮にこの土の下にもし階段があるとするなら、この天井の低さにも頷ける。


しかし、一体誰が何の為に……?


 しゃがんで、足元の土を少し摘まんでみる。

土は見た目より固く、爪の中に少し土が入ってしまった。

ここに敷き詰められてからかなり時間が経っているらしく、ぼろぼろと纏まって取れた。

土を取った所に植物らしきものが見当たらない所を見ると、ここと庭は繋がっていないらしい。

そこで、この土の下には階段があり何者かの意図によって埋められた。という仮説の信憑性が増してきた。

 すぐにでもスコップで掘り起こそう、万が一にもここに危険物が埋められているかも知れないのだ。

確か、庭師がスコップを持っていた筈だ。


 地下の扉を静かに閉め、階段を上がり屋敷を出る。

あの狭苦しい部屋と比べると、外は空気が澄んでいて爽やかな陽気だ。

地図や地下の事がなかったら、溜まった蔵書を消費したい。

だが、これはステファニーの為なのだから、自分の事はその後だ。

 庭の植木にはまだ手入れされていないが、半日で庭中の芝生を整えたのは素直に凄いと思う。

犬や猫を飼っていたら、きっとここで楽しそうに転げ回っていただろう。


「これはこれは、お坊ちゃん。何か用ですかい?」

小屋にいたヒューがこちらに気づいたらしく、声を掛けてきた。

軍手を嵌めた手には剪定ハサミ、麦わら帽子と首からタオルを下げている事から、これから仕事の様だ。

「道具を見せろ」

「へぇ、お坊ちゃんも庭弄りがご趣味で?」

「それならお前はここにいないな」

「そいつはご尤も。どうぞ、ご自分でお探しになってくだせぇ」

ヒューは自分の鳩尾に右手を添え、左手で小屋へ行くよう促した。

自分の事は自分でしろ、と言う様な素振りだ。

とはいえ、今からやろうとしている事を根掘り葉掘り聞かれても面倒で、時間の無駄である事はあまりにも明白。

 僕は庭の小屋へ足早に向かった。

長年使われていなかっただろう小屋からは苔やら茸やらが生え、今にも崩れそうな程木が痛んでいた。

前の家から運んできた道具はまだ、箱に詰められたままらしい。

決して広くはない小屋の大部分が道具を入れた箱で埋め尽くされていた。

 後ろにヒューの姿はなく、この中から自力で探し出すのは時間が掛かりそうだと悟った。

何と言っても、大小様々な箱が積み重なっている。


「あった!」

積み重なった箱を動かしてようやく見える所に立て掛けられていた。

思いの外早く見つかり、少し浮かれてしまった。

喜びのあまり声を上げてしまったが、周囲には誰もいないから良いだろう。

これを持って地下へ急ごう。

いや、ちょっと待て。

今地下を掘り返した所で、地図は完成する筈がない。

部屋一面の土。たとえ3日あっても足りないかもしれない。

それなら、と僕はやっと見つけだしたスコップを置き、屋敷に引き返した。

 ステファニーが関わるかもしれない事だから気が動転していたが、冷静になってみれば、僕が地下へ近づけさせなければ良いだけの話だった。

これは自分の悪い癖だ、何時如何なる時でも冷静でいなければいけないのに。

 玄関の扉を開けた時にふと思い出した。


「そんなだからステファニーを守れない」


という言葉。

改めて考えると、まるで未来から過去に向けている様に聞こえる。

あくまで仮説としてだが、もしかすると、これから先に僕がステファニーを守れない事が……?

いや、そんな筈はない。

そんな事があってはならない。


ステファニーを、彼女を”兄”として守る事だけが、僕がここにいる理由なのだから。

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