三章⑤ 戦士

「なっ、吹雪で軍の到着が遅れるですって!?」

「この辺りは静かなのじゃが、他の村や町では家屋の倒壊や怪我人も既に出ておるらしくての。其方の対応を優先しつつ……しばらく様子を見てからでないと、動けないそうじゃ」


 サンから告げられた悪い知らせに、その場に居た全員が絶望に打ち拉がれた。ある者は顔面を手で覆い、またある者は俯き重々しく溜め息を吐いた。思わず声を上げてしまったトニは両脚から力が抜けていくのを感じ、背もたれに縋るようになんとか椅子に腰を落ち着ける。

 そろそろ日が暮れる。キュリが宣言した夜になる。虚無が約束を守るのか、そもそも約束なんて概念を本当に持っているのかすら疑問なのだが。幸運なことに、あれから虚無の姿を見た者は居ない。

 しかし、今夜が山だろう。キュリ達もそうだが、村人達の疲労も既に限界だった。虚無の奇襲に備えて、男達はほとんど徹夜の日が続いている。トニもそうだ。自分はまだ若いから無理も出来るが、ライアスには彼のような若者は少数派だ。加えて、昼間の肉体労働もある。

 ただ、誰も文句は言わなかった。アンナは未だに目を醒まさず、フロストも戦える状態ではない。そう、特にフロストをこれ以上キュリと戦わせてはならないと、村の誰もがわかっていた。

 キュリがヒョウの銃を持っていた。金色の銃が、フロストをどれだけ傷付けたのか、トニには想像すら出来ない。


「……参ったなぁ」


 フロストがあんな風に形振り構わず弱音を吐いたところなんて、初めて見た。

 六つも年下だが、いつの間にか彼は自分よりずっと強かった。銃を手に、誰もが恐怖する虚無に立ち向かう姿は男のトニでも見惚れてしまう程だ。そんな彼が、あの夜初めて弱さを見せた。

 今度は大人達が、フロストを護ってやる番だ。


「こうなったら、村の有志を募って我々だけで応戦しましょう!」

「武器ならアンナの店に沢山あるしのう? まぁ……後が怖いが」

「やろう、やってやりましょう!!」


 やはり、皆も同じことを思っていたようだ。もちろん、銃の使い方なんか知らない。まともな抵抗なんか出来ないかもしれない。それでも、これは大人達の意地だった。

 フロストに任せて、今まで虚無から逃げていた大人達へ神から与えた罰なのかもしれない。

 ならば、今こそ甘んじて受けよう。


「子供達とご老人方を、どこか安全な場所に避難させなきゃな」

「ユド先生は避難する方ですかな?」

「ばかもん、わしはまだまだ現役だぞ!」


 冗談と、笑い声まで飛び交う。心強かった。だが、不安を完全に拭い去ることは出来ない。

 特に、トニ達にはどうしても目をそらすことが出来ない問題があった。


「あの……こんな時に話すことではないのでしょうが、今年の“クリスマス”は、一体どうなってしまうのでしょうか?」


 サンタクロースの女が、挙手をしながら恐る恐る言った。彼女はマリッタ・カールレラ。本来ならば、この場に居る筈の教師カルロの妻である。先日の襲撃で、カルロは脚と肩に重傷を負ってしまった。絶対安静を言い渡された旦那に代わって、彼女が集会に来たのだ。

 マリッタの言葉に、皆の間に再び沈黙が落ちる。


「クリスマス、か」

「今現在動けるサンタクロースとトナカイを合わせて、なんとかいける……かと」

「なら、これ以上の被害はご法度というわけだな?」

「それよりも……村の修繕で手一杯なこの状況で、クリスマスなんて」


 既に、この場で笑っている者は一人も居なかった。クリスマスは、サンタクロースとトナカイにとって一年で最も重要な行事であり、彼等の存在意義である。

 世界の創造主たる絶対神の生誕祭であるクリスマスは、生を受けた誰もが幸せになるべき特別な日。この日だけは神の意思によって世界の扉が開かれ、人間界へと行くことが出来る。そして、最も幸せになるべき子供達にプレゼントを配らなければならない。

 配達は夜の間に行われる故、原則として人間達に姿を見られてはならないし、人間の世界に痕跡を残してはならない。それでも、神から与えられた役目と与えた子供の笑顔を思うことが、サンタクロースとトナカイの喜びである。

 それを蔑ろにすることなんか出来ない。


「ふうむ……他の村に頼んで、少しでもエリアを受け持ってもらうか?」

「クリスマスはもう二日後ですぞ!? 今からでは、どう頑張っても間に合わないのでは……」


 それに、軍が動けない程の猛吹雪。思うような身動きの取れない状況に何の良案も生まれず、溜め息と沈黙ばかり。トニは無意識に、扉を見つめている自分に気が付いた。

 ヒョウが居なくなった頃、トニは十一歳だった。当時はまだ子供向けの特撮ヒーロー番組が大好きで、玩具の変身グッズでよく遊んでいた記憶がある。そんなトニにとって、ヒョウは一番のヒーローだった。

 だから、彼が居なくなった時の絶望感は今でも胸を締め付ける。だからだろうか、いつしかふと無意識に扉を見つめてしまう癖が付いていた。今にもあそこの扉が大きく開かれて、満面の笑みでヒョウが現れるのではないか。そんな泡沫の夢を見てしまう。

 彼はもう、どこにも居ないのに。


「……駄目だなぁ」


 誰にも聴こえないよう、トニが小さく小さく呟いた。自分はもう。叶いもしない夢を見る年齢でもないのに。俯いて、落ちる影の中で自虐的に嗤った、その時だった。

 今まで見つめていた扉が、大きく開かれたのは。


「……えっ?」


 鮮やかな真紅のコートに、揺れる純白のマフラー。光を集めたかのような銀の髪。

 そして、堂々たる姿。


「ひっ、ひょ――」


 それはトニの声では無かった。でも、トニも同じ名前を胸中で叫んでいた。

 ヒョウ! 戻ってきてくれたのか!?


「……なに、変な声出してんだ? 幽霊でも見たのかよ」

「えっ、フロスト?」


 思わず目を擦ってしまう。目の前に居るのは、確かにフロストだった。容姿も、着込んでいるコートやマフラーもヒョウと似ているが、今まで見間違えることなんか無かったのに。何かがおかしい。

 どうして、フロストがヒョウに見えてしまったのだろう。


「ど、どうしたフロスト。何か用か?」


 慌ててトニが取り繕う。他の皆も、やはりトニと同じだったのか。目を擦ったり、わざとらしく咳き込んだりしている。しかし、フロストは苛立つような素振りを見せなかった。やはり、何かが変だ。いくら目を揉んでも、擦っても変わらない。

 どうしても、フロストがヒョウに見えてしまう。


「……村長」


 フロストが、サンの元まで歩み寄る。そして、落ち着き払った声で言った。


「俺に、キュリの討伐を命じてください」

「なっ!? お前、自分が何を言って――」


 ユドが立ち上がった拍子に、椅子が派手な音を立てて倒れた。中断される言葉。響く振動の、僅かな余韻も空気に溶け込んで消えるまで待って、フロストが言う。


「……俺は、今まで虚無さえ始末出来ればそれで良いと思っていた。虚無を殺すことが戦士の役目であり、村の平和に繋がると思っていた。でも、それは間違いだった。やっと、わかったんだ」

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