一章⑤ 二丁の拳銃

 壁に引っ掛かっているリヴォルヴァーを手に取る。蓮根型の弾倉は空で、銃身は長い。馴染みの無い感触。記憶とは違う、グリップの形。

 やはり、これは知らない銃だ。軽く息を吐いて、元の場所に戻そうとした、その時だった。


「相変わらず、イイ男だねぇ?」

「ッ!?」


 突然濃厚になる気配。咄嗟に振り向こうにも、フロストが動くよりも先に、腰と胸に真っ赤なマニキュアが塗られた指が這う。

 背中に伝わる柔らかい熱。耳の輪郭をなぞる、肉厚な唇の感触。


「……アンナ」

「ンフフ、焦っちゃって。戦士と言っても、やっぱりまだガキだねぇ」


 クスクスと笑う声。苦いアルコールの匂いが、肺腑を侵す。油断していたとは言え、この女に背後を許すだなんて。苛立ちを露わに、舌打ちが零れる。


「焦ってなんかねぇよ。ふざけてねぇで離せ」

「おや、今度は強がりかい?」

「強がりじゃねぇ。つか、ガキ扱いすんな」

「ああ、そうだったねぇ」


 妙に艶めくハスキーボイス。胸にある手はそこを撫で、腰にあった手は太腿に降りる。

 唇は項まで降りて、さらさらと揺れる銀の髪に口付けを落とす。そこからジワリと滲む熱は、眩暈を誘う程に甘く。


「ッ……」


 背筋に走る切ない痺れ。不本意にも漏れる吐息に、女が楽しそうに笑う。


「ガキはこんなエロい身体なんか、してるわけないねぇ?」

「テメェ……くそっ、離せ――」

「あ、ああー!!」


 突然割り込んだ叫び声。見ればミカがカウンター越しに、何故か顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。

 くわえていた棒をポトリと落として、ミカが喚く。


「フロストとアンナさんがえっちなことしてるう!」

「してねえよ!! 見ればわかるだろ、この酔っ払いが勝手に――」


 ああ、もう面倒くさい! しかし、このまま弁解しないわけにもいかない。田舎で暮らすには、ちょっとした誤解も命取りなのだ。

 が、適切な言葉を選んでいたその隙を取られた。


「隙ありぃ!」


 気がつけば、背中からの手はフロストの二つのホルスターに伸びていて。振り払おうとした時には既に、二丁の拳銃はそこには無かった。


「なっ!?」

「ああん、やっぱり二人ともイイ男だねえ」


 振り返れば、腰まで流れる緩いウェーブがかった金髪の女が、至福の顔でフロストの拳銃を見つめていた。

 右手には白銀の、左手には漆黒の拳銃。その二丁を、まるで恋する乙女のような恍惚とした表情で愛でている。


「ブランシュにネラ。元気にしてたかい?」


 ゴツゴツとした拳銃に、何の戸惑いもなく頬ずりをかます女。ファーのついたジャケットを羽織っていても、その下に隠れている豊満な胸元が揺れているのが分かる。右の枝角の根元には、飾り気の無い少々くすんだ銀のシンプルな『アンクルカフ』がはめてある。

 ミカくらいに小柄だったら、頭の角をもぎ取ってやるのに。生憎この変人は、ヒールを履かなくともフロストの鼻先程まで背丈がある。顔つきも美人に分類され、一見ファッション雑誌のモデルのようだが、あくまでそれは見た目だけ。

 タチの悪い酔っ払いである。


「アンナさあーん! フロストと何してたのお?」


 頬をパンパンに膨らませて、ミカがアンナに歩み寄る。ここまで来てようやくアンナも、ミカのことを認識したようだ。


「おや、ミカ。いらっしゃい」

「今、何してたの?」

「今?」

「フロストと!」

「ああ。何って言われても……」


 ちらりと、アンナが此方を見る。

 そして、にやりと笑う。


「そうだミカ。お姉さんがあんたにイイこと教えてあげる」

「いいこと?」

「……おい、アンナ」


 飴玉を戻し、拳銃も元の場所に引っ掛けて。抗議をする前に一応、目の前にいるミカの耳を両手で挟むようにして塞ぐ。


「うひゃっ! やだ、離してよう!?」

「あんまりミカに変なことを吹き込むな。後が面倒だ」


 暴れるミカを押さえ込みながらの会話は、なかなか難儀なものがある。

 そんな此方の事情など見て見ぬフリで、きょとんとした風でアンナが答える。


「面倒って言われても、ねえ? 今後に役立つことなんだから、別にイイじゃないか」

「今後って何だよ」

「絶対ミカの役に立つでしょ? あんたのイイトコロの知識は――」

「立つか!!」


 タチが悪い。村の大人達の中で、この女が一番タチが悪い。そもそも、アンナは元々村の出身ではなく、流れの戦士であった。そんな彼女がこの村にまともに居着いたのは、十年前だ。

 数多の銃火器を使いこなし、星の数程の悪夢を破滅に追いやったアンナ。ヒョウが居なくなってから暫く村の戦士として働く一方、フロストに銃の扱い方を教えた。所謂師弟関係なわけだが、二人の関係はそんなストイックなものではない。

 どちらかと言うと、奥様方の井戸端会議でよくネタになる、ギットギトなメロドラマだ。ちなみに、内容は当人達しか知らない、筈。


「まっ、この二人をいじらせてくれるんなら、言わないでおいてあげるけど?」

「あー……好きにしろ」

「うきゃあ!」


 話は纏まったので、暴れていたミカを離す。その際に、勢い余って床にまた尻餅をついたが、いつものことだから気にしない。

 他人に銃を触られるのは嫌なのだが、アンナならば問題は無い。と言うより、触らせて置かないといつまでもうるさい。


「うふふ……でも、この二人は本当にイイ男だよ。フロスト、あんたには勿体無いねえ?」


 カウンターのあちら側に潜り込んで、ジャケットの代わりに作業用の薄汚れた上着を羽織り、意気込むアンナ。埃っぽい床からのろのろと立ち上がり、ミカが首を傾げた。


「いいおとこ?」

「ミカ、あんたいっつもフロストにべったりだけど、世の中にはそんな若白髪野郎よりイイ男はいっぱいいるのよ?」


 若白髪とか言うな、この髪は遺伝だ。


「特にこの二人! ブランシュは見た目は王子様みたいなキレイな顔してるのに、中身はいやらしいサディストだね。涼しい顔して、一発で的の肉を問答無用に潰しちゃうんだから」


 白銀の銃身を撫でながら、もう何百回聞いたか分からないことをうっとりと語り始めた。先程しまった飴玉を取り出し、包みを破る。

 また長くなるぞ。


「ネラは見た目は完全に冷血な肉食獣なのに、意外と思いやりのある兄貴だねえ。使用者が左利きじゃなくても、狙いやすい造りになってる」


 熱い視線で漆黒の拳銃を愛でながら言った。火器に全く携わったことのないミカなんかは、口を半開きにしたまま瞬きを繰り返すだけで。アンナには拳銃を中心とした火器を何故か擬人化して考える傾向がある。

 しかも、フロストが思うに、彼女は銃火器と生き物の見分けがついていないのでは無いだろうか。白銀の拳銃を分解整備しながら、此処最近あったハプニングやゴシックなんかで世間話に花を咲かせている辺りは、そうとしか思えない。

 傍から見たら盛大な独り言なのだが。


「……アンナさんの言ってること、よく分かんない」

「ほっとけ。いつものことだ」


 飴玉をくわえて言った。彼女のお気に入りは、最高に面倒なことにフロストの二丁の愛銃達である。

 白銀の拳銃はブランシュ。漆黒の拳銃はネラ。二丁ともヒョウが消えてから、フロストの家の金庫から出てきたものである。一体いつからそこにあったのか、どうしてそこにあったのかも分からない。

 二丁拳銃は両手の自由を引き換えに、絶大な破壊力を誇る。再装填の手間や腕への負荷を考慮すれば、両手に銃を握ることは見た目は良くても効率は悪い。しかし、それでもブランシュとネラは個々ではなく、あくまでも二丁で一つらしい。


「あーあ。こんな名銃、なんでフロストなんかが持っているのかねえ?」

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