一章➂ 幼馴染

「ちょ、ちょっと待ってよぉ」


 フロストぉ! と呼ぶ声。止まる気は無い。放って置いて欲しい。だが、そんな繊細な空気を読み取ってくれる程、ミカは気が利くヤツではない。

 空には分厚い雲が広がり、綿のような雪がひっきりなしに髪やコートに貼り付く。払うのも億劫で、熱が奪われるのを感じながら足早にその場から離れる。

 否、逃げる。


「ま、待って――うきゃあぁ!」


 背中を叩く奇声。思わず振り返って見てみれば、ミカの姿が見当たらない。


「ミカ?」

「うー、滑ったよぉ……」


 声を辿ってみればいつもより低い、というよりもはや地面に近い場所で、ミカが呻いていた。

 顔面と、背中まで伸びた黒髪の先まで雪まみれになったミカ。その間抜けな様子に、いつの間にかフロストは笑い出してしまっていた。


「ぷっ、くく。……お前、何やってんだよ」

「ふえぇ……だって、フロストが」

「わかったわかった、俺が悪かったよ。……ほら」


 座り込むミカの元まで歩み寄り、彼女の前に手を差し出す。ミカは迷うことなくその手を掴み、引っ張られるようにして立ち上がる。

 小さな手が服を払う間、フロストが髪に付いた雪をとってやる。指先を滑る硬質な髪に以前、流行りの髪型が上手く出来ないと嘆いていたことを思い出す。


「うう、最悪……冷たいし」

「ほら、粗方取れたぞ」

「え、ほんと? ありがとっ!」


 花のような満面の笑顔。ついさっきまで泣いていたくせに、もう笑っている。

 くるくると変わる表情が、フロストの張り詰めた緊張を解す。どんな時でも、天真爛漫なミカを見ていると気が楽になる。

 鬱陶しい時もあるのだがそれでも、ミカとフロストはなぜかいつも一緒だった。


「あ、あのねフロスト……」


 いつも腹立たしいまでに場の空気を読まない彼女にしては珍しく、何かを言い淀んでいるらしい。二人の間で舞い踊る一枚の雪が地面に落ちる頃、漸く桜色の唇を開いた。


「あのね? おじいちゃん達は、フロストが頼り無いからあんなこと言ったんじゃないよ。フロストのことが心配で、無茶してケガとかして欲しくないだけなんだよ!」


 それにね、とフロストの顔を見上げるミカ。泣いていたからか、焦げ茶色の瞳が微かに潤んでいる。


「あたしは、ヒョウさんは生きてるって信じてるから」

「は……? 何言って――」

「だから、一緒に待とう? だいじょうぶ、ヒョウさんは絶対に帰ってくるよ。フロストのお父さんだもん!」


 ミカの言葉は飾り気が無く、それだけに真っ直ぐだ。嘘でもなければ、演技でもない。

 ヒョウがまだどこかで生きていることを、彼女だけは本当に信じているのだ。ろくに顔も覚えていないだろうに、フロストがとっくに諦めたことに未だ縋りついている。

 健気で頑ななミカに癒やされ、確かに支えられている自分がここに居る。


「フロスト……怒ってる?」

「えっ?」

「だって、何にも言ってくれないから」

「あ、いや……別に」


 一体、どんな顔をしていたのだろうか。少なくとも、投げかけられた言葉に励まされていたなんて言えない。


「……怒ってねぇよ」


 そう言って、何となく気恥ずかしく思い目を合わせられなくて、自然と空に視線を逃がす。綿菓子のような雪がひらひらと落ちてくる様子を見つめていると、いつの間にか空に吸い寄せられているかのような感覚に陥ってしまう。


「別に、怒ってねぇ。心配してくれるのは嬉しいし、村長達が言う程自分が強いとも思ってねぇよ」


 ただ、ちょっとだけ拗ねただけだ。戦士として認められ、やっと一人前になれたと思っていたのに。自分がこの村で一番強い筈なのに、老いぼれた大人達と、引き金の引き方すら知らない幼なじみに護られてしまう。

 結局の所、まだまだガキらしい。


「……ムカつく」

「へ?」

「何でもない」


 踵を返し、再び歩き始める。村長の屋敷から少し離れた場所に、フロストの愛車がセンタースタンドで止めてられていた。予想以上に長居してしまっていたようで、随分な待ちぼうけをくらったそれは雪にまみれて不機嫌そうな様子。

 若者からの絶大な人気を誇るルナムーン社の大型スノーモービルは、デザインだけでなく機能性にも優れている。赤と黒を基調としたスタイリッシュな外見にも関わらず、氷上や雪道でも走れる程の馬力を兼ね備えている。

 加えて、風の魔力を持った『スピネル』――様々な能力を秘める半透明の石。この場合は、自在に空気を溜め込み吹き出す能力がある――を組み込んであるので、厚く降り積もった雪を吹き飛ばすことも可能になった。エンジンの騒音が少々難点だが、それは消音機材を取り付ければ大分抑えられる。

 フロストが十五歳になった誕生日に、村長から貰ったものだ。田舎の村には似合わない代物だが、それ故に大切に使わせて貰っている。代金のことは何も言ってくれなかったが、性能に見合った金額は貯金に相当痛手だった筈。


「どこに行くの?」


 器用に積もった雪を軽く払って、スノーモービルに乗り込みエンジンをかけようとした時に、ミカが言った。

 見ればわかると思うのだが。


「家に帰る」

「うそ!」

「嘘じゃねぇって。疲れたから、帰って寝る」


 出て来る前に確認した時間は午後三時を過ぎた辺りだった。昼寝をするには丁度良い。

 不貞寝、ではなく。あくまで昼寝だ。


「えー……、帰っちゃうのぉ?」

「ああ。ここに居ても、やることねぇしな」

「じゃあ、あたしも行く!」

「はぁ? 何で」

「だってぇ、家に居たっておじいちゃん達が話し込んでるから気まずいじゃん。絶対に夜まで終わらないし、夕方から再放送するドラマも見たいのにあたしの部屋にはテレビないからさぁ」


 今日は山場の回なの! と、両手で拳を作り熱く語られて。夕方の再放送のドラマとは、確か王道でベタベタの恋愛ものだった気がする。フロストの一番苦手なジャンルだ。

 決して、興味がないというわけではないが。


「あとあと、夜の七時から歌番組あるしぃ。フロストの好きなバンドが今日新曲発表するって」

「って、まだ来て良いって言ってねえし。つか、何時まで居る気だよ」


 ヒョウが居なくなってから暫く、フロストはミカの家で世話になっていたが現在は一人暮らしだ。元々親子二人で住んでいた家は彼一人では広すぎるのだが、それでも住処を変える気は今のところ無い。

 今のようにちょくちょくミカが問答無用に押し掛けてくるから、寂しいとも感じていない。


「……仕方ねえな」

「やった! じゃあ、コート取ってくるね?」

「ちゃんと誰かに言っておけよ」


 果たして、両親と祖父である村長は、ミカが一人暮らしの男の家に通っていることについてどう考えて居るのだろうか。幼馴染ではあるが、二人共年頃だというのに。


「……このまま置いて行っちゃうとかしたら、怒るからね?」

「わかったわかった。待っててやるから、早くしろ」


 成る程、そういう手があったか。しかし、それを実行すると絶対に後が面倒なことになるので、フロストはそのまま待つことにした。ぱたぱたと慌ただしく――二、三回雪に躓きつつも、屋敷に入っていくミカを見送る。

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