第14話、想い

「 みっちゃん、もう少し右に寄って~ そうそう、そんなカンジ 」

 茶畑の端で、坂井が指示を出している。

 いよいよ、撮影が始まった。

 正午前に到着したカメラマンが三脚を立て、フィルムを用意している。 その横で、カメラマンの機材を、物珍しそうに覗き込んでいる八代。

 坂井が言った。

「 どうです? 八代さん。 こんなカンジのレイアウトで 」

「 オレに聞かれても、ドコがどういいのか分からんよ。 お前や、美緒ちゃんに任す。 ・・そう言えば、美緒ちゃんは、まだ来んのか? 」

 母屋の方に目をやりながら、坂井が答えた。

「 着付けに、時間が掛かってるのかなぁ・・ そろそろだと思うけど。 あ、来た! 」

 生垣の端から、美緒が姿を現した。


 紺の着物に赤い帯。

 茜襷( あかねたすき )の袖留めと、着物と同じ色模様の甲当て。

 髪を日本髪風に結い上げ、白い手拭いの頬被りをしている。


 典型的な、茶摘み娘姿だ。 腰には、小さな茶籠が縛り付けられている。

 着付けをしていたキエも一緒に出て来た。 美緒の着物の襟口を直しながら、子を送り出す母親を思わすかのように、美緒に付き添いながら歩いて来る。

 微笑ましくもある光景に、八代は目を細め、腕組みをすると言った。

「 う~む、中々に似合ってるぞ、美緒ちゃん。 17~8歳くらいの娘に見えるな 」

 美緒が答える。

「 茶化さないで下さいよ~ ・・ああ~ん、着物なんて、あまり着た事ないから緊張するなぁ・・・! 」

「 ワシの娘頃を思い出すのぅ~ あの当時は皆、着物じゃった。 無論、こんな綺麗な絣着物は、着れなんだがのぅ~ 」

 美緒を眩しそうに見ながら、キエも嬉しそうである。

 八代の前まで来て、美緒は言った。

「 まさか、被写体をやるハメになるとは、思いも寄らなかったわ。 しかも、茶摘み娘 」

「 これも、いい経験だろ? 」

「 ちょっと緊張するけど・・ 何だか、楽しいですね・・! 」

 顔を赤らめ、笑顔で答える美緒。

 冷やかしながら、カメラマンも言った。

「 どこのモデルさんかと思いましたよ。 これからは経費節減で、ご自分で被写体になったらいかがです? 」

 更に顔を赤らめ、美緒が答える。

「 カンベンして下さいよ~ ・・でも、後で記念に1枚、撮ってね。 自腹でお支払いしますから 」

「 ははは。 了解! 」

 フィルムをカメラに装着しながら、カメラマンは笑った。


「 日高さ~ん! コッチですよ~ 早く、早く~! 」


 少し小高い茶畑の中で、添田が手を振っている。

 彼女も、美緒と同じ、茶摘み娘姿だ。

 こちらは、年齢的にも『 現役 』。 着物姿も、板に付いている。 和風の雰囲気がある添田だけに、尚更の感があるようだ。

「 じゃ、日高さん。 みっちゃんより、少し離れた位置に行って、茶摘みしてるような格好をして下さい 」

 坂井に言われるがまま、茶畑に入る美緒。

 写真には写らないが、一応、草鞋( わらじ )を履いている美緒。 土の感触が、柔らかく足裏に感じられる。


 ・・・何とも、気持ちが良い。

 日の光を浴び、艶々と輝く緑の葉・・・


 美緒は、愉快な気分になった。 まさに、茶摘みの唄でも、鼻先に出て来そうである。

 小さな羽虫が、美緒の顔の前を浮遊している。

 虫嫌いな美緒だったが、今は、何も嫌悪感がしない。 それが、なぜだかは分からなかった。 とにかく、愉快な気分だ。 最近、こんな気分になったのは、記憶が無い。

「 中々、似合っていますよ? 日高さん 」

 少し離れた所から、添田が言った。

「 有難う。 添田さんこそ、着物、良く似合うのね 」

「 そうですか? 有難うございます。 母から、着付けは習いましたから 」

「 へええ~・・! 都会じゃ、お金出して教室に通うんですよ? いいなぁ~ 」

 自然な会話。

 笑顔で話し合う2人の、自然な表情のベスト・スナップを、カメラマンは逃さなかった。

 数回のシャッター音が、茶畑に流れた。


 日当たりの良い斜面に腰を下ろしていると、ポカポカと暖かく、思わず眠気を誘う。

 カメラマンが、フィルムを取りに車まで戻っている間、撮影は休憩とした。

 キエが、急須に煎れたお茶と、和菓子を用意してくれたので、皆で車座になり、湯飲みを片手に菓子を頬張る。

「 みっちゃんトコのお袋さんは、ホント、和菓子作りがウマイな 」

 坂井が、食べかけの柏餅を手に、言った。

 どうやら、この和菓子は、添田の母親の手作りらしい。

 『 体育座り 』をしながら、湯のみを両手で支え、口を付けつつ添田が答えた。

「 そうですか? 有難うございます。 餅米は、坂井さんの所でお分けして頂いたものですよ? 」

「 なるほど。 そりゃ、旨いワケだ 」

 坂井の返答に、皆の笑いが起きた。


 野外での飲食は、味の感覚に格別なものを感じるものである。

 特に、緑に囲まれての宴・・・ 加えて、茶摘み姿の自分。

 美緒は、1杯の茶の味にも、いつもとは違う、格段の美味を感じていた。

 シチュエーションの違いだけではない。 菓子にも、普段とは違う、確かな『 何か 』を感じる。 高級和菓子にも匹敵する・・ いや、そんな市販的な事ではない。 味覚を感じる基本的な感覚、そのものが違うのだろう。

( ・・何だろう・・ 心が、満たされていくような・・・ そんな、ホッとする感覚だわ )

 美味い料理は、いくらでも食べて来た。 職業柄、『 美味い 』と言われる店には、しょっちゅう出入りする。 赤坂の高級フレンチにも、馴染みの店は多い。

 だが今、手にしている、この簡素な柏餅には、美緒の味覚常識を根底から覆す『 何か 』があった。

 味ではない。 シチュエーションでもない・・・

( 作る人の、心かしら・・・? )

 何も気負わない。

 ある意味、あえて『 美味い 』ものを作ろうとも思わない。


 ・・そう。 新鮮な食材の存在と、『 作る 』経緯にこだわる事無く、自然的発生にして作り出された経緯を持った、柏餅・・・


 坂井の米があり、職場に出向く娘に持たせ、皆で、つまんでもらおうと考えた故の茶菓子なのだ。 添田の母親の、さりげない心が活かされた産物なのである。

 ケーキやクッキーを焼き、同僚と食べようと考え、職場に持参する・・・

 それと同じである。 同僚と、楽しい時間を共有する為に作られたものには、格別な味覚がある。


『 美味しく作ろう 』『 見栄え良く、綺麗に作ろう 』


 そうではない。 『 特別 』な発想ではないのだ。

 自然な発想の基での経緯・・・

 そこには、飾り気の無い、見栄を張らない無垢な心が存在する。 それが、真の『 旨味 』を創造するのだろう。

( そんな気にさせる豊かな自然と、人情味ある人たちが周りにいて、初めて、自然な美味しさが出せるのかもしれないわね・・・ )

 昨晩食べた、味噌煮の味。 美緒は、その味を思い出していた。


( もし自分が、この高桑に嫁いだら・・・ )


 美緒は、ふと、そんな事を想像した。

 実際、田舎の暮らしには、都会では想像もつかないような、『 しきたり 』事が沢山あるに違いない。 一部の『 良い所 』だけを見てみれば、田舎暮らしも悪くはないのだろうが、現実的には『 厳しい 』部分が、その生活の大多数を占める事だろう。


 山奥に、ひっそりと佇む庵のような家屋・・

 海の近くの民家・・・


 どれも、たまに見かけるから興味が湧くのであって、毎日そこに暮らしていれば、変わらぬ景色・生活にウンザリするかもしれない。 生活を始めれば、都会的便利さは、何物にも変え難いものである。

( たまたま寄った、あたしみたいなのが・・ 上辺の面白さや、興味本位で考え付くほど、田舎の暮らしってカンタンじゃないと思うわ )

 手にしていた、残りの柏餅を頬張りながら、美緒は思った。

 この辺りは、豪雪で知られる土地柄である。 冬季の生活は、それこそ想像を絶するものがあろう。 屋根の雪下ろしなど、重労働である。 全国的にも毎年、除雪作業中に屋根から転落し、幾人かが命を落としているのだ。

 湯のみに手を伸ばし、茶を飲もうとした美緒に、キエが湯飲みを差し出した。

「 どうじゃね? 美緒ちゃん。 茶摘み娘になった感想は 」

 湯のみを受け取りつつ、美緒は答えた。

「 あ、すみません・・ そうですね、何と言うか・・ 楽しいです・・! 」

 それを聞き、ニコニコ顔のキエ。

 美緒は続けた。

「 実際の作業は、大変なんでしょうね。 毎日の手入れとか・・・ 八代さんたちのお陰で、あたしたちは、満川茶の香りを楽しめる訳だから、もっと感謝しなくちゃ 」

 八代が言った。

「 そう言ってくれると、嬉しいねぇ~ 作業にも、張り合いが出るよ 」

 坂井が、2つ目の柏餅を手にしながら言った。

「 満川茶のファンが増えて、こちらとしても有難いです。 良い方と、お近付きになれて嬉しいですよ 」

 キエが言った。

「 これで、美緒ちゃんが、良幸の嫁に来てくれたらのう~・・・ 」


 びっくりして、キエを見る美緒。


 八代も、キエの方を見ながら言った。

「 オ、オフクロ・・! 突然、ナニ言い出すんだよ・・・! 」

 キエは、あっさりと言った。

「 ナンでじゃ? お前も、そうなったら良かろうと、思っておるじゃろうが 」

「 ・・・・・ 」


 思いもよらなかった、キエの発言。


 一同は皆、静まり返った。

 冗談として笑って返す者がいないと言う事は、皆、そう思っていたからであろうか。 美緒にとっては、まさに寝耳に水である。

 坂井が、小さな声で言った。

「 ・・まあ・・ 日高さんには、東京でのお仕事がありますから・・・ 」

 キエが追伸する。

「 東京での仕事なんぞ、辞めちまえばいい。 見たところ美緒ちゃんは、満たされてはおらん 」

 八代が、キエに言った。

「 こら、オフクロッ! 何て事、言うんだよっ・・! ゴメンな、美緒ちゃん。 オフクロ、会社勤めの事なんか、ナンも分かっちゃいねえから・・ 」

 更に、追言するキエ。

「 ナンも分からん、なんてコトないぞ? 地元の工業高校、卒業して・・ 工場勤めをしとった頃のお前と、同じ顔じゃ 」

「 やめろってばっ! 」


 茶畑に響く、八代の声。


 美緒は、居たたまれなくなった。 湯飲みを置くと、その場を立ち、茶畑の間を走り出した。

「 美緒ちゃんッ・・! 」

 八代の声が、背中に聞こえた。

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