五章③ 厭世者

 ベッドのシーツは変えたばかりのようだが、湿った染みがいくつか見られる。そこにユタを寝かせると、シャナイアは躊躇い無く首元に手を伸ばす。

 呼吸は荒いものの、ユタは大人しく目を瞑っていた。


「氷水、持ってきました!」

「ありがとう。じゃあ、ユタさんのおでこ冷やしてあげて。それと、使ってないクッションや毛布があったら持ってきてくれる? 脚が随分浮腫んでいるみたいだから、脚を高くしてあげよう」

「はい、わかりました!」


 銀の容器に溢れんばかりの氷水と持って来たメグに、シャナイアがそう指示をする。的確な指示は流石、英雄。

 濡らしたタオルをユタの額に乗せ、メグは休む間もなく部屋を飛び出して行った。


「……随分手慣れているようだが」

「まあ、事情はあんたも知っているだろうけど」

「この男は……病気なのか?」


 愚問だった。そんなことは見ればわかる。シャナイアは茶化すことなく頷いた。


「感染症の類じゃないから、近くに居ても大丈夫だよ」

「詳しいな」

「一応医学の勉強もしてきたからね。ま、役立ったのは今回が初めてだけど」

「それなら、こいつはどうしてこうなったんだ? 階段で転んだのか?」

「えっと、それは……」


 一度、開け放たれたままドアの外に目を向け、シャナイアが言い淀む。メグには聞かせたくないのだろう。

 だが、彼が言葉を続けるよりも先にユタが口を開いた。


「……何だ、てめえら。また来てたのか、若いくせに……暇なのかよ?」


 濁った瞳が、シャナイアとルカを交互に見やる。先程までは朦朧としていたくせに、憎まれ口を叩ける程度には回復したらしい。


「ユタさん、どこか痛むところはありませんか? あなたは階段の踊り場で倒れていたんですよ、覚えていませんか?」

「ああ? ……覚えてねぇな。身体中が痛ぇよチクショウが。痛み止めももう、効かねぇんだよ」


 絞り出す様に、ユタ。彼が喋る度に、生臭さが更に濃くなる。


「おい、メグはどこに行った?」

「すぐに戻ってきますよ。脚が酷く浮腫んでいるようなので、高く上げる為に」

「はっ……ご苦労なこった。こんな死に損ないなんて見捨てて、金でも持って逃げれば良いのによ」


 吐き捨てて、自嘲する。シャナイアは肩を竦めるだけで何も言わない。


「……あのガキは何だ?」

「あ?」

「あのガキは何だ、と聞いている? 悪魔の奴隷にしては、随分と可愛がっているようだが?」

「ちょ、ちょっとルカ!」


 慌てて、シャナイアがルカの肩を掴む。今の状況で話すようなことでもないと思ったのだろうが、そんなことどうでも良い。


「貴様はなぜ、あのガキに部屋を与えた? 服や靴を与え、飢えさせることもなく風呂にも入れてやる。趣味を楽しむ時間までくれてやっている。普通の聖霊のやることだとは思えんがな」

「はっ、そりゃそうだろうよ。おれは一度も神術を使えたことがねぇ、出来そこないの聖霊だからな」


 ユタが答える。神術のことはルカにはよくわからないが、悪魔の中にも呪術を上手く使えないものは少なからず存在する。彼等は出来そこないと呼ばれ、手酷い扱いを受けてしまう。

 聖霊も同じなのか、妙なことで共通点があった。


「おれの家は昔から大地主でな。この街の大半はおれの土地だった、大金持ちだったんだ。だからおれは神術が使えなくても、迫害されずに済んだ。だがな、おれはそういう街のヤツらが大嫌いになった。金があれば、平気で掌を変える聖霊なんか大嫌いだ。それに、触ってもいねぇのに脅えた目で見て来る悪魔もな。おれは、他人が嫌いなんだよ」


 だがな、とユタが続ける。額のタオルが温くなったのか、腫れぼったい指が難儀そうに弄る。


「メグだけは違った。あいつは聖霊の髪や肌を不思議そうに見ているだけだった。だから買ったんだ、脚が悪いってんで安かったしな」

「……俺、医者を呼んできます。すぐに診て貰った方が良い」


 そう言って、シャナイアが部屋を出て行こうと踏み出す。ユタが怒鳴る。


「余計なことすんな! おれはよう……今までずっと親の残した遺産や土地を売っぱらって、仕事もしたことねぇ。もう金はほとんど残ってねぇし、借金もあるから医者にかかることもできねぇ。かかる気もねぇ」

「で、でも」

「もう、こんな風に生きることに疲れたんだよ。そろそろ死なせてくれ。親はとっくに死んだ、親戚や友人も居ねぇ。おれが死んで喜ぶヤツは多いだろうが、悲しむヤツはいねぇよ」

「メグは……メグはどうなるんですか? 今のこの街の状況、わかっていますよね?」

「数日前に悪魔が暴動を起こした。それで、かなりの数の悪魔が殺された、虫みてぇにな。おれが居なくなれば、主の居なくなったメグがどうなるか……」

「殺処分、良いのか?」

「構わねぇよ」


 くくっ、と喉の奥から嗤う。やけに自虐的な笑みだな、とルカは思う。


「知ったことじゃねぇ、言っただろ? おれは聖霊だろうと悪魔だろうと関係ねぇ、他人が嫌いなんだよ。あいつがどうなろうと知らねぇよ」

「も、毛布持ってきました……旦那さま! 大丈夫ですか!?」


 大量の毛布を抱えてきたメグにより、話はそれで終いとなった。シャナイアもルカも、彼等にもう何も言うことはなかった。

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