五章

五章① 単独行動


 翌日、ルカは一人だった。


 結局航路で移動することを選んだシャナイアは、今日中に準備を済ませる為にルカを残して買い物に行った。ただの買い物にルカを連れて行くのは流石に目立つからだ。

 ルカとしてもそんな退屈そうなことに付き合う義理もないのだが、シャナイアを一人にすれば逃げられるかもしれない。

 しばらくそんなことで言い争って、先に折れたシャナイアがルカに『命の次に大切なもの』を預けることで解決して数時間程。


「……暇だな」


 どうしようもなく暇なので、ルカは手元にある棍杖の布を解く。

 英雄の棍杖。悪魔にしてみれば恐怖の象徴であるが、よくよく見ればとてつもなく美しい一品であった。

 シャナイアの胸程の長さもある丸型の杖。何で出来ているかはわからないが、棒は白く半透明で滑らかな感触。

 両端を飾る金の部分にも触れてみるが、本物の金では無いように思えた。それでも、輝きは目が眩むほどに美しい。

 一見は祭事などで披露される演武、もしくは飾り用の品にしか見えない。しかし、ルカにはわかる。

 これは紛れもなく実戦用の武器であり、彼にだけ扱えるものなのだ。


「……ん?」


 ふと、妙な違和感に気が付いた。あれだけの実戦を繰り広げた筈なのに、棍杖には細かい傷はあるものの見た目を損なう大きな傷は無い。

 ただ、一か所を覗いて。


「これは……古代文字か?」


 片方の端の、金の飾りに沿うように不自然な傷が連なっていた。他のものと比べると、明らかにはっきりと刻まれたそれは、どうやら文字のようだった。

 残念ながら、ルカには読めない。それは所謂大昔の文字であり、今では学者の研究対象としての価値しかない。

 傷自体は決して目立つものではない。


「高値で売れそうだな」


 彼に勝てたら、戦利品として頂くのに丁度良い。感慨もなく考え、再び布を巻く。そうして、しばらく。


「暇だ……」


 やはり、暇だった。窓を見れば、雲は多いが今日も晴れている。ぼうっ、と空を眺めて数刻。

 ルカは迷うことなく仕度を整えると、シャナイアの棍杖を掴み外に出た。

 聖霊の目があるとしても、そんなことで怯んだりしない。ルカが一人で居るのを見ると、宿の太った店主や客の聖霊達が訝しんだ目を向けてきたが、それだけだった。特に文句は言われない。

 ほとんどの悪魔は聖霊に脅え、ぼろぼろでやせ細っている。しかしルカは違う。

 いつ何時でも堂々と振る舞い、聖霊に恐怖など抱かない。それが、聖霊達には異質に見えているのだろう。ひそひそと小声で何か言い合うも、実際に文句を言ったり捕えようとする者は現れない。

 それでも、やはり人混みに行くのは気が進まなかった。単純に騒がしい場所が嫌いだということもあり、足は人気の無い方向へと向かってしまう。


「…………ん?」


 そうすると、無意識に昨日の公園へと辿りついてしまい。そこには昨日と同じ、小さな人影があった。


「あ、ルカさん!」


 踵を返す前に気が付かれてしまう。足を引き摺りながら、メグが駆け寄ってくる。

 右手に小さな水差し、左手には花が数本。


「おはようございます、今日はお一人なんですか?」


 昨日一日大人しくしていたからか、それとも同じ悪魔だからか。すっかり警戒心を解いたメグが、ルカを見上げて首を傾げる。逃げるタイミングを失った気まずさに、嘆息する。


「……貴様はなぜ、一人で外に出るんだ? その足では、聖霊相手でも逃げられるとは思えないが」

「最近雨があまり降らないので、お花が枯れないようにと思ってお水をあげにきたんです。もう終わりましたから、これで帰ります」


 そう言って、空になった水差しを見せる。どうやら本当に花が好きらしい。


「……その花はどうするんだ?」

「え?」

「昨日も数本摘んでいただろう。一体何に使うんだ?」


 一体自分は何を訊いているのだろうかと、後悔して。対照的に、メグの表情はぱっと明るいものに変わる。


「押し花にするんです!」

「押し花?」

「はい! あ、良かったら今からまたお邸に来ませんか? 旦那さまはお昼過ぎまでお休みになられていると思うので、お気になさらなくても良いと思いますし。旦那さまもお二人のことをお気に召されたようですし」

「は?」

「特に、悪魔の女性の方は恐そうにみえるけど、根は良いヤツだって、旦那さまは申しておりました!」


 どこをどう見たら気に入られたように見えたのか。眩暈まで感じ始めたルカの手を引き、メグがにこにこと邸への道を辿る。

 なぜ、大人しく彼女に従ったのか。ルカ自身にもよくわからない。宿に居るのは退屈だし、下手に聖霊に見つかって騒がれるのも面倒だ。

 ただの暇潰し、それだけだろう。


「わたし、イアソン連邦国の出身なんです。ルカさんのご出身はどちらですか?」

「……ジュイゾだ」

「わあ! そうなんですか。あ……でも、戦争の時は大変だったって聞きました。ルカさんは元兵士さんなんですか?」

「いや……浮浪人だ」

「浮浪……旅人さんなんですね!」


 久しく悪魔と話をしていないのだろう、メグはルカの手を離すことと引き換えに彼女を質問攻めにし始めた。ルカも、こういう会話はしばらくぶりだった。

 イアソン連邦国はいくつかの国が集まって出来た新しい国であり、先の戦争では真っ先に陥落した。国王は既に処刑され、国としての再興はもう望めない。


「ルカさんは凄いですね、こんなご時世でも悪魔が世界を旅出来るなんて思いませんでした。何か目的があって旅をされているんですよね?」

「まあ、な」

「シャナイアさんもですか? シャナイアさんって、左眼に眼帯をしていますけど……翠眼の英雄様と一緒ですね! もしかして、シャナイアさんが翠眼の英雄様だったりして」


 ぎくり、と思わず緊張する。子供は妙に鋭い。しかしここで肯定してしまっては元も子も無いわけで。


「翠眼の英雄はもう死んだだろう……あいつの左眼は昔、病気で失明したものだそうだ」

「そうなんですか、シャナイアさんも苦労されたんですね……」


 咄嗟に出た誤魔化し。それでも、何とか納得したらしくメグは更に問い質すようなことはしなかった。


「わたしは、この足ですからね。山奥の教会で疎開生活をしていたのですが、二年ほど前にこの街に来ました。しばらくの間は港で下働きをしていましたが今の旦那さまに拾って頂いてからは、ずっとお邸にお仕えしています」


 言って、メグは自分の足を見下ろす。今日の彼女の服は、昨日のものとは違う。似たような形状だが、色や材質が違う。

 宿屋での会話が思い出される。聖霊であるユタが、悪魔のメグを可愛がっている。その奇妙な事実を、ルカは更に目の当たりにすることになった。


「さあ、どうぞ!」


 結局、メグに誘われるままに邸へ到着してしまう。シャナイアが残していた壁の落書きは、既に綺麗に拭われている。

 渋々、中へと入って。本の山は昨日と同じだ。何も変わっていない。


「こちらですルカさん! こちらがわたしの部屋です!」

「部屋? 自室があるのか?」


 悪魔の下働きに、自室があるなんて。階段の横にある部屋。促されるままに入ってみると、そこは他の部屋とはまるで違っていた。

 本は本棚に綺麗に収まっている。古びてはいるが、丈夫そうな書き物机。角には紙束が数冊積み重なっており、ペン立てに羽根ペンが数本刺さっている。

 清潔な白いベッドに、埃一つない絨毯。可愛らしいピンク色のカーテンに、木目調の箪笥。間違いなく、彼女の為に用意された部屋だ。

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