第8話 「暴走族の聖地に漂う、焼きトウモロコシの香り」


 康平の乗るスーパースク―ターは、あっと言う間に市街地を抜けていく。

平坦だった道は、5分ほどで終わりを告げる。

ゆるやかな勾配の裾野を真直ぐに上に見て、康平のスーパースクーターは

赤城山に向かって突進していく。


 ここから山頂まで県道4号線の景観は、目まぐるしいテンポで変っていく。

田園から畑地へ、そして森林帯へと変り、人の住む生活圏から、山岳地に

原生林地帯へ飛び込んでいく。

標高が100m前後の市街地から、1400mの最高到達点まで、

道が一気に駆け上がるからだ。



 運転モードをDから、スポーティのSに切リ変える。

その瞬間。スパースクーターが、一段階高いエンジン音を響かせる。

あきらかにパワーが違う。

スーパースクーターがしゃくしゃくの余裕を残しながら、最初の坂道を

苦もなく駆けのぼっていく。


 目の前に、赤い大鳥居が迫って来る。山頂に鎮座する、赤城神社の象徴だ。

大鳥居をくぐると周囲の様子が、目に見えて変ってくる。

点在していた民家や、商家の姿が消えていく。

遠くに見えていた農家も、登るにつれて、視界の中から消えていく。

かわりにあらわれてくるのは、どこまでも広大につづいていく牧草地だけだ。

遠くに、赤い屋根の畜舎が見える。


 貞園が、コンコンと康平のヘルメットを叩く。



 「あ・・・インカムでお話が出来るんだから、合図の必要はありませんね。

 景色がいっぺんに変わってしまいました。

 農地も見えなくなったし、牧草ばかりが目立ってきました。

 作物が育たない高地まで、私たちが登ってきたということなのかしら」



 「この辺りでやっと標高は、350mを越えたくらいだ。

 作物が育たないわけじゃない。

 水が問題なんだ。斜面ばかりのこのあたりに、川は無い。

 頂上湖の大沼は、周囲を高い山に囲まれている完全な形のカルデラ湖だ。

 大沼から流れ出す河川は、実は、一本も無い」


 「え。赤城の大沼から流れ出る河川は、一本もないの?」


 「あふれ出ないかぎり、静かに地底へ浸透していくだけだ。

 水源の森はたくさん有るが、頂上湖から流れ出る河川は、1本もない。

 中腹から湧き出した伏流水が、南の斜面に、数本の川をつくりだしている。

 しかし大河は無い。みんな、ささいな規模の小さな河川ばかりだ」

 

 「ふぅ~ん。こんなに大きな山なのに、大きな川は無いのか。

 水源がないということは、たしかに、農業するには不向きですねぇ」


 「放っておいて育つのは、牧草かトウモロコシ、特産のコンニャクぐらいだ。

 農産事情に気がつくとは、田舎暮らしの経験があるのかい?貞園には」



 「ふふふ。当たらずとも遠からずです。

 私は、台湾の田舎で育った、普通の勤め人一家の長女娘です。

 悪かったわねぇ、田舎で育った安いワインで。

 余計なことを言うんじゃなかったわ。馬脚を出すというのかしら、

 こう言う場合・・・・

 傷つくなぁ~、乙女の清純な、この胸が」


 中腹部を東西に走る国道353号(別名・風街道)と交差するあたりから

赤城山の景観が一変していく。

貞園が口にしたように、農業地が視界の中から消えていく。

前方にひろがって来るのは、草の草原ばかりになる。

右カーブの手前で、乗馬体験ができる「群馬県馬事公苑」があらわれる。


 カーブを曲がったあたりから、道路に、焼いたトウモロコシの匂いが漂ってくる。

「富士見地区グルメ街道」とも呼ばれる中腹部に、焼きトウモロコシの

売店が軒を並べている。

そばやうどんを売る休憩施設の姿も増えてくる。


 「康平。今、焼きトウモロコシの香ばしい匂いがしました。

 あのあたりだけ、食事のための施設が立ち並らんでいました。

 山の中でもずいぶんと賑やかねぇ。グルメ街道はどこまで続くのかしら?」


 「直線に沿った1キロあまりが、最後の密集地帯だ。

 この先に、有料道路の料金所跡がある。そこが人と自然の境界線だ。

 そこから上は、自然保護地区に指定されている。

 手つかずのままの赤城の大自然が、そっくりそのままの姿で残っている。

 人家はここまでだ。ひら、最後のガソリンスタンドが見えてきた」


 建物群の一番最後に、「ここが赤城の最後のガソリンスタンドです」と

大きく書かれた給油所が登場する。

ガソリンスタンドの建物を最後に、周囲から人の住む建築物の姿が

完全に消えていく。


 「あら・・・・そうすると、たいへん楽しみにしていたわたしの、

 焼きトウモロコシは、一体どうなっちゃうの?」



 「安心しろ。

 最大の難所を迎える少し手前に、黒姫と呼ばれる駐車場が有る。

 駐車場の一角に、毎年、焼きトウモロコシの屋台を出している知り合いがいる。

 そこは、標高1000mの高地だ。

 そこまで一気に登ってから、君のために、たっぷり休憩をとる」


 「嬉しい」と答える代わりに、貞園が康平の腰にまわした両手に力を込める。

康平が軽くアクセルを開ける。

それまで巡航速度を保っていたビッグスクーターが、いきなり、

こころえたと、豪快にアスファルトを蹴る。

弾みのついた加速がはじまる。


 周りの景色が線になって流れはじめる。

心地よい風圧が、前方から押し寄せてくる。

「昭和の森」が右に見えて来るころ、前方の視界は緑一色の景観に変る。

旧料近所の前を通過するとき。康平のスーパスクーターの速度計は

軽々と、100㎞を超える。


 「ねえ康平。いま通過した森に『昭和の森』って書いてあったけど、

 なにか特別なことでも、あるのかなぁ・・・・」


 「昭和26年に、戦後の荒廃した国土に緑を取り戻そうと、昭和26年、

 全国から約2000人が集まった。

 昭和天皇も参加して、2回目の植樹行事・国土緑化大会がここで開催された。

 平成の大合併で前橋市に編入されたから、今後は、市民が集える

 憩いの森になるだろうな。たぶん」


 「ふぅ・・・ん。なるほどね。

 権威の象徴の天皇が、わざわざこんな辺鄙な所まで足を運んだのですか。

 ご苦労なことですねぇ」


 妙に鼻にかかった貞園の長いため息が、康平の耳にまとわりつく。

市街地からおよそ9キロメートル。

標高が545メートルを越えると、自然林の中を疾走するなだらかな登りの道に変る。


 「貞園。ここから先が、赤城山の本当の大自然だぜ」


 群馬県は、県土の約3分の2を森林が占めている。

貯水力のある森が多いことから「首都圏の水がめ」と呼ばれている。

中央に位置している赤城山では、江戸時代の末期から、南山麓を中心に

「クロマツ」の植林事業が、ひんぱんにおこなわれてきた。


 戦後になると、復興のために大量の材木が必要とされた。

木材の不足を補うため、ふたたび、松をはじめとする針葉樹が、大量に植林された。

県の木に「クロマツ」が選ばれるほど、赤城山では松が大切に育てられている。

だが広大な赤城山の全域から見れば、人の手による植林は、

ほんの一部にすぎない。

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