第4話 ようこそ、保護特区へ!

「……ツル! ミツル、起き……い! 起きろー!」


 気がつけば意識を失っていたらしい。

 ぼくを現実に引き戻したのは、ぶっきらぼなルシルの呼び声だった。


「……う……ん」


 目を閉じたまま返事をしようとするが、まだうまく舌が回らない。

 じぃんと痺れたような体に気合を入れ、瞼を持ち上げた。

 ぼやけた視界に、おぼろげな金と白の影が飛び込んでくる。


「あ、起きた! もう、寝すぎだよ」


 やがて視界がクリアになってくると、目の前にあるものの正体がわかった。

 整いすぎた美貌を乗せた頭。そこから垂れ下がる光の滝みたいな髪。

 髪から長くて愛らしい耳がぴょこんと飛び出している。

 ルシルの顔が至近距離にあった。


「わっ!」


 驚いて声をあげると、ルシルがびっくりしたように飛びすさる。


「なによ、びっくりさせないでよ、もう!」

「驚いたのは深蔓みつるさんのほうですよ、まったく……。あの煙のせいで、怖い幻覚を見てたみたいじゃないですか。気を失っている間、ずっとうなり声を出してましたよ。後先考えずに、エルフの里のびっくりどっきりアイテムを人間を与えないでください」


 呆れたような八木さんの声が耳を打つ。

 そうか。ルシルにあの煙草のようなものを吸わされて、ぼくはしばらく気を失っていたらしい。

 慌てて周囲を見渡すと、鬱蒼と茂る木々の姿が目に入ってきた。ぼくたちをここまで運んできた黒塗りの高級車が、少し離れたところにある小道に停車していた。どうやら、山道の途中らしい。

 体の下には毛布が敷いてあった。彼らは気を失ったぼくをここまで運んで、介抱してくれていたらしい。

 どのくらい気を失っていたのだろうと思い、スマホを探してポケットを叩いたが、さきほどルシルに没収されてしまったのを思い出す。

 日はかなり傾いていて、夜が近づいているのは間違いなかった。


「あの、ぼくはどのくらい寝てたんですか?」

「3時間くらいですね。本当はすぐに介抱したかったのですが、人の目があるところで降ろすわけにはいかなかったので、ここまで運んできたってわけです」


 八木さんの説明を聞きながら、ぼくはぼんやりした頭で考える。


「あの……ここはどこですか?」

「秩父市の奥のほうで、草神山といいます。そうです、ここが——」


 八木さんは勿体ぶるように言葉を切り、立てた人差し指を自分の目の高さに持ってきた。


「——エルフ保護特区です」


 改めて周囲を見渡してみたが、特に変わった様子はない。

 日本各地にまだいくらか残っているであろう、ド田舎の山道に見える。


「ピンとこないって感じの顔ですね」


 八木さんは笑いながらサングラスを外した。

 優しそうな色をたたえた、鳶色の瞳が露わになる。

 サングラスを外されて分かったが、齢はそこそこ若そうだ。青年の面影を残したその顔は、せいぜい30代半ばくらいといったところか。もしかしたら、ぼくとそんなに変わらないかもしれない。

 よく見ると、ハンサムの部類に入るかもしれない。

 彼の顔をまじまじと見ていると、八木さんは照れたように笑った。


「いつもでは、素顔を隠すようにしているんです。これでも一応、国家機密を扱う仕事なもので。もうに入ってしまったので、これは不要ですね」


 八木さんはそう言いながら、サングラスをスーツの胸ポケットに押し込んだ。


「ここはまだ入り口なんです。実際にエルフたちが暮らす居住区は、もっと奥の方にあります。そこを見たら、きっとびっくりしますよ。さぁ、もう歩けるようなら、行きましょう。立てますか?」


 返事をしようとすると、ルシルが駆け寄ってきて、ぼくの腕を両手で掴むと、力任せに引っ張り上げた。

 手の甲が彼女の胸元にあたり、柔らかな感触にドキリとする。

 おいおい、寝起きにそういう刺激を与えるのはやめてくれよ——気を失っていたときに見た幻覚を思い出し、顔が熱くなった。


「大丈夫だよ、立てるってば!」

「そう? なんか手が熱っぽいけど?」


 お前のせいだよ!……と言いたいのを我慢し、ぼくは急いで立ち上がり、元気アピール。


「八木さん、居住地区には徒歩で行くんですか?」

「ええ、車はここに停めて、歩きで行きます。車のトランクの中に持っていかなければいけない荷物があるのですが、運ぶの手伝ってもらっていいです?」


 ぼくが頷くと、八木さんは車のトランクを開けて、大型の手提げ袋を五つ取り出した。中に何が入っているのかは分からない。


「ほら、ルシルさんも持って」


 紙袋を両手に携えた八木さんがそう促すと、ルシルは口を尖らせ「ミツルが二個持って」と言ってきた。


「ルシルさん——」


 八木さんが「そこはお前ルシルが二個持つところだろ」と言いたげな顔をしたが、ぼくとしてはたおやかで非力そうなエルフの美女に荷物を持たせるのは酷な気がした。

 両手に紙袋を下げてみたが、荷物はそんなに重くなかった。てっきり食べ物——お米とか——が入っているのだろうかと思ったのだが、せいぜい家庭用ゲーム機くらいの重さで、少し拍子抜けする。


「じゃあ、行きますかね」

「はい」


 先導する八木さんの後を追い、ぼくは山道を歩き出す。

 足元はむき出しの土だけど、そんなに険しい道でもないから歩きやすいな……などと思いながら十分ほど歩くと、山道が急に細くなった。この先は獣道のようだ。

 ぼくは自分の足を覆っている安物のスニーカーを見て、こんな靴で大丈夫だろうかと思ったが、八木さんのほうは歩きにくそうな革靴だ。


「すぐ着くから、気にしなくて大丈夫だよ」


 ぼくの懸念に気がついたらしいルシルが、軽い足取りでぼくを追い越して行く。そういう彼女の足元は、植物で編んだ簡素なサンダル。

 足元の悪い中をまた十分ほど進んだところで、ぼくたちの進路上に樹齢数百年は経過してそうな大木が立ちふさがった。これ、何の木だろう? 杉だろうか?

 それはともかく、道が途切れているように見えるけど……。


「着いたよ」


 立ち止まったルシルが涼しげな顔をぼくに向けた。


「着いたって、木しかないけど……」

「ふふっ! 深蔓さん。エルフの住む森が、普通の森だと思いますか?」


 ぼくの困惑を見て取った八木さんが、楽しげな笑顔をこちらに向けた。

 いい歳した男がいたずらっ子みたいに笑っているのは、ちょっとだけウザい。


「妖精が住む森にはね、結界があるって決まってるでしょう?」


 八木さんは得意げに言いながら、大木へと歩み寄った。

 そして幹の表面に手をつくと、重々しく口を開く。


「大樹の精霊よ、盟約に従い、汝が友に道を示せ!」


 その瞬間、ぼくは地面が突然崩落して体が空中に投げ出されたような、不思議な眩暈感を感じた。


「うわぁっ!」


 足元の感覚をなくし、生物としての恐怖心から思わず悲鳴をあげる。

 手にした荷物をとり落とさないように、必死で胸の中に抱え込み、瞼を強く結んだ。


「……って、あれ?」


 しかし、いつまでたっても落下の感覚はやってこなかった。

 おそるおそる目を開けると……。


「ここは……!」


 ぼくの目の前には、奇妙な風景が広がっていた。

 そこは、言うなれば村だった。

 一面に広がる畑の中に、民家らしきものがポツポツと点在している。

 ぼくたちが「古き良き田舎の村」と言われて想像するような、牧歌的な光景。

 だが、いくつかおかしな点がある。


「びっくりしました? 実はね、あの木が結界の入り口兼、ワープポイントになってるんですよ。それよりもこの光景、どうですか? すごいでしょう?」


 困惑するぼくに、八木さんがにこやかに話しかけてきた。


「普通、エルフの住む村といえば、木の上に家を作ったりとか、そうじゃなくてもログハウスみたいなのをイメージするじゃないですか? 何ていうか、自然と共存? みたいな? でも、ここはそうじゃないんです」


 ぼくの目の前にある民家。

 その外壁は、コンクリートだった。


「私もね、実際ここに来るまでは、エルフって狩猟採集生活みたいなことしているのかなって思ってたんですよ。まさか、あんなものがあるなんてね!」


 畑の上を、乗り物が走っている。

 ぼくもよく知っている、鉄の乗り物。


「なんでトラクターが走ってるんですか?」


 それは間違いなく、現代の日本で使われている耕運機の姿だった。


「はっはっは! 驚いたでしょう? ここに住んでいるエルフたちはね——なんというか、ちょっと開明的なんですよね」


 トラクターに目をやると、乗っているのは年端のいかない少年だった。

 栗色に近い金髪の上に麦わら帽子を乗せており、ポリエステル製と思しきツナギに身を包んでいる。

 ぼくたちの姿に気がついたらしい少年は、笑顔を浮かべて手を振ってきた。


「さて、改めて——だけど」


 呆然としているぼくに、ルシルがいたずらっぽく微笑みかける。


「ようこそ、デルスメリア聖王国辺境伯領——いえ、日本国埼玉県エルフ保護特区へ。歓迎するわ、ミツル」

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