第2話 秩父にいくヨ!

「歓迎するって言われてもワケわかんないよ! 保護区って何?」


 勝手に話を進められても困るというものだ。

 ぼくが抗議すると、エルフの少女はめんどくさそうに頰を膨らませた。


「あー、もう! めんどくさいなぁ。茉莉子から何も聞いてないの?」


 茉莉子——それはぼくの唯一の肉親である、母親の名前だった。

 エルフ少女の口から出てきた名前に驚いていると、


「茉莉子さんは草二郎様とは疎遠でしたからねえ」


八木さんがしみじみといった感じでつぶやいた。


「私も何度か、草二郎様の使いでお話させていただきましたが、いつも取りつく島もなくて……」


 この人、以前から俺の家に来ていたのだろうか?

 それはともかく、早く話を進めてほしい。


「母さんからは、祖父はずいぶん前に死んだと聞きましたけど。人違いじゃないんですか?」


 一縷の望みをかけて尋ねたが、バックミラーの中の八木さんは、眉にシワを寄せながら首を横に振った。


「それは茉莉子さん——お母様が嘘をついていたのですよ。ご実家とは関わりたくないようだったので。深蔓みつるさんをご実家から遠ざけておきたかったのでしょうね……」


 八木さんはため息をつく。


「草二郎様は……たいへん独創的な方でしたので」


 八木さんの口ぶりからすると、ぼくの祖父はきっと、はた迷惑な性格だったのだろう。会ったことはないけれど。


「……では、順を追ってご説明いたします。深蔓さん……唐突ですが、“異世界”の存在を信じますか?」

「異世界……ですか?」


 それって、SFに出てくるような並行世界的なやつ?

 それとも、いわゆるファンタジー的なアレのことだろうか?

 ぼくはおそろおそる、エルフ少女のほうに目を向ける。

 この世のものならざる美の結晶に、目がくらみそうになった。


「……妖精とか、魔法とか、そういうのがある世界のことですかね?」

「そうです。エルフとかドワーフとかがいる異世界。あると思います?」


 いい年をした大人からこんなことを訊かれたら、普通は「何をバカなこと言ってるんですか」とか、「あはは、あるといいですね」などと返すべきところだろう。

 しかし、助手席に座っている生き物の、尋常ではない造形を見ていると、そう答えるのは憚られた。


「……まさか、そこの女の子が異世界人だなんて言うんですか?」


 おそるおそる尋ねると、八木さんは苦笑まじりに答えた。


「質問に対して質問でお答えになるのは感心しませんが、その通りです。あと、そこの人は女の子というような年ではありませんよ……うぐっ! ぐええええ!」


 八木さんが突然悲鳴をあげたのは、エルフ少女が彼の首を両手で絞めあげたからだ。

 ぼくたちの乗っている車が小さく蛇行し、周囲を走っている車からけたたましいクラクションが浴びせられた。


「……うぐおっ! ルシルさん、運転中に手を出さないでって、いつも言ってるでしょう!」


 八木さんは助手席の少女——ルシルという名前らしい——の手を振りほどき、車の安定を立てなおした。

 ルシルは顔を真っ赤にして怒っている。


「あんたが変なこと言うからでしょ!」

「……で、それはいいとして、異世界がどうしたんですか?」

「あっと、すみません! えーっとね、最初にぶっちゃけますと、あるんです、異世界。世界の先進主要国の首脳部はだいたい知ってるんですけど、一般の市民の皆様にとってはトップシークレットってやつです」


 天気の話でもするような気楽な口調で八木さんは言った。


「実は、私たちの世界と、異世界を繋ぐ穴——ワープホールみたいなもんですね——は、世界各地にあってですね。日本にもあるんですよ、これが。埼玉県の山奥に」


 ぼくは、自分の手が握っているもの——八木さんの名刺だ——を覗き込む。

 そこには「内閣府」の文字が刻まれていた。


「ざっくり言うとですね、あなたのお祖父様——草二郎様は、その穴の発見者で、管理人だったんですよ。で、困ったことにですね、草二郎様は独自に異世界側と交渉し、ご自身の私有地内に異世界の移民団を受け入れてしまったんですよ。これがだいたい60年くらい前の話。ここまでOKですか?」


 正直なところ理解が追いつかないが、ぼくは頷く。


「で。さらに困ったことにですね、草二郎様は戦後に、いわゆる政商として成り上がった方でして……政財界に強いパイプをお持ちになっていたんです。どうやったのか詳しく知りませんが、国内外の有力者に根回しして、非公然の自治区まで作っちゃったんです……やれやれですよね。ははは」


 やれやれ、ははは、じゃないよ。


「それでまぁ、あとはやりたい放題ですよ。金と権力と、無駄な行動力を持った人間って、本当に面倒ですよね」

「ちょっと、ユウ! ソージローの悪口は許さないからね」


 ルシルが桜色の唇を尖らせて抗議した。


「ソージローは立派な人だったの!」

「わわわー! だから運転中は首を締めないでください!」

「ソージローは、故郷の森を追われたあたしたちに住む場所を与えてくれたんだから!」


 ふむ、状況を整理しよう。


【1】よくわからないが、異世界があるらしい。

【2】異世界と日本をつなぐ穴が、埼玉の奥地に存在するらしい。

【3】うちの爺さんは金と権力を持った、迷惑な人だったらしい。

【4】爺さんは日本国内に、勝手に異世界の住人を匿っていた。

【5】ルシルは何かの都合で、元の世界にいられなくなった。


 こんな感じかな。

 にわかには信じられない話だけど……と思っていると、ルシルの魔の手を逃れた八木さんが説明を再開し始めた。


「まぁ草二郎様の評価はおいといて。日本の首脳部おかみとしては、草二郎様の社会的影響力をかんがみて、世間にバレないようになら好きにやっていいよ、というスタンスだったわけです。一応、内閣府からお目付役が一人派遣されて、現地に駐留することになっているんですが、お目付役というのは名目で、実際はていのいい使いっ走りってヤツでして」


 きっと、八木さんはその「お目付役」なんだろう。


「まぁ要するに、草二郎様の作った独立国みたいなものだったんですよ。言うなれば草二郎様の草二郎様による草二郎様のための王国ですよ。王国」

「……それで、祖父が亡くなったものだから、扱いに困っている……なんて言うんじゃないでしょうね?」

「お、勘がいいですね! 近いです。草二郎様は、ご自身が余命幾ばくもないと分かると、ご自身の後継者としてあなたを——家を飛び出した茉莉子さんの息子さんを——ご指名になったというのが、ことの経緯です。はい」


 そんな勝手な。


「そう、勝手な方なんですよ! 相手の都合なんて考えない人ですからね……うげげげげ、ルシルさん! やめてください!」


 心の中のつぶやきのつもりが、思わず口に出てしまっていたらしい。

 勢いよく同意した八木さんが、またルシルに首を締められている。

 どうしたものかなぁ、と考えていると、ぼくのパーカーのポケットから、軽快な着信音が流れ始めた。

 ぼくはポケットに手を突っ込み、音の発信源——旧型のスマートフォンを取り出した。

 画面に表示されている発信者は——『母』。


「誰!?」


 音に気づいたルシルがこっちを振り返った。

 やっぱり異世界のエルフは電子機器が珍しいのかなと悠長なことを考えていたら、


「あっ!」


 ルシルはぼくの手から素早くスマホをひったくった。

 彼女は慣れた手つきで液晶画面をフリックし、スマホを自分の耳に当てる。


「はーい、茉莉子。久しぶり、元気してえた? 誰って、あたしよ、あ・た・し!」


 そしてオレオレ詐欺かよと言いたくなるような軽快な口ぶりで通話を始める。

 スマホのスピーカーから微かに、母さんの怒鳴り声が漏れ聞こえてきた。


「ちょっと深蔓借りるから! って……あーん、もう! うるさいなぁ! 大丈夫。明日は一回ウチに帰すからさ。信用してよ。んじゃ、またねっ!」


 ルシルは一気にまくし立てると、通話をオフにした。

 そして携帯の電源ボタンを長押ししてシャットダウンさせると、自分の短衣の懐に放り込んでしまった。


「あの、それ、ぼくのスマホ……」

「これはしばらく預かっておくよ」


 抗議してみたが、にべもない答え。


「だーいじょーぶ! 目的地に着いたら返してあげるってば」


 目的地。

 その言葉に、ぼくはハッとなって車窓から外を見る。

 気がつけば、八木さんの運転する車は郊外へと差し掛かっていた。


「……これから、どこに行くんですか?」

「そんなの決まってるじゃない!」


 ルシルが胸を張る。


「あたしたちの王国よ!」


 ルシルの宣言に、運転席の八木さんが「秩父市の奥のほうです」とのんびりした口調で補足を付け加えた。

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