第2話 七日目 決まり手:ウィキペディア

 早朝。

 まだ朝日も地平線上にあり、七月とは言えさほど暑くない頃合い。

 カルトは鴨の島の林で、筋トレに励んでいた。

 ちょっと変わった腕立て伏せである。

 太さ10センチ、長さ15センチほどの薪を3本。それを地面に立て、その上に両手と片足をついて腕立て伏せしている。一見無意味な薪だが、薪を倒さないよう腕立て伏せすることでブレの無い効率的な負荷になるのだ。さらに特注ウエイトジャケットも着込んでいる。

「五百、いち、に、さん……」

 カルトはリズミカルにカウントを続けていく。

「ご苦労なことカパ」

 いつに間にか河右衛門がそばに腰を下ろし、キュウリをかじっていた。カルトの腕立て伏せを見て呆れているようだった。

「おはようございます」

 この島でのトレーニングも、実はこれで7日目。

 初日に河右衛門に負けたカルトは、一度ボートで島を離れると大量の食料を持って戻って来たのだった。以来この島で寝泊まりしての、山籠もり的修行生活を送っていた。このご時世に山籠もり。カッパもドン引きである。

「しかし気になっていたんだカパ」

「何がですか?」

 カルトは腕立て伏せを続けながら答えた。

「お前さん、ドーピングしてるんじゃなかったカパ?」

「やってますよ」

「なのに筋トレするのカパ?」

「そりゃしますよ。ドーピングも筋トレも、両方やったほうが強くなれますから」

「強く……カパ……」

 河右衛門は首をひねる。

「でもドーピングしてたら、強くなってもしょうがないカパ?」

「いえ、別にオリンピック出たいわけではないですから」

「じゃあどうするカパ? 地下闘技場にでも出るカパ?」

「くはははは。さすがに無理です。どんなにドーピングしても勇次郎には敵いません。しかし河右衛門殿は意外と漫画をご存じですね」

「河中公園とか夜に散歩してると、結構雑誌とか落ちてるカパ」

「ああ、河中公園ですか。あそこにあるカッパ像、河右衛門殿に瓜二つですよね」

「あれのモデルは本当にオイラだカパ。よく出来てるカパ」

 河中湖は周囲長19kmと比較的広大である。その立地は山に隣接する北側と、町に面した南側に大きく分けられる。河中公園はその南側の一角に作られた、観光公園である。カッパ相撲のモチーフも取り入れられており、相撲を取るカッパ像や土俵もある。

「俺はただ強くなりたいんです。河右衛門殿に相撲を取っていただいたのも修行の一環です」

「……修行という単語をリアルで使う時点でちょっと頭が心配カパ」

「まだまだ全然ですが、将来的にはドラゴンを倒したいと思います」

「そして無駄に目標が高いカパ!!」

 頭を抱える河右衛門であったが、やがておずおず切り出した。

「非常に言いにくいカパ……」

「何がですか?」

「たぶんどんなに腕立て伏せしても、ドラゴンには勝てるようにならないカパ。というかオイラにすら永遠に勝てないカパ」

「いやいや。もちろん筋トレ以外にも秘密の特訓はしてますよ」

 実はこの二人、近日中再戦の約束をしている。わざわざこの島で修行を続ける理由の一つであった。

「そうじゃないカパ。確かに認めるカパ。ごくごく稀にドラゴンや鬼神に勝てる人間もいるカパ」

「そうそう。意外とクラスの隣の席で、授業中居眠りしてたりするんですよね」

「いや、そんなレベルでは絶対居ないから安心するカパ。それ程の人間は伝説とか神話とかに名前が残るぐらい希少だカパ。そして彼らは、生まれながらにして常識を超える力の資質を持ってるカパ」

「まあ、そうですよね」

「いわゆる超能力とか霊能力とか言われるものカパ。そしてその資質はお前さんにはないカパ」

「あー、やっぱり妖怪の方には分かるんですね」

「近づくと分かるカパ。お前さんには超越者の資質が無いカパ。伝説どころか並の退魔師士や超能力者レベルの素質もないカパ。というかたぶん霊感ゼロカパ。この先どんなにトレーニングを積んでも、常識の範囲内の強さしか身に付かないカパ」

「くははは、ハッキリ言いますねー」

 そう言って苦笑いしつつ、カルトは腕立て伏せを続ける。

 トレーニングを止めないカルトを見て、河右衛門はため息をつく。

「この前相撲取って分かったカパ。お前さんの強さは常識の範囲内ではトップクラスだカパ。異能の素質を持たない人間がここに至るまで、きっと大きな犠牲が必要だったはずだカパ。だからもし何か勘違いをしているようなら、止めなきゃいけないと思って話したカパ」

「なるほど」

 話を聞いたカルトは、むしろ感心したようにうなずいた。

 そして嬉しそうに笑ってこう返したのだった。

「河右衛門殿はやはり伝説に残る大妖怪だけありますね。さすが河中湖の名高きヌシ」

「カパ? いや、その……」

「たった一度相撲を取っただけの人間に心を割き、苦心して忠告をくださる。なかなかどうして出来ることじゃありません。よほどの大器とお見受けしました」

「え……あ、うん……」

 河右衛門は『うわ、なんか逆にすげえやりにくいコイツ』という顔をしていたが、カルトは気づかなかった。そしてカルトはこう話し続ける。

「ですが心配ご無用です」

「あ、これ全然話伝わってないカパ」

「別に退魔士や超能力者でなくても、妖怪に勝てます」

「いや、無理カパ」

「いえ、可能です。手段を選ばなければ」

「手段……カパ?」

 なんとなく不吉なニュアンスを感じたのか、嫌そうな顔になる河右衛門。

「お前さん、さっきからの話し口……これまでに妖怪と戦ったことある感じカパ?」

「はい。多少ですが」

「なんでカパ? お前さん、どう見ても退魔士じゃないカパ」

 いぶかしげに尋ねる河右衛門に対して、カルトは笑って答えた。

「義を見てせざるは勇無きなり、とも申します」

「それでただの人間のくせに、妖怪退治とかしてるカパ? ずいぶん変わったヤツカパ」

「こう見えて意識高い系なんです」

「いや、そういうの意識高いとは言わないカパ…………ん、どうしたカパ?」

 会話中も腕立て伏せを止めなかったカルトが、立ち上がって遠くを見据えていた。

 対岸、河中公園の方角である。

「どうした? 何か見えたカパ?」

「……あれ、溺れてません?」

 カルトの指差す先、向こう岸近くの水面が波立っていた。

 その波間から、白い服を着た人らしきものが見える。

「やっぱり溺れてるっ!!」

「あ、おい、ちょっと待つカパ! この湖にはーー」

 河右衛門の制止を聞く前に、カルトは飛ぶよう走り出していた。

「誰かーーっ、人が溺れてるぞぉーーー!」

 走りながら叫ぶ。叫びはするが、正直効果が期待できない。今はまだ薄暗い早朝。対岸にも湖面にも人影や船影は無い。誰かに気づいてもらえる可能性は極めて低い。

 ウエイトジャケットを脱ぎ捨てながら、浜にあげてあった自分の手漕ぎボートへと駆け寄る。

「くそぉ、こんなことならモーターボートにすれば良かったっ」

 対岸までの距離は約500m。溺れている地点まででも480mはあるだろう。

 いったい手漕ぎでどれほどの時間がかかるか。階段とエレベーターなら階段。人力と電動なら人力。選択肢があると必ず筋トレになる方を選ぶ癖が災いした。ともかく早くしなければならない。

「うお、お、おおおっ」

 ともかく必死で漕ぎ進み、溺れていたあたりにたどり着く。

 しかしすでに水面上に人影は無い。遠目だが服を着ていたように見えた。服が水を含みきり、力尽き水没したのであろう。

 慌てて水面に顔を突っ込み、探す。

 すると見つかった。

 思ったよりも深く、漂う人影を見つける。

 しかし早朝で日光が弱いため、水面から目視できるギリギリの深さである。

「もうあんなに深く沈んでる!?」

 これ以上沈んだら、もう見つけ出すのは困難であろう。

 一瞬ためらったがスマホだけボートへ放り出し、服も靴も脱がず湖へと飛び込む。見る間に沈んでいくその人影に、だがカルトはそれ以上の速度で沈んで行く。

 腕を掴める距離まで近づき、気づく。

「(茶色い髪、長い。女の子か。しかしこの格好……)」

 奇妙な服装の少女であった。白い服に見えたのは白い小袖。そして一瞬赤いスカートに思えたものは、よく見れば緋色の袴であった。つまり上下合わせて完全に巫女装束である。

「(もしかして……)」

 嫌な予感が頭をかすめるが、とりあえず人命優先。

 少女の腕を掴むと、カルトは自分の靴を脱ぎ捨てる。途端、下降を続けていたカルトの体が上昇へと切り替わった。

 飛び込む前に見せた、ためらいの答えはこれ。水に沈みやすいものを探したが見つからず、だがよく考えたらトレーニングシューズにウエイトが入っていたのを思い出したのだ。

 そして一方、洋服というものは水につけた直後は空気を含んでよく浮くのである。

 自分一人で泳ぐならともかく、人をひとり救助するのは命懸けの大仕事。そこで追いつくまではトレーニングシューズの重さで体力を使わず沈み、追いついたら靴を捨てて服の浮力を利用しつつ全力で上昇する。それがカルトの立てた作戦であった。

 そして少女が気絶しておりパニックで暴れていないことも、カルトにとって幸運であった。

 だがーー、

「(えっ……)」

 少女がまるで持ち上がらなかった。

 それどころか腕を掴んだカルトごとますます沈んで行く。

「(なんだこれ!?)」

 少女が何か重しを身につけているのか探そうとし、そこでカルトは気づく。


 手。


 それは一本の手だった。手が少女の足首を掴んでいた。

 暗い暗い水の底から、長い長い手が伸びて少女の足をひいているのだった。

「(これ、か、怪異かっ!?)」

 そう。どう見ても怪異であった。

 この世にあらざる者が、少女を水底に招き入れようとしていた。

 カルトは慌ててその手を引き剥がそうと試みる。

 だが上手く行かない。

「(強い……なんだこれ!?)」

 相手の小指一本に対して両手で引き剥がそうと試みるが、それでもピクリともしない。まるで少女の足に直接食い込んでいるような硬さ。

「(凄まじい握力……それとも下手するとこれ、そういう能力か!?)」

 足を引っ張り溺れさせる能力。そういう妖怪はいかにも『ありそう』である。

 そして能力だとすれば、力で引き剥がすのはさらに困難となる。

 だがしかしーー。

 パワーで負ける。

 それは凡人であるカルトにとって日常茶飯事である。

 どんなにドーピングしても、どんなにトレーニングしても勝てない相手には勝てない。

 カッパに言われずとも、百も承知である。

「(いやいや、服を着てて良かった)」

 彼がポケットから取り出したのは、キーホルダー付きの鍵束であった。

 先が尖った鍵を選ぶと、その『手』の中指の爪の間にねじ込んだ。

 そのまま遠慮なく、テコの原理を使う。


 ――爪剥ぎ。


 拷問とすら言える技を受け、その『手』が一瞬震える。そこに声無き動揺を見て取り、カルトは効果ありと判断する。

 続いて行うのはフェイント。鍵を今度は親指の爪に当てる。すると先程の一撃で痛みを刷り込まれた『手』は、慌てて親指の位置を変えようとする。

カルトはそれを待ち構えていた。

 親指の握力が緩んだ瞬間、丈夫そうな鍵を親指の下に滑り込ませる。そしてその鍵を両手でしっかり持ち、今度は全身の筋力使って敵の親指ごとねじり上げる。ミシミシミシ、ベキ、という音が伝わった。最初のミシミシは靭帯の破損、最後のベキが関節破壊音。


 ――指折り。


 離して見ると、敵の親指が手の甲につきそうなほど折れ曲がっていた。

 そして人間の手というものは親指を失った瞬間、その機能の70%を喪失する。

 握ることが出来なくなった『手』を振り払い、カルトは少女を抱えて水面を目指す。

 しかし――、

「(遠い……)」

 戦っている間も引きずり込まれたため、ボートも水面もかなり遠ざかっている。

 長い間水に入っていたので、服の浮き輪効果も失われている。むしろ水の抵抗が大きい。そして何よりもう息止めも限界が近い。当初の予定外の行動をしたため、酸素の消費量を見誤ったのだ。

「(くそぉ、これ結構ヤバい)」

 さらに言えば『手』が指折りから回復するのも、カルトの感覚で言えばあと5秒程と予想された。追撃された場合、もう一度戦う余裕はない。

とりあえず泳ぎながらシャツを破り捨て、ジャージのズボンを脱ぎ捨てる。

 服の抵抗が減り速度が上がるが、だがそれでも息が持たない。

「(これは……一か八か、最後の酸素消費を使ってこの子を水面にぶん投げるべきか?)」

 少女は溺れてから時間が経つ。きっと肺に水を吸っている。だが自分はまだ肺に空気が残っているので、例え意識を失ってもそのまま浮上できる可能性が高い。

 カルトは覚悟を決めると、少女の胸倉を掴んだ。

 その時であった。

「燃崎いいいい!」

 水中であるというのに、朗々と声が響いた。そしてマグロかサメを思わせる高速で何かが接近すると、そのままカルト達をぐいぐい押し上げて行く。

 河右衛門であった。

「ぶはぁっ」

 あっという間に水面に顔を出すと、カルトは念願の一呼吸をする。

「急いでボートに上がるカパ!」

 意識が無い少女をボートに押し上げ、河右衛門は叫ぶ。

「あ、ありがとうございます!!」

 カルトもボートに這い上がると、慌ててオールを持つ。

「漕がなくていい! 掴まってるカパ!」

 河右衛門が水中から押すと、ボートは急速に進み始める。

「うおっ、さすがっ!」

 バランスを崩しそうになりながら、カルトはケータイを拾って救急車に連絡を始める。少女がぐったりとして動く気配が無いのだ。

 十数秒でボートは河中公園近くへ到着する。

「すまん。オイラはここまでカパ!」

「いえ、どうもっ。十分です!」

 河右衛門が水中に消えると同時、カルトは慌てて少女を抱え岸へ飛びうつる。

 地面に横たえて首を触るが、脈が無い。当然呼吸も無い。

「まずいコレっ」

 気道確保。大慌てで心臓マッサージを開始する。

 だが四苦八苦しながら心臓マッサージを続けるうち、30秒もしないうちに少女に反応が現れた。

「こ、こほっ」

 咳とともに水を吐き出し始める。

「おっ、やった」

 心臓マッサージを止めて手首を取ってみると、きちんと脈が触れる。幸運にも血圧の復帰が早いようだ。

「こほっ、こほっ……こほっ……」

 少女は可愛らしい咳を繰り返していたが、やがてもぞもぞと動きゆっくり目を開けた。

「お、気がついたかな」

 目を開けた姿を見てみると、なかなか魅せる容姿の少女であった。

 目が大きく、綺麗に鼻筋が通っている。今は咳をしているが、その小さな唇も笑えば魅力的であろう。そして髪量が相当多いのだろうか。明るい狐色の髪を左右で太いツインテールにしており、その髪が肩へ腕へと豊かな滝のように流れ落ちている。

 ずぶ濡れの状態でこれなら、普段は相当な美少女なのではないだろうか。

 そして彼は改めて少女の巫女装束を見聞する。小袖も袴も、高級な布地で出来ている一級品。コスプレのクオリティではない。そして彼女の袴の腰元に、カルトは目的のものを見つける。

 白と浅葱色の組紐に、三ツ鳥居の印章がぶら下がっている。

「はーーん。やっぱり退魔師の方ですか」

 白と浅葱の組紐ということはまだ見習い。カルトの経験上、退治をするとき見習いは指導者と一緒に動くはずであるが、周囲にらしき気配は無い。今回は下見のつもりで来たところを襲われたか、自信過剰で一人で先走ったのであろう。

 その少女は体を起こすと、ぼうっと焦点の合わない目で宙を見ていた。

「大丈夫ですか? 分かりますか?」

 だがカルトが心配して肩を揺すると、やがて徐々に瞳の焦点が合い始める。

 そして少女はカルトを見ると、

「きゃあああーーーーっ!」

 悲鳴をあげ後ずさって逃げた。

「あーー」

 失礼な……と一瞬思ったが、カルトは自分が全裸にまわし一丁というハイレベルな姿である事を思い出した。これは無理も無い。自分が逆の立場でも叫ぶ。

「あー、落ち着いて下さい。貴女が湖で溺れていたので助けたんです。服はその際に」

 カルトとしては紳士的に話をしたつもりだったが、モンスター的な見てくれの悪さが災いして全然聞いてもらえなかった。少女はパニック状態だ。

「誰かっ、誰か助けてっ!」

「助けを求めても誰も来ませんよ」

 先程経験した事実を思わず口にしてしまった。少女は更に顔を引きつらせる。

「ううううっ、やだっ、やだっ、止めてくださいっ」

 何をされると思ったのか、少女はボロボロと涙をこぼし膝を抱えて縮みこむ。

 カルトは慌てて話しかけるが、少女は震えるばかりで聴く耳持たない。

「もう大丈夫ですよー安全ですよー」

「やだぁ、やだよおぉっ」

「俺は別に怖い事しないですよー」

「うううっ、やだあ……」

「……オレサマ、オマエ、カジラナイ。エル、シッテルカ。オレサマ、バナナシカ、クワナイ」

「え……言葉が……通じる!?」

「なんでカタコトの方が通じるのかなぁっ! 見た目の問題ですかねぇっ!?」

 カルトとしては不本意であったが、少女は平静さを取り戻したようだった。

「あれ? あれっ? あれぇ……?」

 周りを見回し、自分がずぶ濡れであるのに気付き首をかしげる。

「どうなってるんでしょうか?」

「うんうん。あのね。貴女が湖で溺れていたのでね、たまたま通りがかった俺が助けさせていただいたんですね。ちなみに俺が今まわし一丁なのは、貴女を助ける際に服を脱ぎ捨てたからです」

「え……私、溺れてたんですか?」

「はい、めっちゃ溺れてました」

 言われて、キョトンとする少女。

 事故の際にしばしばある事だが、その瞬間の記憶が飛んでいるらしい。

「えーっと、ということは……」

 少女は少し考えたのち、何かに気づいてハッと目を見開いた。

「私、もう負けたんですかっ!?」

「一般人の俺に聞かれても困りますが、そのご様子です」

「うあああ、また負けましたぁあーー」

 彼女は両手で顔を押さえると、悔しそうにころげ回る。

「くうぅううっ……また負けたぁ……」

 ひとしきり転がると彼女は膝を抱えて座り、目に涙を浮かべ始めた。くしゅんくしゅんと鼻をすすりながら、泣き言をこぼし続ける。

「どうして……どうしてこんな簡単に負けちゃうんでしょう……」

 あんまりにも悲壮な雰囲気になったため、カルトも見かねて声をかけた。

「ま、まあまあ。そう深刻にならずに。人間誰だって負けることはありますよ。俺もつい先日相撲で負けたばっかりでして、リベンジのため特訓してるところなんです」

「ううう……でも、でも、私しょっちゅう負けるんです」

「そうなんですか?」

「はい。良く分かりませんが、仲間内では『退魔師界のハルウララ』って言われます」

「……そうですか」

 それが一勝もしたことない競走馬の名前であることは、さすがのカルトでも告げられなかった。しょっちゅう負けるという言葉すらヌルい、見栄を張った表現だったようだ。

「今まで……よく生き残ってこれましたね……」

「ううう……私、悪運だけは強いんです。悪運だけは……」

 すすり泣き続けるので、カルトも可哀想に思い始める。

「いや、で、でも逆にスゴイじゃないですかっ!」

「何がです?」

「だって負け続けなんでしょう。でもつまりそれって、勝負しつづけてるってことじゃないですか。負けてばっかなのに、諦めず戦い続けてる! なかなか出来ることじゃないです!!」

「そ、そうでしょうか……」

「そうですよ!」

 そう言われて、少女の瞳に少しずつ希望の光が戻り始める。

 カルトはここぞとばかりに、ダメ押しを加える。

「いいですか!貴女がいったい何回負けて泣いていたかは知りません。ですが、その悔し涙は貴女が本気で挑んだ証拠です。もし百回負けて百回目の涙を流しているというのなら、それはとても偉大な涙です。その百回の敗北は、百連勝よりもずっと価値がある。なぜならばーー」

 カルトは断言した。

「挑み続けることは、勝ち続けるよりもずっと辛く苦しい道だからですっ!」

 カルトが話す間、少女は驚いたように瞬きもせず見上げていた。

 その事に気づくと、カルトは慌てて言い繕った。

「あ、す、すみません。熱くなってしまって。話してる途中からつい私情が混じって」

「あ、ありがとうございます」

 少女は呆然とした表情のまま、そう告げた。

 思わず口からこぼれた、という感じの言葉であった。

「あの、私、通りすがりの方から、こんな励ましの言葉を頂けると思わなかったので」

 いつの間にか少女は両手を胸に当て、ぎゅっと押さえつけていた。

 まるで貰った言葉を、胸に染み込ませるように。

「こんな素敵な言葉を、通りすがりの……しかもふんどし一丁の方に頂けるなんて」

「えっと、まず、お嬢さん。コレふんどしじゃなくて、まわしね。ま、わ、し」

「お兄さん、とても素敵な方ですね!」

「話聞いてないですね」

 それはお互い様だが。

 少女は勢い良く立ち上がると、その小さな拳をぐっと握りしめる。

「私、頑張ります! 何度負けたって挫けません!」

「おー、元気になって良かった」

 そして少女は拳を突き上げ、元気一杯に叫ぶ。

「今からもう一回戦って来ます!」

「何言ってるのこの子っ!?」

「はい?」

 制止され、少女は逆に不思議そうな顔をした。

「貴女あれ? ひょっとしてアホの子だったりするんですか?」

「な、なな、何を言うんですか、失礼なっ! 全然私はアホじゃ、ない……ですよ……」

 すげー自信なさげ。

「あのー、貴女、5分前まで溺死しかけてた方ですよね」

「え、あ、はい」

「その半死人がもう一回戦ってどうするんですか!」

「いえ、全然元気ですよぉ」

「そんな馬鹿な!?」

 すると彼女は自信ありげにその貧相な胸を張ると、

「大丈夫ですっ! 私、やられ慣れてますから!」

 言い切った。

 ダメだこの子。もう手遅れだ。

「励まさなきゃ良かった……」

「ええっ、なんでそんなこと言うんですか!? すごい感動したのにっ!」

 とかなんとか言っている間に、サイレンの音が近づいてくる。

「やっと救急車来たか」

「大変です、どこかでケガ人でしょうか?」

 お前だよ。

「え、もしかして私ですか?」

 カルトの非難がましい視線に気付き、少女はそう言った。

「全然平気ですって。私、丈夫なんです」

「でも貴女、さっきまで心臓止まってたからね」

「え、本当ですか? でも今は動いてますよ」

 そりゃそうだろう。

「ほらお兄さんも触ってみて下さいよ。どっきどきですよ、どっきどき」

「…………」

 カルトは差し出されたその薄っぺたい胸に『金剛』を叩き込んでやりたい衝動に駆られた。

 ――が、耐えた。代わりに彼は叫んだ。

「救急隊のみなさーんっ、こっちでーす!」

「あ、ちょっ、待っ」

 逃げ出そうとした少女を捕まえる。

「何するんですかっ。病院行ってる暇ありません。この池には今、重大な危険があるんですっ。私はその禍根を断つ使命があるのですっ。詳しくは説明できませんがっ」

 先ほどペラペラ喋っていた気もするが。

「あー、はいはい。それならやっとくから病院行って下さい。後遺症出たらどうするんですか」

「やっとくって、てきとーな事言わないで下さいよぉ」

 言い争っているうちに、担架を持った救急隊が到着する。

 そして彼らはカルト達を見ると、言った。

「どちらが溺水の方ですか?」

「どっちって、見れば分かるとおりーー」

 言われてみると、二人ともずぶ濡れだった。

 少女が、したり、という顔をした。見なくても分かった。

 少女は叫んだ。

「こっちのお兄さんです!」

「違います! この子です!」

「嘘です! 私は溺れてません!」

「俺は嘘つきではないですし、溺れてもいません!」

 嘘つき村問題を始める二人を前に、救急隊員が顔を見合わせる。

 説得力バトル、スタート。


 ステージ1 容姿。

「俺は溺れてません!(絵に描いたような野獣男。すね毛が濃い)」

「私も溺れてません!(絵に描いたような美少女。まつ毛が長い)」

 どう見ても10-0 でカルト劣勢。

「くそおっ、これだから見た目がいい子はっ」


 ステージ2「二人とも、なぜそんな変な格好を?」

「俺、学生力士なんですよ。そこの河中公園の土俵で自主練してたんです」

「え、え、えっと、その、これは仕事着みたいなもので、神社で巫女のアルバイトを」

「こんな早朝にですか?」

「いや、そのっ、散歩を」

 判定 10-10までカルトが追い上げ。


 ステージ3「それで溺れている人を見つけて、連絡下さったんですね?」

「はい。彼女を見つけた際は心肺停止状態だったため、すぐにCPRを開始しました。幸いすぐに自発呼吸の再開が見られたのですが、事故当時の記憶が無く短期記憶障害が疑われます」

「え、あっ、ちょ、ズルいですっ! なんでカッコイイ専門用語っぽいの並べてるんですかっ!」

「ウィキペディアで調べた」

 判定 10-100ぐらいでカルトのコールド勝ち。


「わ、私は体が丈夫だから平気なんです~っ」

 頭が丈夫じゃなさそうなセリフを叫びながら、少女は運ばれて行った。

 一方で救急隊員はカルトに頭を下げると、

「ご協力感謝いたします。相撲の練習頑張って下さい」

「いえ、一市民として当然のことをしたまでです。あとあの子、意識が戻った後も良くわからないことを言ってたんで、頭の精密検査よくしてあげてください」

「はい、病院にも伝えておきます」

 そして救急隊が見えないところまで去ったところで、カルトはガッツポーズを決めた。

「よっしゃああああ、勝ったぁあああ!」

 妖怪に勝った時よりも喜んでいた。

 燃崎カルト。嫌いなものは、調子にのった美人。

 仲間内では、特に人様に失礼な美少女に厳しいことで有名。

 何か容姿にコンプレックスを抱えているのかもしれない。

「ザッマアアアアアァァァァァッ!!!!」

 本来の目的を見失って大喜びする少年、燃崎カルト。

 名も告げず救急搬送された少女、絵巻園梨世奈(えまきぞの・りよな)。

 二人の運命が本格的に交わるのは、もう2年ほど先のことである。

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