【01】 謎めいた猟奇殺人 ― Mysterious Bizarre Murder ―
放課後の教室
七月も半ばに差しかかった、ある夏の日の夕暮れ時。
窓外に望むのは、沈みゆく夕陽に、棚引く雲とともに、じんわりと仄かに茜色に染まりつつある空。
近頃忙しくなり始めた夏蝉の鳴く声が、どこからか届いてくる。
そんな、ホームルームが終わってしばらくの放課後の教室では、クラスメイトそれぞれが、部活や塾、もしくは街へ遊びに出るためにと、がやがやと動き回っていた。
そんな中、帰宅部であるボク――
と、
「ねえ」
あるクラスメイトの女子に呼び止められた。
「なんだよ」
うっとうしげに、そっけなく返す。
こいつの名前は、
ボクは、この私立高校に入学して以来、親元を離れて、高校近くにあるマンションの1DKで一人暮らしをしているけれど、同じ県内の外れにある公立中学に通っていた頃は、長閑な風景が広がる片田舎の実家から通学していた。
ココナは、その実家の隣に住んでいた、幼稚園の頃からの幼馴染。
と言っても、男子が憧れるような甘い関係なんてことはぜんぜんなくて、ただの腐れ縁でしかない。なぜか同じ高校に入学するはめになってしまい、今でも、その腐れ縁が続いているというだけだ。
「ヨウちゃんは、夏休みって、なにか予定とかある?」
いまだにこいつは、ボクをちゃんづけで呼ぶ。何度やめるように言っても、いっこうに聞き入れようとしない。
「まあ、人並みにはあるよ」
「嘘。どうせ、図書館に入り浸って、またいかがわしい雑誌とか読み耽るだけなんでしょ?」
「そんなことないって」
図星だけれど、素直に認めたりはしてやらない。
それと、断っておく必要があるだろうけれど、いかがわしいのは確かだとしても、別に、他の男子たちが、こっそりと休み時間に眺めてにやにやするような、エッチな内容のものじゃない。
「それだけか? だったら、もう行くからな」
こいつの長話につき合わされでもしたらやっかいだ。
こいつの趣味の一つに、カラオケがあって、前に一度つき合ってやったら、週末だったのをいいことに、徹夜で熱唱するのを延々と聞かされて、僕が毎週欠かさずに見ているウェブ番組『リアルクライム丑の刻』を、その一度きり、見逃してしまうというはめになるという苦い想い出がある。
早めに終わらせて、図書室に逃げこむのが得策だ。
そう考えて、それじゃあな、とそそくさと席を離れようとしたところ、そのボクのシャツの右腕の裾が、ぎゅっと片手で掴まれた。
「まだ話は終わってませーん」
不満顔をしながら、ココナが引きとめる。
「……なんなんだよ」
思わず、ふーとため息がもれる。
「だったら、早く済ませろよな」
苛立ちを滲ませながら言うも、ココナは特に気にするでもなく、両手を後ろに組んで前傾し、丸っこい目を上目遣いにすると、
「ねえ、私達二人で、肝試し、しちゃわない?」
「肝試しぃ?」
思わず、調子っぱずれな声を上げてしまった。
まだ教室に残って、ぺちゃぺちゃと雑談していた女子たちが、にやにやとこちらを見ながら、「相変わらず仲の良い夫婦ですことで」、「この暑い中、お熱いのはよそでやって欲しいよね」などと、わざと聞こえるようにからかいを囁くのが届いてくる。
こういう感じになるから、こいつとあまりクラスメイトの前で話をしたくないってのに……
「お前、昔から、怖い話とか嫌いだったろ。そんなお前が、肝試し?」
からかわれた腹いせに、はん、と馬鹿にするように言ってやった。
ココナは、栗色の髪のサイドを束ねて結わえているゴムにあしらわれた、花柄の飾りを指で弄ぶようにしながら、
「嫌いってわけじゃないよ。苦手ってだけ」
同じようなもんだ。
「お前みたいな怖がりが、どういう風の吹きまわしなんだ――」
言いかけて、昨晩、家の居間で読書していた時、中学生の妹が観ていたドラマのことが思い当たった。
自室にはクーラーがないから、耳障りなのを我慢してそこで読書していたんだけれど、聞きたくなくても自然と耳から入ってきたその内容が、確か、廃校舎で肝試ししているところに、本当にお化けが出てきて、襲われたヒロインを主人公が勇敢に救うとかなんとか――そんなベタベタな内容だったはずだ。
昔からこいつは、何にでも影響を受けやすいたちだった。
大方、そのドラマに影響を受けでもして、悲劇のヒロインでも演じたくなったってところだろう。
「お前が幽霊に襲われようが喰われようが、俺は絶対に助けないからな。他をあたってくれ」
「ちょっとー、なにそれ酷くない?」
言葉尻りを上げながら言うのに、軽くイラッとくる。いつから、こんな今時のお軽いギャルみたいなしゃべり方をするようになったのか……
「前は、私が森の中で蛇に襲われそうになったりした時、命がけで助けてくれたこともあったじゃない」
「それ、幼稚園の頃の話だろ?」
そんな鼻タレたクソガキだった頃のことなんて、今のボクにとっては、紀元前の大昔とさほど変わらない。つまり、どうでもいいってことだ。
「それに、お前が襲われたのは、蛇じゃなくて、ただのトカゲだ」
「そんな細かいこと気にするよりさー、ねえ、いいじゃん、やろうよー、肝試しぃー」
と駄々っ子のように、両手で僕の腕を握って揺すり始めた。
こいつがこうなったら、そうそう簡単には諦めようとしないってことを、僕は経験則から知っている。すっぽんを彷彿とさせるようなしつこさ。
「うちの父さん、会社の奴隷で社畜だから、どうせ旅行とかつれて行ってもらいないしー、せめてなにかイベントやりたいのー」
「うざ……離せよ、お前ガキか」
顔を引きつらせて身を引きながら、その手を振りほどこうとするけれど、すっぽんココナは、他のクラスメイトから向けられる、クスクスとした笑いを気にとめようともせず、しっかと食らいついたまま。
「来年は受験生なんだよー。そうなったら、夏休みなんてないようなものなんだよー。この、『立てばヒシャクに、座ればボンタン、歩く姿はクリの花』で通ってるココナさんと肝試しできるんだよー」
一つとして符号していない。まあ、周囲からそう言われて馬鹿にされてるってんなら、すんなり頷けるけど。
そんなボケをかましつつ、
「もしかしたら、私にきゃーって抱きつかれて、ウハウハなことになれるかもしれないんだよー」
となおもしつこくまとわりつく。悪いけど、まったくそそられないシチュエーションだ。
「離せって」
僕が、必死にすっぽんココナの手を必死に振り払おうとしていると、
「楽しそうじゃん」
と別のクラスからやって来た男子が、僕たちのやりとりに加わってきた。
こいつは、
茶髪にピアス、女好きと、見た目も中身もお軽い、いわゆる、遊び人のチャラ男君だ。一年の頃に同じクラスだったことから、二年になって別のクラスになった今でも、こうして休み時間や放課後に、僕のところに暇つぶしに来ることが多い。
あまり目立たない存在なボクとは対極にいるようなやつだけど、男友達がほかにいないんだろうか。
それにしても、さらに厄介ごとの種が増えることになってしまった。これは、非常にまずい状況だ。
「肝試し、って言ってたよな。いつやるんだ、それ?」
そのマキトが、面白がるように尋ねてきた。
「マキトからも言ってやってよ」
とふくれっ面の駄々っ子ココナ。
こいつとマキトも、親しげに会話する仲だ。いつも休み時間中なんかに、下世話なお笑いやらテレビドラマやらのネタで盛り上がるのを聞かされて、うんざりとさせられている。二人ともおバカでお軽いから、それだけ気が合うんだろう。
「夏休みに肝試しの計画立てたんだけどさ。ヨウちゃんったら、私がどれだけ頼んでも、一緒にやろうとしてくれないの」
「酷いやつだな。女子の頼みを聞いてやれない男はモテないぜ?」
軽々しく言うチャラ男。
「どうとでも言えよ」
ここでムキになったら、こいつらの思うつぼだ。こいつらとまともに相手してやってると、時間の無駄なだけじゃなく、疲れてしょうがない。
「つき合いわりーぞ」
マキトは、そんなボクを困ったやつ扱いしつつ、
「で、その肝試し、ってどんなことするつもりなんだ?」
尋ねられたココナが、
「マキトも、私達の通った中学のことは知ってるでしょ?」
「ああ、前に何度か聞いたな。確か、浅間中だったっけか」
地元が同じなボクとココナと違い、マキトがこの高校に通っている実家は、その近くにあり、卒業した中学も別だ。
「その中学で、私達が二年だった時、すごい事件が起きたんだ」
「すごい事件? そりゃぜひ聞かせてもらいたいな」
と大袈裟な興味を示しながらのってくるマキト。
こいつは勉強はからきしダメだけど、女の扱い方に関しては、校内で右に出る者はいないと噂される程。羨ましくもないし、褒められたことでもないけれど。
今も、そのチャラ男スキルの一つ――『聞き上手はモテる』を実践してでもいるんだろう。
その、こいつのチャラ男スキルに気を良くしたらしいココナは、
「うん。私達のクラスに、雑誌のモデルとか、テレビドラマで俳優やったりしてる、『スーパーJC』なんて呼ばれてた先輩がいたんだ。名前は、
「知ってるぜ、その名前。確か、何年か前に、ドラマで脇役やってた覚えがある。あまり人気はなかったけど、ホラー映画で主演してたりもしてたよな」
英単語や歴史の年号は覚えられなくても、一度見た美人や可愛い娘だけは忘れない。それもまた、こいつのチャラ男スキルの一つだ。
それに、つき合ってる彼女のだけじゃなくて、この高校にいる全員の誕生日をチェックしていて、さすがに、普通の高校生なので、全員にプレゼントするほどの財力はないみたいだけど、その日には欠かさずお祝いのメールをするのだとか。
だけど、ボクの誕生日には、メールの一つも送ろうとしない。まあ、別にそうされたらされたで、逆にキモく感じるだけだろうけれど。
「その沖本レイナには、ファンクラブがあって、いつも応援してくれるファンへの感謝をこめて、夏休みに、この地元で肝試しツアーをやることになったんだって。彼女、そのホラー映画のヒロイン役をしたばかりだったから、そういうつながりで、ね」
「そりゃあ、ファンのやつらはむらがっただろ。なにせ、『スーパーJC』と一緒に肝試しするんだ。『きゃー』って、抱きつかれたりでもしたら、悶絶もんだからな」
にやにやするな、この変態女たらし。
「でしょ? やっぱり、普通の男子ならそうくるよね?」
とココナが僕を一瞥しながら。
自分が、普通の可愛い女子じゃないとは、露程にも思っていないらしい。ポジティブなもんだ。
「その肝試しの参加者は、抽選で決められたんだけど、ファンクラブの会員で、地元が同じ人達は、特別に優先して参加できるって特典があったの。それで、私達の同級生からも四人参加することになった。場所は、私達の通ってた中学校の裏にある山の奥にある、十年以上前に潰れてそのまま放置されてる廃病院」
「潰れた病院か。肝試しの王道スポットの一つだな」
「で、七月の終わり頃に、抽選に当たったり優先して選ばれた二十六人と、沖本レイナと女のマネージャーが、皆で一緒に、一部屋貸し切っていた高級レストランで、夕食を楽しく食べた後、レンタルバスに乗って、その山奥の廃病院前に集まって、肝試しが始められることになった。内容は、廃病院の中を、一組四人ずつ、三十分くらいかけて回るってだけ。沖本レイナは、どの組にも参加する」
「そりゃあ、沖本レイナ抜きで回らないといけないやつらが出てきたら、非難殺到だろうからな。むさ苦しい野郎どもだけの肝試しなんて、逆に拷問されてるみたいなもんだ」
「でも、その肝試しで、予定とは違ったことが起こったの」
「いよいよか。待ってました」
とマキトは、ボクの席に勝手に座ると、前に立つココナに向けて、腕を組んだ上半身を乗り出すようにしながら、
「それで、何が起こったんだ?」
「十時半頃に、五組目までの肝試しが終わって、最後の六組目が、沖本レイナと一緒に廃病院に入って行ったんだけど、それから三十分以上がすぎても、彼女たちは戻って来なかったんだ」
マキトは、ふんふんと頷きつつ話しに聞き入りながら、
「沖本レイナたちは、どうなったんだんだろうな?」
「マネージャーは、彼女が怪我でもしたんじゃないかって心配して、参加者の何人かをつれて、探しに行ってみたら、最上階の通路に防火シャッターが降りていた。肝試しの最中に、通路の反対側の防火シャッターも閉じた状態だったのを他のファンたちが見ていて、そこと同じで、なんの拍子でかはよく分からないけど、前の組がそこを離れた後に閉じてしまったんだろうって考えられた」
「ってことは、沖本レイナたちは、その中に閉じこめられちまったってことだな?」
「まあ、続きを聞いてよ」
とココナは片手で、待ったのポーズをしてから、
「そして、もしかしてその中に閉じ込められたんじゃって心配されて、手動開閉装置でその防火シャッターを開けようとしたんだけど、壊れてるのか、防火シャッターはびくともしなかった。それで焦っていたところに、そこで携帯は、電波は弱いけどなんとか使える状態だったんだけど、そのマネージャーの携帯に、沖本レイナからメールが届いてきて、『こんなくだらないツアーなんてやってられない。他の二人が奢ってくれるっていうから、別の場所で三人で遊ぶから』って書かれてた」
「なんだよ、それ。全然怖くねーじゃん」
マキトが、身体をのけぞらせながら、拍子抜けしたように不満を呟く。
「怖くなるのは、まだこれから」
ココナは、期待を引き戻させるように返してから、
「マネージャーは、彼女はファンをつれて、裏口からこっそり抜け出したんだろうって考えた。その前にも、彼女は予定をすっぽかしたり、途中で抜け出したりすることがよくあったみたいね」
「でも、他のファンからは相当文句言われたんじゃないか?」
マキトがもう一度前のめりになる。さっき不満そうにしたのも、どうせ話しを盛り上げるための演技の一つなんだろうけれど。
「まだその後も、一緒に花火をしたりする予定はあったみたいだけど、とりあえず、彼女と一緒の肝試しっていうメインイベントは済ませた後だったわけだから、ファンたちの何人かがぶーぶー言うだけで、しょうがないから、そこで肝試しツアーは解散ってことになったんだって。対応に追われて必至になるマネージャーに同情するようなファンの方が多かったみたいだよ」
「アイドルのマネージャーとか憧れたりするけど、知らないところでそんな苦労があったりもするんだよな」
マキトは知ったような口振りで言ってから、
「だけど、それで終わりってんじゃないんだろ?」
「そう。実はその時、そこで恐ろしい事件が起きていたってのが分かったのは、その次の日。沖本レイナと一緒に廃病院に入った内の一人――私達の同級生だった子なんだけど、その彼は、慢性腎不全って難病を抱えてて、週に三回、通院して人工透析を受けていた。その通院日が、肝試しツアーと被っていたんだけど、彼は、人工透析を受けずに、ツアーに参加した。どうせ身体に負担がかかるからダメだってとめられるだろうからって、両親には知らせずにね」
「病弱な身体をおして――ってことか。よっぽど沖本レイナが好きだったんだな、そいつ」
「うん。まだあんまり名前が売れてない頃からの熱心なファンで、部屋にはポスターとか写真とかグッズとかで一杯だったらしいね。医者からは、人工透析を欠かすと死ぬ、って忠告されてたんだけど、病弱な自分を元気づけてくれる沖本レイナに、少しでも近づきたかったのかも。
でも、人工透析に時間をすぎてもやって来ないから、病院側から、共働きしている彼の両親に連絡が入った。そして、慌てた両親が仕事を切り上げてすぐに自宅に戻ったら、彼の自室に、『もう耐えられない、どうせそのうち死ぬんだったら、自殺してやる』みたいな遺書が見つかったんだって。それで、警察の力を借りて、彼が自殺するのに選ぶような場所を片っ端から探したんだけど、見つからなかった。そりゃそうよね。彼はその時、普段行くはずのない高級レストランや廃病院にいたんだから。
でも、翌朝になって、彼の友人の一人から連絡があって、あいつ、もしかして、沖本レイナの肝試しツアーに参加したんじゃないかな、って聞いて、すぐに沖本レイナの所属事務所に話を聞いて、昨晩、沖本レイナたちが戻って来ずに、防火シャッターで塞がれてるところがあったことなんかが知らされて、すぐに捜索隊がそこに送られることになった」
「いよいよか」
とマキトがその目に期待をこめる。
「廃病院に急行した捜索隊は、すぐに、二枚の防火シャッターで塞がれてるっていう、最上階に向かった。そして、レーザーカッターで、その防火シャッターが焼き切られた。そうしたら、その防火シャッターは、内側から、超強力な接着剤で塞がれていたことが分かった」
「何か、すげーやばそうな状況だな、おい。それで?」
と楽しげなマキト。
「その防火シャッターの先のすぐ傍にあった病室で、一人の男の子が倒れているのが見つかった。それが、さっき話した、人工透析を受けずにツアーに参加していた男の子。人工透析を受けていなかったことで、その症状が出て、意識を失ってしまっていた。そのことは予期されていて、廃病院の外で待機していた救急班が呼ばれて、彼は病院へと運ばれた。彼はその後、何とか治療が間に合って、手遅れにならずに済んで、一命をとりとめた。そして、その男の子は、治療を受けて助かった後、肝試し中に、体調が悪くなってきたから少し休ませてもらうって、他の三人とその部屋で別れたってことを話した」
「それで、その三人はどうなったんだ?」
マキトが待ちきれないというように、先を急かす。
「焼き切られた防火シャッターから奥へと進んだ捜索隊は、その先に並んでいた病室の一つで、恐ろしい惨状を目の当たりにした。彼らがそこに見たものとは――」
ココナは、そこで、もったいぶるように、そこで一旦言葉を切った。
「……見たものとは……?」
恐る恐るというように、マキトがその先を尋ねる。
「……大量の血だまりの中で、バラバラに切り刻まれて転がる死体だった」
「こわっ!」
とマキトは、大げさに両手で身体を抱きながら、ぶるりと身を震わせると、
「ちょーこえーよ、なに、そのサイコな猟奇殺人。誰がそんなことしやがったんだよ」
「それなんだけど、一人は胸を刺し殺されて死んでいたわけだけど、その死体は、細長い板で組まれた、逆さまの十字架に、頭を下に向けて磔にされていたの」
「十字架を逆さまに……?」
とマキトが目を眇める。
「何でそんなことしたんだ?」
「その殺人事件が起きた頃、別の連続殺人事件が、世間を騒がせていた。覚えていない?
確か通り名みたいなので呼ばれてて、リンボー……ハンガー……ティンバー……インポ……インビ……」
「『インバーテッドクロスキラー』、だろ?」
何げに卑猥な言葉を織り交ぜつつ、上手く言葉を引き出せずにいるココナに、ボクがあわやと助け舟を出す。
「そう、それ!」
とココナは、我が意を得たりとばかりに、ボクにびしっと指を突きつけると、
「さすが、殺人事件オタク!」
褒め言葉になっていない。僕はあくまでフリークであって、オタクとは一線を画しているんだ。ココナにそこらへんの違いは理解できないだろうけれど。
「その『インバーテッドクロスキラー』っても呼ばれてたその連続殺人鬼は、殺人現場に、必ず、逆さまになった十字架のネックレスを残していたの」
「そんな事件あったっけか」
全国的に報道されて騒がれていたはずだけど、ニュースや新聞を見ようとしないマキトなら、その事件が起きていたことさえ知らなかったとしても、特におかしくはない。
『逆さ十字』――英語で言う『インバーテッドクロス』というのは、キリストの弟子の一人ペテロが処刑される時、自分のような者が、キリストと同じ状態でそうされるのは好ましくないとして、逆さまに十字架にかかることを望んだというエピソードに由来し、『ペテロクロス』とも呼ばれる。
ただ、映画やアニメなどの影響もあってか、アンチキリスト、邪悪な悪魔崇拝の象徴という歪められたイメージで通ることが多いとも聞く。
「そして、そのバラバラ殺人事件の現場にも、ネックレスは置かれていなかったけど、死体が逆さまの十字架に磔にされていたから、その『インバーテッドクロスキラー』の犯行にに違いないって考えられた」
「だけど、その殺人鬼は、人殺しした後、どうやってそこから脱出したんだ?」
「そこが、この事件の謎めいたところでもあるんだよね」
とココナは思案げに眉をひそめながら、
「最後に肝試しに廃病院に入って行ったのは、四人。沖本レイナと、ファンの三人ね。そのファンの内の一人は、人工透析を受けなかったことで、防火シャッターで塞がれていた病室の中で、意識を失っている状態で見つかった男の子で、他の二人も、その閉じこめられた中の奥の方の病室で、一旦スタンガンで気絶させられて拘束された後、一人はバラバラに切り刻まれて、もう一人は、胸をナイフみたいなもので刺されて、逆さまの十字架に磔にされていた。 だけど、彼らを殺した殺人鬼だけじゃなくて、沖本レイナも、どこにもいなくなってたんだよね」
「一緒に殺されたんじゃなかったのか?」
「ううん。殺人犯は、死体をバラバラにするのに、同じ階にあるトイレでノコギリを使ったらしいんだけど、そこに沖本レイナの血痕とかは残ってなかった。それ以外の場所にもね」
「そうかあ……」
とマキトは視線をもちあげてから、
「その殺害現場って、推理ドラマとかでよくある、密室状態だったわけだよな?」
「それに近いけど、正確にはそうじゃないんだ。殺害現場になった病室の窓は開いていたから」
「なんだ、だったら、どうにでもなるじゃないか。殺人鬼は、沖本レイナを動けなくさせておいて、その窓から出て攫ったんだよ」
「それはないと思うよ。だって、そこって、最上階の十階だったから。五十メートルくらいあるんだって。そこから飛び降りたら、さすがにただじゃすまないでしょ。下は固いコンクリートだしさ」
「ロープとか使えばどうにかなるんじゃないか?」
「そんな長いロープなんて、どこにも見つかってないよ。
「下に降りてから、回収したとか」
「それができたとしても、それ以前に、女の子って言っても、中学生で身体はもう十分大人な沖本レイナを抱えて、ロープを使って十階から降りるなんて、スパイダーマンでもない限り、無理でしょ。そこらへんは、警察もよく調べてみたらしいんだけど、そういう痕跡は見つからなかったんだって」
「だとしたら……」
マキトは、新しい推理を導こうとしてか、ボクの机に肩肘をついて握った拳に顎をのせ、うーんと唸ると、思いついたというように、「そうだ!」と指をパチンと弾きながら、
「もしかしたら、その病気で倒れてたやつが犯人なんじゃないか? そいつが、沖本レイナたちを殺したあと、防火シャッターを接着剤で塞いだんだよ」
「私も、一度は彼を疑ったんだ。でも、彼は本当に腎不全で死にかけたくらいだったんだよ? そんな状態で、死体を切り刻むようなことできたとも思えないし、だいいち、大好きだった沖本レイナ殺すなんてするわけない。二人のファンの身体を切り刻むなんてこともね。彼を疑うのはお門違いってやつだよ。
それに、その彼が犯人だったとして、沖本レイナを――殺したにしろ、生かしたままにしろ、どうやってそこから連れ出したって言うの? それに、殺人鬼のことは?」
「それもそうか……」
せっかくの推理を否定されて、マキトががっくりと項垂れる。
「殺された内の一人は、バラバラにされてたけど、もう一人は、胸をナイフで刺されて普通の殺され方だったから、だいたいの死亡推定時刻が分かったんだって。その死亡推定時刻は、日付が変わった午前二時頃。肝試しの途中で、心配したマネージャーたちが、沖本レイナたちを探しに行って、防火シャッターが塞がれてるのが分かったのが、前日の午後十一時半頃。 つまり、そのファンを刺し殺した殺人鬼っていうのも、その防火シャッターで塞がれた状態の――自分でそうしたんだろうけど、その中にいたってことになるんだけど、そこからどう脱出したのかが、よく分かってないらしいんだよね」
「マジで意味わかんねーよな」
「だけど、犯人が誰だか分からずじまいってわけでもなかったの。殺人鬼が、その廃病院に隠れていたとしても、外にたくさん沖本レイナのファンたちがいるような中で、そんな殺人をするとは思えない」
「確かにそうだな。どんだけイカれた殺人鬼でも、それはちょっと変だ」
「だから、こう考えられた。連続殺人鬼の正体は、沖本レイナだったんじゃないか、って」
「沖本レイナが?」
マキトは、意外そうに目を丸くすると、
「そう来るとは思わなかったぜ。で、どういう理由でなんだ?」
「連続殺人鬼――『インバーテッドクロスキラー』は、それまでに、三件の人殺しをしていた。それは全部真夜中のことだったんだけど、そのどの殺人も、沖本レイナが一人暮らしするマンションからそう遠くないところで起きていて、その犯行時の彼女のアリバイが、一つも成立しなかったの」
「へえ、なるほどだなあ」
とマキトは頷きつつも、
「でも、だったら、沖本レイナは、なんで人殺しなんてしようとしたんだ? 名前が売れ始めて、これからって時だったんだろ? 人殺しなんてしたら、全部パーじゃんか」
「それが、そうでもないらしいんだ。芸能人になる前は、美人だけど、性格はちょっと目立ちたがりなところがあるくらいだったみたいなんだけど、芸能人になって有名になるにつれて、どんどん変わっていっちゃったんだって。
あくまで噂だし、死んだ人のことをあまり悪く言いたくないけど、小学生からの友達のことも、ダサいとかバカにして付き合わなくなったり、とりまきにかつあげさせたり――噂だと、ドラッグにまで手を出してたって話。あくまで噂だけどね」
「クスリで頭がいかれちまってたってわけか。芸能人だったんなら、別に珍しい話でもないな。売れっ子芸能人の没落ってやつだ」
「その殺害現場だけど、沖本レイナはどこにもいなかったけど、彼女の携帯が見つかったらしくて、そのスリープを解いてみたら、メモ帳アプリを使って、『いつまでもつきまとってくる、うざいゴミ虫みたいなやつらを、切り刻んでやった』って書かれてたらしいよ」
「だったら、やっぱり沖本レイナが犯人ってことなんだろうな。世の中何があるか分かったもんじゃねーな。あんな美少女が、そんなイカれた殺しするなんてな」
マキトはしみじみと言ってから、
「で、その沖本レイナは、その後どうなったんだ? 警察に捕まったのか?」
「ううん。今でも、消息不明。だから、こう噂されてたりもするんだ。沖本レイナは人を殺した後、自殺して亡霊になって、あの廃病院をまだ彷徨ってるとか。だから、そこに入った人は呪い殺されるとか言われてたり、他に、七不思議があったりもするみたい」
「幽霊に呪い、七不思議。オカルトの三連コンボだな。誰に聞いたんだ、それ」
「昨日、久しぶりに中学生の頃の同級生から電話があってさ。その子、浅間中の近くにある高校に入ったんだけど、今度の夏休みに廃病院で今度肝試しすることにしてるんだって。そこって、そこら辺りじゃ有名な肝試しスポットになってるらしいよ。そこで肝試しをした人達は、同じように殺されるなんて噂もあるらしくって、去年の夏も、他の県からわざわざやって来る人達なんかもいて、かなり盛り上がってたみたい」
不謹慎極まりない盛り上がりだ。
「最近、廃墟マニアなんてのもいるらしいからな」
「でもそこで、去年の夏に肝試ししていた大学生の一人が、階段から転げ落ちて死んだ人が出て来たせいで、ほんとに呪われるんじゃないかってなって、最近じゃ、誰も寄りつかなくなってるってことだけどね」
「死人まで出てるのか。そりゃあ、確かにやばいな」
「でも、幽霊なんているわけないからね。あれは、幽霊のしわざじゃなくて、絶対に殺人事件。だけど、行方不明の沖本レイナが犯人って言われてるらしいけど、私は、違うんじゃないかなって気がしてるんだ」
「違うって?」
「勘なんだけどね。あの事件には、何か隠された秘密があるんじゃないかなって。私の勘はよく当たるんだよ?」
ココナは自慢げに答えると、ボクに顔を突き出しながら、
「どう? 肝試しに興味なくても、事件の真相に迫ってみたくはならない?」
「どう、って言われてもな……」
逡巡しつつ、返事を濁した。
「あれ、さっきまでと違うな。迷ってんのか?」
とマキトがからかうように。
「ヨウちゃんは、謎めいた未解決事件――それも、殺人事件のことを調べるのが大好きな根暗オタクですからねー。この謎めいた殺人事件の誘惑に、はたして抗えるかな?」
挑発するように、ココナが続く。
確かに僕は、創作された推理小説なんかを読むよりも、現実に起こった凶悪な殺人事件なんかを、自分であれこれ調べる方が好きで、長年それを趣味にしている。
小学生の頃の自由研究で、ある未解決の殺人事件を題材にして提出したら、担任にこっぴどく怒られたあげく、どういう教育をしているんですかと両親まで呼ばれたという、苦い想い出があったりもする。
これから図書室で読もうとしていたのも、そういった未解決事件などがまとめられた雑誌のことだ。
「……分かったよ。どうせいくら断っても、お前らしつこく食い下がってくるんだろ?」
しかたない、折れてやる。
肝試しはどうでもいいけれど、確かに、その謎めいたバラバラ殺人の現場を直に訪れることができるというのは魅力的だ。実は、その事件に関しても、以前、少し調べていた時期があった。
「けってーい!」
ココナは嬉しげに飛び跳ねると、マキトと一緒に、してやったりな笑みを突き合わせながらハイタッチした。
それが決まったとなった途端、今度は、二人して、おやつはなにを持って行こうか、などと楽しげにきゃっきゃしている。
遠足気分かよ……。
呆れ顔でそんな二人のやりとりを見ながらも、少しだけ――ほんとにほんの少しだけど、期待に胸が踊るのを感じていた。
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