解かれた封印 一

 うわわわわ。美月さんだけじゃなくて、卓ちゃんまで出てっちゃったわ。この雰囲気で、わたしだけ残されるのは辛いよう。美月さん、卓ちゃん、あとで覚えてらっしゃい!


 え、っと。


「あの……」


 ぐっちぃの反応はない。


「げんき だして。ね?」


 励ましてみる。でも反応はない。俯いたまんま。しばらくお互いに黙ったままで、時間だけが虚しく流れ続けた。あれ? ぐっちぃの肩が揺れてる。どうしたのかなと思ったら、声を上げてぐっちぃが泣き出した。


 気持ちは分かる。痛いほど。飲んで忘れたいのも分かる。泣きたいほど辛いのも分かる。でも。わたしはものすごーく腹が立ってきた。ぐつぐつぐつ! 腹の中が煮えたぎってきた。


 ねえ、これだけの腕があるなら、なぜセンセイから独立しないの? センセイの訣別の言葉を、チャンスにしないの? センセイはぐっちぃを切ったんじゃない。見捨てたんじゃない。甘えるなって言ったんだ。自分で立てって言ったんだ。いつまでもフォローを当てにするなって言ったんだ!


 失敗をジンクスのせいにするな。それすら利用しろ。おまえは、もうプロだろうが! なぜ、そう受け止めないの? どうして泥にまみれることを嫌がるの? 自分をみじめったらしく撫で回して、つまんない三文悲劇に押し込もうとするの?


 そうだ。スケールは違うけど、表現は違うけど、これはぐっちぃの、いつものしょうもない愚痴だわ。間違いない。


 ブラフ。はったり。奇術は騙し合いだ。卓ちゃんはまんまと騙された。卓ちゃんはほんとに人がいいよね。ナイーブでぶっきらぼうだけど、全然スレてない。だから好きなんだけどさ。

 美月さんは、わたしと同じで見破ったんだろう。だから、いたたまれなくてじゃなくって、とことん呆れて席を立ったんだ。もうあんたなんか知らないわ、って。


 困ったのは。ぐっちぃに、わたしたちを騙してるっていう自覚がこれっぽっちもないことだよね。文字通り、酔ってる。酒にも、くだらない悲劇にも。それは、ほんとはどうしようもない茶番なのに。それに気がつかずに。


 くっそう、猛烈に腹が立ってきたぞ! ちゃちなブラフに引っかかって、ちょっとでも同情のココロを動かされたことに。その自分自身の甘っちょろさ加減に。わたしはカウンターの中でぷるぷる震えてた。怒りで。


 ぐっちぃが目を擦って、上目遣いでわたしを見た。ああ、いつもの目だなあ。かまってくれと言ってる。どれ、ポチ。これからごほうびをやろう。わたしはぐるりと遠回りして、カウンターを出る。そして、ぐっちぃに近づいた。

 ぐっちぃは、わたしが優しく抱きしめてくれるとでも思ったのだろうか。立ち上がってこっちを向いた。わたしはできるだけ、にっこりと笑った。そして……。


 くらえっ! べきぃ!


 わたしのぐーの右フックが、きれいにぐっちぃの鼻のあたりに命中した。しまった。ぱーにしておけば良かった。拳が痛い。


 わたしに吹っ飛ばされたぐっちぃは、何が起こったか理解できずに、鼻血を流しながらわたしを見てる。怯えて。


「いい かげんに しろ! きんたま つい てんの か!」


 美月さんが、物音に驚いて飛び出してきた。


「なに? どうしたの!?」


 わたしは、笑いながらさらっと流した。


「ちょっと ぐっちぃを はげました だけ です」


 美月さんはぐっちぃの鼻ではなく、わたしの拳の方を気にしてる。


「あさみちゃん、女の子なんだから体を無闇に傷つけちゃだめよ」


 あーあ。ぐっちぃ。ほら、見なさい。美月さんからは、あんたがもう見えなくなっちゃってるわ。あんたなんか、もうかまってあげないって。卓ちゃんのことをお人好しって言ったけど、わたしもそうなのかもしれない。美月さんほど、冷徹に割り切れない。だからジツリョクコウシしちゃった。つい。


 美月さんは、やっとぐっちぃの方を向いてぴしりと言い捨てた。すっごく厳しい表情で。


「いつまでこそこそ隠れてるの! 月の裏側にいたら、二度と光が当たらないのよ!」


 ぐっちぃは、美月さんが放ったおしぼりで鼻血を拭くと、無言で店を出て行った。

そのあと、ぐっちぃと入れ替わるようにして卓ちゃんが戻ってきた。


「なんかさ。ぐっちぃ、ちょっとヘンな雰囲気だったけど」


 わたしと美月さんの顔をかわりばんこに見て、首を傾げてる。てっきりお涙頂戴の展開になっていると予想したのに、わたしも美月さんも、思いっきりシラケてたから。んー。アオい。アオいな、キミ。


 美月さんが、なにげにフォローした。


「卓ちゃん。気にしなくていいわよ。結局、いつものぐっちぃだったってこと」


 卓ちゃんはすぐに察したらしい。


「そっか。酔ってただけか」


 まー、そういうことにしとこう。


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