第二章

月に嵐 壱

 その日。店はいつもと違って、言いようのない緊張感に支配されてた。原因はたった一つ。ものすごーく酔っぱらったさわちゃん。きっとまたオトコに振られたんだろう。店に入ってきた時には、もうぐでんぐでんだった。


 でも、今日の荒れ方は生半可じゃない。いつもみたいに、ちょっと飲み過ぎてガラが悪いなんてレベルじゃない。完全にぶちキレて、どっかで大暴れして来たって感じ。凄まじいカッコをしてる。


 きれいにアップしてあったんだろう髪は、解けて、もつれあって、ぐっちゃぐちゃ。野ざらしの鳥の巣みたいに汚らしくなっちゃってる。顔の化粧はヘンにあちこち剥げちょろけて、子供が母親の鏡台の前でいたずらしたみたいな酷さ。べろんべろんの状態で化粧直そうとしたのかしら。なにをどうやったら、こんなになるんだろ。


 他の店で飲んだ時に、お酒を服にこぼしたんでしょ。スカートにも、ブラウスにも、変な色の染みがべったべた。おまけに猛烈に酒臭い。どっかで掴み合いでもやらかしたのかな。ブラウスのボタンが、いくつかすっ飛んじゃってる。胸元がざっくりはだけて、ブラがもうほとんど剥き出し。

 ここまで汚らしく乱れると、同性として目を覆いたくなる。どんな好色な男の人だって、これじゃさすがにセクシーさのセの字も感じないでしょ。なんて言うか、ドブにはまった雌ライオンみたい。


 そして、靴を履いてない。裸足だ。左手に、折れたヒールの踵を握りしめてる。どっかで脱いでぶん投げたんだな。ストッキングの爪先が裂けて、破れて、足首のところでへろへろ丸まってる。それを踏んづけて転んだんだろうなあ。膝のところも丸く穴が開いて、血が滲んでる。


 あーあ。もう、ぼろっぼろだ。よっぽど大声で悪態をつきながら歩いてきたんでしょ。完全に喉が潰れてる。だから、余計荒れ方にドスが効いててコワい。


 右手に携帯を握りしめてるけど、へべれけの状態でオトコと罵りあったんだろうか。怨念を、携帯からノシつけて送りつけそうな勢い。携帯が握り潰されそうにみしみし言ってる。カワイソ。


 言っちゃ悪いけど、泥酔したさわちゃんはサイッテーの生き物だ。かわいらしさも、優しさも、モラルも、慎みも、なーんにもなくなる。お酒で本性が出るんだったら、さわちゃんはまともな人の振りをしてるけど、本当は凶悪な犯罪者なんじゃないのかって思うくらい、きったない部分しか見えなくなる。


 もう一つ困ったこと。ひどく酔っぱらったさわちゃんが来ると、卓ちゃんも荒れ始めるんだ。奇妙な符合。


 卓ちゃんはもともとさわちゃんを苦手にしていて、それとなく距離を置くんだけど、さわちゃんの酔っぱらい方がひどい時は、相性だけじゃ説明できない緊張感が漂い出すの。なんだろ。さわちゃんが来ると、卓ちゃんに良くないことが起きるって感じかな。だから酔ったさわちゃんは絶対に見たくない、来て欲しくないって、ありあり。


 美月さんも困ってる。酔っ払いを中途半端に放り出すわけにはいかないし。でも、まともに相手するのも面倒だしって感じ。


 あーあ。わたしだって相手したくない。まあ、さわちゃんは、わたしが誰に対してもほとんど口を利かないことを知ってるから、せいぜい嫌みの一つか二つで済んじゃうけどね。でも、せっかくのお店の雰囲気が台無し。来てくれたお客さんだって、恐れをなして帰っちゃうよ。


 さわちゃんは、ふらつきながら店の一番奥の椅子にどしんと腰を下ろした。そうなのよね。一番奥の席。バーカウンターの前。わたしの真ん前にいっつも陣取るのよね。もーう、カンベンして欲しいわ。


「ちょっとお、みんなあ、聞いてよおっ!」


 しゃがれた大声で、さわちゃんがわめき出した。どうしよう……。


 美月さんの方を見る。最初さわちゃんが店に入ってきた時みたいな、困ったような

表情はもう見えない。笑ってる? 笑ってる。でも、氷のように。冷たく。笑ってるのに、無表情。

 美月さんは、時々こういうカオを見せる。全ての感情を全部倉庫にしまい込んで、笑顔だけ看板代わりに置いてあるだけ。完璧だけど、抜け殻みたいな笑顔。それが、すごーく気になることがある。この時もそう。


 さわちゃんは卓ちゃんが後ろを向いたきりで、わたしが口を利かないもんだから、美月さんにかまってほしくて、ねえ、を十回くらい言った。でも……。美月さんの塗り壁笑顔に諦めたのか、みんなに背中を向けて携帯をいじり出した。

 誰かに電話して愚痴るんだろうか? いや、そんな生易しいもんじゃなさそう。雰囲気が異様。顔つきがものすごく暴力的だ。元カレのところに、嫌がらせの電話でも入れるんだろうか。さわちゃんならやりかねないな。


 でも。酔ったさわちゃんがしつこいのを知ってれば、速攻着信拒否にするだろうから意味ないのにね。あれ? どっか繋がるところにかけてるみたいだ。顔がすごくいやらしい。悪意と毒気を、全部口元に集中させているような。無気味な笑みを浮かべてる。


 えっ? 卓ちゃんが席を外そうとしてる。居ずらいんだろうか?

 どうしよう? 美月さんは人形化しちゃってるし。わたし一人で残されても……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る