二話 四章

「あつ……」

 汗で蒸れる首元を緩めながら、

「なんか……納得できませんね……」

 ブスっとしながら不機嫌そうに洩らす俺に、

「そういうな。この国でその名を知らない方が珍しいくらい知名度だ。使わない手はないだろ?」

「そりゃー一気に信用されましたけど……っとと」

 急に足元がおぼつかなくなり、フラつく。

「おいおい。大丈夫か?」

「えぇ……ちょっと無理をしただけです」

 考えてみれば、昨晩の夕食以来まともに休んでないんだよな……。

「少し休んだらどうだ?」

 正直、なにかも忘れてベッドに飛び込みたい気は満々なのだが……。

「いえ。感染源がわかれば治療法をすぐに教えられるように起きていないと」

「誰かに教えられないのか? 倒れたら元も子もないだろ?」

「麦角――菌の正体に見当は付いてると言いましたが、実際は五〇種類ほども心当たりがあるので俺自身が現物を確認しない事には特定はできないと思います」


 その時だった。


「ディバイン様! 見つけましたっ! ホントにホントにありましたっ!!」

 あの前髪が伸び、オドオドした態度の修道女が興奮ぎみに叫びながら駆けよってくる。

「来てください! ほらほら――」

 俺の手を取ると、そのまま踵を返しグイグイと俺の手を引っ張りながら、どこかへと誘う!

 そのまま連れられた先では既に大勢の人――おそらく発病しなかった者、全員がその場に揃っていた。

「アレです! アレアレ!」

 俺の手を握っている方とは違う手で指し示す先には――


「ダイコン?」


 そこにはまな板の上に載せられ、周囲のヒカリゴケに照らされ赤白く浮かび上がる様にボンヤリとした光を発する大根が――大根っ!?

「おい……あれって……」

 隣で隊長も何か心当たりがあるかのような表情で、その声を聞きながら俺は――


「ほうぉ……これは、これはお目が高い。こいつは使い方ひとつで小さな集落なら壊滅させる力を持っておる。いやぁ、どこからお聞きになったか存じませんが、お代の方はサービスいたしますので……」


 錬金術師の言葉を思い出しながら――ってか、言ってた! アイツ確かに言ってた!! 俺はそれが剣のほうだと思ったワケだが……確かにこの大根に大量の麦角菌が付着していれば――使い方一つで村ぐらいなら全滅させる事はできる。

 えっ!? ってゆ~事は……ここで起きた事って……全部、俺のせいじゃないかっ!!

 えっ! なに? 使節団とか全く関係なかったっ!?

さきほどまでの暑さも消えさり。全身に別の汗が噴き出してくる!

「――ン様」

 ど~しよ…………ごめんなさいで許してくれないよなぁ~……。


「ディバイン様ってばっ!!」


「わぁ!!」

 眼前に突然、前髪で目が隠れた女の顔がデカデカと現れるっ!?

「あれをどうすればいいですか?」

 まな板の上にのっかった半分まで輪切りにされた大根を指しながら、

「えっと……焼くのが一番だけど……」

「ハイ、ハーイ。しょーきゃくしょぶん――っと」

 俺の手を離し、トテトテとまな板にのった大根のほうへ歩いていき――手を――なにも着けず素手で大根を触ろうとするっ!?

「ま、待った!」

 俺は慌てて修道女の手を掴む――予想以上に相手が小柄で体重がなかったために勢い余って、そのまま掴んだ腕を近くの壁へと押し付ける!

「――っとっと」

 修道女の腕を壁に押し付けたまま、壁と俺に挟まれたような恰好の修道女は、

「壁ドンっ! はじめてされちゃった……あっ! でもダメです。男性は……男性は禁忌なのでダメなんですけど……なんかドキドキ……」

「触ってないよな?」

 俺は修道女の白く小さい手を見詰める。

「まあ――よく考えたら、見てもわからんか……」

 そう呟きながら手を離す。

「あ、あの……」

 痛かったのか? 手を押さえながら目の前の修道女は上目遣いで、

「ご、ごめん。痛かった?」

 手を押さえたままの修道女へと、

「い、いえ……その……」

 オドオドした態度で上目遣いのまま、

「あの……ディバイン様、そろそろ……離れて……頂けると……」

 その言葉に自分の状況をよく考えてみる。

 まず厨房には病にかからなかった全員が集まっている。その中で俺は少女の手を壁に押し付け、じっと見つめている……うん……まぁ……。

「オホン」

 一つ咳払いをした後――

「し、焼却炉はドコかな? この大根――感染源とまな板、包丁を全部焼却処分したいんだが…………」

 

 そして――少量のサンプルで種類を特定した後に大根、まな板、包丁はゴウゴウと音を立てる炉に放り込まれ、皆、炉の煙突から夜空へと立ち上る煙を見詰めている。


「いまから書く薬草で村の医者から解熱剤を作ってもらって――あぁ、もう村にもどっても平気だよ。感染源は潰したから、患者からの二次感染に注意すればこれ以上広まる心配はない」

 立ち上る煙を見上げる集団の一番後方で数人の修道女に薬草の名前を書いたメモを渡しながら、

「これでホントに治る?」

 あの前髪ボサ修道女が俺の裾を引っ張りながら、

「あぁ……たぶんなんとかなると思う。――で、実は――」

 さすがにこのままってワケにはいかないよなぁ……こーなったのは俺のせいだし……だ、大丈夫だよな? 修道院長も優しそうだし、あんな状況でも人を信じてたし……。

 立ち上る煙を見上げている最前列にいる院長を見る。

「へ!?」

 起こった出来事があまりにも衝撃的で思わず間の抜けた声が出てしまった。

 これ以上、感染拡大がなくなった事に安堵し、柔和な笑みとともに立ち上る煙を見ていた院長は――肩をほぐすように腕を上げる――その腕が顔の前を通過すると、直前までの表情が一変していたっ!?

「許せぬ!」

 そう言いながら近くに生えていた大木に腕を叩きつけと、乾いた音が響き――メキメキと繊維質の悲鳴が続く。

「ふんっ!」

 院長が今まで聞いた事もない野太い声で後ろに倒れ、ブリッジの体勢になると腹に大木のせる!

「で、出るわっ!? 院長の必殺技っ!!」

 修道女の一人がそう洩らす。

 ――って、修道院の院長が必ず殺せる技をもってんのっ!?。

 胸中の疑問を余所にブリッジ体勢の院長は腹筋と両手脚、背筋のバネを利用して大木を宙高く舞い上がらせるっ!?

「で、出ます! 出ちゃいますぅ!! みんなで山菜採りにいった時、出くわした人食い大熊をやっつけた大技っ!!」

 前髪が伸びた修道女が隣で大袈裟な身振り手振りを交えつつ――熊のトコでマネなのか両手足を大の字にして「がおー」と呻り声付きで解説する。

「見て、見て」

 その姿を見ていた。俺の袖をクイクイとひっぱり――ブリッジで大木を夜空高く舞い上がらせている院長を指し、

「あれ一見、お空に飛ばしてる様に見えるけど……実は絶妙な回転運動してて相手は全く身動きできないんですよっ!」

 興奮ぎみにそう言い『回転運動』のトコロで自らバレエダンサーのようにクルリとその場で一回転してみせる。

「あっ! あっ!!」

 解説のときの仕草がおもしろい娘だな~っと院長から視線を外していると、再び袖を引っ張られ視線を院長に戻す。

「はっ!」

 大木を夜空高く舞い上げ、そんな気合とともに大地を蹴り飛び上がる院長っ!?

「出ます!」

 夜空高く舞い上がった院長は大木に追い付くと、両脚を大木に絡めるように極める! そして人間の腕のように左右に『ピョコ』と伸びた枝を手でガッチリホールドする。

 その姿はまさに――まさに――


「「「「「「「「必殺のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉォォ――――!!」」」」」」」」


 その場に居合わせる全ての修道女が夜空の院長を見上げながら唱和する!


「「「「「「「「グランド・クルスぅぅぅぅぅぅぅぅゥゥ――――!!」」」」」」」」」


 その声とともに繊維質の裂ける音が響き渡る。

「お、恐ろしい……あの木が裂ける音は人間でいうと、首胸背腕の筋肉が裂けるのと同じだ……」

 隊長さえそう評するほどに、夜空に浮かび月明りに照らされた、その十字――まあ十字架(クルス)というより『卍』の形に見えるけど……は恐ろしい技だった。

はっ! ――ってか、俺が持ってきた大根が原因だってわかったら、俺がこの技の餌食になるのではっ!?

 その恐ろしい可能性に気付き一人、冷や汗を流していると――

「あっ! あっ! あぁ――」

 見上げていた修道女の内、何人かが院長を指しながら――さらなる驚愕の声を上げる!

「あっ! な、なんですかっ!? あれは――?」

 隣のちっこい修道女が驚きに目を見開く。

「みなさん、これより瞬きを禁止します」

 夜空を見上げたまま年配の修道女が口を開く。

「あれこそ、初代院長がこの周辺を支配していた海人の王を退治した大技。この中から次の院長になる者がいるとすれば体得しなければならない技」

 そうなのっ!?

 なにその変なしきたり?

 筋骨隆々な姿になった院長は大空で両脚両腕を使って十字に締め上げた大木を地面に叩き落とす!

 そして――どんな原理かは不明だが院長が急降下し、やがて大木に追い付き――追い抜く!

「いぃぃぃぃいぃぃぃぃんちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・すぺしゃゃゃゃる!」


 そんな声とともに大木の――人でいったら首にあたる部分を両脚で極め、落下のスピード、院長と大木の自重、さらに院長の両脚の筋力の全てがその首にあたる部分に集中し、千切れ飛ぶ!

「見事です。院長」

 年配の修道女がそういうと、皆気が抜けたように座り込む者、その場にへたり込む者、うぉ! 感涙してる奴までいるよ!?

 その様子を呆れ顔で見ていた俺に突然――『ギンっ!』と擬音にすればまさにそんな感じの視線が突き刺さる!

 首の裏のうぶ毛が逆立ち、背筋に悪寒が走り抜ける!

 その圧迫感を与える存在はいつの間に俺の眼前に立っていたっ!?

 反射的に腰の剣に手を伸ば――す手を『ガシっ!』と掴まれるっ!

「「ありがなさい」」

 俺と院長の声が重なる。

「貴方が感染源を特定してくれたおかげで、これ以上の被害を――」

 言わなきゃ……言わなきゃ……俺が持ってきた大根のせいですって……。

 頭ではそう思うのだが、院長の先ほどの大技――グランド・クルスで内臓をやられ、その後、院長スペシャルで大地に叩きつけられる様が脳裏にシッカリと焼き付いて、なかなか言い出せずにいる。

「あ、あの――」

「それにしても私の院に――神聖な娘達に病原菌をまき散らすとは――」

「お怒りごもっとも、しかし今は他にやるべき事が――なっ?」

 いつの間にか隣にきていた隊長が俺の肩へ手を置きながら、院長との間に入る。

「薬草は手配したみたいだが、他にできる事はないのか?」

 隊長は俺にだけ見える角度で目配せをすると、そんな事を聞いてきた。

「え、えっと~……」

 再び書物に書かれていた事を思い起こし、

「少々、乱暴ですが排血療法という手法もあります。院長、この辺りで吸血スライムが出る沼や川なんかありますか?」

「吸血? 確か近くに亜種の吸血マリンスライムが――」


「隊長。俺も行きます」

 砂丘の奥地にある、海蝕洞窟へと向かう準備している隊長にそう声をかける。

「ワシだけで十分だ。ナナの傍にいてやってくれ」

「いえ、行かせてください」

「むう……」

 食い下がる俺に、

「そういえば、あの大根を持ってきたのはおまえだったな」

 隊長はこちらに背を向けたままそう言い。

「丁度いい。道中で事情を聞かせてもらおう、外套を着ていけ夜は冷えるぞ」

 それは了承の言葉だった。


「……暑いな」

 馬上で外套の首元を緩める。

「――ふむ。王都で大根を売っていた錬金術師はなんでこんな危険な物を……」

 俺の話――といっても工房区の露店で剣と例の大根を購入し、その時の商人の様子がおかしかった事と金属製の剣を凌ぐ硬さで表面がコーティングされていたのを話した後に険しい表情でそう呟いた。

 昼間の茹る様な暑さがウソのように寒々とした海風を受け、俺と隊長は白い砂地を駆ける!

「――」

 隊長が何かを言ったが、口元の覆う外套と強風のせいでよく聞き取れなかった。

「なんですか?」

 隊長は口元の外套を除け、大きな声で、

「目的地はこの海岸線の果てにある――」

「海蝕洞窟です」

 俺は夜明け前の闇の残る地平線を指しながら答えた。


『海蝕洞』

 海の波に浸食されできた天然の洞窟の事である。季節によっては全く立ち入る事ができなくなったりもするために海賊なんかが宝を隠してたりするとか噂の絶えない天然のダンジョン――まあ、海賊やってるような刹那的な生き方をしてる連中が老後のために宝を隠してるなんて話しはほとんど嘘である。

今は『共和国』が海を大型軍艦で支配し、『大公国』が空飛ぶ艦――航空艦を所有してる時代だ。こんな時代に海賊稼業をやっている連中はほぼいない。最悪なのは隣国の『ドラゴニア』の竜人種にでも遭遇したら一〇秒と経たずに海の藻屑に変えられる。

 話が逸れたが、そんな噂のつきまとう天然のダンジョンが今、目の前にポッカリと口を開けていた。

「結構、海水が入り込んでいるな……」

 松明に火を灯しながら隊長は洞窟に足を踏み入れる。俺も馬を近くの岩場に隠すと隊長の後へと続く――『ジャポン』という音とともに脛まで海水に浸かる!

「中は結構、冷えますね」

 自分の吐く息が白くなってるのに気づく。

「手を冷やさない様に気を付けろ。いざという時に剣を握れなくなる」

「はい」

 利き手を外套の下へと入れ常に動かすようにする。

 こんな事は剣術の訓練でも教えてくれないから、こういう知識を得ただけでも来たかいがあったというモノだ。

「……何かいるぞ」

 先行する隊長は松明片手に剣を抜く!

「……ん?」

 頬に滴が落ちる。

「ぐへぇ!」

 視線を上げた先にはビッシリと粘液のようなモノ――まるで海水が意思をもってるかのような姿形のスライム。

「弱らせて捕獲するのが一番じゃが、無理はするな!」

 持った松明を洞穴の上に向ける!

「はい――おわっ!?」

 剣を抜き、いつものように構えようとすると何かに足を取られ、盛大なしぶきを上げて転倒する!?

「クソ!」

 悪態が口をついて出る。

 起き上がる間もなく天井から『ボトっ』と何かが落ちてくる気配を感じる!?

「うわっ!」

 思わず腕の力のみで剣を真横に振りぬく!

「ピギィィィィィィ!」

 甲高い悲鳴を残し、二つの水音が上がる。

「はぁはぁはぁはぁ――思わず倒しまった……生け捕りにしないといけないのに……」

 早く立たないと――松明を振り弱ったスライムを革袋の中に入れる隊長を見ながら、俺は立ち上がろうと壁に手をつ――

「おわっ!?」

 湿った壁は予想外に滑りやすく、再び水の中に沈む俺。

「クソ! 足場さえ良かったら……」

 再び悪態をつく俺に、

「アホ! 道場や街中ではない! 荒野の戦闘で足場が良い事のほうが珍しいわ!!」

 隊長の容赦ない声が聞こえる。。

 そう言われてみればそうか……よっと!

「うっ……」

 勢いよく立ち上がると、少し体がよろけ、視界がユラユラと揺れる!?

「な、なんだ!?」

 頭を振り意識をハッキリさせる。

「!」

 その時、足元の海水から一匹のマリンスライムが飛び出してくる!?

「おわっ!」

 突然、襲い掛かってきたマリンスライムは大口を開けると、赤銅色に輝く火炎を吐き出してきたっ!?


 ここでオクタビアが――

「マリンスライムが火炎を?」

とツッコミをいれてくる。

 しばし考えた後――あとでわかるよ言うとそのまま俺の話しに耳を傾ける。


「――っがはぁ!」

 火炎の息から身を守るため、足元の海水へと逃げ込んだ俺が次の瞬間にいた場所はどことも知れぬ見知らぬ場所――いや、違う!


 俺はこの場所知っている!?


 かつての辛い記憶――だが諦めなかったという自分への自信にもなっている場所。

 そこは――

 オーク軍に襲われた村を命辛々逃げ出し、赤ん坊の妹を抱きかかえながら歩いた街道。セピア色の風景に曇天の空、どこまでも続く荒野――一本線のようにどこまでも、どこまでも果てしなく伸びる街道。

「あ、あれ?」

 そんな風景の中、少年にも満たない幼い子供が歩いてくる!?

「……お、俺?」

 どこまでも伸びる街道から歩いてくる人影は幼い頃の俺だった!? しかも両手には妹のサクヤまで抱えている!

 街道とはいえ下は石を敷き詰めただけの簡素な道、どこでなくしたのか? 元々、履いてなかったのか靴はなく足の裏から血が噴き出し、やがてそれも凝固し黒い血のシミだけを付けたままひたすら王都――いや、この頃の俺は自分がどこへ向かって歩いているのかさえわからなかった。

「しかし――なんでいまさらこんな夢を? 夢だよな……はっ!」

 俺は自分が二股に分かれた街道の分岐点にいる事に気が付いた。

「なんだ? こんな場面、記憶にないぞ……」

 そこは見事に二股に分かれ手前に朽ちかけた道標がそれぞれの指す方向の地名が記されていた。

「や、やめろ……」

 唐突、足がガクガクと震えだし、胸の内から意味のわからない焦燥が募る! 自分がなぜ否定の言葉を口にしたかもわからない。

 お、俺は……オークの軍隊に村を襲撃されたのも……逃げる途中で若夫婦から赤ん坊を預かり……一人で……一人で王都まで歩い……た?

 一人! 一人ってなんだよっ!?

 モヤが罹ったかのような記憶の中で自らの発した言葉に疑問を覚える。

 それを思い起こさせるかのように幼い頃の俺はフラフラと危なげな足取りで道標に近づくと――その道標の下へ抱えていた赤ん坊を置く!!


「そうだっ!」


 震えだした足は全く力が入らず、その場に跪く。

「俺は――俺は――頼まれた、託された赤ん坊を――サクヤを――」

 跪き、曇天の空へと絞り出すように声を発する。

「置き去りにしたんだっ!!」

 今の今まで忘れた――いや、封印していた出来事。


「はっ!」

 次の瞬間、俺は幼い頃の姿になっていた!?

「サクヤ!」

 すぐさま道標の下へ戻り布に包まれた赤ん坊を拾い上げる。

 幼い頃の自分にはズッシリと重い、その感覚に安堵の息を洩らす俺。

「……よかった」

 その重さが今は心地いい。

「――見捨てたな」

 どこからともなく聞こえてきたしゃがれた老人の様な声に『ギョ!』となる。

「見捨てたな」

 今度はハッキリと聞こえた――自分の抱えた腕の中から!

 おそるおそる抱きかかえた赤ん坊のほうを見る――

「見捨てたな」

 赤ん坊は俺に非難の視線とともに流暢な言葉とともに言ってきた!


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァ!!」


 自分の叫びで目を覚まし、ドコともわからないシミだらけの天井を震わせる!

 胸に感じる奇妙な感触っ!?


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァ!!」

 

 胸板を見た瞬間――感触の正体を知り、再び悲鳴を上げる!

 なんと、無数の吸血スライムが喰いつき体色を血の色に染めていたっ!?

「――痛っ!?」

 払いのけようと手を動かすと、手首に走る激痛――見ると、俺の両腕はベッドに縛り付けられていた!

「気が付いた!? お、落ち着いて! 大丈夫、平気だから」

 少し疲労の色を滲ませたナナがそう言いながら、俺の額に優しく手を当てる。

「ここ……は?」

「修道院よ。自分がどうなったか憶えてる?」

 グルグル回る視界の中で頭を働かせ、

「た、確か……海蝕洞に入って……」

「そう。そこで貴方、急に錯乱して――」

「そうか……」

 おそらくマリンスライムが火炎を吐いた辺りからだろう……。


 ここで先ほどオクタヴィアに指摘されたトコへと繋がる。

 オクタヴィア達には海蝕洞に入った途端、実は自分も感染していて幻覚を見たと言っただけで、幻覚の内容までは話していない……おそらく一生涯、誰にも話す事はないだろう。


「ずーっと魘されたまま、譫言で謝っていたよ。ごめん、ごめん――って」

 ナナはベッドの横にある椅子に腰かけ。

「あぁ……すげー嫌な夢見たわ……いや。夢じゃないな、自分でもなかった事にした過去の過ちを見せられた……うっ!」

 胸の上を這いずる蛭の感触に顔をしかめる。

「ご、ごめん。熱が引くまでは腕の拘束を外すなって隊長が……」

 ナナはその反応を腕に食い込む縄のせいだと思ったのか、そんな事を言ってくる。

「……自分で出した指示だ。わかってる」

 熱でクラクラする中、なんとか声を絞り出す。

 そのまま会話は途切れ、俺は眠気より遥かに強い頭痛と暑さに耐えながら『ボ~』っと天井のシミを見続ける。

「忘れてた過去……かぁ……」

 ナナは力無くそう洩らすと、自分が見たモノを話し始めた。

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