彼の記憶
黒に一部、純白が混ざった髪の少年が雨の降る街を走っている。
空は暗く、夜の街には全く明かりが灯っていなかった。それどころか人影の一つすらない。
見た目の年齢の割に少年の走るスピードは速い、いや速すぎた。加速の魔術でも使っているのだろうか。もし、仮にそうだとしたら相当な腕だ。少年は自動車と並走できるくらいには加速している。
少年の顔は必死だった。その息は荒い。今にも倒れそうだ。しかし少年は止まらない。暗い夜道を走り続ける。
ときおり大声で誰かの名前を叫んでいる。少年は街を走って、走って、それでも彼の探し人はみつからないようだった。
時間の経過と共に少年の顔はどんどん絶望に染まっていく。泣きそうになって、でも泣く暇もないようで、見るに堪えない顔だった。
ふいに力が抜けたかのように少年が転倒する。走行中の速度のせいで少年の体は数メートル先までバウンドしながら吹き飛んだ。そして、黒く濁った水たまりに突っ込む。身体に害を及ぼすモノから身を守る魔術でも行使していたのだろうか、少年の体に傷はない。
しかし、少年の
少年はすぐに立ち上がって、また走り出す。また加速していく。街並みはどんどん変化していく。
そして、ふいに街が途切れた。目の前には高い城壁と大きな門が見える。
二人の警備兵らしき人たちが慌てて飛び出してくる。矢のように駆ける少年を止めるために……。二人の警備兵は飛び出してきて、手に持った盾を地面に突き立てる。
警備兵がマイクに向かって命令を伝える。
その瞬間、魔術が世界を塗り替えて、盾の前に前面からの攻撃を受け止める力が発生する。しかし、その力はこの場において何の意味もなさなかった。
なぜなら少年と盾が衝突する直前に盾に向かってつき出された少年の拳が、拳に宿る力が、盾に宿る魔術によって生み出された壁を吹き飛ばしたからだ。二人の警備兵が盾もろとも吹き飛ばされて後ろに転がる。少年はそのまま門に突っ込んだ。轟音を上げて門が少年を跳ね返す。
しかし、少年は突撃をやめない。何度でも、繰り返す。四度目の特攻をおなうべく魔術を発動した少年を、体勢を立て直した警備兵が取り押さえた。
少年はそれでも誰かの名前を叫び続ける。
警備兵は一人が少年を抑えて、もう一人が少年の顔を拭き始めた。顔が綺麗になると今度は髪を拭く。そして少年の黒髪に映える白銀の髪がその輝きを取り戻した時、二人の警備兵の顔は真っ青になっていた。慌てて、すぐに一歩下がり少年に敬礼する。
少年が警備兵に吐き捨てるように一言命令すると、一人が慌てて走って壁の中に姿を消した。
数秒後、少年の激突にもめげなかった門が開き始める。少年は門が開ききるのを待たずに壁の外へと走り出した。後には、我を失ったように立ち尽くす二人の警備兵が残された。
景色が一変する。
壁の外は夜の闇に明かりがたくさん灯っていた。ビルが立ち並び夜の街を上から照らしている。少年はその中へ駈け込んでビルの間を縫うように駆け抜ける。
通行人は少年のスピードに驚きはするものの特に咎める声は上がらない
ここは
この時代の
その企業本社ビルが立ち並ぶ西の街を少年は島の外周部へ向かって走り続けている。次第にビルの影はまばらになり、代わりに工場が増えていく。
天神島、
それでも少年は止まらない。走ることをやめない。叫ぶことをやめない。
再び場面が一変した。
工場区の外側のコンテナが無数に並ぶコンテナヤード。すぐそこにある海から潮の香りが届いてくる。無数にならぶコンテナの一つに明かりが灯っている。
広いコンテナの中には複数の男たちに囲まれて
男たちは少女の肩を掴んで何度も揺らしている。彼らは互いに怒鳴りあって責任を押し付けあっていた。祈の純白の髪は乱れ、彼女の顔は苦痛に歪められている。
彼らが揺さぶっている少女、祈の脇腹から血が流れていた。真っ赤な血は彼女の服を濡らし、コンクリートの床を紅に染めている。
やめろ、やめろ、やめろ!
いやだ、祈は死んだりしない。僕が必ず助けるんだから……。
祈に何してる。離れろ。触れるな。男の一人が苛立ってか、祈を蹴りつける。
今出ていっても無駄だ、僕ではあの男たちに勝てはしない。
でも……、でも…………、でも……………………。
僕は耐え切れなくなって物陰から飛び出した。
「い、祈から、は、離れろっ!」
男たちが一斉にこちらを向く。彼らの顔には焦りと怒りが浮かんでいる。目は血走っていて、視線だけで僕の心は負けてしまいそうだ。数人が銃を僕に向けた。
「僕の……オレの大切な人から離れろ!」
僕は自分に向けられた銃を恐れながら言う。僕はオレの中で何かが切り替わるのを自覚した。
オレが祈を救う。邪魔をするな。
そう念じた瞬間にオレの魔術より迅速に、オレから放たれた何かが男たちを吹き飛ばした。男たちはもれなくコンテナの壁に叩きつけられて昏倒する。その力で男たちを吹き飛ばした直後、目が、頭が焼けるように痛む。
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!」
白熱した頭の中で何かが『壊セ、殺セ』と叫んでいる。
『罪人は一人も生かしておくな』と。
僕はその声に抗って、しかし、現状を打開できるだけの魔術を持ち合わせていなかった。
その声の主は僕の怒りや悲しみ、そういった強い感情に反応しているようだ。僕は祈の命を奪おうとした男たちへの怒りに飲まれそうになって、祈を助けられないという絶望に飲まれ、停止する。
だめだ、これ以上自分を諦めたら呪いを受け入れることになってしまう。
でも、目の前の男たちの仲間がじきにここにやってくる。なにより僕には今の祈を助けられる手段がない。
もう、僕に残された選択肢は祈を失うか、叫びを上げるそれを受け入れることしかないようだった。それを受け入れるにはまだ修行が足りないはずで、そうでなくても自分の頭の中に浮かんでいる選択肢を選んではいけない理由は無数にある。
それでも僕は、彼は彼女を見殺しにするという、もう一つの選択肢を選ぶことはできなかった。
必ず助ける。彼女を救う。絶対に死なせはしない。また一緒に家に帰るんだ。神様、彼女を助けて。
僕は、彼は最後に祈った。僕の祖先を迫害した神に。当然、奇跡が起こることはなかった。それが最後通告だ。そして、僕は、彼は神から離れた道を行く。我らが人類の祖のように。
「
この心は罪より成っている。
神の怒りと、終わりの時と、数多の願いを内包し、望む全てを創りだす。
彼らに救いを、我らに救いを、救済こそが我が務め。
我は何よりも高く、神よりも高く、
遥かなる高みより全てを救う傲慢為り。
故に我は望む、我に彼女を……、祈を救えるだけの力を……」
言葉を唱えるごとに、体が熱を増していく。熱い、痛い、苦しい。制約を逃れたセラフが暴れ、狂う。
僕の、彼の背中から翼が出て、僕の、彼の瞳に炎が宿り、紅の輝きが体を覆う。
「世界を、此の、手で、救い出せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええぇえぇx!」
僕の全てを『殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺sssss「ガアァァァァァァァ!」』
セラフが叫び、彼も叫ぶ。
僕は、彼は約束したのだ。必ず助けに行くと。どんな時でも一緒にいると。いつまでも君を、彼女を守ると。
だから僕は……、オレは……、彼は…………。
頭が割れるような痛みに襲われて、意識が朦朧とする。僕の、彼の前で彼女の血が戻って、傷が癒えた。彼女が不思議そうな顔でこちらを、彼を見る。純白だった髪を桜色に変化させた祈がオレに、彼に気づく。
「い…の……り…………。よか……た。目が覚め…………………」
そして、そこで意識が暗転した。
青年は夢から覚める。
彼女のこちらを不思議そうに見ている顔を見納めて、彼は意識を失う。
それは単なる眠りではなかった。一度入ったら二度と抜け出せない深い、深い眠り。
精神がその
五識が消え、意識が消える。世界を観測する術を失い、少年の精神は肉体から乖離しようとして、そこで最後に少年は願ったのだ。
暗く、何も見えない闇に消えてしまうはずだった精神は、それでも自分がここで死んでいくという運命に抵抗した。
他に、他に違った未来があるはずだと、そんな可能性を彼は求めた。自分がここで消えずに人生を送る未来を
それが彼の罪。
自分が死ぬという現実を、運命を否定しようとしたことが彼の罪。
そして、彼の本当の罪は、
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