17撃目 宴は終わらない


 キズナがマリの方を見ると、ワンパンで終わったところだった。

 マリがカミラの腹部に打撃を入れて、カミラは地に伏せた。

 マリが溜息を吐いたのが、キズナにも分かった。


「まぁ、あの程度じゃなぁ」


 満足はできないはずだ。

 マリはキズナの方に歩き出したが、顔はリュリュの方を向いていた。戦闘を見ているのだ。

 キズナが周囲を見回すと、いつの間にかグロリアの部隊はかなり離れた位置に移動していた。遠巻きに見ている、といった感じ。

 たぶん、カミラが大魔法を使ったあと、距離を取ったのだろうとキズナは思った。

 陣地のテントが焼け落ちたりしているが、まぁキズナには関係ない。


「リュリュ、闘えてる」


 キズナの側まで来たマリが言った。


「ああ。予想以上だな」


 リュリュの攻撃はカミラに掠りもしないが、カミラの攻撃もまた、リュリュに当たっていない。


「何年だと思う?」

「あん? 何がだ?」

「分かってるくせに」

「リュリュが俺らと同等になる時間か?」

「そう。やっぱり分かってた」


 マリはちょっとだけムスッとした表情を浮かべる。


「今の環境なら3年……いや、2年か?」

「私も同じ意見だけど」

「あくまで今の俺たちと同等、って意味だろ?」

「うん。私たちも伸びるから、闘えるのはもう少し先かも」

「ああ。楽しみだな」


 自分で育てて、自分で闘う。

 武道家のロマンだ。

 特に、リュリュのような才能には2度と会える気がしない。このチャンスを逃すつもりはない。

 だが問題もある。


「でも、その頃に私たち、こっちにいるかな?」


 マリも同じことを危惧していた。

 キズナもマリも、永遠にこの世界にいるわけではない。元の世界に家族もいるし、久我刃心流の道場もある。いつかは帰らなくてはいけない。


「つーか、そろそろ1回帰らないとまずくないか?」

「思った。私たち前も姿消して、死ぬほど怒られた」


 4年前の話だ。死ぬほど、というのは比喩ではない。キズナもマリも本当に死にかけた。

 両親はそこまで酷く怒らなかったのだが、師範は違った。


「修行の旅に出るのはいいが、一言断ってからにしろ、だろ?」

「うん。そのあと師範に半殺しにされたのはいい思い出」

「本当になぁ。妖魔の王を倒しても、俺たちはまだ未熟だってしっかり理解できたからな」

「まぁ、師範は怖いけど、帰る前にフラヴィの仲間は助けたい」

「ああ。そうだな。人身売買なんて、想像しただけで吐き気がするぜ」

「キズナ、正義のために闘うな。悪のためにも闘うな」

「師範の言葉か。分かってるさ。善悪なんて視点を変えれば入れ替わる。それにこだわると技が曇る。だろ?」

「そう。だから私たちはフラヴィの同胞――未来の弟子を助ける。それだけ」

「ああ。妖魔はみんな弟子だ。けど、そうなるとトリル山を離れることになっちまうな……」

「うーん」


 キズナとマリは揃って首を捻った。

 妖魔たちも護らなくてはいけない。彼らはまだ、キズナとマリなしで闘えるほど強くないのだから。

 と、カミラの拳がリュリュの頬を捉え、リュリュが倒れた。


「おっと、リュリュがやられる。助けてくる」

「リュリュはよく頑張った」

「本当にな」


 キズナは影歩かげあゆみの上位互換である無走むそうを使ってカミラに近付いた。


       ◇


 リュリュはもう何時間ぐらいこうして闘っているのだろう、とふと思った。

 極限の集中をずっと続けている。反応が少し遅れたら、もう躱せない。

 稀に反撃もするのだが、ことごとく当たらない。徒花あだばなも当たらないし、金的――女の子が相手ならただの股蹴りだが、それも当たらない。

 普通の突きや蹴りはもっと当たらないどころか、リュリュの方に隙ができてしまうのでもう使っていない。

 きつい、とリュリュは思った。

 本当に、本当に、苦しい。足がもつれそうだし、もう倒れ込んでしまいたい。


「なんなのよぉ!」


 しかしカミラも焦っている。リュリュが攻撃を全部避けるから、カミラの方も精神的には追い込まれている。

 けれど、カミラは肉体的にまだ余裕がある。

 カミラが右フックを打つ。

 比べて、

 リュリュは、

 躱そうと思ったのだ。ちゃんと見えていたし、いつもなら躱せる。

 なのに、

 足が攣った。

 基礎的な体力の不足。カミラとリュリュの埋められない差。稽古を始めて1週間しか経過していないリュリュの限界がそこだった。

 気力も切れかけていたが、体力の方が先に切れてしまった。

 左の頬に、凄まじく重たい衝撃が走り、

 リュリュの身体が少し浮いてしまう。

 意識も軽く浮いてしまった。

 どこか遠くへ、意識が逃げようとした。苦しみのない、どこか遠い場所へ。

 全てがスローに見えて、視界がグニャリと歪んだ。

 けれど、地面に落ちる時にはちゃんと受け身を取った。

 だから、本来ならそのまますぐに立つべきなのだ。

 立つべきなのだけど、

 リュリュは立てなかった。

 足が攣っていたのもあるし、視界が歪んでいるのもある。

 身体が起き上がることを拒んでいる。リュリュにとっては、初めての経験。まるで自分の身体じゃないみたい。

 歪んでいた視界が、涙で更に歪んでしまう。

 もう闘えないと悟った。もう勝てないと悟った。

 勝ちたかった。

 本当に、勝ちたかった。

 カミラがとどめを刺そうと、リュリュに近寄り、

 けれど、

 別の誰かの影がカミラを遠くに殴り飛ばした。

 あ、影歩かげあゆみかしら?

 気配をまったく感じなかったから。


「よく頑張ったな。リュリュはやっぱすげぇや。俺の予想よりずっと長く闘った」


 此花このはなキズナ。

 リュリュが異世界から召喚した先生。

 リュリュは4年前から、キズナのことを。


「姫! ご無事ですか!?」


 フラヴィの声。

 リュリュの世話係で、いつも苦労をかけてしまう。

 いいところを見せたかったのだけど、結果はこれだ。


「さすが私の弟子。でも、一点だけ問題がある」


 久我マリ。もう1人の先生。

 キズナよりちょっぴり厳しいけれど、徒花を教えてくれた。


「ああ。リュリュは自分の得意なもの、忘れてんじゃねぇの?」


 キズナが笑った。

 何のことを言っているのか、リュリュには分からなかった。


「姫、ご自分にダークヒールを使ってください」


 あ、そっかぁ、あたし、回復魔法はとっても得意なのよね。たぶん何よりも。


「抱き……癒せ……ダークヒール」


 リュリュの身体を黒い泡が包み込む。

 ヌルヌルしていて、とっても気持ちいい。

 グロいと言われることもあるけれど、リュリュはこのブクブクと弾ける泡が好きだった。

 小さい頃から怪我をするといつも使っていた。自分にも、他人にも。

 少しずつ、傷が癒えていく。体力も戻り始める。

 リュリュはゴロンと横を向いた。


「キズナ先生、マリ先生、あたし、もっと強くなりたい」

「ああ。なれるさ」

「うん。それと、今日の実地訓練は満点」

「だな。教えたこと、全部ちゃんとできてたぜ?」


 先生たちに褒めてもらえて、リュリュはとっても嬉しい気持ちになった。

 自分では、カミラに情けなく負けてしまったと感じていたから。


「フラヴィは70点」

「な、なぜだマリ先生!?」

「まず最初に殺そうとしただろ?」キズナが言う。「それに動揺がずっと続いてて、本来の力を出し切れてなかった」

「どんなに辛い話を聞いても、切り替えなきゃ」

「……」


 フラヴィが顔を伏せた。


「よし。フラヴィはあの男、長髪のほら、チャボだっけか? あれ引きずって帰れ。色々と聞き出すぞ」

「キズナ、チャボは鳥。チャコじゃなかった?」

「チャドよ」とリュリュは呆れて言った。

「ああ、それだそれ。全部吐かせるぞ」


 キズナが言って、リュリュは立ち上がった。

 フラヴィの同胞はリュリュにとっても同胞であり家族だ。生きているなら助け出さなくてはいけない。

 と、グロリアとオルトンが近付いて来た。


「いやぁ、まさかカミラ様を倒すなんて思ってもなかったよ」


 オルトンがヘラヘラと笑った。


「元はといえば、貴様のために先生方はここまで来たんだぞ! なんだその態度は!」

「よせフラヴィ。オルトンはこういう奴だ」

「そう。オルトンは私を好きとか言いながら、カミラに虐められて喜んでいた変態」

「なんだマリちゃん、ジェラシーってやつか?」


「違う」マリがキズナを睨んだ。「事実を言っただけ」


「ちょっと待ってください。オルトン、本当に喜んでいたのですか?」グロリアが目を丸くした。「心配かけないために、カミラが好みだって言ったのでは? 部下たちのために、真っ先に痛めつけるなら僕にしろって言ったのでは?」


「当然、部下のためだよ。姉さんに心配させないためでもあるけどね。ただ、喜んだのは事実。別に否定しないよ」

「趣味と実益を兼ねたってことだな。さすがだぜ」


 やれやれ、とキズナが肩を竦めた。


「けどキズナ、マリさん」オルトンは笑うのを止めた。「来てくれるとは思わなかったよ。だから、感謝してる」


 オルトンが深く頭を下げた。


「あ、ああ。気にすんなよ。4年前は仲間だったんだぜ?」

「うん。今だって、敵だけど戦友だったことに変わりはないから」


 キズナとマリが笑顔を浮かべた。

 リュリュは少しだけ、オルトンに嫉妬した。

 いつか自分も、弟子じゃなくて2人の仲間に、戦友になれるだろうか、と思った。

 と、少し離れた場所で倒れていた本物のカミラが立ち上がった。


「マリちゃん、手加減し過ぎじゃねーの?」


 キズナもそれに気付き、言った。


「かもしれない」


 マリは特に否定しなかった。


「だがもう闘う力などないはずだ」フラヴィが言う。「無視してトリル山に帰ろう」


 しかし、リュリュはなんだか嫌な予感がした。

 そして、その予感はすぐに的中する。

 カミラがヌイグルミを拾い上げて、

 ブツブツと何かを呟き、

 その直後、

 ヌイグルミが弾けて光の粒子に変貌。

 光の粒子はカミラの足元から螺旋を描き、頭のてっぺんまで駆け抜け、

 カミラの姿が変化した。


「あれは!」グロリアが言う。「追宴ついえん魔宝まほう開錠かいじょう!?」


「あれはやばい! 追宴まで習得してるのか、カミラ様は!」


 カミラの身体に光の鎧が張り付き、顔も含めて露出している部分はまったくない。

 更に、背中に一対の光で構成された翼が現れた。

 その姿はもはや、人間ではない。

 辛うじて、人間のような五体をしているだけ。

 言いようのない不安が、リュリュを襲う。


「マリちゃん、俺、思ったこと言っていいか?」

「キズナ、奇遇。実は私も思ったことある」

魔宝具まほうぐ、欲しいな」

「うん。カッコいい」


 しかしキズナとマリは笑っていた。

 そう、2人は笑っていたのだ。

 あんな、得体の知れない何かを、凄まじい圧力を放つアレを見て、

 笑っていた。

 リュリュなんて、気付いたら腰が抜けていて、地面に座り込んでいたというのに。

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