二年生冬:今年は校舎で立て籠もり

 意味が分からない。

 本当に意味が分からない。

 どうして今年も去年に引き続き摩訶不思議な現象に巻き込まれているのだろうか?


 遡ること数時間前。

 出された宿題に必要な教科書を学校に忘れていたことに気付いた俺は夜の校舎に忍び込んだ。

 教室の自分の机から教科書を手に入れ、さて帰ろうとした時。

 ひやりとした空気を肌が感じ取った。

 何とも覚えのある感覚だ。

 嫌な予感を覚えながらそろりと振り返った。……ことを後悔したのは一瞬だった。

 

 窓の外で落ちる人影。自分の高校の制服を身につけていた。

 その人影は笑っていた。

 どうしてそんなことがわかるのか。

 それはその人影とバッチリ目が合ってしまったからだ。

 驚きのあまり悲鳴すら出なかった。

 こんな経験は二度としたくないと思っていたのに。

 ぐしゃり、と何かが潰れた音がして、言い知れぬ恐怖から震える身体を抱き締める。

 ――瞬間。バンバンッと教室の閉められていた筈の扉が叩かれたように揺れた。

 ビクリと身体を揺らして半泣きで扉の方を見てしまう。

 こういう時、人間とは不思議なもので、絶対に見てはいけないと思っていても条件反射のようにそちらに視線をやってしまうものなのだなと知ったが、そんなことは別に知らなくても良かった。

 教室の扉はバンバンッと激しく叩かれている。

 下の方にある硝子窓からはうぞうぞとした暗闇で染まる校舎でも更に黒いと感じたナニかが居た。


 もうやめてくれ!

 そう叫びそうになるのを必死で口元を手で覆い堪えた。


 どれくらいそうしていただろうか?

 不意にあれだけ激しく鳴り響いていた音が止んだ。と、共にガラッと扉がスライドされる。


「先輩はチョコレートケーキでいいですかー?」

「いや、待て? お前何言ってんの?」


 そこに居たのは去年のクリスマスに摩訶不思議な経験をしてから度々かかわることになった後輩。

 その女。後輩である神山が何ともにこやかに笑いながら近付いてくる。

 その際に教室の扉に何か文字が書かれた紙を貼っているようにも見えたが、暗いし色んな意味で気が抜けた俺はそれを指摘する気にもなれなかった。

 何で居るのか、とか、また今年もケーキの話か、とか、もう既にお前の口元にクリーム的な何かが付いてんぞとか、いろいろ。それはもう色々言いたかったけれど。


「いやはやー、先輩はつくづく可笑しなことに縁が出来てますねー? まあ、私的には嬉しいんですけども」

「俺は何も嬉しくねぇよ? つうか相変わらず平然としてんな」

「まあ、そりゃあ、慣れてるからですよー」

「心底理解できねぇ」

「あは、それは残念です」


 へらっと笑った後輩の笑顔が一瞬だけ陰った気がしたが、すぐ元に戻ってしまったのでそのことに突っ込むタイミングを失ってしまった。


「とりあえずあのぐしゃぐしゃと五月蝿いのは何とかしますかー」

「ああ、はいはい。お願いシマス」



 去年は見事に気を失った男、水無瀬は神山の言った「朝になったらわりと平気で出れましたー」との言葉を本気で信じたのちに裏切られているので、慣れたものだ。神山が元凶を退治したことを今では知っている。


「なぁんか、軽いですねぇ」

「お前が危険な目に合うとかはねぇんだろ?」

「自分に危険が、じゃあないんですね。……まあ、そんなところがいいんですけど」


 ぼそりと神山が何かを呟いていたようだが、ぐしゃりぐしゃりと定期的に聞こえてくる音のせいで聞き取れなかった。


「おい」

「ふふ。私があんな雑魚にやられるわけないですよー。心配しないでくださいー」


 歌うように楽しそうに言った後輩は制服のポケットから札を取り出し、そのまま窓の方に向かって投げた。

 窓なのだから当然そのまま張り付くのではないのか? と思ったが、不思議なことに紙である札は窓をすり抜けて丁度落ちてきた人影に当たる。

 『ソレ』は耳障りな悲鳴を上げながら落ちていく。

 今度は潰れた音を発さなかった。


「……相変わらず凄いな、お前」

「ふふん。もっと褒めてくれてもいいんですよー?」

「悪い今のは取り消すわ」

「え、酷いですよー先輩!」

「お前調子乗らせると面倒くさいからヤダ」

「そりゃ先輩に褒められたら調子にだって乗りますよー」


 なははー、と変な笑い方をしてから、よっこいしょと俺の席の隣に座る。


「さ、先輩。チョコレートケーキ食べましょう! なんと今年もホールですよー」

「うん。何でそうなる?」

「先輩が怖い思いをしてでも家に帰りたいならいいんですけどー」

「お前が何とかしてくれるという選択肢は?」

「あはは、ないです」

「おい」


 だって、と神山が呟く。


「先輩と一緒にクリスマス過ごしたいんですもん」

「だってじゃねぇよ。アホか」


 神山の脳天にチョップする。

 俺は怖がりだ。びびりと言っても過言ではない。

 だから神山と居て起こる事態は是非とも避けたい。が、だからといって「先輩、先輩」とある日突然現れ、煩いくらいに後をつけ回してきた後輩に突然避けられても寂しいというものだ。

 そう言えば後輩はホールケーキを切り分ける手を止め、目を丸くしていた。

 だからどうして登山用リュックを背負っているんだお前は。包丁も入れてたのかよあぶねぇな。


「……先輩は、奇特な人ですね」

「あ?」

「いえいえー。そんな眉間に筋を立てないでください」


 なるほどなるほど。と神山は頷く。


「先輩は怖い思いをしてもいいから私に構って欲しいんですね!」

「おい。誰がそんなこと言った?」

「いま。先輩が言いました」

「いやそんなこと言ってねぇよ」

「言いましたー」


 そんなやりとりをしながら、時折聞こえるぐしょ、だの、べしょ、だのいう嫌な音をBGMに後輩が持ってきたチョコレートケーキを食べて一夜を明かしたのであった。

 俺は全く楽しくもなんともなかったけれど、後輩は終始楽しそうだとだけ言っておこうか。

 まあ、テストやら何やらで忙しかった為に久し振りにゆっくり神山と話せて、少しはこんな状況も悪くないとは思ったけれど。

 それでもガタガタと教室の扉が揺れるたびにそんな思いは霧散した。


「本当に優しいヒトですよねぇ。先輩は」

「あ?そーか?」

「そーですよ。優しくて、こんな私にも変わらず接してくれる、変なヒトです。先輩は」

「それ褒めてんのか貶してんのかどっちだ」

「んふふー、褒めてますよー」


 神山は心底嬉しそうに、微笑んだ。

 だから、良いかと。俺はチョコレートケーキを食う。

 これからもこんな日々が続くのだと、神山が高校二年。俺が高校三年の冬。

 俺は信じて疑わなかった。

 今までもそうだった。

 ただ、それだけの理由で。

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