知らない番号

 息を切らしながら、走って家まで辿り着いた私は、部屋に戻ると、またベッドの中に潜りこんだ。



 貴弘……なんで……?



 償いをするって、あんなところで……



 いきなりあんなところに連れて行かれて、私が喜ぶわけない。


 それで償いになるわけがない。


 償いをしようなんて気持ちはなくて、ただ、私の身体が目当てだっただけじゃないの……?


 もしかしたら、莉子ともうあそこで……


 嫌な想像まで浮かんできた。



 もう、なんかどうでもいい……



 涙も流れなかった。



 信じ続けることに疲れた……このまま、死んでしまえればいいのに……



 

 私がそんなネガティブな思考に陥っていると、携帯の着信メロディが鳴った。


 また電話の方だ。



 でも、私はそれに出ようとはしなかった。



 うるさいな……もう、私のことなんか、ほっといてよ……



 だけど、どれだけ待っても、着信メロディは鳴り止まなかった。



 そう言えば、お母さん、ネット通販で注文したコスメが、今日届くかもしれないから、代わりに受けとっといて、って言ってたな……私が留守にしてた間に、それが届いてたのかもしれない……



 ゆっくりとベッドから起き上がって、着信メロディを鳴らす携帯を手に取った。


 ディスプレイに表示されていたのは、知らない番号だった。


 やっぱり、運送会社の人からかな……



「はい……鈴川です」


 私が携帯に出ると、


「瑞貴か!?」


 貴弘の声が、電話越しに響いた。



 私は、はっとしてすぐに電話を切ろうとした。


 だけど、携帯のボタンを押そうとして、その指が止まった。



 押せなかった。



 まだ私は、貴弘のことを信じようとしている……?



 あんな酷い仕打ちを受けたのに……



 貴弘は、私の気持ちを完全に裏切った。でも、貴弘に罪があるとしても、私も、貴弘に対して罪がある。



 その夢を奪ったという罪が――



 貴弘は、それを許してくれた。



 別になんとも思っちゃいない、って言ってくれた。



 それなのに、私は、自分だけが不幸だなんて考えて……もしかしたら、悲劇のヒロインになった自分に――そんな自分に酔いしれているだけなのかもしれない……



 もう一度、貴弘と正面から向き合おう。




「瑞貴だろ? 瑞貴だよな?」


 なかなか答えを返さない私に、貴弘が、何度も呼びかける。


 普段なにがあっても落ち着いている貴弘なのに、酷く焦っているような声だった。


「貴弘……」


 弱々しく、答えた。


「よかった、瑞貴以外のやつにかけちまったのかと思ったよ」


 貴弘がほっとしたように。


「貴弘……なんでさっきはあんなところへ……」


「さっき? あんなところ? なんのことだ? それより、俺の話を聞いてくれないか。驚かれるかもしれないけど、俺、実は今、警察に追われてるとこなんだよ」


「え……? 警察……?」


 どういうこと……?。なんで貴弘が警察に……?


「ああ。よく分からないんだけど、俺は、ドラッグの売人、ってことになってるらしい。それで、今日の昼ごろ、警察が俺の家に押しかけてきたんだ。俺の母さんと警察が、玄関口で色々と話しているのを聞いて、それが分かってな。わけ分かんなかったけど、このままじゃヤバイって思って、なんとかこっそり裏口から逃げ出してきたんだよ」


「ドラッグって……貴弘が、麻薬の売人の疑いを受けてるってこと?」


「もちろん俺は、そんなことしちゃいない。瑞貴は信じてくれるよな?」


「もちろん、貴弘がそんなことしてるだなんて思わないけど……なんでそんなことになっちゃったの?」


 どういう状況なのかさっぱり分からない。警察に追われてるとか、ドラッグとか、自分の日常とまるで違う世界のことみたいで、理解が追いつかない。


「俺にもさっぱりなんだ。全く思い当たるとこないからな。だけど警察は、動かぬ証拠がある、って母さんに言ってた。もしかしたら、俺に脅迫状を送りつけてきたやつに、なにか仕組まれちまったのかもしれない」


「酷い……そんなことまでするなんて……」


 でも、殺すなんて言ってきていた相手だから、それくらいのことをしてもおかしくはない。


「けど、私じゃ貴弘を助けてあげることなんてできないよ。他に誰か相談したの?」


「正樹にも電話してみた。だけど、あいつの家にも、俺の友達ってことで、警察が来たらしいんだ」


 その時、玄関のチャイムが鳴る音がした。



 お父さんとお母さんかな……? でも、帰りは夜遅くなるって言ってたし……もしかして……



 私は、窓のカーテンの隙間から、外を覗き見てみた。


 家の玄関の前には、黒いスーツ姿の、強面の二十代前半くらいの大人の男の人が立っていた。


 すぐにその場を離れて、


「警察の人が、私の家に来たみたい。貴弘、ほんとに貴弘はなにも知らないんだよね?」


「ああ。誓ってもいい」


「うん。信じるよ。それじゃあ私は、警察の人たちをなんとか誤魔化してから、とりあえず貴弘のいるところに行くよ」


「ちょっと待て。警察はお前の言うことを、疑ってかかると思う。友達のことを庇って、嘘をついているかもしれない、って考えるだろうからな。お前が家を出ようとするのも、こっそり近くで見張っていて、その後を追けようとするかもしれない」


「そっか……刑事さんたちだったら、当然そうするよね……」


 そこで私は、あるアイデアが閃いて、


「そうだ、いいこと思いついたよ。このやり方だったら、尾行されても上手く振り払うことができるかもしれない」


「どんな手だ?」


「説明すると長くなるからやめておくけど、任せておけばだいじょうぶだから」


「そうか。だったら、任せるよ」


「うん。それで貴弘は今、どこにいるの?」


「あの公園だ。あそこに、俺達が小学生の頃、『かまくら』って呼んでた遊具があっただろ? あの中に隠れてる」


「分かった。少し時間がかかるかもしれないけど、そこに行くから……その前に一つ聞いていい? なんで貴弘の携帯番号変わってるの?」


「ああ、そのことか。番号変えたわけじゃないんだ。昨日朝起きたら、机の上に置いてたはずの携帯が無くなっててな。部屋中探したんだけど、見つからなかったんだ」


「泥棒に入られたの?」


「財布とか、母さんの預金通帳とか、そういう金目のものは盗まれてなくて、俺の携帯が無くなってただけだから、泥棒に入られたわけじゃないと思うんだけどな。一応今日警察に届けようとしたんだけど、その前に、その警察が押しかけてきたからな。今使ってるのは、母さんの携帯なんだ。こっそり家を抜け出す前に、借りてきた。母さんには悪いけど、連絡手段がないと困ると思ってな」


「そういうことだったんだ」


「母さん、心配してるだろうな……」


「そうだよね……」


 その気持ちを推し量りながら、


「私じゃあまり力になれないかもしれないけど、とにかく貴弘のところに行くよ。二人で考えれば、なにかいい解決策が見つかるかも」


「悪いな、警察ざたに巻き込むようなことしちまって」


「ううん。今まで私、貴弘に助けられっぱなしだったからね。今度は私が助けてあげる番だよ」



 私は、「それじゃあまた後で」と携帯を切ってから、玄関口で待ちぼうけしている刑事さんの応対に出た。



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